335 :
、:
マーシャル側代理人 ビル・グラハム氏
「なぜ、風向きが変わることなく実験が強行されたのか?それは、人体実験だったからです。」
1953年11月10日 科学プログラムの概要 水爆実験の4ヶ月前に作成された24の研究プログラム、
そのプログラム4、生物医学研究の第一項目に死の灰を浴びた人間の研究、即ち、
プロジェクト4・1は、あらかじめ島民の被爆を想定していたことになる。
336 :
、:2008/03/18(火) 07:53:49
疑惑のプロジェクト4・1
1954年3月6日 プロジェクト4・1スタート
そして、実験からわずか5日後、早くも空軍内に生物医学チームが設立され、
プロジェクト4・1がスタートする。彼等は、妊婦12人を含む特定の被爆者を選別。
一人ずつ番号をふって現在に至るまで50年以上観察し続けている。
アメリカはあくまで、医療ケアのプログラムとしていますが、
プロジェクト4・1の報告書は得られた調査結果を、
被爆した、最も完全なデータセットと呼んでいます。
更に報告書は、人間が死に至る放射線量を225ラドと結論付けている。
この数字こそ核攻撃の作戦立案に欠かせない米軍がどうしても欲しかったデータだったのだ。
338 :
、:2008/03/18(火) 07:59:33
マーシャル側代理人 ビル・グラハム氏
「米国は、抗生物質の投与は反対した。
正確なデータが得られないからです、
彼等は、治療より実験を優先したのです。」
殆ど治療を行わず、定期的に観察と検査を繰り返すばかりのプロジェクトの医師たち
339 :
、:2008/03/18(火) 08:01:15
ロンゲラップ島 ヒバクシャ 特別調査グループ
米側医師団長、
米国議会がわれわれに求めているのはヒバクシャの
医学的監視なのです。つまり、「記録を取れ」ということです。、
340 :
、:2008/03/18(火) 08:05:12
1957年、ロンゲラップ島民帰島
さらに、実験からわずか3年後、何故か、地上の放射能検査を全く行わないまま、
安全を宣言、それを信じた島民たちは、故郷の島に戻った。
マーシャル側代理人 ビル・グラハム氏
「アメリカは、敢えて、クリーンナップをおこなわず汚染されたままに住民を帰島させた。
長期的に被爆させて、遺伝的影響を調べようとしたのです。」
341 :
、:2008/03/18(火) 08:11:10
帰島後、残留放射能が、被爆をまのがれた者達をも蝕み続け
生まれてくる子供達にも先天的異常が続出した。
5人の子供のうち 4人が生後一年以内に、死亡
一人生き延びた娘も2回甲状腺を手術
1985年 再び離島
28年後、人々は、再び島を脱出し、
現在も汚染の除去作業が続いている。
342 :
、:2008/03/18(火) 08:13:00
第五福竜丸も研究対象だった。
343 :
、:2008/03/18(火) 08:16:26
そして、プロジェクト4・1の調査対象はロンゲラップ島民だけではなかった。
アメリカ側は、第五福竜丸の乗組員の被爆状況に、異常なまでの関心をしめし、
広島で調査を行っていた原爆傷害調査委員会(ABCC)をすぐさま差し向けた。
344 :
、:2008/03/18(火) 08:21:13
何で、いちいち、一つの投稿に時間をかけさせようとするんだ、、クズども、、、。
345 :
、:2008/03/18(火) 08:22:33
コラッ! ごみクズども、解かっとんのけ?#
346 :
、:2008/03/18(火) 08:23:43
344,345>>
もちろん、精神面での比喩のことだ、、、。
347 :
、:2008/03/18(火) 08:25:28
その2ちゃんのMkウルトラの代償は高くつくぜ、、、
348 :
、:2008/03/18(火) 08:26:47
精神病を作り出し災いを助長してきた2ちゃんねる、、、、。
349 :
、:2008/03/18(火) 10:18:30
1954年3月17日、アリソン大使の新書
第五福竜丸に関し日本政府は、
ABCCの全面的な協力と援助を受けるべきである
第五福竜丸医師団 新谷和夫医師
「米国側は、いち早く医師団を送り込み研究材料を取りたかったわけです。
入院先に何回も押しかけ直接「サンプルを寄こせ」と、、、、。
入院先を訪れたABCCモートン博士
アメリカ側の要求は、8項目に及ぶ検査。見舞いの言葉も無く、
ただ、観察したのみの態度に、患者や医師たちは激怒した。
4月7日、岡崎外相の公電
アメリカの試験第にされることは、まっぴらなり、
4月13日外務省の覚書
治療の対象としてよりも、実験の対象ではないか、、。
350 :
、:2008/03/18(火) 13:31:09
第五福竜丸医師団 新谷和夫医師
「久保山さんら乗組員は、皆、モルモットにされたという意識を持っていた。
皆、そう感じているから米側には素直には情報を出さなかった。」
ネバダ州核実験公文書館
第五福竜丸事件における、日米科学者の関係という被爆3ヶ月めの極秘文書
この中で、ABCCのモートン博士は、検査を拒む日本側の医師の対応を激しく非難している。
1954年5月27日日米科学者の関係
―日本側は、アメリカ人の検査を拒み続けた。
おかげて自由世界の国防上、大変価値のあるデータを失ってしまった。
351 :
、:2008/03/18(火) 13:36:27
更に、この文書には、不幸な23人に対して、ある種の実験が行われていた。
乗組員を患者ではなく明らかに実験サンプルと見なしていた事がわかることになる。
被爆した久保山さんの遺体は、久保山さんの意思により、遺体は、病理解剖に
、、それは、放射能症の治療に役立てて欲しいという遺言によるものだった。
しかし、、、、
352 :
、:2008/03/18(火) 13:38:02
東京のアメリカ大使館からの極秘伝聞によると
1954年9月24日 公電
久保山さんの遺体の解剖に米国人医師が立ち会った。
更に
1955年6月、病理学研究所メモによって
密かに、肝臓や骨髄などの組織の一部が米国に運ばれ、
病理学研究所で、調査されたことが判明した。
353 :
、:2008/03/18(火) 13:41:10
それから半世紀、、第五福竜丸の被爆者が悲劇の海を訪れた。
3月1日午前6時45分半世紀前、大石さんは、この被爆の海に居た。
第五福竜丸乗組員 大石又七さん
「私は、もっと暗いように思っていたんだけど、実際は、かなり明るいんですよねぇ、、。」
354 :
、:2008/03/18(火) 13:44:26
元ロンゲラップ島民 ヒロコロンギンペーリック
「死の灰を浴びたのは12歳の時でした。私は被爆者です。
第五福竜丸乗組員 大石又七さん
「私の子供も、奇形で生まれているんです。」
ヒロコ「私の最初の子供も生後5ヶ月で死にました。
心臓に穴が開いていたのです。」
被爆者ジーン・ゲレップさん
「マーシャルのほとんどの島が、水爆実験の影響を受けています。
沢山の人が死んだ。子供は、6人いましたが、皆、死にました。」
355 :
、:2008/03/18(火) 13:48:21
被爆したマーシャル住民、 1865人 うち、840人が死亡
最後に、大石さんは、86人が被爆したロンゲラップ島を訪れて、、、。
今も、残留放射能が色濃く残る2度にわたってうち捨てられた島
しかし、この海で、第五福竜丸が被爆したあの海を直接望む事が出来る。
大石 「今の、現在の自分があるって言うことを確認できたってことが、
自分としては、喜びでなきゃいけないからね、、、。
その半面に、死んだ仲間の悔しさって言うのを、自分が、
私が、受け継いで再確認しなければいけないとおもいますよねぇ、、。」
356 :
、:2008/03/18(火) 13:51:22
水爆ブラボーは、3つの島を消滅させ、代わりに、巨大なクレータ―と大量の放射能を残した。
それは、まさしく、20世紀最大の地球環境汚染だった。
死を目前にした久保山さんの最後の言葉、、、
、、、それは、、原水爆の被害者は、私を最後にしてほしい、、、だった。
久保山さんの願いも空しく、第五福竜丸事件は、核開発競争の幕開けとなってしまいました。
核実験の総数は、1998年までで、2057回 総エネルギ―量は、広島原爆の20万倍
357 :
、:2008/03/18(火) 13:55:22
32年後1986年にアメリカ政府は、ようやくマーシャル島民の健康障害と原水爆の
核実験の因果関係を認めて、保証金一億五千万ドルを払った。
日本は、政治決着をはかった事実も隠蔽した。
これは、日米関係の悪化を恐れたものだった。
そのために、第五福竜丸事件以外に2万人以上の被爆者が居たにもかかわらず、
治療や調査も何も行われず、その実態は、未だに何も明らかにされていない。
358 :
、:2008/03/18(火) 13:58:43
クリントンの主門機関が1995年に公表した放射能人体実験に関する報告書に
マーシャルは、人体の放射能障害を研究する実験室となったと結論付けている。
ビキニ事件の2年後に行われた水爆実験レッドウィング作戦では、
水爆のキノコ雲が人体に与える影響を調べる実験行われていた。
これは、アメリカの空軍機を数十回にわたって、キノコ雲の中を数十回横断させて、
その被爆状況を測定すると言う実験で、乗員7人の被爆量が、
年間許容量w2を超えたとして、軍の病院で、特別検査を受けている。