家庭教師のトライ

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363平田修外伝@

社長の平田修は北九州地方で生まれ高校卒業後東京の大学に進学する。
当時は学生運動の端くれとして活躍していたそうだ。

卒業後証券会社に勤めるが趣味だった音楽が高じてバンド活動でメシを食うようになる。
当時は仲井戸麗一とも組んでいた。
初期のRCサクセションの「さなえちゃん」の原譜はカレが書いたものだといわれている。

その後独立してイベント制作会社を共同経営する。
その傍らW大学生らと小規模な塾の経営にも乗り出す。

郷里九州で一旗あげようと九州で「城下町フェスティバル」を企画する。
これは相当大掛かりなイベントで地元選出の代議士などを取り込んで企画をするが
その代議士がカネを持ってドロン。(当時日テレルックルックこんにちはなどでもニュースになる)
当時短期の資金を悼道仁会系の金融から調達していた彼は追い込みを余儀なくされる。

そして追い込まれた彼は当時の妻と2人で大学時代の先輩がいる富山へ逃げることになる。。。
364名無しさん@どっと混む:02/08/28 17:53 ID:ErQTimBI
なるほど
365平田修外伝A:02/08/28 18:21 ID:thWfCTGj
大学時代の先輩Hを頼り富山に逃げてきた彼らはそこで先輩が経営する会社の作業所で手伝いを始める。
しかし安息の日々を迎えることはなかった。
九州から彼を追ってヤクザが追い込みにきたのだ。
大学の先輩であったHは幼馴染で当時政治結社亜細亜民族同盟富山県本部事務局長であった中沖氏(故人)に相談する。
-亜細亜民族同盟とは旧山口組で「殺しの柳川」と恐れられていた武闘派組織を立ち上げた粱元錫こと柳川次郎氏が引退後
元公安調査庁職員であった佐野一郎氏(原因不明の飛び降り自殺で故人)を会長に据え、旧柳川組幹部らを取り込んで結成した
右翼団体である。-
中沖は情に厚く、また平田氏の能力・将来性を買い、当時富山県本部長であった成田氏に相談する。
亜細亜民族同盟富山県本部は当時富山市の飲食繁華街であった桜木町にあった。
そして中沖の尽力により平田夫妻はその事務所の2階に寝泊りし、近所のスナック「H」でボーイとホステスとして働き始める。
そして、亜細亜民族同盟の威光もあり何とか追い込みから逃れることができたのである。。。

つづく

366名無しさん@どっと混む:02/08/28 19:26 ID:+BYEUG2W
なるへそ
367名無しさん@どっと混む:02/08/28 20:00 ID:qAsKSy9i
早く、ユリーの話をして下さい。
368平田修外伝B:02/08/28 20:48 ID:thWfCTGj
暴力団の魔の手から逃れた彼は富山での生活を楽しむようになる。
そんなある日アルバイト先のスナック「W」で彼はある大学生らと知り合う。
当時富山大学経済学部にいたIと教育学部にいたNである。
彼らは200名を擁するテニスサークルの幹部で、平田の元来面倒見のいい性格に
惹かれていく。そんなある日平田は彼らに「サークルのメンバーを使って家庭教師の派遣をやらないか?」と持ちかける。
当初IとNの2人は戸惑ったが平田の「将来億の売上をやってみせる、俺を信じてついてこないか」という呼びかけに
賛同し現役の大学生による家庭教師サークル「富山大学トライ」を始める。
平田は大学のサークル顧問として、IとNはそれぞれ部長、副部長として大学にもサークルとして登録する。

出だしは決して順風満帆ではなかったが、平田の大学の先輩Hや中沖、成田の豊富な地元人脈や政治力を使い地元新聞やTV局に
「大学生の教育研究サークル」として報道取材を受ける。
それを機に申込みはどんどん増えていくことになる。