秋篠宮家のお噂 87

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631/2 ◆BqNhW3/bT.
■またもや発覚!桓武以降の天皇家=百済王家そのものである証拠!
桓武以降の天皇は、百済王の王章(王たるあかし)の大刀契を家宝としていた。
つまり、桓武以降の天皇=隠れ百済王氏・当主そのもの!!
「桓武以降の天皇家=日本の天皇家を乗っ取った百済王氏」であることは、
100%間違いない!詐欺!詐欺!バレバレの詐欺、嘘つき朝鮮人天皇家!■

「歴史の中の女性たち」-百済永継 くだらのえいけい (上)
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2000/sinboj2000-1/sinboj20000124/sinboj00012452.htm
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>  1094年10月24日夜、折からの強風に煽られ、皇居堀川院が焼失するという事件が
> あった。狼狽しながらも官人たちは天皇と中宮を避難させ、内侍所に安置されていた
> 「皇位の象徴」である神器宝物を急ぎ搬出した。その「御物」の中に、大刀契があった。
>
>  大刀契とは霊剣と魚符で、いわゆる「3種の神器」につぐ国家の宝器とされ、践祚
> (天皇の即位礼)の際に新天皇に授受された。この王の王たるあかし、王章である
> 大刀契は、実は元来、百済王家に伝えられた宝器であった。それがいったいなぜ、
> 日本の天皇家に伝えられ、しかも単なる宝物としてではなく、皇位継承に不可欠の
> 王章の1つとして宮中に安置されていたのか。またそれは、いったいいつからなのか。
>
>  百済は660年に滅亡した。その際、日本に亡命した百済王家の人々が日本の王家に
> 伝えたのか。その時の百済救援軍を率いたのは、中大兄皇子(天智天皇)であったが、
> その曾孫が桓武天皇である。桓武自身、そのことを強く意識し、事実、桓武以降、
> 天皇は天武系から天智系へと切り替えられた。この桓武が日本の王ばかりではなく、
> 百済の王の流れを組む存在として自らを認識していたことが、大刀契の問題として
> つながるのか。「百済王等は朕が外戚なり」という桓武の言葉は重い。
>
642/2 ◆BqNhW3/bT. :2008/12/08(月) 01:43:09
>  百済王氏の本拠地、河内国交野で天帝を祭る郊天祭祀を行い、絶対君主たらんと
> した桓武であったが、しかし、桓武の野望をよそに、以後、藤原氏が摂政・関白
> として君臨、王権に対抗する存在となっていく。
>
>  「藤原摂関家」とは、藤原4家のうち「北家」を指すが、この藤原北家に嫁し、
> 北家興隆のカギを握ったのが百済永継であった。           (歴史研究家)


いくら日本の天皇家に世話になったからといって、百済王家の家宝を天皇家に
渡すはずがない。その家宝を渡してしまったら、百済王氏として家を作った
意味がない。百済王氏という家は百済を象徴する家であり、王章を失ったら
その存在意義が消し飛んでしまう。
しかも、そんな重要な受け渡しなら、文献にその家宝の受け渡しが
記載されているはずだ。しかし、そんな記述は一切ないのに、
桓武天皇以降、その「百済王氏総本家当主の証」である家宝は、百済王氏総本家から、
日本の天皇家に移動している。

なぜか。

その理由は一つ。
百済王家の王章が百済王氏総本家から、日本の天皇家に渡されたのではなく、
百済王氏総本家が日本の天皇家に成りすまして、日本の天皇家を乗っ取ったからだ。
だから、王章の「百済王氏総本家→天皇家」という受け渡しの事実が一切ないにも
かかわらず、桓武以降の天皇家に百済王家の王章があるのだ。

これで、馬鹿以外の全ての日本人が
「嘘つき朝鮮人のクソチャブの天皇家=百済王家」であると、気付くはずだ。