>>368 岩男潤子の概年表
13歳
歌手を夢見てオーディションに合格し親元離れ単身上京。
しかし実際は養成所に通わせられる、資金集めの為の勧誘だった。
14歳
伯父さんの家から養成所の寮に移る。
先輩達がセイントフォーとして華々しくデビュー。
中学に通いながらレッスンの日々。
15歳
セイントフォーの妹分として前座で歌うなどする。
実家を出る時はオーディションから即デビューと家族には言っていたのだが。
16歳
セイントフォーのメンバーチェンジにより追加加入する。
しかしもうグループにレコード発表やテレビ出演の仕事はなく
地方の営業回りだけの、一年間で解散が既定路線。
17歳
セイントフォー解散。人間関係のゴタゴタも絡み実家に連絡すると、
実は両親が今まで大金を払わされていたことを知らされ、愕然となる。
18歳
石井光三オフィスに所属し、石井社長と「ねぇお父さん」デュエット発表
この曲を桂三枝・西川きよし・桂文珍・笑福亭仁鶴らと一緒に歌う経験も。
19歳
一人暮しを始め、高校通いながら社員食堂のウェイトレスをする。
宮内タカユキ氏の仕事についていった「宇宙英雄物語」の収録現場で声優体験。
大学の夜間部を薦められるが、夢へ邁進するため断る。
20歳
カゴメ劇場のミュージカル出演はじめる(カゴメ劇場の先輩は篠原恵美)。
派遣会社のOLになる。
レコード会社にデモテープを送ったりしだす。仮歌やコーラスの仕事。
子供用のCM仮歌を幼な声で吹きこむと、スポンサーが「この人でイイです」。
用意される筈の子役から仕事を奪ってしまう。岩男の年齢知って先方ビックリ
21歳
この頃、セイントフォーのメンバーが週刊誌写真集でヌードになる。
岩男のところにも話が持ちかけられる
「有名になりたいんでしょ?芸能界でガンバッてるとこ見せたほうが良いよ」
有名になりたいわけではなく歌手になりたいだけそれだけは譲れない、と固辞。
「君も脱ぐんでしょ?」「いつ脱ぐの?」
社会の周りの男性の視線から男性不信症になり、ストッキング屋へ職場を替える。。
土・日は子供ショーの司会のお姉さんとして各地のデパートを回る。
22歳
NHK教育の理科の番組で一年間レギュラーを務める(先代お姉さんは渕崎ゆり子)
童謡歌手としてビクターなど多数の童謡CDで歌をたくさん歌う。
田中星児や赤坂東児などと仕事を重ねる。しばらく童謡歌手が肩書となる。
23歳
新聞配達、キオスクやデパートで売り子など、生活に追われる。
移籍した事務所で声優のオーディションを薦められる。
上京から10年経っていた。これに落ちたら実家に帰ろうと支度していたら朗報が。
なお声優所属先が81プロデュースに落ち付いたのは、
ミュージカルやいろんなステージでの共演者に81の人が多かった縁で。
24歳
モンタナジョーンズのメリッサ役でデビューし、以後ここからが声優スタート。
泣けてきた
> セイントフォー解散。人間関係のゴタゴタも絡み実家に連絡すると、
> 実は両親が今まで大金を払わされていたことを知らされ、愕然となる。
うわぁ
>380>381
サンクス
苦労してるんですなぁ
すげぇなw
うわ、田舎のねーちゃんが夢を食い物にされる実例だなこりゃ。
この年表読むと、いかに「パーフェクトブルー」が過酷な仕事だったか…
けど、素晴らしい演技でしたよ、いわおさん…
泣けてきた。
モンタナジョーンズの挿入歌担当のディレクターから
仮歌の仕事(「らんま1/2」の作品ソング)を依頼され
その現場で山本はるきち氏や須賀プロデューサーと出会い
「これだけ楽しそうに歌を歌う人がなぜ自分の歌を出してこなかったんだろう」
という話からソロ歌手としてのオーディションをあらためて行なうことになり、
上京から10年以上たってオリジナルデビューが決まる。
オリジナルファーストアルバム「はじめまして」の1曲目の歌いだしは、
♪ はじめまして〜 わたしのうた〜