バグダッドの博物館から“文明の遺産”が持ち去られ、イラク各地で住民たちの物品略奪や暴行
がやまない。「高貴なイラク人」の異名があった人びとに何が起きたのか。いうまでもなく独裁者の強権
と圧政の支配から解放されたことの反動だろう。
▼普通の商店などからも物品を略奪する人びとの乱暴狼藉(ろうぜき)は、民度がどうの、国民性
がこうのというよりむしろ、戦争と人間の属性に関する行動かもしれない。だがこれもサダム・フセイ
ンが国民を虐げつつ、いかに恐怖政治を続けてきたか、その実態を示すものではないか。
▼イラク戦争の直前、同国市民たちの姿を伝えるルポルタージュのいくつかを読んだ。たとえば芥
川賞作家・池澤夏樹氏の『イラクの小さな橋を渡って』(光文社)もその一冊である。昨年十月末の訪
問記でベストセラーになった。
▼同書によると、英国で刊行されたガイドブックには、国民はサダム・フセインの圧政下に苦しんで
いる、経済制裁で食べ物もないなどといった「悲観的なことばかり書かれていた」。また、バース党の
独裁と暴力的な支配機構の下で国民は呻吟(しんぎん)しているといった情報も入っていたという。
▼で、現実のイラクはどうだったか。「そういうことは一切なかった」と池澤氏は書いている。そして
大統領信任投票の100%支持を「強制によってでなく、本心からサダム・フセインに賭けて支持を表
明したのだ」、だから尊重されるべきだと報告している。
▼一体、このイラクの人びとと、あのイラクの人びとはどこでどうつながるのか。司馬遼太郎氏に
『人間の集団について』というベトナム名ルポがあった。ベストセラーとして世論を動かしたこのイラク
報告の人間観察は、まるで甘いというほかない。
http://www.sankei.co.jp/news/030416/morning/column.htm