落合祐里香 Part25

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843私立セックス学園 リアルオマンコ科
私がまだ4才のころ経験した、忘れえぬ思い出をお話しします。
今から40年も前のことです。 私には3人の叔母(父の妹)がおり、上の叔
母2人はすでに嫁いでおり、いちばん下の叔母が、まだ家におりました。 叔
母は当時23才で、数ヶ月後には嫁ぐことになっていたのです。
 
そんなある日のこと、2階の部屋で叔母が畳の上に新聞を広げて読んでいまし
た。私もその部屋にいて叔母と何か話していました。 優しい叔母で、いつも
遊んでくれたり話相手になってくれたりしていました。 その時の話は、人間
の体の中ってどんなになってるの? というようなことを叔母に聞いていたよ
うに思います。 その時叔母が
 「陽ちゃんのオチンチン見てみたいな−叔母ちゃん。 男の人のってよく見
た子とないから」
と言いました。 優しい叔母の頼みでもあり、その頃ははずかしいなんて気持
ちはありませんでしたから、私はだまってズボンの前のボタン(当時はチャッ
クなどあまりなかった時代です)のあいだからモノをひっぱり出しました。 
最初は
 「へぇ−、こんななんだぁ。 男の人のって」
と見ていた叔母でしたが、私のそのモノに触りはじめました。 好奇心からか、
撫でたり皮を剥いたりしはじめ、私のモノは見る見る大きくなっていきました。
 それを見た叔母は
 「うわぁ−、大きくなった大きくなった−」
と喜んでいました。 叔母はそのまま触り続けていましたが、そこで私はこう
言ったのです。
 「ねえ、叔母ちゃんのは−?」
そう言うと、叔母は触るのをやめ、ちょっと真顔になって考えたあと
 「ええ?叔母ちゃんの−? 叔母ちゃんのこんななのよ」
と言い、畳の上で右膝を立ててスカ−トをめくり、なんとパンティ−を左横に
ずらして、おまんこを見せてくれたのです。 初めて間近に見るおまんこ。 
それも、大人の毛むくじゃらのおまんこ・・・・・・その時の胸のドキドキし
たこと、下半身が燃えるように熱くなったこと、あの感動は、40年経った今
でも忘れられず、光景は鮮明に頭に焼き付いています。
そして、それだけではなかったのです。 叔母は自分の手でおまんこの毛を触
り、感触を確かめたあと私にこう言ったのです。
844私立セックス学園 リアルオマンコ科:2006/10/24(火) 06:30:18 ID:3peCqeFH0
もしかしてワレメに指を入れていた
かも知れません。 私が同じ姿勢で疲れて手の位置を動かすと、叔母はパンテ
ィ−の上から私の手を軽く押さえつけます。 私はこの間、何ともいえない安
心した気持ち、ウットリとした幸福感に満たされていました。 生まれ故郷に
帰りたいという男の本能でしょうか。 その反面、このまま叔母のおまんこを
触り続けてていいのだろうか? ず−っとこうしていたいな− という不安も
ありました。
やはり至福の時は永遠と続くわけはありませんでした。 叔母が言いました。
 「陽ちゃん。 手離して」
私は夢のような出来事から、その声で現実に戻されました。 でもここから手
を離したくない!ずっとおまんこに触っていたい! という願望でいっぱいに
なり、よりしっかりとおまんこに押し付けました。 叔母は私の手を掴んで引
き離そうとしましたが、左手で叔母の背中にしがみつき、右手はおまんこにあ
てがったまま動こうとしませんでした。 困った叔母は言いました。
 「今、下に高山さんが来ているんだよ。 高山さん呼ぶよ」
でも私はひるみません。 そこで叔母は下に聞こえるか聞こえないかくらいの
少しおおきなこえで
 「高山さ−ん!」
と言いました。 この声に私はビクッとして手を離しました。 叔母はすぐさ
ま立ちあがり、パンティ−を上にあげて部屋のすぐ脇の階段を降りていきまし
た。 あとで恐る恐る下へ行ってみましたが高山さんのいる様子はありません
でした。 叔母の咄嗟のウソだったのです。 高山さんというのは、たまに家
に来る人で、私がその人のことをいつも恐がっていたらしいのです。

叔母とはその後、このことに関してはお互い一切話したことはありません。 
でもあの思い出は一生の思い出です。 叔母のおまんこを思い出してオナニ−
した回数は数えきれません。 叔母も今は66才。 太って乳は垂れ気味です
が私に初めておまんこをさわらせてくれた永遠の女神です。 旦那さんは健在
ですが、いつか叔母と二人で話す機会を作り、今でも叔母を慕うこの気持ちを
伝え、あのなつかしいおまんこに私のモノを挿入し、叔母のおまんこを精液で
一杯満たしたい・・・・・これが私の願望です。