浅野真澄を語るスレPart51〜はいはいラムズラムズ

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861名無しさん@お腹いっぱい。
 震災1カ月後の1995年2月16日、神戸市役所南側の公園「東遊園地」で、屋根にシートを張っただけの
ステージ「フラワーテント」が始まった。公園使用期限の1カ月の間連日、午後4時から8時までバンド演奏や演劇、
狂言、落語が繰り広げられた。

 桑名正博、山本リンダらプロから、「寂しいからカラオケを歌わせてくれ」という被災老人まで出演者は260人。
集まった聴衆は延べ6000人に上った。スタッフの1人で自らステージにも立ち、被災者の笑いをさらったのが、
当時大阪芸術大3年の鷲崎健さん(26)だった。

◇  ◇  ◇

862名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/17(火) 11:36:08 ID:2Qaoxhtw0
 鷲崎さんは両親と住む神戸市東灘区のマンションが全壊した。避難した小学校では、
1日中横になったり、気力なく酒を飲むばかりの被災者を目の当たりにした。鷲崎さん自身、
崩れた町並みに何も感じないほど「感覚がまひ」していた。

 音楽好きの鷲崎さんは震災をテーマに歌作りを始めた。
「シャレにならない悲惨な状況では、もう笑い飛ばすしかないと思った。
深刻な歌、がんばろうと励ます歌は作る気がしなかった」

 “村山首相も来てみたが、ちょいと これまたお呼びでない”

 ギターを手にオリジナル曲「震災音頭」を恐る恐る披露すると、聴衆から手拍子がわき、
「よ、日本一」の掛け声が上がった。「みんな意外に強いなあ」と感じた。
曲は次々と生まれた。「震災のタンゴ」では、「上を向けば、ああビルがない 
下を向けば、ああ道がない」と歌い、聴衆の被災者は腹を立てるのを通り越し、笑い転げた。
863名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/17(火) 11:36:51 ID:PgDY4LGp0
まあスレ違い(今は板違いか)だから、もうそのへんで
864名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/17(火) 11:39:14 ID:2Qaoxhtw0
 フラワーテントを訪れたある中年男性は家がつぶれ妻を亡くし、
死に場所を求めて歩き回っていたという。だがステージの熱気に触れ、
「死ぬ気がしなくなった」と語った。

◇  ◇  ◇

 鷲崎さんは震災の翌年、大学を卒業し上京。音楽スタジオで
アルバイトしながら曲作りし、ライブハウスでコンサートを続ける。
「フラワーテントで身近な人とつながりができ、自分も元気になれた。
今度は、遠くの見知らぬ人も元気にできるような曲を作りたい」と語る。

 今月16日には、東京・新宿の都庁都民広場で開かれる防災イベントで、
数年ぶりに当時の震災の歌を歌う。譜面は残っておらず、記憶だけが頼り。
「東京の人には見向きもされないでしょう。でも何人か立ち止まったら、勝ち、かな」
とひそかに心期している。             【聞き手:重長聡】




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