73 :
永遠に粘着する怪物:
「夫パーティは召使には厳しい態度で臨むのが常でした。その料理人は暇を出されましたが、
器量よしの家庭教師は家に止まりました。」とドーラは書いている。このころ、ラッセルと女優
コンスタンス・モールソンの間柄はもう途絶えていた。数回仲直りを試みたが、いずれも不調に終わった
あげくのことである。ラッセルはこう書いている。「哲学者といえども恋の渦中では他の
男と全く同じ。ただし、理性からも休暇を取っているため、極端に走りがちだ。」
ラッセルは自分の醜さー薄く頼りない口元、引っ込み気味の顎、大きい鼻」−が、女性に関する
限りなんの弱点でもないことを心得ていた。女は、彼の名声にいくらでも引き寄せられた。
伝記作者クラークによると、」ラッセルは60に近づいても「美人で知的な若い女性への飽くなき欲望」
の影響下にあった。たとえば、ソールス・ベリーのある政治集会でスピーチをした後会った
ジョーン・フォルウェル嬢とのケース。彼女は、21歳。彼女の両親の家へ招待されたラッセルは、
彼女が書いたと言う論文を声に出して読むよう求めた。「私は、すぐに解りました」
と書いている。「ラッセルは論文より、私自身にに興味を持ちました。」。手紙の冒頭の
呼びかけは、「親愛なるジョーン(こう呼んでいいかね?)」から「我が愛するジョーン」
へと進んだ。ついに手紙で彼女を夜へ誘った。「私は、もう若くありません。そこで
私の唯一の心配は、あなたが私のことを性的にマッチしないと思うかもしれないことです。
しかし、これを補うほかの道もないではありません。とにかくあなたが欲しくてなりません、、、。」
ところでこの直後に問題が生じる。
74 :
永遠に粘着する怪物:2007/07/26(木) 21:53:48
ラッセルはアメリカへ行く問題が突発した。彼は、電報を打ちデートをキャンセルした。
しかし、アメリカから戻ると再び誘惑を再開した。二度目に会ったときは、ディナーを
共にするだけでとまった。しかし、3度目のディナーでは一夜を共にした。ラッセルは
彼女をベッドへ引き入れるのに実に3年をかけたことになる。「ラッセルさんはとても
粘り強く振舞いました。しかし、ベッドそのものは不成功に終わりました。そこで
私は、ラッセルさんをあきらめました。」それから40年以上も後、彼女は、こう書いている。
「あの寛容な社会のかなりの責任はラッセルさんにありました。しかもあの方はその社会を
嫌ってさえいました」。ドーラとの結婚は、彼女がアメリカ人ジャーナリストとの間で二児をもうけた
後、終了を告げた。ドーラはパトリシア・スペンスという美人の女家庭教師を雇った。避けがたく
ラッセルはこの女性へひきつけられる。ドーラの愛人ジャーナリストがやってくると、ラッセルの家では
「4人変則同居」と言う関係が形成された。後にラッセルとパトリシアは結婚するが、相変らず
他の女性が出没を続けた。既婚の婦人もいれば、ラッセルと親しい友人の妻もいる。
たとえば、ジェラルド・ブレナン夫人のガメル。ラッセルが例の執拗さで数年間追い回した女性である。
更にはケンブリッジ大学講師の若い妻。パトリシアが事故で入院したとき、ラッセルの面倒を
見るため夫といっしょにラッセルの家へ移り住むようになった女性である。70代半ばのラッセル
は、ロンドンや他の場所での密会を求める手紙を出しまくり、彼女を陥落させた。
ラッセルをよく知っている哲学者シドニー・フックは、パトリシアとの結婚が壊れた原因を「ラッセルが互いに
貞節を誓うことを拒んだ為」と述べている。「ラッセルの移り気に悩まされたパトリシアにとって、
その誓いは最後の拠り所だった。」このフックは次のような文章も残している。
75 :
永遠に粘着する怪物:2007/07/26(木) 22:15:28
彼は、セックスの強さやその周辺の話題を好んで持ち出した。誰も自分の父親からそんな
話は聞きたくも無い。私にとって、それはラッセルからも聞きたくも無い話だった。
魅力的で活気あふれる女性が周囲にいると、かれはそれをいつも意識していた。
私も妻以外の女性との関係に自分と同様の関心があって当然と、合点している様子だった。
こちらから頼みもしないのに、女を「つくる」方法やその後の処置などについて得々と
私に「講義」してくれた。こんな講義もあった。「フック君、女をホテルに連れ込んだ時、
ホテルの受付が部屋の値段を言いながら疑わしい目でキミを見たとする。そんなときは
大声で女にこう言わせるんだ.[あら、それ、高すぎるわ!」。受付は女を絶対に奥さんと
思い込む、、、。こんなこともあった。かれの呆れるばかりの記憶力におせじを言うと
昔に比べるとずいぶん落ちたということをしばらく口ごもっていたが、突然、何かを思い付いたかの
ように私に向かうとこう尋ねてきた。「フック君、これまでの人生でいちばんばつの悪い思い
をしたのは、どんなときだったかね?」。私の返事を待とうともせず、彼は、こう続けた。
「私の場合は、こうなんだ。、魅力あふれる女性と前の晩熱烈に愛し合った。さて、翌日の
朝食のテーブルでその女の名前が出てこない。あれには参った。むろんすぐに思い出したが
とっさには出てこなかった。」バーナード・ショーと同様、女にまつわる惚気話になると、
ラッセルもめっぽう雄弁になるタイプだった。