両陛下と皇太子夫妻の断絶で天皇家「家庭崩壊」の危機
秋篠宮親王の「皇位継承」を睨んだ報道規制も進行中 野中恭太郎
・東日本大震災の被害に、両陛下の心痛は計り知れない
・即位以来、両陛下は宮中祭祀に熱心で、それだけに自分たちの時代に大震災が起きたことにたいへんな
ショックを受けている(宮内庁関係者)
・両陛下の築いた家庭は人々の理想像になっていて、象徴天皇制のあるべき姿を具体的に示した
・しかし、平成に入ってむしろ皇室は国民から遠い存在になったという声が皇室に近い関係者のなかから
聞かれ、若い世代の意識調査でも80%近くが皇室に無関心と答えている
・天皇家の家庭は壊滅状態で、両陛下と皇太子ご夫妻の関係は断絶状態といっても過言ではない→大震災
と相俟って両陛下は内憂外患の厳しい状況に直面し、心痛は深まるばかり(前出、宮内庁関係者)
・天皇家の親子対立が表面化したのは、2004年5月の皇太子さまの「人格否定」発言
・雅子さまは前年12月から長期静養入り、3月下旬から約1ヶ月、愛子さまとともに小和田家の軽井沢別荘で
ご静養→このとき皇室周辺では、雅子さまのリストカットによる自殺未遂説がささやかれたり、皇太子ご夫妻
の離婚を心配する関係者もいた
・優美子さんは当時、「オランダ行きは中止しました。雅子についていてやらないと…」とおっしゃっていた
(小和田家知人)
・2月下旬から3月にかけて、雅子さまになにか異変があった
・苦しいときに女性が実家に行くのはよくあること。この間、皇太子さまとゆっくりお話し合いをなさったはず。
雅子さまはご自分を本当に守ってくださり、一緒に状況を変えようとしてくださるのは皇太子さまなのだと
再認識されたと思う。雅子さまが軽井沢でご静養中に、皇太子さまはたいへん深刻そうだった。人格否定
発言は、なんとか事態を打開したいと決意されてのこと→人格否定発言は、それまで天皇制が抱えてきた
矛盾点を皇太子さまがご自分の代で解決しようとした画期的発言だったと後世に評価されるかもしれないし、
そうあってほしいと思う(皇太子さまの相談相手)
・人格否定発言の背景にあったのは、宮内庁官僚が雅子さまの人格を否定したことではなく、天皇家内の
意見対立→その核心に単なるお世継ぎ問題ではなく、女性天皇の是非を巡る問題があった
・ご成婚後、外国訪問が制限されたのは、体外受精を含めた不妊治療が必要だったため
・幼少時にひどいおたふく風邪を患った皇太子さまに原因があると推測する声が一部にある
・愛子さまご誕生を機に、周囲から男子誕生への期待とプレッシャーが一層高まった
・皇太子ご夫妻は第二子に消極的で、事実上断念
・雅子さまは愛子さまご誕生後に1年間の育児休暇を求めたが、宮内庁=天皇皇后(原文ママ)には認め
られず、産後3ヶ月目に公務復帰
・雅子さまには、不妊治療の精神的な負担が苦痛となったのではないか(産婦人科医)
・現代医学では男女産み分けは90%近い確率で可能→皇太子ご夫妻はなぜ、第一子産み分けを行わ
なかったのか
・皇室担当記者のほとんどは親王誕生と信じ込んでいて、内親王ご誕生は想定外だった
・皇太子ご夫妻は不妊治療はやむをえないとしても、それ以上の産み分けなどの作為的なことはせず自然
の摂理に任せたいというお気持ちだったようだ(前出、小和田家知人)
・皇太子ご夫妻が男子誕生にこだわらない背景には、オックスフォード大留学中に王位継承を男児に限定
しないヨーロッパ王室のあり方を間近に見てきた皇太子さまの考え方が影響しているのだろう
・皇太子さまはヨーロッパ王室を定点観測しすぎた、日本の皇室とヨーロッパ王室は歴史や伝統が異質で
あることを肝に銘ずるべき→皇太子ご夫妻には自分たちの立場への自覚が欠けている(橋本明)
・雅子さまはうつ病であるというのが多くの専門医の定説
・2003年末に雅子さまがダウンした最大の原因は、愛子さまに関わる問題
・愛子さまご誕生の翌年あたりから、その発育を巡って心ない噂がささやかれていた→笑顔を見せないとか
言葉が聞かれないという愛子さまへの中傷が雅子さまの心を傷つけた(雅子さまと親しい知人)
・お世継ぎ問題の早い解決を望む両陛下と第二子男児に消極的な皇太子ご夫妻の間に考え方の相違が
あった→皇室周辺では愛子さまへの中傷的な噂がささやかれた→女性天皇などとんでもないという思惑が
背景にあった
・御所の特殊な環境や雅子さまの心身の疲れが高じるなかで、愛子さまには発語などに多少の遅れ
が見られたのは事実→しかし母親の精神状態が不安定な場合、子どもの感情起伏が少ないケース
がある(精神科医・町沢静夫)
・『タイムズ』が雅子さまは軽いうつ病で、愛子さまは自閉症という噂さえ流れていると報道
・愛子さまの公園デビューには、愛子さまに関する心ない噂を打ち消したいとの思いがあった→愛子さま
のご様子のビデオ公開は、『タイムズ』報道への対応策
・愛子さまの公園遊びは3回で中止→その後御所でのリトミックや「こどもの城」通いにより、愛子さまは
大きく成長
・初等科入学以降の愛子さまは知識欲旺盛で、運動神経も抜群→2010年春以降、乱暴男子へ恐怖から
登校拒否に近い状態
・雅子さまのご病気のなかで幼児期を過ごされたせいか、愛子さまには少し神経過敏なところあるのかも
しれないが、きっと大きな試練を乗り越えられると信じている(前出、小和田家知人)
・皇太子ご夫妻が第二子断念したなかで、雅子さまが療養生活に入ったのと同じ時期に、秋篠宮家男児
誕生計画が始まった
・湯浅長官の秋篠宮家に第三子(男子)を強く希望するという発言は、皇太子ご夫妻に男子誕生が望めない
ことを公にしたのも同然→両陛下の意向を代弁
・発言後、秋篠宮さまが「そろそろいいよとお許しが出たので…」と周囲に漏らした
・男子誕生計画は、「人格否定発言」で雅子さまへの同情が高まったことから、一時頓挫
・2005年11月、有識者会議が女性天皇容認の報告書を出す直前、秋篠宮家の男子誕生計画が復活
・雅子さまを除いて皇太子さまも出席し、天皇家家族会議が開かれた→皇太子さまは「私たちに気遣いをして
もらう必要はありません」と、秋篠宮家の男子誕生を認めた(皇室関係者)
・2006年の歌会始で、秋篠宮ご夫妻が男子誕生を暗示する和歌を披露
・悠仁さまご誕生の背景について、産経新聞は典範改正議論が国論を二分していることに天皇陛下は心を
痛め、紀子さまが皇后さまのお勧めもあって出産を決意したと報じている
・実際、紀子さまは「皇后さまからお願いされた」と親しい周囲に漏らしていた
・外国メディアは、皇室は改革の絶好の機会を逃した、できすぎた慶事に国民は戸惑っている
と辛辣な論調の記事を掲載した
・典範改正に皇族として反対を表明したのは三笠宮寛仁さま→女性皇族と旧皇族男子が結婚し
男子が誕生すれば男系維持は可能という考え
・彬子さまと瑶子さまは寛仁さまと同じ意見で、旧皇族男子のなかにも皇族女子との結婚をする
覚悟のある適齢者もいた→両陛下はその現実化を懸念→両陛下と寛仁さまは若い頃から犬猿の
仲で、そのことも悠仁さまご誕生の背景のひとつにあると指摘する人もいる(旧宮家関係者)
・壬申の乱を想起させるような事態が、現在水面下で進行している
・雅子さまを貶めるような話題や、皇太子ご夫妻の離婚説などを意図的に流す動きは今も続いて
いる→皇太子さまに皇位継承を辞退させることが狙い→次が秋篠宮さまになれば、色々な面で
悠仁さまへのバトンタッチが上手くいく(宮内庁担当記者)
・両陛下と秋篠宮家の私的交流は非常に密→両陛下には公私両面での秋篠宮さまへの肩入れが
なにかと目立つ
・2010年11月、国会開設120周年記念式典に両陛下と秋篠宮ご夫妻が出席したのは、違和感の
ある光景→なぜ皇太子さまではなく秋篠宮さまが出席したのかと、宮内庁内にも顔をしかめる人間が
少なくなかった
・悠仁さまについての宮内庁の報道規制は厳しく、「申し合わせ」(協定)違反には公認の取材や写真
提供などの便宜供与停止の罰則まで設けられている
・愛子さまや皇太子ご夫妻にはこの種の事前規制は一切なく、報道は野放し状態
・悠仁さまご誕生でとりあえず皇室の伝統は維持されたが、皇室の将来を巡る危機は万事解決された
わけではない→悠仁さまが将来結婚し必ず男子誕生するという保障はないし、現行の皇室典範の
規定に従えば、悠仁さまの時代には他に皇族が一人もいない可能性もある
・両陛下の事実上のスポークスマンといわれる渡辺允元侍従長は女性宮家創設を認めるよう典範
改正すべきという意見を方々で述べている→「なんとも虫のいい提案」
・そもそも宮家は皇位の安定的継承のために存在するのであり、皇位継承権のない宮家など、
税金の無駄遣い以外のなにものでもない
・仮にそのような改正をすれば愛子さまも将来にわたって皇室に残ることになり、女性天皇問題が
再浮上して愛子さまvs悠仁さまという皇位争いの様相を呈しかねない
・問題解決には皇室典範改正が必須
・安定的な皇位継承には、女性宮家創設+男系男子優先+皇位継承資格を女性(女系)にも拡大する
のが現実的(笠原英彦・慶應義塾大学法学部教授)
・典範改正問題については、国会審議のうえで国民投票によって決定するのも方策のひとつ
・大震災という国難のなかで、今はそれどころではないというのも国民の思いであり、袋小路状態の
皇室の危機はますます深まるばかりだ
以上です。
原文では「皇太子夫妻」「皇太子」などの表現が取られていたので、こちらで適宜訂正してレポしました。