週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 @
雅子さま「不在」で強まる重圧
「日本語にもなっていない!」6月東欧ご訪問の際、厳しい叱責に
通訳女性は泣き出してしまったという。
悠仁さまの教育に心を砕く筆頭宮家の緊張と焦燥。
* * * * *
・青碧に輝く湖に浮かぶ小島。そこには白い塔が印象的な教会がある。
その鐘楼にある鐘を鳴らせば、誰でも願いが叶うという”希望の鐘”。
その澄んだ鐘の音に、紀子さまは何を願われたのか──。
・ヨーロッパの屋根、アルプス山脈南端を有する人口役二百万人の東欧の小国・スロベニア。
その日、秋篠宮ご夫妻は公務のため、彼の国の代表的景勝地ブレッド湖を訪れられていた。
山に囲まれた箱庭のような美しい景観の、ハプスブルグ家ゆかりのリゾートである。
・「6月19日から30日、秋篠宮ご夫妻は中東欧三ヶ国を公式訪問されました。
旧ユーゴスラビアのクロアチアとスロベニア、旧チェコスロバキアから分離したスロバキアは、
昨年から今年にかけて日本との国交樹立二十周年を迎えます。
秋篠宮ご夫妻は12日間で三ヶ国をめぐるという過密なスケジュールで、記念演奏会や
舞踏公演、大統領との晩餐会などに出席されたのです」 (宮内庁担当記者)
(つづく)
週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 A
・その現地での最終日、6月29日は秋篠宮ご夫妻にとって、23回目の結婚記念日でもあった。
日本では6月9日の皇太子ご夫妻結婚二十周年ばかりが注目されていたが、弟宮ご夫妻は
海外公務先でその日を迎えられていたのである。
ブレッド湖の湖面を見下ろしながら、秋篠宮ご夫妻は、お二人だけのランチを楽しまれた。
四つ星の「ホテル・トリグラウ・ブレッド」の中にある、「レストラン1906」のフロアマネージャー、
ソニア氏が話す。
「お店を一行で貸切にし、さらにご夫妻のテーブルを間仕切りで囲って、小一時間ほどでは
ありましたが、お二人での時間を過ごして頂きました。
日本のプリンスは 『ムフロン』 という羊の原種にニョッキを添えたもの、プリンセスは
『ズラトーチータ』 という鱒にキャビアを添えたグリルをお召し上がりになりました。
全三品のコースでしたが、とても楽しそうにお食事をなさっていましたよ」
(つづく)
週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 B
・中東欧は近年、日本人にも人気の観光地となっている。 ユーゴスラビア紛争から
十年程が経ち、戦争からの復興も進んでいる。
宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』のモチーフとも言われている古城など、風光明媚な
土地も多い。
・だが、この秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問に、宮内記者会常駐の報道十四社のうち、
一社さえも日本から同行した社はなかった。
・「皇太子のスペインご訪問直後であったことや、滞在期間が長く、予算がかかるためです。
ただ、報道陣が日本から大挙して現地に押しかけた雅子妃のオランダご訪問に比べると
その注目度は格段に低いと言わざるを得ません」 (前出・宮内庁担当記者)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
淑やかな所作、一語一語に心を込める喋り方、そして止ん事無い雰囲気を醸しだすあの微笑。
だが、一部の職員だけが知り、畏怖するというその素顔からは、将来の”天皇の母堂”としての
覚悟が伝わってくる。 精力的に公務を続けられる46歳、筆頭宮家のプリンセスの現在。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↑中見出しです (つづく)
週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 C
*怒気をはらんだご叱責の迫力
・また、同じころ、日本では雅子さまが山梨ご訪問を前日の夜にキャンセル。
小誌でも報じたように、一部のキー局では、雅子さまの久々の国内公務を生中継
しようという動きもあり、県庁への取材は殺到したが、結局すべてはご破算に。
・この”ドタキャン騒動”は大きく報じられ、秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問はますます
目立たなくなってしまった。
・中東欧ご訪問に同行した現地関係者が話す。
「ご夫妻はその間も、1日3〜4ヶ所の訪問先を巡り、ほぼ三日に一回は都市を
移動されていました。 それぞれの土地の気温差が大きいためか、さすがに
ご滞在の最後はお疲れの様子でした。
朝9時前から夜中の23時までスケジュールがぎっしり詰まっている日もあったのです。
特に妃殿下は、各国の大統領とお会いになる際は、お着物をお召しになっていましたし、
準備にもお時間がかかったことでしょう」
・中東欧のご訪問の随員は、わずか十数名。おそらく現在の雅子さまには難しいと思われる
ハードスケジュールを、秋篠宮ご夫妻は少ないスタッフでこなされた。
だが、のどかな中東欧の景観とは裏腹に、現場は緊迫した空気に包まれることも
しばしばだった。
紀子さまが随員に対し、苛立ちの感情をお隠しにならず、ときにはそれを周囲に
ぶつけられる場面も度々あったという。 そして、その怒気をはらんだご叱声の迫力に
落涙する者もいたというのだ。
(つづく)
週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 D
・それは滞在中盤、6月25日のことだった。
ご夫妻はスロバキアのタトラ国立公園にある植物園を訪問された。
3.2ヘクタールの広大な敷地を誇る植物園では、270種以上のタトラ地方固有の
植物を鑑賞することができる。
・同行した大使館関係者が打ち明ける。
「20度ほどの清々しい高原の空気のなか、植物園のスタッフは両殿下にそれら
固有種の説明をしました。
一時間ほどの行程も終わり、スロバキア側のスタッフが
皆引き上げた後のことです。
紀子さまはとたんに、表情を一変させました。 そして、通訳の女性に向かって、
『あなたが訳した植物の名前って、日本語にもなっていないし、なんだかよく分からない!』
そう語気を荒げて叱責したのです。 思わず耳を疑いました。
それまでの穏やかな笑顔からは全く想像もできないご表情で。現場は凍りつきましたよ。
かわいそうに、通訳の子は外務省の研修を終えたばかりの若い女性だったのですが、
涙を流していたそうです」
(つづく)
週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 E
・小誌では駐スロバキア大使館に国際電話をかけ、通訳女性本人に事の顛末を
問い質したが、かぼそい声で「そんなことはありません」と繰り返すばかり。
秋篠宮ご夫妻はスロバキア側の担当者と直接、英語でやり取りしていたと説明した。
・だが、要人通訳の経験を持つ元外務省関係者は通訳の心中を察し説明する。
「たとえ担当した要人から叱責を受けたとしても、通訳は口外するわけにはいきません。
それが皇族方なら尚のことです。 それでなくても、通訳はぞんざいに扱われるのが常。
会議の席次表なども『通訳』とだけ書かれ、個人名が記されないなど日常茶飯事。
『オイ』『キミ』としか呼ばれず、石ころのように扱う要人だっている。
私は何百人と通訳をしてきましたが、お礼を言われたことは皆無でした」
・ただし、同僚から聞いたある話が忘れられないという。
それは欧州某国の大使館に勤務していた、三十代の若い専門職員の話だ。
「ある時、彼は来日したその国の大統領夫人について、美智子皇后との通訳を務める
ことになった。しかし、極度の緊張と、知識豊かな二人の多岐にわたる話題に付いて
いくのが精一杯で、ある単語を訳し間違えてしまった。
すると、美智子さまはその者だけに聞こえるような小さな声で、そっと訂正されたそうです。
そのお優しさと語学力に、その者は驚嘆し、しかもその際に名前で呼びかけて下さったと
いう事に、すっかり感激していました」
(つづく)
週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 F
***「あの微笑は”仮面なのです”」***
・今回の紀子さまのお振る舞いは、美智子さまとは対照的だったと言えるかも知れない。
かつて宮家に勤めたある職員が話す。
「実はこれまでも度々、紀子さまの外でお見せになるのとは違うお顔を拝見したことが
あります。 私も初めは驚きました。
ご会見などでの優美なお話の仕方や立ち居振る舞いを拝見していて、私も皆さんと同様、
紀子さまはゆったりとした、どこかスローモーな印象を持っていたのです。
しかし、あの微笑はいわば、”仮面”なのです。
仮面を外した宮家の中での素顔は全く違います。
その昔、『あなた自己中ね!』と女子職員を強い口調で説教されたこともありましたが、
そんなのは序の口。
具体的にはとても言えませんが、その人の至らない部分を酷い言葉に喩えてお叱りに
なることもありました。 今ではあの冷たい微笑みに畏怖の念を感じます」
・秋篠宮家は宮内庁職員の間では、”ご難場”と呼ばれ恐れられているが、その理由に
挙げられるのが、紀子さまの厳格なご性格だという。
(つづく)
週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 G
・元宮内庁職員も、当時を振り返りこう話す。
「あるとき秋篠宮家の中で事務職員でない技官のポストに空きが出たことがありました。
外部から応募がありましたが、当時私は採用してもよいものか悩みました。
非常に悩みました。
なぜなら、秋篠宮家のご内情について、前任者からよく相談を受けていたからです。
前任者は紀子さまに本来の仕事以外の雑務を頼まれたり、激しく非難されたことで
精神的に参っていた。
新任の方は地元での商売をたたみ、家族に東京に越してくると言っていたので余計に
心配でした。 『宮家に勤めれば箔がつくから』とご本人が強くおっしゃるのでお越し
頂きましたが、結局その方は定年まで数年を残して宮家から下がってしまわれた」
・そして、紀子さまの職員へのご対応が一層厳しくなったのは、悠仁さまがお生まれに
なってからの、この数年だという。 宮内庁関係者が話す。
「秋篠宮家は5つの宮家の筆頭格とはいえ、東宮とは規模にかなりの差があります。
それが将来の天皇である悠仁さまがお生まれになっても大して変わっていない。
そこに紀子さまは気を揉んでいらっしゃるのでしょう。
東宮職には50名の職員がいるのに、秋篠宮家には併任3名を含めて19名しかいません。
悠仁さまご誕生の頃と比べても7名しか増えていない。
雅子さまがほとんどご公務をなさらない中で、活発にご公務をこなされ、しかもご家族の
人数も多いのに、です。
将来の天皇である悠仁さまをお育てするのに適した体制とは言えない」 (つづく)
週刊文春 2013年8月8日号
■秋篠宮妃紀子さま「氷の微笑み」の裏側 H
・7月22日、英国王室では王位継承順位3位のジョージ王子が誕生したが、
「本来ならウィリアム王子ご一家と秋篠宮ご一家、ともに皇位継承順位二位と
三位を抱くご家族に変わりは無い。
悠仁さまとジョージ王子は7歳差で、同世代でもある。
20年、30年先の世界を王室外交を担うという意味においては、共に重要な
カウンターパートであることを再認識すべきでしょう」 (同前)
・しかし実際には、悠仁さまに皇位が継承されるまで、その具体的なシミュレーションが
しっかりと定まっているわけでもない。
皇位継承問題が叫ばれて久しいにもかかわらず、主導すべき政治家は永田町の
論理から脱することができず、議論が進む気配すらない。
例えば、皇太子が即位した場合、秋篠宮や悠仁さまがどうなるのかさえ明確ではないのだ。
(つづく) 所功氏のレポはまた後で