秋篠宮家のお噂216

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502名無しさん@お腹いっぱい。
宮内庁が二の足を踏んだ「川嶋家」親族の「この人」
週刊新潮1989年12月28日号

礼宮殿下と紀子さんの婚約が発表された当初には、どの新聞にも、池上教授の名
は載らなかった。三代も四代もさかのぼる川嶋家の系図が掲載されたにもかかわら
ず、辰彦氏の母方の池上家については、ごく簡単にしか紹介されていなかったのだ。
それを初めて載せたのは、九月十二日の朝日新聞。川島家系図のなかに母方の池
上惇教授の名前も書き込み、いかに華麗な学者ファミリーかをより明らかにしてくれた。
どうやら、このあたりから、巷間では「皇室とマルキスト」なんて変な組合せの話題が
次第に広がり始めたのである。(中略)
一応、宮内庁に問い合わせてみると、
「そんな話は初耳です。私はまったく知りませんでした。紀子さんの父親の従兄弟な
ら、結構近い親戚です。宮内庁の上のほうの幹部は知っていたのかもしれませんが、
そういう微妙な問題にはお答えできませんよ」(菅原武成報道専門官)
「その件については何も知りませんし、何も言うことはありません」(前田健治総務課長)
何も知らない、という姿勢を堅持する構えでいるのだが、宮内庁のさるOB氏は言う。
「それが本当だとしたら、こんな驚くことはありませんよ。戦前だったら絶対にあり得な
い事だし、戦後になってからでも、今上陛下の皇太子時代に、お妃探しをした頃は問
題になりましたからね。ある有力候補と言われたお嬢さんが、小学生のとき、小林多
喜二の「蟹工船」を読んで感想文を書いたことがあったと分って、候補からはずされて
いるんです。思想問題も決しておろそかにはしていません」
そのOB氏の話の続き。
「紀子さんとのご婚約でも、宮内庁は慎重な役所ですから、十分親戚の方についても
調査したはず。普通なら二の足を踏みますよ。疑いがあるだけでも、避けたいところで
しょう。ただ、礼宮様の場合は事情が事情で、どうしようもなかったのだろうという気が
する。候補を探して、調査して選んだわけじゃなく、先に礼宮様が選んでしまい、彼女
じゃなきゃ嫌だ、と宮様がおっしゃった。初めに婚約ありきで、後から調査したんです。
それで多分、目をつぶるしかなかったのでしょう。気にはなっても、いっさい考えない
ことにした、ということかな……」