「ヽ(`Д´)ノナンダヨーこんなますみんかわいそう 2

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   真子民
        一

 或秋の日暮です。
 東京都代々木のアイム事務所の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の声優がありました。
彼女は名は浅野真子民(アサノマスミン)といって、元は荒鷲でしたが、
今は高野豆腐を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になっているのです。
何しろその頃代々木といえば、天下に並ぶもののない、アニメイションを極めた都ですから、
往来にはまだしっきりなく、ヲタや車が通っていました。
門いっぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、
土耳古(トルコ)の女の金の耳環(ミミワ)や、白馬に飾った色糸の手綱や、
老人のかぶった朱のベレー帽が、絶えず流れて行く容子(ヨウス)は、まるで画のような美しさです。
 しかし真子民は相変らず、門の壁に身を凭(モタ)せて、ぼんやり空ばかり眺めていました。
空には、もう細い月が、うらうらと靡(ナビ)いた霞の中に、
まるで爪の痕かと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。
「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行っても、泊めてくれる所はなさそうだし──
こんな思いをして生きている位なら、いっそ外苑(ガイエン)で銀杏でも拾って、
鱈腹(タラフク)食べて死んでしまった方がましかも知れない。」
真子民はひとりさっきから、こんな取りとめもないことを思いめぐらしていたのです。
 するとどこからやって来たか、突然彼女の前へ足を止めた、片目眇(スガメ)の老人があ
ります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、じっと真子民の顔を見ながら、
「お前は何を考えているのだ。」と、横柄に言葉をかけました。
「私ですか。私は今寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです。」
老人の尋ね方が急でしたから、真子民はさすがにツッコミができず正直な答をしました。
「そうか。それは可哀(カワイ)そうだな。」
老人は暫く何事か考えているようでしたが、やがて、往来にさしている夕日の光を指さしながら、
「ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、
その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。きっと一ぱいの仕事が埋まっている筈だから。」
「ほんとうですか。」真子民は驚いて、伏せていた眼を挙げました。
所が更に不思議なことには、あの老人はどこへ行ったか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。
その代り空の月の色は前よりも猶(ナオ)白くなって、休みない往来の人通りの上には、
もう気の早い鴉(カラス)が二三匹ひらひら舞っていました。
        二

 真子民は一日の内に、業界でも唯一人というバブリーな声優になりました。
あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、
大きな胸にも余る位、仕事が一山出て来たのです。
多忙になった真子民は、すぐに立派なマンションを借りて、
小泉大統領(コイズミソウリ)にも負けない位、奇行な暮しをし始めました。
富士(フジ)の天然水を買うやら、博多(ハカタ)の辛子明太子(カラシメンタイコ)をとりよせるやら、
日に四度(ヨタビ)色の変る牡丹(ボタン)を靴に植えさせるやら、
若い燕(ツバメ)を何羽も放し飼いにするやら、フィギュアを集めるやら、
錦を縫わせるやら、香木の車を造らせるやら、象牙の椅子を誂(アツラ)えるやら、
ダアツを投げるやら、パンチングマシンは当たるやら、ヤフオクに売ろうとするやら、
その奇行を一々書いていては、いつになってもこの話がおしまいにならない位です。

 するとこういう噂を聞いて、今までは路で行き合っても、
挨拶さえしなかった友達などが、朝夕遊びにやって来まして。
それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、
業界に名を知られたヤリチンやヤリマンが多い中で、
真子民のマンションへ来ないものは、一人もない位になってしまったのです。
真子民はこの御客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。
その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽されません。
極(ゴク)かいつまんだだけをお話しても、真子民が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、
天竺(テンジク)生れの芸者がバナナを呑んで見せる芸に見とれていると、
そのまわりには二十人の裸男たちが、
十人は翡翠(ヒスイ)の蓮の葉を、十人は瑪瑙(メノウ)の牡丹の葉を、
いずれも股間に飾りながら、笛や琴を節(フシ)面白く奏しているという景色なのです。
 しかしいくら多忙でも、仕事には際限がありますから、さすがの奇人真澄も、
三ヶ月六ヶ月と経つ内には、だんだん貧乏になり出しました。
そうすると人間は薄情なもので、昨日までは毎日来た友だちも、
今日は門の前を通ってさえ、挨拶一つして行きません。
ましてとうとう一年目、又真子民が以前の通り、一文無しになって見ると、
広い東京都の中にも、彼女に宿を貸そうという家は、一軒もなくなってしまいました。
いや、宿を貸す所か、今では御歳暮の一つも、恵んでくれるものはないのです。

 そこで彼女は或日の夕方、もう一度あのアイム事務所の門の下へ行って、
ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立っていました。
するとやはり昔のように、片目眇の老人が、どこからか姿を現して、
「お前は何を考えているのだ。」と、声をかけるではありませんか。
真子民は老人の顔を見ると、恥しそうに下を向いた儘、暫くは返事もしませんでした。
が、老人はその日も親切そうに、同じ言葉を繰返しますから、こちらも前と同じように、
「私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです。」と、恐る恐る返事をしました。
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを一つ教えてやろう。
今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その胸に当る所を、
夜中に掘って見るが好い。きっと一ぱいの仕事が埋まっている筈だから。」
老人はこう言ったかと思うと、今度も亦人ごみの中へ、掻(カ)き消すように隠れてしまいました。

 真子民はその翌日から、忽(タチマ)ち天下第一の有名声優に返りました。
と同時に相変らず、仕放題(シホウダイ)な奇行をし始めました。
庭に咲いている牡丹の花、その中に眠っている白孔雀、
それから秘部でバナナを切って見せる、天竺から来た花電車──すべてが昔の通りなのです。
ですからいっぱいあった、あの夥(オビタダ)しい仕事も、又一年ばかり経つ内には、すっかりなくなってしまいました。
        三

「お前は何を考えているのだ。」
片目眇の老人は、三度真子民の前へ来て、同じことを問いかけました。
勿論彼女はその時も、アイム事務所の門の下に、
ほそぼそと霞を破っている三日月の光を眺めながら、ぼんやり佇んでいたのです。
「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしようかと思っているのです。」
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを教えてやろう。
今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その腹に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと一ぱいの──」
老人がここまで言いかけると、真子民は急に手を挙げて、その言葉を遮りました。

「いや、仕事はもう入(イ)らないのです。」
「仕事はもう入らない? ははあ、では奇行をするにはとうとう飽きてしまったと見えるな。」
老人は審(イブカ)しそうな眼つきをしながら、じっと真子民の顔を見つめました。
「何、奇行に飽きたのじゃありません。人間というものに愛想がつきたのです。」
真子民は不平そうな顔をしながら、突樫貪(ツッケンドン)こう言いました。
「それは面白いな。どうして又人間に愛想が尽きたのだ?」
「人間は皆薄情です。私が有名になった時には、世辞も追従もしますけれど、
一旦貧乏になって御覧なさい。柔しい顔さえもして見せはしません。
そんなことを考えると、たといもう一度有名になった所が、なんにもならないような気がするのです。」
老人は真子民の言葉を聞くと、急ににやにや笑い出しました。
「そうか。いや、お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる女だ。
ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮らして行くつもりか。」
真子民はちょいとためらいました。が、すぐに思い切った眼を挙げると、訴えるように老人の顔を見ながら、
「それも今の私には出来ません。ですから私はあなたの弟子になって、仙術の修業をしたいと思うのです。
いいえ、隠してはいけません。あなたは道徳の高い仙人でしょう。
仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の声優にすることは出来ない筈です。
どうか私の先生になって、不思議な仙術を教えて下さい。」
425声の出演:名無しさん:03/02/07 19:59
秋葉原ヽ(`Д´)ノナンダヨー祭りを人知れず実は開いていた
ますみんにヽ(`Д´)ノナンダヨー
 老人は眉をひそめた儘、暫くは黙って、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、
「いかにもおれは峨眉山(ガビサン)に棲んでいる、鉄冠子(テツカンシ)という仙人だ。
始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好さそうだったから、
二度までアイドルにしてやったのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にとり立ててやろう。」
と、快く願(ネガイ)を容れてくれました。
真子民は喜んだの、喜ばないのではありません。
老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜(オジギ)をしました。
「いや、そう御礼などは言って貰うまい。いくらおれの弟子にした所で、
立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第できまることだからな。
──が、兎も角もまずおれと一しょに、峨眉山の奥へ来て見るが好い。
おお、幸(サイワイ)、こゝに竹杖が一本落ちている。では早速これへ乗って、一飛びに空を渡るとしよう。」
鉄冠子はそこにあった青竹を一本拾い上げると、口の中(ウチ)に咒文(ジュモン)を唱えながら、
真子民と一緒にその竹へ、馬にでも乗るように跨(マタガ)りました。
すると不思議ではありませんか。
竹杖は忽ち龍のように、勢よく大空へ舞い上って、晴れ渡った春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。
真子民は肝をつぶしながら、恐る恐る下を見下しました。が、下には唯青い山々が夕明りの底に見えるばかりで、
あのアイム事務所の門は、(とうに霞に紛れたのでしょう。)どこを探しても見当りません。
その内に鉄冠子は、白い鬢(ビン)の毛を風に吹かせて、高らかに歌を唱い出しました。

朝(アシタ)に北海に遊び、暮には蒼梧(ソウゴ)。
袖裏(リシュウ)の青蛇(セイダ)、胆気(タンキ)粗(ソ)なり。
三たび岳陽(ガクヨウ)に入れども、人識らず。
朗吟(ロウギン)して、飛過(ヒカ)す童貞湖(ドウテイコ)。
        四

 二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞い下りました。
そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でしたが、
よくよく高い所だと見えて、中空(ナスゾラ)に垂れた北斗の星が、茶碗程の大きさに光っていました。
元より人跡の絶えた山ですから、あたりはしんと静まり返って、
やっと耳にはいるものは、後(ウシロ)の絶壁に生えている、曲りくねった一株の松が、こうこうと夜風に鳴る音だけです。
二人がこの岩の上に来ると、鉄冠子は真子民を絶壁の下に坐らせて、
「おれはこれから天上へ行って、西王母(セイオウボ)に御眼にかかって来るから、
お前はその間ここに坐って、おれの帰るのを待っているが好い。
多分おれがいなくなると、いろいろな魔性が現れて、お前をたぶらかそうとするだろうが、
たといどんなことが起ろうとも、決して声を出すのではないぞ。
もし一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。
好いか。天地が裂けても、黙っているのだぞ。」と言いました。
「大丈夫です。決して声なぞは出しはしません。命がなくなっても、黙っています。」
「そうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行って来るから。」
 老人は真子民に別れを告げると、又あの竹杖に跨って、
夜目にも削ったような山々の空へ、一文字に消えてしまいました。
 真子民はたった一人、岩の上に坐った儘、静に星を眺めていました。
すると、彼是(カレコレ)半時ばかり経って、深山の夜気が肌寒く薄い着物に透(トオ)り出した頃、
突然空中に声があって、「そこにいるのは何者だ。」と、叱りつけるではありませんか。
しかし真子民は仙人の教通り、何とも返事をしずにいました。
 所が又暫くすると、やはり同じ声が響いて、
「返事をしないと立ち所に、命はないものと覚悟しろ。」と、いかめしく嚇しつけるのです。
真子民は勿論黙っていました。
と、どこから登って来たか、爛々(ランラン)と眼を光らせた虎が一匹、忽然(コツゼン)と岩の上に躍り上って、
真子民の姿を睨みながら、一声高く哮(タケ)りました。
のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思うと、
後(ウシロ)の絶壁の頂からは、四斗樽(シトダル)程の白蛇(ハクダ)が一匹、
炎のような舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。
真子民はしかし平然と、眉毛も動かさずに坐っていました。
虎と蛇とは、一つ餌食を狙って、互に隙でも窺うのか、暫くは睨合いの体(テイ)でしたが、
やがてどちらが先ともなく、一時に真子民に飛びかかりました。
が虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるか、
真子民の命は瞬く内に、なくなってしまうと思った時、虎と蛇とは霧の如く夜風と共に消え失せて、
後には唯、絶壁の松が、さっきの通りこうこうと枝を鳴らしているばかりなのです。
真子民はほっと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、心待ちに待っていました。
 すると一陣の風が吹き起って、墨のような黒雲が一面にあたりをとざすや否や、
うす紫の稲妻がやにわに闇を二つに裂いて、凄じく雷(ライ)が鳴り出しました。
いや、雷ばかりではありません。それと一緒に瀑(タキ)のような雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。
真子民はこの天変の中に、恐れ気もなく坐っていました。
風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、
──暫くさすがの峨眉山も、覆るかと思う位でしたが、
その内に耳もつんざく程、大きな雷鳴が轟いたと思うと、
空に渦巻いた黒雲の中から、まっ赤な一本の火柱が、真子民の頭へ落ちかかりました。
真子民は思わず耳を抑えて、一枚岩の上へひれ伏しました。が、すぐに眼を開いて見ると、
空は以前の通り晴れ渡って、向うに聳えた山々の上にも、
茶碗程の北斗の星が、やはりきらきら輝いています。して見れば今の大あらしも、
あの虎や白蛇(シロヘビ)と同じように鉄冠子の留守をつけこんだ、魔性の悪戯に違いありません。
真子民は漸く安心して、額の冷汗を拭いながら、又岩の上に坐り直しました。
が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼女の坐っている前へ、
金の鎧を着下(キクダ)した、身の丈(タケ)三丈もあろうという、厳(オゴソ)かな神将(シンショウ)が現れました。
神将は手に三叉(ミツマタ)の戟(ホコ)を持っていましたが、
いきなりその戟の切先を真子民の巨乳へ向けながら、眼を嗔(イカ)らせて叱りつけるのを聞けば、
「こら、その方は一体何物だ。この峨眉山という山は、天地開闢(カイビャク)の昔から、
おれが住居(スマイ)をしている所だぞ。それも憚(ハバカ)らずたった一人、こゝへ足を踏み入れるとは、
よもや唯の人間であるまい。さあ命が惜しかったら、一刻も早く返答しろ。」と言うのです。
しかし真子民は老人の言葉通り、黙然(モクネン)と口を噤(ツグ)んでいました。
「返事をしないか。──しないな。好し。しなければ、しないで勝手にしろ。
その代りおれの眷属(ケンゾク)たちが、その方をずたずたに斬ってしまうぞ。」
神将は戟を高く挙げて、向うの山の空を招きました。
 その途端に闇がさっと裂けると、驚いたことには無数の神兵が、雲の如く空に充満(ミチミ)ちて、
それが皆槍(ヤリ)や刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻め寄せようとしているのです。
この景色を見た真子民は、思わずあっと叫びそうにしましたが、
すぐに又鉄冠子の言葉を思い出して、一生懸命に黙っていました。
神将は彼女が恐れないのを見ると、怒ったの怒らないのではありません。
「この剛情者め。どうしても返事をしなければ、約束通り命はとってやるぞ。」
神将はこう喚(ワメ)くが早いか、三叉の戟を閃(ヒラメ)かせて、一突きに真子民を突き殺しました。
そうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑いながら、どこともなく消えてしまいました。
勿論この時はもう無数の神兵も、吹き渡る夜風の音と一緒に、夢のように消え失せた後だったのです。
 北斗の星は又寒そうに、一枚岩の上を照らし始めました。
絶壁の松も前に変らず、こうこうと枝を鳴らせています。
が、真子民はとうに息が絶えて、仰向けにそこへ倒れていました。
431声の出演:名無しさん:03/02/07 20:02
        五

 真子民の体は岩の上へ、仰向けに倒れていましたが、
真子民の魂は、静に体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。
この世と地獄との間には、闇穴道(アンケツドウ)という道があって、
そこは年中暗い空に、氷のような冷たい風がぴゅうぴゅう吹き荒(スサ)んでいるのです。
真子民はその風に吹かれながら、暫くは唯木の葉のように、空を漂って行きましたが、
やがて森羅殿(シンラデン)という額(ガク)の懸かった立派な御殿の前へ出ました。
御殿の前にいた大勢の鬼は、真子民の姿を見るや否や、
すぐにそのまわりを取り捲(マ)いて、階(キザハシ)の前へ引き据えました。
階の上には一人の王様が、まっ黒な袍(キモノ)に金の冠をかぶって、いかめしくあたりを睨んでいます。
これは兼ねて噂に聞いた、閻魔大王(エンマダイオウ)に違いありません。
真子民はどうなることかと思いながら、恐る恐るそこへ跪(ヒザマヅ)いていました。
「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ坐っていた?」
 閻魔大王の声は雷のように、階の上から響きました。
真子民は早速その問に答ようとしましたが、
ふと又思い出したのは、「決して口を利くな。」という鉄冠子の戒めの言葉です。
そこで唯頭を垂れた儘、唖のように黙っていました。
すると閻魔大王は、持っていた鉄の笏(シャク)を挙げて、顔中の鬚(ヒゲ)を逆立てながら、
「その方はここをどこだと思う? 速(スミヤカ)に返答すれば好し、
さもなければ時を移さず、地獄の呵責(カシャク)に遇わせてくれるぞ。」と、威丈高(イタケダカ)に罵りました。
 が、真子民は相変らず脣(クチビル)一つ動かしません。
それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言いつけると、
鬼どもは一度に畏って、忽ち真子民を引き立てながら、森羅殿の空へ舞い上りました。
地獄には誰でも知っている通り、剣(ツルギ)の山や血の池の外にも、
焦熱(ショウネツ)地獄という焔(ホノオ)の谷や極寒(ゴクカン)地獄という氷の海が、真暗な空の下に並んでいます。
鬼どもはそういう地獄の中へ、代る代る真子民を抛(ホウ)りこみました。
ですから真子民は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、
舌を抜かれるやら、皮を剥がれるやら、鉄の杵(キネ)に撞(ツ)かれるやら、
油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌(ノウミソ)を吸われるやら、熊鷹(クマタカ)に眼を食われるやら、
小娘共(コムスメドモ)に罵られるやら、
──その苦しみを数え立てていては、到底際限がない位、あらゆる責苦に遇わされたのです。
それでも真子民は我慢強く、じっと歯を食いしばった儘、一言も口を利きませんでした。
これにはさすがの鬼どもも、呆(アキ)れ返ってしまったのでしょう。
もう一度夜のような空を飛んで、森羅殿の前へ帰って来ると、
さっきの通り真子民を階ら下に引き据えながら、御殿の上の閻魔大王に、
「この罪人はどうしても、ものを言う気色(ケシキ)がございません。」と、口を揃えて言上(ゴンジョウ)しました。
 閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、やがて何か思いついたと見えて、
「この女の父母(チチハハ)は、畜生道(チクショウドウ)に落ちている筈だから、
早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に言いつけました。
鬼は忽ち風に乗って、地獄の空へ舞い上りました。
と思うと、又星が流れるように、二匹の獣を駆り立てながら、さっと森羅殿の前へ下りて来ました。
その獣を見た真子民は、驚いたの驚かないのではありません。
なぜかといえばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、
顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。
「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐っているか、
まっすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ。」
真子民はこう嚇されても、やはり返答をしずにいました。
「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、
その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな。」
閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚(ワメ)きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ。」
鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上ると、
四方八方から二匹の馬を、未練(ミレン)未釈(ミシャク)なく打ちのめしました。
鞭はりゅうりゅうと風を切って、所嫌わず雨のように、馬の皮肉を打ち破るのです。
馬は、──畜生になった父母は、苦しそうに身を悶えて、
眼には血の涙を浮べた儘、見てもいられない程嘶(イナナ)き立てました。
「どうだ。まだその方は白状しないか。」
閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度真子民の答を促しました。
もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、
息も絶え絶えに階の前へ、倒れ伏していたのです。
真子民は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、緊(カタ)く眼をつぶっていました。
するとその時彼の耳には、殆(ホトンド)声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。



「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、
それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰(オッシャ)っても、言いたくないことは黙って御出で。」



 それは確に懐しい、母の声に違いありません。
 真子民は思わず、眼をあきました。
そうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、
悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。
母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、
鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さえも見せないのです。
有名になれば御世辞を言い、貧乏になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何という有難い志でしょう。
何という健気(ケナゲ)な決心でしょう。
真子民は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、
両手に半死の馬の頸(クビ)を抱いて、はらはらと涙を落しながら、
「お母さん。」と一声を叫びました。………
       六

 その声に気がついて見ると、真子民はやはり夕日を浴びて、
アイム事務所の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。
霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、
──すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になった所が、とても仙人にはなれはすまい。」
片目眇の老人は微笑を含みながら言いました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、反(カエ)って嬉しい気がするのです。」
真子民はまだ涙を浮べた儘、思わず老人の手を握りました。
「いくら仙人になれた所が、私はあの地獄の森羅殿の前に、
鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳には行きません。」
「もしお前が黙っていたら──」と鉄冠子は急に厳(オゴソカ)な顔になって、
じっと真子民を見つめました。

「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。
──お前はもう仙人になりたいという望も持っていまい。
有名になることは、元より愛想がつきた筈だ。
ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな。」
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
真子民の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩(コモ)っていました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇わないから。」
鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、
急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、
「おゝ、幸、今思い出したが、おれは高尾山の南の麓(フモト)に一軒の家を持っている。
その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。
今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう。」
と、さも愉快そうにつけ加えました。
(平成十五年二月)