秋篠宮家のお噂493

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448404の記事抜粋 1
(略)そして、学友としての立場と、記者としての職業意識の板ばさみになって、
ついにご成婚パーティの席上、殿下と大喧嘩をしてしまった。(略)

やはり、皇太子は、私の不信義に耐えられなかったのだと思う。
山田前東宮侍従長のとりなしで、昭和36年8月に和解するまでの2年4ヶ月
絶好状態を続けた原因は、全て、私の皇太子インタビュー事件にあった。

──34年4月6日夜、東京・赤坂プリンスホテルで、学習院中等科、高等科の
同窓会が開かれた。そこには関係教授、学生の間に、皇太子の家庭教師だった、
G・バイニング夫人も姿を見せていた。

独身生活も、あと数日にせまった皇太子は、巧みなジョークをまじえて、
お別れの挨拶をされた。「結婚した後も、今までと変わらない友情を期待する」と
いった主旨の、みごとな演説に、大きく拍手がわいた。

当夜、私は皇太子と長話をした。その内容を書き、共同通信社の通信網にのって
流れた私の記事は、4月8日の朝日、毎日、読売ほか2紙をのぞく、全ての新聞の
朝刊に大きく扱われた。 

一記者が書いた記事で、これだけ高い掲載率を記録した例は、共同通信社
はじまって以来だったという。──以下その内容を再現する。