誰しもが身近に体験する事の中に“なくしたもの”があります。
どんなに大事にしたり、気をつけていても、何かをきっかけに無くしてしまったり、気付かないうちにいつの間にか失ってしまったり。
そんな経験、少なからず一度や二度はあるでしょう。
無いと気付いた時の何ともいえないあの気持ち。
普通ならば、その気持ちも時間が経つにつれ薄れはするのだろうけど、僕の場合は何かの拍子にふと思い出しては再び虚無感に襲われるのです。
なのでその“なくしたもの”が見つかった際には喜びもひとしおになるんです。
消えてしまった“物”の値段が高価だったかどうかはあまり意味を持ちません。
大事なのはその“物”が今まで培ってきた“思い出”の部分です。
自分で買った物もそうですが人から頂いた物ならば尚更のことです。
相手がどんな気持ちで贈ってくれたのだとか、長い時間を経てついた傷やくもりさえ、あらゆる記憶を凝縮している結晶に思えるというか。
思い出せば思い出すほどに、その“物”に染み込んできた数々の思い出が一瞬にして鮮やかに蘇ります。
だけど、一度手から離れた思い出の品はおそらくもう二度と手中には戻りはしないでしょう。
街へ出向けば、いくらでも同じ物はショーケースに並んでいます。
しかし品番が同じ商品を買う事はできても、そのものが同じ歴史、経路をたどってきたわけではありません。
思い出の価値は人それぞれですが決してお金ではかえないのです。
つまり仮にそれがチープな物だったとしても、この世に同じ物はひとつとて存在しないわけです。
世界に二つとない、たったひとつの存在が僕の手元から失われるわけですから。
そうなると潔く、きっぱり諦めよう。とは中々踏ん切りがつかないものです。
思い出に浸りきって生きているわけではないけれど、過去もすべての記憶も含めて今の僕が存在しているんです。
人が意識しながら記憶を思い出せる量って割と限られてるものだけど、思い出の品があればその思い出を海馬から引き出すきっかけになるでしょう?
だから大切にしたいのです。
あと僕はしないんだけど、何気ない日常の写真を撮ったり、日記をつけたり、最近だとブログをつけてる人が多いけど、何となくその気持ちは伺えます。
一日一日を忘れたくなくて大事にしたいのかなって。
それは人の心とて同じです。
無くしてしまってから大切さに気付くというのが悲しくも人間の性なんでしょうか?
人の命は脆く儚いものです。
あなたの大切な人との心の絆。
どうか無くしてしまわぬ様に、今以上に大切にしてください。
“忙しい”という漢字はとてもよくできていて、心を亡くすと書きますよね。
Dはお陰様で去年に引き続き今年も多忙な一年になるとは思いますが、僕も忙しさに心を亡くしてしまわぬように心掛けたいと思いますので、皆さんよろしくお願いします。
ASAGI