わけもなく不安になる。七

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436くもり@NEW荒しさん
〈私〉なのだろうか。私は一日中、なにをしようか。散歩をしたり、チュイルリー公園に行って鉄の椅子に−いや倹約してベンチに、腰をかけるだろう。
図書館に本を読みに行くだろう。それから。1週間に1回映画を見に行く。それから。日曜日はフランスの葉巻ヴォルティジュールを吸うことにしようか。
リュクサンブール公園へ退職者たちとクリケットをしに行くだろうか。これでも30歳なのだ。自分を憐れに思う。まだ残っている30万フランを1年で、
費ってしまった方がよくないかと考えるときがある―だがその後は・・・・。
それが私に何を与えるのだろうか。新調の背広か、女か、旅行か。私はそうしたことをすべて経験した。もうたくさんだ、そんなこたはしたくない。
ああいうことから何が残るというのだ。1年後私は今日と同様に虚ろで、思い出さえもなく、死を前にして臆している自分を再び見出すだろう。
 30歳。それでいて1万4千4百フランの金利所得。月々受け取る利札。しかしながら、それでもまだ老人ではない。
ああなんでもいいからなにか仕事を与えて欲しい・・・・。いや、他のことを考えたほうがいい、なぜなら、いまこのとき私は芝居をしつつあるからだ。
私は自分がなにもしたくないことをよく知っている。なにかをすとは、実存を創造することだ― そしてそのように実存するものは、かなりたくさんある。
 ほんとうを言えば、私はどうしてもペンが放せないのである。自分が〈吐き気〉を催すだろうと思うが、書きながら、それを遅らせることができるように思われる。
それで私は、頭に浮かぶことを書いているのだ。