1 :
名無しさん:
って、実際には見られてないのに人に見られてると
思っちゃう病気ですよね?
私の場合は実際に電車とか会社とかで、みんなが見ているんですよ。
何か付いてるのかと思って途中下車してトイレで鏡見に行ったり
するんですけど、何も付いてないんですよ。何かがみんなと違うのかしら??
自分では普通の人とそんなに見た目違うとも思えないのに。
恐くて恐くて外に出るのが嫌でしょうがないです。
2 :
名無しさん:2000/07/26(水) 00:57
え!?視線恐怖って視線のやり場に困るっていう症状とおもってた。
2さんのおっしゃる通りでした。
間違えました。すいません。
恥ずかしい。。。死にたい。。。
もうここには来ません。さようなら。
4 :
名無しさん:2000/07/26(水) 02:00
人の視線を感じて、ふとその方向を見てしまう。
すると確かに人がこちらに顔を向けていた、ということ多くないですか?
視線を感じてその方向を見てしまう、ということはないですか?
その結果キョロキョロしてるみたいで・・私はやたらとそれが多いのです。
見られていると思うのは、自意識過剰、考えすぎなだけでしょうか。
同じフロアで課が離れている同期の子が
私が電話中であるのを確かめた上で=こちらをじっと見てから
走ってトイレに行く。一回だけじゃなく、最近ずっとです。
明らかにニアミスを避ける為にやっている、とわかるのです。
前に私がトイレで手を洗ってると、その子が入ってきて無視して行った。
明らかに誰がいるかわかる狭さのところなんです。
私は面倒臭い、と思い放っておきましたが、その後も無視は続き
他の職場にいる同期の態度も避けているように感じます。
このように感じることが異常なのでしょうか?
その同期達が集まる度、誰かの悪口、全く無関係な部署の人間の批判
(ミスしたから飛ばされた、デキない奴らを集めた課だ、とか)が多く
私は何も言えず黙ってしまってた。正直、何を言っていいかわからなかった。
で、私が何か言うと馬鹿にしたりけなすだけ。
これは元々人のことを外そうとしていたのかもしれないですね。
途中でこのグループに入ってきた子は、影ではおもしろくない、つまんないと言われていました。
その子が近寄ってこないようにしていました。
私もこれと同じ扱いかと思うのです。
全員が変な子ではないと信じたいのですが、殆どが一人の言うことに頷いて
私を外そうと一緒になってしまうように思えるのです。
このように考えること自体が異常なのでしょうか。
どうしても視線が気のせいとは思えないんです。
5 :
隣の猫:2000/07/26(水) 02:55
野球帽等、つばの広い帽子を被って、他の方の視線を自分がとらえな
いようにしてしまうのはいかがでしょう。
というのも、私もウツがひどいときは他の方の視線が気になったりと
いうことがあり、以前からの悩みのひとつでした。
先日たまたま日差しをよけるために被って外出したのですが、深めに
帽子を被っていると他の方の視線が目に入らず、比較的落ち着いて用事
などを済ませることが出来ました。どなたかとお会いするときには失礼
になったりすることもあるので、ずーっと被りっぱなしという訳にもい
かないこともあるでしょうけれど、買い物中とか電車に乗っている間と
かはよいのではと思います。
いかがでしょうか?
6 :
名無しさん:2000/07/26(水) 03:05
私もとても人の視線が気になります。
カーテンも締めっぱなしだし。
でも、街で歩いてて『あーなんか見られてる』
と思って見るとやっぱり目が合う。
見ているらしき人の事を見返す事は滅多にしませんが、
ほとんどといっていいほど目が合います。
だから、私もトイレにはしょっちゅう行って
なんかスカートめくれてないかとかチェックして
しまいます。
自意識過剰とは自分では思ってないんですけど。
不安神経症の一種でしょうか。
外出も嫌いです。
5さんのおっしゃる様に、外出時は帽子は被ってます。
もう手放せない感じです。本当オススメですよ。
7 :
名無しさん:2000/07/26(水) 03:32
サングラスでもかければ?
俺は人と目を合わせるのは苦手だけど視線が気になったことはないなあ。
誰もあんたみたいな極端にブスでも美人でもない普通の人間に注目なんざしてねーよ。
安心しろ。
8 :
名無しさん:2000/07/26(水) 04:11
視線恐怖って、ひとから見られるのが怖いんでしょ?
9 :
名無しさん:2000/07/27(木) 00:12
>誰もあんたみたいな極端にブスでも美人でもない普通の人間に注目なんざしてねーよ。
>安心しろ。
それはわかっています。
嫌悪や悪意の視線ではないかと思うだけです。
勤め先でのことなので、帽子は被れないのです。
だから、実際に見られているとしても、それを意識せずに済ます方法がないのです。
こちらとしては、視線を感じてその方向を見てしまっているつもりなので。
10 :
名無しさん:2000/07/27(木) 00:32
オレもわかるよ。視線が自分に集中するのがいや。
オレの場合、赤面症だからだけど。
11 :
名無しさん:2000/07/27(木) 01:10
視線恐怖は
・相手の視線が気になる
・自分の視線が気になる
の二つがあります。
視線が気になる理由によっては他の病気も考えられます。
僕は最初は視線恐怖だと思っていましたが分裂病でした。
12 :
犬夏:2000/07/27(木) 01:21
13 :
名無しさん:2000/07/27(木) 23:06
具体的にはどのような治療になるのですか?
薬で気にならなくなるのですか?
>11 視線が気になる理由によっては他の病気も考えられます。
誰かが自分を見ながら悪口でも言ってるように感じることもあります。
被害妄想なのでしょうか。
どのようなものが考えられるのですか?教えて下さい。
14 :
名無しさん:2000/07/28(金) 01:02
>13
僕も詳しく知らないけど
「関係妄想」とか言うようです。
精神科医には一発でわかるらしいですよ。
15 :
14:2000/07/28(金) 01:19
あ、スマソ
答えになってないですな
僕が知ってるのは分裂病だけです。
内容が不可解だとか誰に対しても疑いを抱くといった
特徴があったはずです。
16 :
?1/4?3?μ?3:2000/07/29(土) 03:22
4さんの場合は病気とかじゃなくて同期の人たちの問題でしょ?
いちいち見られたら「なあに?」って感じで見つめかえせば
いいんじゃないでしょうか?
大体陰口ばっかりたたいてるやつらは死人も同然です。
はずされた方がいいですよ。
17 :
名無しさん:2000/07/29(土) 12:51
でも、陰口たたいてるのが主流で、こちらが浮いているわけです。
周囲もその子達の言うことに頷く=私を悪く見るのが苦しいんです。
周囲もその程度、ということでしょうか。
それこそ、私がおかしいと言うことのようで
どうしていいのかわからないです。
辞めたくはないんです。自殺もしたくない。私の考え方の問題でしょうか。
18 :
16:2000/07/31(月) 01:14
仕事場、とてもつらいでしょうね。
あんまり無理して続けるのもどうかと思いますが、不況ですしね。
でも...
あなたがあなた自身をおかしいと思いはじめたらいけないと思う。
何もかもにおどおどして会社に行くことになる。
影で悪口を言う事って、その人たちが自分の人生について真剣に立ち向かってない
しるしなんです。適当な人を標的にして、憶測や不確かな情報を共有して、
(憶測や不確かな事って自由にねつ造できるから意見がぶつかる事もない)
共同体の中でぬるいナカマと雑談してるだけ。
あなたの会社ってそんなに暇?それともその同僚が話してる他の部署への批判って
あなたも納得できる内容ですか?そんな事ないでしょ?だから何も言わなかったんじゃないんですか?
そんな人たちにかまってる余裕ないとおもうなあ。仕事なんだから。
確かに会社において協調性は大事だけど、不愉快な思いしてまであわせる必要無いとおもいます。
一方的な言い方で悪いんだけど、あなたがあなた自身を疑ったら誰が信じてくれるんですか。
周りがみんな敵なら、他に何かよりどころを見つけてみるのもいいと思いますよ。
19 :
名無しさん:2000/07/31(月) 06:04
僕も、対人恐怖症、視線恐怖でした。そして、苦しかったので書物などに救いを求めまし
た。その結果、「恐怖」について自分なりにいろいろとわかってきて、生きる事が楽にな
ってきています。「恐怖」に対して思う事を書いてみます。
「恐怖」とはなにかと言えば、「起こったら困る事」を「待つ」心理の時、感じる感情
であると、今はみなしています。つまり、世の中の事象に対して全て対処できるのなら「
恐怖」を感じないわけです。言葉を変えると強い自分になれば感じないと言っても良い
かもしれません。
強い自分の中には、「物理的対処」できる事も含まれます。暴力に対して「恐怖」を
感じる時それ以上の物理的力を身に付け対処できるようになれば(力で相手をねじ伏せ
たり、人脈を利用してやめさせたり)、待たなくてすみますから「恐怖」は感じなくな
ります。
ただ、これだけでは解決できません。大事なのは、心の強さです。例えば、「自分の
乗った飛行機が落ちるのではないか」と「恐怖」している人に対しては物理的対処能力
を得ても意味があまりありません。こういう人を楽にする方法として「確率」を持ち出
す事による解決方法があります。「飛行機が落ちる確率は車に乗る死亡率より低い」と
言い聞かせてあげる方法です。ただ、この方法でも対人恐怖症者には通用しないと感じ
てます。なぜなら、対人恐怖症者は「こういう人がいたらどうしよう」と思ってるわけ
です。対処できない事が「恐怖」ですから、確率がどんなに少なかろうと恐いものは恐
いのです。0.00001%であろうと、確率が存在する限り恐くて動けないという事になり
ます。ではどうすれば良いかというと、「諦め」る事だと思います。これから起こる現
象をすべて引き受ける、認めるという精神状態になれば待つ恐怖はなくなります。(と
りあえず、この部分は終わらせ後で補足します)
20 :
19:2000/07/31(月) 06:07
恐怖症の人たちの傾向としてコントロール願望が非常に高い事が挙げられます。他人
の気持ちを自分の力でコントロールしたがるという事です。しかし、ここで、対人恐怖
症の人たちが頭を覚まして実体を見るならば面白い事がわかります。
学歴を例に取って実体を見る事にします。あなたがある大学を出ていて学歴に関して「
人が○○と思ってるのではないか」と脅えているとします。あなたの周りであなたを見
る人(観察者)は、なにを思うのでしょうか。Aという観察者が、小さい頃の教育によ
り「一流大学出てないとだめ」だと信じていれば、あなたを低く見るかもしれません。
Bという観察者の場合その育ちから「学歴なんて関係ない」と思っているならばあなた
の学歴についてなにも思わないでしょう。また、Cという観察者の場合、勉強ができな
く大学に行かなかった場合、あなたの事を「凄い」と思うかもしれません。
ここに、観察者があなたを見た時なにを思うかというのは、その観察者の事情による
ものであるという実体があります。あなたに責任はありません。観察者の生育歴に対応
して「勝手に感じる」と言う事です。そして、対人恐怖症者はその「勝手に感じる」も
のを自分の力でコントロールしようとしている、非常に無駄な努力をしている人間だと
いう事になります。前のパラグラフをじっくり読んで見て下さい。他人の感情をコント
ロールする事は100%不可能です。(ここでも、「諦め」る事が必要になります)
21 :
19:2000/07/31(月) 06:08
(続き)
《では、なぜ無駄な努力をするような生き方をしているのでしょうか。それは必要性が
あったからに他なりません。僕の体験を例にすると、幼稚園の頃、親は僕のちょっとし
た行為により不快になると怒鳴り散らすような人間でした。僕は、その度に殺されると
思いました。つまり、僕には生きるために親の感情を常に快感に安定させておくという
、親の感情をコントロールする必要性があったのです。これが、トラウマです。》
大事なのは、他人の気持ちは自分の脳がイメージしているものにすぎないのだ、とい
う実体を理解する事です。他人がこう思ってるのではないか、と感じた時「と、思って
いる自分がいるだけ」と言ってみるのも良いかもしれません。学歴を例に取りましたが
、容姿、家柄、地位など、いろいろと応用が利きます。
22 :
19:2000/07/31(月) 06:09
(続き)
「諦め」る事は対人恐怖症者に取って難しいと思います。それは、対人恐怖症者の生
き方が「自分の人生に対する自己責任の放棄、そして他者に責任転嫁」をしているから
です。自分の幸せを自分で掴むという姿勢がないのです。自分の人生は他人次第だと思
ってるから、他人がどう感じるか気になるのです。自分の力で現実(他人ではありません
)を変えていけるならば、「待つ」生き方をしなくなります。そして、自己責任を持っ
て人生を歩んでいると「諦め」る事も容易になります。「私は、誰に対しても恥ずべき
生き方をしておらず、自分の幸せを自分で手に入れる人生を歩んでる」という生き方を
実践している人間は「諦め」る事ができます。なぜなら、自分の力で精一杯やっている
からです、自分で試しているからです。他者責任の人生を送ってる人たちは、他人によ
って幸せにしてもらおうとしています、自分はなに一つ実行してないのです。だから、
いつまで経っても「諦め」きれないのです。もしかしたら、もしかしたらを繰り返すの
です。
《もちろん、この生き方を選んだ理由はあるはずです。僕の場合、親が支配的で子供を
所有物、アクセサリーのように扱っていました。僕が「これがしたい」と自己決定を下
すと、「自分勝手」と非難しました。そこで、捨てられると感じ、親に自分の人生を全
託するような生き方を取り入れました》
23 :
19:
(続き)
散々苦しんできた対人恐怖症ですが、今はこういう病気の経験を味わう人生も良いか
もしれない、と感じてきています。ある哲学書によると、世の中には人間の思いに関わ
らず実相があり存在するものと、思考の働きによって「思い込み(幻想)」により存在
してると人間が思っているにすぎないものがあると書いていました。そして、「実相」
のあるものと関わる事こそ幸せであるとも書かれています。「思い込み(幻想)」にすぎ
ないものとはなんでしょうか。それこそ、「他人は○○と思っているんじゃないか」と
いう風な事だと思います。対人恐怖症者やACの人たちは、生きる事の苦しさから、小
さい頃から教え込まれたものが間違えかもしれない、と不信感を持っている人たちだと
思います。それは、この世の実体を知りたい、幻想に囚われたくないという生き方に変
わって行くのではないかと思います。それが実現できたら、思想家の言う本当に幸せな
人生が歩めると思います。
(ただ、別に選ばれてるわけではないでしょう。他の人たちは対人恐怖症者やACとま
た違う方法によって「実相」とはなにかという事を模索するだけですから)
恐怖症に関していろいろと自分の中で感じている事を書き連ねてきましたが、自分も
学生としてモラトリアム期間を貪ってるにすぎない人生を送っています。お互い生きる
事が早く楽になるといいですね。