【腰上げ?】アンカツの噂【後ろチラチラ】

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高額賞金レースには滅法強いが…
2名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/22 11:28:18
誰?
3名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/22 11:58:04
アンカツ最低だな
4名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/22 12:07:42
酔ったおじさん
5名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/22 13:13:05
誰もレスしないスレ
6名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/22 13:43:37
あんな馬なら俺の馬で十分
たいしたことない
ビリーヴより上     
俺の馬の方が強いよ      
あれは瞬発力試しただけ
確実に負ける奇跡のビッグマウス
ムダにムチを振り回し
ゴール直前腰を上げ
と同時に横をちらっ     
負けてもゴール入線後不敵な笑みで
下馬後はさらにニヤニヤし
毎週のように斜行の制裁をうけ
乗り替わりで快勝の馬を多数輩出
盗んだ馬は引退に追い込み極めつけは予後不良

...
最近、やけに饒舌になったよね。
10名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 00:31:46
栄光の名馬たち「アグネスデジタル」のMCSに注目
派手にゴール前で振り向いてますよw
マヌケな面ですw
11名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 01:15:03
あの頃はアンカツ好きだったなあ。
ダイタクリーヴァがアンカツになった瞬間にダイタクヘリオス◎の予定を変更したし。
結局デジタル買えずに当たらなかったが。

しかし今のアンカツは大嫌い。決め手になったのは去年のセントウルS。
ゴール入線前に追うのをやめて腰を上げた。結果ハナ差負け。
単勝30万買ってたのがパーになった。
あんな八百長騎手を応援するやつの心を疑う。

ってかアンチアンカツもっと集まれよ。
この人、乗り方荒いよね。誰かが落馬負傷
しなければ制裁金だけで放免というのも変。
やれやれ、やっとこ6日間の騎乗停止。
13名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 17:42:56
>>12
またやったのか。今年に入って2度目だったような。
確かに乗り方は荒いなぁ。制裁点も上位(2位?)だったはずだし…
14名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 18:27:13
今日はいつもの後ろチラチラしてませんでしたw
ダメですよカスミちゃん!w
15名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 18:37:17
>>1
スレタイの「後ろチラチラ」がブラチラに見えた俺は負け組み
>>13さん
制裁点についての情報はどこで見たらいいのでしょうか?
17名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/27 23:56:48
>>13
9月27日現在制裁点順位
1位 安藤勝己  78点(騎乗停止12日間・再教育2回)
2位 松岡正海  61点(騎乗停止 6日間・再教育2回)
3位 丹内祐次  50点(騎乗停止12日間・再教育1回)
4位 岩部純二  44点(騎乗停止12日間・再教育1回)
4位 横山義行  44点(騎乗停止12日間・再教育1回)
6位 吉田豊    30点(騎乗停止 6日間・再教育1回)
6位 小牧太    30点(騎乗停止 6日間・再教育1回)
8位 江田照男  28点(騎乗停止 6日間)
8位 五十嵐雄祐 28点(騎乗停止 6日間)
9位 藤岡佑介  26点(騎乗停止 6日間)
10位 高山太郎  25点(騎乗停止 6日間)

9月27日現在フェアプレー賞圏内の騎手
藤田伸二  (0点・106勝)
四位洋文  (1点・ 57勝)
松永幹夫  (2点・ 56勝)
熊沢重文  (4点・ 35勝)
岡部幸雄  (5点・ 42勝)
蛯名正義  (6点・ 70勝)
田中勝春  (6点・ 49勝)
幸英明   (6点・ 39勝)
木幡初広  (6点・ 35勝)
横山典弘  (7点・ 86勝)
秋山真一郎(7点・ 37勝)

制裁点の順位について語ってみるスレ2
http://ex7.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1088527690/
ごめん>>16だった
Ryo's Mail(風花良の馬券日記)《13》

【2003.3.31 安藤勝つ!!】



あれは昭和61年だから、もう17年も前のことだ。7月の晴れた日、私は名古
屋駅発笠松競馬場行きの無料バスの中にいた。馬券力をつける為には地方競
馬へも行くべきだと思い立ち、仕事休みの日に1人で向かったのだった。満員
のバスの中はどうみても40代以上の人ばかり。20代前半の私は1人浮いてい
た。隣に座った人が、50才くらいの人の良さそうな人であったことだけが救いだ
った。名駅から笠松までは40分くらいはかかる。新聞を見ていた私に隣の人が
声をかけてきた。「君は笠松よく行くの?」「いいえ」「初めて?」「はい」「そうか」
彼は私の競馬新聞を横から指さして言った。「この騎手とこの騎手は兄弟。こち
らが兄でこちらが弟。兄もリーディング上位だけど、凄いのは弟の方。デビューし
てから9年連続リーディング1位。本当にすごいんだよ。特に後半のレースは強
い。だからお金が減ってきたら絶対にこの人から買いなさい。笠松はお客さんの
お金が減ってきた時、みんながオケラで帰ることがないように、この人が助けに
くる競馬場なんだ!!」お客さんのフトコロを騎手が助けにくるなんて聞いたこと
もない。思わず笑いそうになったが、 話を聞いていたまわりの人は誰も笑って
いなかった。みんなうんうんとうなづくだけだった。
競馬場に着いた。そこは想像をはるかに超えた小さくてのどかな競馬場であ
り、屋台の焼いたもちの臭いが立ち込めていた。昭和20年代にタイムトリップし
たようだった。馬券は手打ちの銀紙。払戻金は窓口のおばさんがそろばんで計
算し、赤エンピツでチェックしてお金を渡していた。何もかもが逆に新鮮だった。
馬券の方は、お金が減るのは嫌だから慎重にレースを選んで馬券を買った。第
1〜3レースまで見送り。第4レースで的中。第5レースはハズレ。6レースを見
送って第7レースを狙って仕留めた。もうプラスで勝負は終わりにしようと思った
が、バスの中の話が忘れられない。おじさんの言った“その騎手”は残り8、9、
10レースすべて乗っている。しかし今日は午前中に既に2勝し、2着にも1回来
ていた。私は迷ったが、8、9、10レースで1つは来ると思って、第8レースをそ
の騎手から買った。結果は鮮やかな1着で的中。もうやめようと思ったが、なぜ
か吸い寄せられるように私は続く第9レースも買ってしまった。またしても1着。
もうやめるべきなのに最終10レースも買った私。結果は何事もなかったかのよ
うにすんなりと1着。夢をみているようだった。  結局“その騎手”はこの日7鞍騎
乗して5勝2着1回。“お客さんを助けにくる騎手”は本当だった。私は全レース
が終わった後の出口近くの掲示板に競馬場の職員がチョークで第10レースの
勝馬の名前を書き、その後に騎手名を書き入れるのをぼんやりと見つめてい
た。安藤勝己と。
1ヶ月後の8月、再び笠松へ。この日は笠松名物の薄暮レースだった。薄暮レ
ースというのは夏の間のみ行っていたもので、第1レースを昼頃に発走して、最
終レースを6時くらいにするという趣向。真夏は3時、4時のメインではまだ暑
い。したがってメインを夕方にずらして行なうという訳だ。そして最終レースの頃
には“ゆうぐれ”“たそがれ”だから薄暮レース。ナイターなど無くても十分に楽し
めて風流そのもの。今は無くなってしまった薄暮レースだが、是非また再開して
ほしいと思っている。安藤勝己騎手はこの日も5戦4勝。私の馬券は4戦4勝。
笠松が日本一好きな競馬場になった。この後は仕事の休みを利用しては、3ヶ
月に一度くらいの割合で笠松に行くようになった私である。そういえばある時こ
んなことがあった。朝、笠松に着いたらなんだか皆がざわざわしている。掲示板
をみると“安藤勝己騎手は病気の為、本日は全馬乗り換わります”と書いてあ
る。さあ困った。私のナナメ後ろにいた、一目でその筋の人と思われる人が、先
輩(?)のような人に聞いていた「アンカツ乗れなきゃどれもダメかも。どうしまし
ょう?」しかし先輩氏は平然と答えた。 「ミツかキョウイチなら買っとけ。あとはダ
メだ」。やはり中央と同じなのだ。アクシデントの乗り換わりでも、連対する時は
しかるべき人 が乗るのである。ミツは安藤光彰、キョウイチは伊藤強一であ
る。この2人に乗り換わった馬を買って、その日も大儲けした私だった。先輩氏
には近づかなかったが。
また私は毎年1月1日には必ず笠松へ行っていた。理由は2つ。1つ目は1月
1日限定の“必勝法”があったから。それは水谷厩舎の馬を買うということで、正
に狙い撃ちだった。


昭和62年1月1日 笠松第6レース

   6E フワムホース     水谷(厩舎)    1着

昭和63年1月1日 笠松第8レース

   1@ タツミローマン    水谷(厩舎)    2着


昭和64年1月1日 笠松第5レース

   8H フェートチャールス  水谷(厩舎)    1着
昭和62年から64年まで、毎年必ず1月1日に水谷厩舎の馬は2頭出走。そし
て必ず1頭が連対するという明快パターンだった。なぜ水谷厩舎の馬なのか。
それは水谷初日出という名前にポイントがあった。“初日出”これ以上に1月1日
にふさわしい名前の調教師は日本中探してもいないと思われる。そして連想だ
けではない。水谷調教師の誕生日は昭和9年1月1日、つまり誕生日爆弾でも
あった訳だ。これで毎年稼がせてもらった。
そして1月1日に笠松にいくもう1つの理由は、騎手の新年の挨拶式と破魔矢
プレゼントがあったことだ。毎年第4レース終了後に、全騎手が馬場に横一列に
並んで挨拶、その後に1人数本ずつ持った破魔矢をお客さんに向かって投げる
プレゼントであった。このセレモニーが好きだった。ただお客さんは第4レースの
頃になると、レースそっちのけで金網前に陣取るので、とても破魔矢をゲットす
ることは難しい。普通に考えても何百人と集まるので余程の運がなければもら
えない。私も昭和62年、63年共に、前の方に陣取ったが無理だった。64年1月
1日、破魔矢など馬券で儲けて買えばいいと知りつつもまたしても最前列にい
た私。騎手が馬場に整列した時、私の前には誰もいなかった。しかし遅れて来
た騎手がいて、列が少しずれて私の前にも騎手が来た、服は胴青、白山形一
文輪、そで黄・・・・見覚えがある。顔を見てビックリ、何と安藤勝己ではない
か!!「カツー、俺にくれ。」と叫び声がして後ろから何十人かが押してきて警
備員が必死に押さえている。私も必死に踏んばった。それを見ていた安藤勝己
騎手と一瞬だが目が合った。けっして私の思い過ごしではない。 間違いなく目
が合ったのだ。そして騎手会長の挨拶と礼の後、彼が近づいてきた。私の正面
まで来ると投げることなく金網越しに手渡しで最初の1本をくれたのだった。こ
れはけっして作り話ではない。実話なのだ。証人も誰もいないが、私の心が証
人である。「ありがとう」といった私に人なつっこくニッコリ笑った彼は、残る3本を
出来るだけ遠くに投げて去っていった。私は彼に馬券だけでなく運ももらった気
がした。そしてこの騎手こそが私にとってのbPであることを強く思った。武豊、
河内、岡部・・・・彼らがいくらGTレースを勝とうが、テレビでインタビューされよ
うが私にとってのbP騎手は安藤勝己だ。東海地区以外に誰も知る人がいなく
てもそれでいい。私だけのヒーロー、それでいいのだった。
平成3年1月15日、笠松に歴史上最高のイベントがあった。笠松が生んだ最
強馬オグリキャップの引退式だった。笠松から中央に上がって大活躍、『有馬記
念』を2度制したこの名馬の引退式が中山、京都だけでなくこのデビューの地で
も行われた。私は混雑を予想して朝9時半に入場したから大丈夫だったが、当
日の笠松は11時半で入場札止め。もともと小さいから当然。しかし入れないフ
ァンが入場口と反対の木曽川の堤防の方にまわり始め、やがては数千人が堤
防を埋め尽くした。それはスタンドから見ていても信じられないような不思議な
光景だった。その中をオグリキャップが登場。鞍上は当然ながら笠松時代に乗
っていた安藤勝己。彼はスタンドのお客さん全員に見えるように少しずつ少しず
つ小さな円を描くようにオグリをゆっくりと歩かせた。20分くらいそうして4コーナ
ーから1コーナーまで引いた後、一気に1周走らせたのだった。まさか走ってくれ
るとは思っていなかった観衆は大喜び。そして入場できずに堤防側に回った
人々も、向正面にさしかかった時に近くで見られて大歓声を上げたのだった。最
高の引退式だった。 彼の「オグリキャップは僕のことを覚えていてくれたよう
だ。」というコメントも良かった。地元中日スポーツ紙から購入したその引退式の
安藤勝己を背にしたオグリキャップのパネルは私の部屋の中央に今も飾ってある。
時は流れて平成7年からカク地馬制度が取り入れられ、安藤勝己騎手はライ
デンリーダーで『報知杯4歳牝特』を豪快に勝ち、『桜花賞』『オークス』にも出
走。さらにレジェンドハンターで『デイリー杯3歳S』を勝つなど活躍を続け、中央
競馬にも毎週のように騎乗するようになり、勝ち星も量産。いつしかその名を日
本中に知られる存在となった。そして今年2月に中央競馬の騎手免許を取得。
ついに中央の騎手になってしまった。私には今も信じられない程の急展開であ
る。こんな時代が来るとは夢にも思わなかった。そして『高松宮記念』にビリーヴ
で挑戦するという。しかし私も今や予想のプロである以上、自分の感情で予想
はできない。ビリーヴのサインが悪ければ、連軸としては可能性の高いサニン
グデールから予想を出し、自分だけは応援の単勝を買うつもりだった。しかし枠
順その他のサインを検討すればするほどビリーヴは良い。これで腹は決まっ
た。ビリーヴ1番手、サニングデール2番手の予想。馬券は単勝をいっぱい買っ
て、さらに馬連、馬単も・・・・。ショウナンカンプという絶対に1着になれない馬が
人気を背負っていることで、好配当のオッズになっている。レースはあっという
間に4コーナー。ショウナンカンプの外から安藤勝のビリーヴがぐいと出てから
はテレビの前で何を叫んだか覚えていない。2着もサニングデールだったから
馬連や馬単も取れていくら儲かったかわからないほどだったが、もう払戻額など
どうでもよかった。私だけのヒーロー、破魔矢をくれた人なつっこい笑顔の人、そ
して“お客さんを助けにくる騎手”が、ついに日本中が見ている晴舞台の中央に
立ったのだった。





風花 良
◆“アンカツ効果”

 「100勝を超えたあたりで『目標達成ですね』ってよく人に言われたけど、い
くつ勝ちたいなんて考えてもいなかったこと。その気持ちはこれからも変わら
ないと思う。レースなんて乗った騎手のほとんどが勝てないわけだし、勝ち
負けよりも馬の力をちゃんと引き出してやれたかなということを考える。勝て
る馬なのに下手に乗って負けることも少なくないし、なかなか思いどおりには
いかないけど、それが競馬なんだから」

2003年を振り返るといろんなことがあった。17年ぶりとなるスティルインラブ
の牝馬三冠達成や、武豊の年間200勝突破など、素晴らしい記録が次々と
誕生したが、個人的には東海公営から中央に移籍した安藤勝己騎手の活
躍がいちばん印象に残っている。

地方騎手として孤独な挑戦を続けていたアンカツが晴れてJRA所属となっ
て10カ月が経過した。彼は中央と地方の壁に風穴をあけただけでなく、次々
とその存在をアピールした。彼の功績はJRA所属騎手のレベルがどの程度
のものなのかを競馬ファンに冷静に判断させられたこと。もちろん、短期免許
で来日するオリビエ・ペリエやケント・デザーモといった外国人騎手たちの活
躍も素晴らしかったが、競馬先進国からやってくる彼らは、日本人騎手よりも
うまくて当然という意識が見る側にあった。しかし、地味で目立たない地方騎
手だったはずのアンカツが中央の舞台で胸のすく活躍を見せる。この事実は
競馬ファンにとって、ひとつのカルチャーショックだったことだろう。
「中央入りした当初は無意識のうちにも結果を出そうと焦る気持ちがあった
のかもしれない。いまになってみれば俺らしくないなって思うけれど(笑い)。
あたりまえだけど、それなりに周囲に対して気も遣っていたしね。あっという
間の一年だったけど、とにかくいまは乗れるだけで楽しいから、この気持ち
がある限りは馬に乗り続けられるかなと思っている」

 例年だとひと夏を丸々海外遠征で過ごしていた武豊が2003年は国内での
騎乗に専念して、自身の年間最多勝記録を大幅に更新。インタビューで「安
藤さんの移籍はひとつの刺激になりました」と語っている。一方、若手育成を
目的としたJRAの減量騎手制度も、時代の変化に対応すべく内容の見直し
が決定した。安藤勝己の中央移籍は彼個人の環境を変えただけでなく、中
央競馬そのものをも変化させつつあるのは間違いない。

競馬ブック編集局員 村上和巳
29名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/28 15:50:49
あんな馬なら俺の馬で十分
たいしたことない
ビリーヴより上     
俺の馬の方が強いよ      
あれは瞬発力試しただけ
確実に負ける奇跡のビッグマウス
ムダにムチを振り回し
ゴール直前腰を上げ
と同時に横をちらっ     
負けてもゴール入線後不敵な笑みで
下馬後はさらにニヤニヤし
毎週のように斜行の制裁をうけ
乗り替わりで快勝の馬を多数輩出
盗んだ馬は引退に追い込み極めつけは予後不良

30名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 00:09:26
             /ヽ       /ヽ
            /  ヽ      /  ヽ
  ______ /     ヽ__/     ヽ
  | ____ /           :::::::::::::::\
  | |       / /      \   :::::::::::::::|
  | |       | (●      (●    ::::::::::::::|     
  | |       | ∪      ∪   :::::::::::::|
  | |       |   (__人__丿  .....:::::::::::::::::::/ >…エエ話やん……
  | |____ ヽ      .....:::::::::::::::::::::::<
  └___/ ̄ ̄       :::::::::::::::::::::::::|
  |\    |            :::::::::::::::::::::::|
  \ \  \___       ::::::::::::::::::::::::|
31名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 10:25:20
腰あげ
>>17さん、ご親切にありがとうございます。<<16
こんなに丁寧にupしていただいて感激です。(涙)
33名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 00:29:05
ルイスが主のスレ
34 :04/10/01 03:30:58
馬殺し
35名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 21:57:36
手抜きすんなよカスw

36名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/04 12:02:42
 
37名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/21 21:06:06
破壊王
強奪王
39名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/06 17:59:39
もっと情報キボーン
40名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/07 12:00:55
ウッ、発熱・発疹って・・・何の病気だよ・・・恐。
41名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/10 16:03:25
入院したど。
日本中央競馬会(JRA)は10日、今年のダービージョッキー、
安藤勝己騎手(44)=栗東・フリー=が水痘と髄膜炎のため9日から
入院したと発表した。症状の改善、回復まで約2週間を要する見込み。
42名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/10 16:14:54
みずぼうそう?大人の水疱瘡は重くなるんだと。
1週間して入院って・・・これって伝染病だよね。
他の騎手たちはダイジョウブか?
43名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/14 00:08:25
最近存在感がないですね
44名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/27 23:51:47

46名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/16 19:50:47
はやく引退してください
47名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/30 16:53:33
調子が上がってくると黙るんだここの住人・・糟だね
48名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/31 00:36:31
かかる馬はまるでダメ
49名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/31 18:09:24
下手糞ジョッキーage
50名無しさん@お腹いっぱい。:05/03/08 10:13:11
51名無しさん@お腹いっぱい。
         / ̄ ̄`´ ̄ヽ
        (  /⌒`´⌒ヽ       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
        | ノ −  − |      /    世界     |
        | |  ,,ヘ 、ヘ |      |  糞スレ、 発見! |
        (6 | ,ヽ (ヽ> |     /  _______/
         ヽ/ (`-=- ')/      ̄ ̄
          ヽ___/
   , -‐'゙゛ i::..  | .ヽ/;ヽj!`‐-、_
   l     ノ::. .:|、 .ヽ,:ヽ|  <゛~ヽ、
  ,:''`` ''"゙.|;;:‐''゙|.ヽ、 ヽ;::|  /  .|゙l
  ,:     ヽ::il;;!  ヽ、ヽ| /   | :|
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