秋篠宮家のお噂181

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243名無しさん@お腹いっぱい。
【毒殺日記】 ボルジア家編

ヒ素はその時代の毒殺の常套手段であり,ある程度より上の位の貴族ならば
誰もが毒殺される可能性があった。

そのため,ヒ素に反応しやすい銀器が貴族の館では多く用いられた*1。17世紀イタリアでは,
ヒ素を含んだ化粧水であるトファナ水の流行により,毒が一般女性の手の届くところとなったため
多くの夫が毒殺されたと言われている。

ヒ素は無色・無味・無臭であるため,少量ずつ長期間にわたって投与すれば,
相手の体に蓄積し,徐々に衰弱して死亡に至るため,傍目には病気にしか見えない。
そのため,洋の東西を問わず用いられ,毒薬の王と恐れられていた。

しかし,ヒ素のように(変な話が)ポピュラーな毒に対しては,ボルジア一族に
毒を盛られる可能性が少しでもあるような有力貴族ならきちんと対処法を練っていて
当然というものである。それをヒ素で終わらせないのがボルジア一族の悪名の所以である。

ただ,このように悪徳の限りを尽くしたボルジア家の当主,アレクサンドル6世は,
自らが盛った毒入りのワインを給仕の手違いで自分たちの方に注がれ,絶命したと伝えられる。
その遺体は膨張し,口からは大量の泡を吹き,縦と横が同じような大きさになり,
もはや人間の形を留めていなかったと言う。人を呪わば,穴2つ。