【周防の広末叩き】
<時期>
1999〜2001
大まかな二つの流れとして、1999年初期 2001年中期
●総論
周防郁雄の、広末を追い落として自らの欲望を満足させる、或いは”愛人達”に広末から奪ったエサを分け与える作戦である。
芸能界のドン、周防郁雄は当時すでにバイアグラという、誠に好都合な武器を手にしていた。
彼が芸能界支配に貪欲にならぬわけが無い。
当然、広末の利権、あるいは広末の肉体そのものを手に入れるべく、積極的に動き始めた。
そして、広末に自らバッシングを仕掛け、自分がバッシングをやめることの見返りに、広末が何らかの利権、
あるいは貞操を譲渡することを狙ったのである。
つまり、簡単に言えば、「広末よ、俺に金をよこせ!もしくは、やらせろ!或いは、それを拒んで俺にいじめらるか、
どれか選べ」ということである。
これは、周防ドクトリンその3に当てはまる。
他には、国民的・国際的〇〇という、バーニング所属のタレントにのみ許されている”称号”を勝手に名乗る広末と、
それを容認する世間の風潮にたいしての周防の不快感というものがあげられる。
これは、周防ドクトリンその2に該当している。
また、広末の事務所が芸映系ということは、周防ドクトリンその1にも該当している。
要は、当時の広末というものは、周防ドクトリンのすべてにおいてあてはまっていたのである。
●経過
この攻撃は4年にわたって行われたが、最終的には失敗した。
1998 バイアグラ発売
周防、バイアグラ買い占める
1999 広末第一次バッシング仕掛ける 不登校騒動勃発
2000 サイゾー、マイニチなどの、反バーニングキャンペーン
2001 広末第二次バッシングを仕掛ける プッツン騒動勃発
2002 K−1、藤原お小遣い騒動 バーニング低迷
2003 広末妊娠、周防はフラームの利権の一部奪取成功するも、
広末は岡沢にもっていかれる。
2004 広末出産 フラーム離脱の可能性あり。
多くはバータレである仲間、酒井若菜、加藤あいなどの
”産休ピットイン女優の代替女優達”が、功績残せずドラマ低迷
空白を埋めたのは主にスターダスト女優たちであった。
が、まだまだ安定した実績に足りず、小粒感はぬぐえない。
大衆は、産休女優達の復帰を強く望む