謡曲「田村」は平安時代の武官、坂上田村麻呂の鈴鹿山の鬼神征伐伝説を元に書かれたものである。
前場は春、桜満開の京都清水寺地主権現に花守の少年が登場し、
ワキ役の僧に請われるまま清水寺縁起を幻想的に謳いあげる。
後シテは甲冑姿の武将坂上田村麻呂本人で、
東夷を平定し、鈴鹿山の鬼神征伐の由縁を謡い、
清水寺の本尊千手観音の仏力と加護を讃え謳いあげる。
「田村」は広く祝言の能として広く演じられ、
とりわけ初代征夷大将軍を扱うこともあり歴代征夷大将軍を任じられた武家には
我が家の誉れを世にしらしめる恰好の曲としてこよなく愛された。
いくつかの伝説を総合すると、田村麻呂は女鬼、千方(立烏帽子、鈴鹿御前とも)と戦ううちに恋仲となり妻とした。
蝦夷征伐の際には妻となった鬼姫も田村麻呂とともに近江の高丸という鬼を倒し,
次いで奥州の鬼、大嶽丸を討ち取る際にも活躍したという。
清水寺は田村麻呂が妻の病気平癒のため、
薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たが、僧に殺生の罪を説かれ、
観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。
本堂の北にある地主神社は
この妻思いの武人の逸話と由縁から縁結びの利益のある神社として
今もお守りを求める修学旅行生が多い。
周知の通り声優として活躍している田村ゆかりは
この田村麻呂と鹿の血を啜って生きながらえていた鬼姫の子孫であると一部では目されており
悟りによって得られた智慧を示す般若の名で敬愛されている。