家庭教師のトライ

このエントリーをはてなブックマークに追加
376名無しさん@どっと混む
バブルの後押しもあり、トライは順調に売上を増大した。
そして機は熟した。梶原は全国展開を決意する。
皮切りは「沖縄」「新潟」 これにはある深い事情があった。

当時亜細亜民族同盟富山県本部は北陸狭川急便と密接な関係を持っていた。
梶原は「渉外部長」としてN本部長から紹介され、当時の北陸狭川急便社長I氏と
頻繁に酒席を共にしていた。
I氏は人付き合いが良く、各界に豊富な人脈を持っていた。
最大手下着メーカーWのT氏、マンションゼネコンA社のA氏、プロレス界の大御所
A氏、元祖アイドル歌手のG氏・・・等である。
I氏はたまたまその中で、プロレス界大御所A氏とその秘書であるS氏を梶原に紹介した。
梶原はA氏に当時人気が下火だったプロレスの北陸での興業を引き受けるなど積極的な協力をした。
そんな中、梶原は同世代であるA氏秘書のS氏と特に密接なつながりを持つようになった。

当時A氏はスペアリブチェーン店や牧場経営などの数々の事業を営んでいた。しかしどれも台所事情は苦しく、
秘書のS氏はこれらの実質的な切り盛りに東奔西走していた。
特に牧場のある沖縄には長期にわたって滞在する事も多かった。

I氏とS氏もまた梶原の将来性を見込み、トライ全国展開の際は協力を惜しまないと約束していた。
ある日、梶原はI氏にI氏の郷里である新潟への進出を相談した。
そして、梶原はI氏に新潟での共同経営を持ちかけた。
I氏は快く話を聞き入れ、銀行の債務保証の引き受けと新潟での各分野の人脈を紹介すると約束した。

また同じ頃、沖縄への進出をA氏秘書S氏に相談したところこちらも協力の快諾を得、
トライの南北からの全国侵攻作戦が開始されたのである。