μ役者の噂part201

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234名無しさん@お腹いっぱい。
●[第1次][広末不登校バッシング]
法則発動時期
1999年初期

発動理由
主に[周防ドクトリン]のすべてに該当したからである。

周防ドクトリンその1との関連性 解説
バイアグラを手にした芸能界のドン・周防郁雄が、強制的に広末を強奪せんがためバッシングを仕掛け、
自分がバッシングをやめることの見返り(自分の系列事務所への移籍、利益供与、肉体接待)を望んだ。
もちろん、広末を追い落として、ライバルにあたる自分の愛人達に広末から奪ったエサを分け与えるという、
パイの配分をも狙っていた。
田中麗奈、加藤あい、鈴木あみたちバータレ三人娘に職を分け与えるためというわけである。
しかし、広末の事務所が彼女を譲渡しなかったため、彼は、さらにバッシングを激化させた。
これが、1999年に見られた広末不登校バッシングといわれる現象である。

当時、アイドル・女優の空いているポジションは、すべて広末と深田恭子の二人によって占められていた。
数年後にドラマ界を席巻していた仲間や竹内でさえ、当時は全く歯が立たない領域であった。
これでは、さらに格下である加藤あいなどの周防の”愛人たち”が売れず、日の当たる場所に出る手前で、
さなぎのまま腐っていってしまう。
ポジションは、二人から奪いとるしかない。
深田を潰すことは、周防の親友である和田アキ子が許さないだろうと思われるので、
彼は、残る広末を叩き潰すことにした。
また彼女は、格好の標的は芸映とサンミュージックであるという、周防ドクトリンその1にもマッチしていたので、
標的としてはなおさら好都合であった。
235名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 21:16:22

<当時の社会常識 >
ある程度売れたタレントが、自分をもっと売り出してくれることの交換条件として、周防に肉体接待をすることは、
芸能界内では、当時(1999年)ごく一般的なこととして見られていた。
また、大衆が認めた、事務所の力で売れたの区別にかかわり無く、昔で言う「国民的スター」=芸能界でトップに位置する女性は、
いずれ、周防が召し抱えることが不文律となっていた。
周防を無視しつづけたままで、トップを維持できることなどできなかったのである。
いわば、芸能人というものは、離陸に成功するくらいのある程度のブレイクまでいきつくと、
対周防用のフリーエージェントという認識がされるわけである。
周防は、芸能界の巨人軍とでもたとえればよいか。
あるいは大奥へのお輿入れなどをイメージすれば、感覚としては、あながち間違ってはいないだろう。

この常識、不文律をはじめて破ったのが、広末であったわけである。
若いアイドル連中も後に、これに追随した。
夜伽の楽しみを奪われた権力者連中は、さぞ戸惑ったであろうことは想像できる。


<関係者の一般的な反応>
当時の関係者は誰もが、てっきり広末が大学進学時にそれ(周防への”お輿入れ”)をするものだと思っていた。
しかし広末は意外にも、それ以後も周防と一切接近しようとはせず、あくまで自分の力のみで芸能界を生き延びていこうとした。
この前代未聞の行動に仰天したのが、当時の芸能関係者たちである。
会話にしてみると
業界人曰く”あれれ、前例からいって、そろそろ広末も周防さんのお世話にならなきゃならん時期だろうに、
どういうつもりだろう、彼女は?”

周防郁雄いわく”そろそろ、奴(=青木芸映社長)から、「ウチが大事に育てた広末をひとつよろしく」
と、挨拶に来るころなんだがなあ・・”

というわけである。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 21:21:13
<広末がバータレとなれば・・メリットは?>
広末がバータレ=周防の愛人となれば、周防から広末のちょうちん記事、スキャンダル握りつぶしの要請が
バンバン舞い込み、業界は大いに潤うことができる。
広末が払うマージンが周防に行き、周防はタレントをヨイショしてくれた謝礼として、マスコミに気前よく金をばら撒く。
周防を経由することによって、広末の稼いだ金が自分のところに還元されるのである。
広末は、トップタレントだけあって動く額も大きい。
そして、周防ほど払いのいい人間もいないのだ。
今までにない、最強のタッグが誕生するかと思われた。
「そうなれば、俺達は十年は食っていける」業界関係者は、そう皮算用していた。


<広末はどうしたか>
しかし、そうはならなかった。
これは想像だが、彼女とその事務所は、周防に頼らずに芸能界で生きていく自信があったのかと思われる。
しかし、ほとんどの芸能マスコミ人が、これを広末サイドの”思い上がり”とみなした。
何故か?