おさらいも含め、「週刊文春」記事レポです。
アンチレポではかなり省かれているかと思われますんで。
長くなりますが・・・
週刊文春6月16日号
「雅子さま 涙、涙、また涙 お見舞い秘話
」
「両陛下の被災地ご訪問は4月、秋篠宮ご夫妻は5月。皇太子ご夫妻が遅くなったのは、やはり雅子さまのご体調もあるでしょう。
ご訪問の前日は、学習院初等科がお休みで愛子さまのお付き添い登校もなかった。
この日程がベストだったのではないでしょうか。」(宮内庁関係者)
空港には雲間から日差しが降り注ぎ、タラップを降りる雅子さまさまの足元が一瞬ふらつく。
その表情はこれまでの避難所訪問の時より少し硬かった。
皇太子さまは紺のブルゾン、雅子さまは白いブラウスにグレーのジャケット、黒のパンツをお召しになり、手にはショルダーバッグをお持ちだった。
後ろにいた女官や東宮職は何が入っているのか、重そうな旅行鞄を3つほど運んでいく。
(続きます)
(週刊文春レポ続き)2
皇太子ご夫妻は空港の部屋で約30分の休憩を取られた。
ここで県知事が東宮大夫から呼ばれた。
村井知事が振り替える。
「東宮大夫から大きな立派なのし袋を頂戴しました。両殿下からのお見舞い金です。
のちほど両殿下にご説明を差し上げる際に、『県民を代表してお礼を申し上げます』とお伝えしました」
このお見舞い金は私的費用である内定費から出ている。
災害地などのお見舞いの際に金一封をお渡しされるのが慣例だ。
最初に視察されたのは42名が亡くなった岩沼市「相の釜地区」
皇太子さまと雅子さまは海に向かって深々と黙礼を捧げられた。
(井口岩沼市長のコメント)
「岩沼市はあまり報道されず被害が知られていなかった。
子どもたちに『ここには有名な人が来ないね』と言われた時には涙が出ました。
今回両殿下に御霊を慰めていただいて良かったです。」
(続きます)
(文春レポ続き)3
この後、お2人はマイクロバスで山元町内の山下小学校、中学校の避難所に向かわれた。
車内では被害状況が説明された。
「皇太子殿下が主にお尋ねでしたが、車窓から農家の被害状況をご覧になった雅子さまは、
『田植えをしていますね。田植えはできるんですか』と心配して尋ねられました」(宮城県知事)
沿道には国旗や歓迎と書かれた大きな紙が掲げられ、県外からもご夫妻を一目見ようと数百メートルにわたって数百人以上の人が待っていた。
ところがマイクロバスはあっという間にその前を通過。しかも窓は閉められたままだった。
「車の速度を落としてくれないから見えないじゃないの」と警察官に文句をつけるお年寄りもいた。
避難所は蒸し暑く、扇風機が回っていた。
皇太子さまと雅子さまは上着を脱がれて、小学校、中学校の順に回られる。
雅子さまの手には白いハンカチが握りしめられていた。
(続きます)
(文春レポ続き)4
「『息子に先立たれました』と言うと雅子さまが私の手の上に右手を重ねてくださったので、私ももう一方の手を重ねました。
『息子の分まで頑張っていきたいと思います』と言うと『そうですね、頑張ってください』と雅子さまも目を潤ませていました」(79歳の女性)
「握手させていただきました。皇太子さまの手は温かく、雅子さまの手は大きかった」(78歳の女性)
雅子さまの目が真っ赤になったのは自宅2階の一部が浸水したAさん(45歳の女性)と会話した時。
「雅子さまの顔を見た瞬間泣いてしまいました。
『お辛かったでしょうね、我慢されていたんでしょうね』とおっしゃて、私の腕をさすりながら聞いてくださいました」
近くにいたBちゃんは、その時雅子さまがハンカチで目をぬぐったのを目にした。
「ぽろっと涙がこぼれた訳ではありませんでしたが、潤んだ目を1回、2回ハンカチで拭っておられました。」
50代の男性は雅子さまがハンカチで被災者の涙をふいているのを見た。
(続きます)
(文春レポ続き)最終
お帰りの際、マイクロバスに乗り込む皇太子ご夫妻は、学校内で待機されていた人々の方をしっかり向かれ、
数十秒にわたってゆっくりお手ふりをされた。沿道の声にも応えられ、今度は速度を落としてお手をふり続けられた。
東京に戻られた翌日はゆっくりと東宮御所で過ごされた雅子さま。
愛子さまが予定されていたこどもの城のプールのご日程もキャンセルなさった。
ご成婚から18周年。
雅子さまのご体調の回復をお祈りしたい。
(記事終わり)