●二つの流れ
大規模な流れとして、1999年に仕掛けられた、[広末不登校騒動]2001年の[広末プッツン騒動]の二つがある。
第1次 [広末不登校バッシング]
上記のとおり、広末を譲渡しなかったため、周防が強制的に広末を強奪しようとたくらみ、バッシングを仕掛けた。
もちろん、広末を追い落として、ライバルにあたる自分の愛人達に、広末から奪ったエサを分け与えることも狙っていた。
第2次 [広末プッツン叩き]
1999年の広末不登校騒動の発展として、また、バーニング芸能界完全支配計画の一環として、
周防郁雄が2001年に仕掛けたが、なにぶん強引さだけが目立った。
結果、広末の事務所フラームの利権の一部は獲得したものの、肉体のほうはといえば、
広末本人には結婚で逃げられてしまい、得ることはできなかった。
また、作戦自体の拙速も目立ち、広末陣営だけでなく、ライジング(沖縄ファミリー)、アンリミテッド(グレイ)、
鈴木亜美など、広範囲の勢力にわたって反発がおこり、またバーニング内部でも、k-1問題等の問題が噴出したことも
あり、2002年には、作戦は完全に頓挫していた。
以後、バーニングは急速に衰えていくこととなる。