文春、今週号(2013年3月15日号)のプリンセス雅子妃物語 2
アンチ東宮の発狂ポイント抜粋
・ご懐妊を望めない原因を雅子妃の考え方にあると見るようになっていった。
雅子妃が世継ぎの重要性を自覚していないという歪んだ話は、宮内庁の中にも広がりはじめていた。
・「一般的に子供ができないと原因は妻にあると思われがちですが、当時の宮内庁も同じような考え方
だったのでしょう」(宮内庁関係者)
・世継ぎを重要という割には、宮内庁は医学的見地から判断するのを先送りにしていた。
皇太子ご夫妻ご自身は、ご懐妊をしないことを悩んでおられたが、そうしたご真意を医師も東宮職も
汲み取る事はできなかったのだ。
周囲の放置がより雅子妃を追い詰めていったのは確かである。
・95年、天皇のお言葉に雅子さまが直接異を唱えられたことがあった。
その日、天皇は、雅子さまにこう語りかけられたと伝えられている。
「国民みんなが待っているからね」
すると、雅子さまは色をなしてこうご返事をされた。
「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」
あまりのおっしゃりように、周囲は唖然としてしまったという
(週間文春 2006年2月23日号)
・宮内庁OB「陛下が雅子妃に”国民が二人のお子さんを期待していますよ”という趣旨のお話をされた時
雅子妃が”そんなことを言う人は私の周りには誰もいません”と断じられたのです。これには陛下が
大変驚かれました。もちろん、陛下に対してこんな物言いをなさる人は誰一人いませんでした。
(週間新潮 2006年9月28日号) 人づてで伝わるうちに悪意で強調されていった。