身辺整理が終わった。
思い残すことは何もない。でも、死ぬ前にこの物語を残しておきたい。
これからゆっくり更新していくつもりです。
もし何かの偶然でこのスレッドにたどり着いた方がいたら
暇つぶし程度に読んでみてください。
それでは開始します。
「こら!」
よく通る声で父が叫ぶ。
「こっちへきなさい」
その眼は静かに、しかし執拗にこちらを見つめている。
「おしおきの時間だ」
そういって父は僕を白い帯でぐるぐる巻きにした。
僕は泣きながら、恐怖におびえ、ただ黙って帯にまかれた。
そして公開処刑が始まる。
「ここで反省しろ」
僕は泣きじゃくりながら暴れようとするが、父に制止される。
連れて行かれたのは、薄暗い納屋の中央、地面から2メートル。
躾と称して、僕は納屋の天井につるされた。
「絶対にいつか殺してやる」
空腹と尿意がやがて絶望に代わることには、僕は生きることに対してすっかり自信を無くしてしまっていた。
どんな人にもきっと幼少期のトラウマがある。
普段の生活というものがあるから形にはあらわれなくても
ちょっとしたことで急に怒り出す人の心の中には
幼いころの恐怖が関係しているのかもしれない。
「調子はどう・・・ですか?」
病院の待合室は無個性で、名前を呼ばれるまでの20分間がとても長く感じた。
かならず「どうですか」とはならないその聞き方にも慣れてきた。
精神科は想像以上にあっけない場所だ。
鉄格子とか、注射とか、薄暗い待合室とは無縁で
むしろ清潔で、簡素で、機械的なシステムだと僕は思う。
「安定しています」
そう答えるのは、これ以上症状を話すと増藥されるからだ。
「食欲はありますか?」
「はい」
実際、今の僕は間食をしすぎて太っている。
ただでさえ薬の副作用で太りやすい体質になっているのに
カップラーメンやお弁当などを一緒に食べてしまったりしている。
「眠れてますか?」
「はい」
「じゃあお薬出しておきますね。お大事に」
PCに向かってカルテを入力しながら先生が言う。
本当は12時ぐらいに目が覚めたりするのだけれど、それは言わない。
先生に何を言ったところで増藥されて終わる。
薬を飲むとその副作用で苦しむことになる。
「調子がいいです」
それを繰り返して、3か月ぐらいたったころに減薬の話をきりだす。
しぶしぶ、だが慎重に減薬は行われる。
一度に2種類以上の薬を増減することはタブーとされている。
薬の効き方がわからなくなるからだ。
受付で番号札を返却する。
「23ばんの方」
この場所では番号で患者を呼ぶ。
プライバシーを守るためだ。
そのたびに
「あぁ、自分は一般的な病院にはいないのだ」
という気持ちがして感慨深い。
薬の種類にもよるが、診察と投薬でだいたい5000円ぐらい。
けっこうな金額だ。これを続けていくにはお金もかかる。
僕はいまでは静かな患者だが、一時期は先生に対して怒りをぶつけたこともあった。
「同僚を殺したくなるんです!」
「誰でもそういうこと、考えるんじゃないですか?私がおかしいんですか?」
怒りがコントロールできなくて、病院に行った時のことだ。
病院に行くということは、自分が病気だという自覚があったのかもしれない。
しかし自分には、思い込みがあった。
「これだけ怒りを感じるのは周囲の人間が原因だ。周りが悪い。」
さっさと診断書出してくれよ、と僕は思った。
休職するためには診断書が必要で、3000円ぐらいで発行してもらえる。
激しい怒りは収まらなかった。
僕は感情をフラットに保つ薬を処方された。
「ちょっと休職したらどうかな」
なんて言葉は医者からは言われない。
どんなにつらくても、患者のパターンがあり、僕はおそらく
「軽度」
の患者だった。
薬は効いたみたいだった。
しかし次第に感情が平板になり、無気力な状態が続いた。
1カ月ぐらいで薬は効果を出し、激しい怒りの代わりに絶望がやってきた。
今にも死にそうな表情で僕は働いた。しかし限界だった。
「仕事辞めたいです」
そういうと、医師は困ったような笑みを浮かべた。
「ブランクができると再就職難しいよ?」
そうはいっても、体調が悪いのだから仕方がない。
「有給で休んでみたら?」
僕はまず有給で休みをもらうことにした。
有給休暇は、取得できる。
しかし、周囲の同僚からの視線がとても冷たかった。
「なんであいつだけ休んでるの?」
とでも言いたげな視線が痛い。
そして有給も使い果たしてしまったタイミングで僕は再度離職を口にした。
「俺たちの保険料はどうなるんだ」
両親は退職していて、僕の扶養に入っていたから、健康保険を気にした。
体調不良だから退職したい、という話を両親にしたところ返ってきた言葉がこれだった。
「体が心配だからちょっとはゆっくりやすみなさいね」
なんてことは言われない。
「ブランクができるくらいだったら、休職したほうがいい。それは権利なんだよ」
医師の言葉に促され、そして内心では計画通りだと思いながら
僕は休職をした。
「しばらく会社を休みたい」
上司に告げると、話をはぐらかされそうになった。
さらに上の上司と直接話をできるようにお願いして、そして面談。
「まぁ話を聞こうじゃないか」
ぐらいの余裕で面談を始めた上司だったが、診断書を提出すると顔色が変わった。
「何がいけないんだろうね〜」
「この季節は毎年体調が不安定になるのですが、今年は特にひどいみたいです」
もちろん、僕の直属の上司のパワハラが原因で何人もの人が辞めていったことを
こいつは知っている。
ここは静かに、休職に持っていく必要がある。
「1カ月間の休養を要する、って書いてあるけど、来月には復帰できるよね?」
「医師の判断によっては長引く可能性もあります。」
「とりあえず来月復帰ってことで。」
僕は最低でも3カ月は休んでやろうと思っていた。
そして1か月後、僕は診断書を取得して、休職願と一緒に会社に郵送した。
3か月後、僕は薬漬けになり、体調は回復せず、体重が10キロ増えた。
休職期間中は主に外出していた。
というのも、自宅に車にがあると近所の地域住民から
「あの家の息子さん、昼間も家にいるけどなにしてるのかしら」
「仕事もしないでなにしてるのかしら」
という噂がひどいからだ。
「頭がおかしくなって会社やすんでるらしいよ」
などという噂は的を得ているかもしれない。
連続テレビ小説を見て、そのまま近所の町に行って
ユニクロの駐車場で寝る。そして散歩をする。
マックで昼食、ミスドでおやつ。
することがない上に無気力、さらには薬の副作用でじっとしていられない。
そんなとき、人は寝るか食べるかしかできなくなる。
温泉もよく利用した。
400円で一日利用できる温泉があり、そこで寝ていることが多かった。
次第にこの休職にも陰りが見え始めた。
一緒に暮らしている祖母が、僕が毎日隣町へ行って時間をつぶしていることを近所に言いふらしていたのだ。
近所に気を使って毎日死ぬ思いで外出していた努力が水の泡だ。
まだ症状は回復していなかったが、長期の休職も限界が来ていた。
体重は10キロ増えていた。
貯金が底をついていた。
僕は職場に復帰することにした。
結末としての死があるとして
そこにたどり着くまでの経緯は人それぞれだ。
僕は「身辺整理」をけっこう長い間やってきたので
その行為について考えてみたい。
「いつ死んでもいいように」というのが身辺整理だ。
まず、何からしなければいけないのか。
それは「物質的な身辺整理」だ。
はじめにやるべきなのは
と書こうとして、ちょっとちがう気がした。
僕が初めにやったのは、という話だけれど
「所有」
に関する身辺整理だ。
持ち物をとにかく処分していく。
何を処分して何を処分しないかの基準は
「旅行に行くときのトランク」
に持ち物を全部詰め込めるか、というところにあると思う。
何を減らしていくか、ではなくて、何を残すか。
その「残すもの」以外は捨てる。
そんな感じだ。
たとえば、着替え、洗面用具、何冊かの本。
アイポッド、パスポート、免許証、健康保険証、通帳、キャッシュカード。
洋服はドレスコードを決めてそれ以外は捨てる。
たとえば無印良品のボクサーパンツを4着。
インナーシャツを4着。
靴下を4足。
ボタンダウンシャツを4着。
カーディガンを2着。
セーターを2着。
チノパンツを4着。
色は黒、グレー、白、ベージュのうちどれかにする。
本当に必要なものだけを
本当に必要な分だけ。
それ以外は、全部捨てる。
それは旅行だったり、登山だったり。
そんな「非日常」へ行くときの荷物と似ている。
貴重品は、ファイルを作ってその中に納まるようにする。
たとえば冊子タイプのクリアファイル。
その中に必要な書類は残して、それ以外は全部捨てる。
通帳やパスポート、年金手帳、必要な写真、手紙をほんの少し。
もらったけど捨てられない手紙や写真は捨てる。
住所は携帯電話の電話帳に入力して、データお預かりサービスに登録する。
持っている本は図書館に寄贈する。
電化製品や娯楽グッズなど再利用できるものはリサイクルショップに売る。
なるべく持ち物を家族と共有にする。
必要ないものでだれかほしがっている人がいたらあげる。
「処分」「売却」「譲渡」「共有」
これによって、だいぶ持ち物がすっきりするはず。
持ち物がトランクに納まるぐらいになったら、次はインターネット。
インターネット上のアカウントを消す。
mixi,facebook,twitterのアカウントを削除する。
google,yahooのアカウントを削除する。
インターネット上のアカウントをすべて削除する。
ホームページもブログも解約する。
契約しているのは携帯電話だけ。
通話とメールで必要最低限の通信手段を確保しておく。
これで「所有」の身辺整理は終了。
続いて行うのは「所属」の身辺整理。
自分が所属しているものを必要な限り脱退する。
趣味のサークルとか、かけもちしているアルバイトとか。
一つに絞る。家族と、仕事のふたつは切れないかもしれない。
所属している団体が絞れてきたら、きっと身軽になる。
ここまでで「物質的な身辺整理」は終了。
ここからが「精神的な身辺整理」の開始。
「思考」と「感情」を整理していく。
今までの生い立ち、人生、を振り返って、自分が考えたこと、感じたことを書き出していく。
書き出したものはプリントアウトして要約する。
また書き出して、プリントアウトして、要約する。
これを何も書くことがなくなるまで繰り返す。
書いたものを、一つの物語にするといい。
考えていることや感じていることの全てには実は「価値がない」。
縛られている自分自身から解放されると、楽になる。
「どうして死なないの?」
2ちゃんねるのスレッドで物語を書いているときに、こんなレスをもらった。
物語に自分の思考や感情をまとめている間は、死ぬことは考えられなかった。
身辺整理が終わらないと死ねない。
そう考えていた。
そして、身辺整理が終わった時、僕は死にそうになった。
雪道の高速道路でスリップし、交通事故を起こしたのだ。
奇跡的に無傷だったが、あの時、僕は死んでいてもおかしくなかった。
学生時代から、希死念慮があり、身辺整理を続けていた。
そしてその身辺整理「物語にまとめる」ことを完成した途端、交通事故に遭った。
その事故の後、鬱の症状が出始め、そして休職に至った。
休職から復活した今、僕は「いつ死んでもいいように」生きている。
職場でも、重要な役割を任せられることはなくなった。
引継ぎ用の書類も作ってある。
必要最低限の身の回りのものだけで生活をし、誰でもできる雑用を進んで引き受け
いつ死んでもいいような心構えで生きていくこと。
死ぬ準備はできている。後は死ぬだけだ。
このスレッドで少しは身辺整理の方法が記録できたと思う。
4月1日から新年度が始まる。何かを終わりにするにはちょうどいいタイミングだ。
「もう思い残すことはありません。以上です」と退職する同僚が言った。
その通りだ。
それでは。
45 :
優しい名無しさん:2014/03/30(日) 20:09:09.12 ID:YCaRpBY8
なにこれ?
46 :
優しい名無しさん:2014/03/31(月) 05:06:53.09 ID:k2PGyE+N
創作?
47 :
佐村河内詐病 ◆6DEvbiTbDY :2014/03/31(月) 10:13:42.06 ID:AN1a6gVX
老衰で死ぬんだから普通身辺整理するよな。
48 :
優しい名無しさん:
自己陶酔が激しい
そういう病気なんだろうな