親しくなると挑発的になる人は結構いる印象あるなあ
単に自分の子供時代に見聞きした言動が他人と親しくなると出てくるだけだったりとか、
家庭内いじめの記憶から理不尽を通す事で上に立たないと自分がやられる恐怖があるとか、
自分の評価がどん底なほうが安心するとか、どうせダメだから相手に早く見限られてしまいたいとか、
毒親とそれに従った自分を弁護しようとすると基地外じみた人にならざるを得ないとか、
ACゆえの色んな理由があると思うけど
こういうのを子供相手にやりたい放題やっちゃうと毒親になっちゃうな
確かに、ずーっと居場所探しを続けてる感じ。
見当たらない、と見切ったときに引きこもり。
自分で外に居場所を作りにいくには、最初に家庭内で訓練してないと
基礎が出来てないからちょっとしたことですぐ潰れて、諦めてしまう。
そういう現実に本当は気づいているんだけど、一生懸命蓋をしようとしてきたけど
以前なら有効だった映画や音楽といったものを使っても、自分で自分に隠せなくなってきた。
朝、目覚めた時が最もニュートラルな状態なのか、自分への絶望感が酷い。
なにをしても見捨てないって言って欲しいんだよね。
でも、そんなもん赤の他人に求めるなんてずうずうしいにもほどがあるって充分承知。
自分が他人に求められても困るだろうし
>>402 あああ、わかる。
居場所探し続けたけど無いし、見切って引きこもるのも音楽や映画やらでも誤魔化せなくなったところも同じ。
いっくら探しても居場所はないし、一時的に居場所だと思えた場所も消えてしまった。
結局自我・自己(?)がしっかり出来ていないのが全ての元凶、私の場合。
何も積み上げられない。
ママ友を作るのが苦手で、そのままひとりできた。
学校を卒業させたら、ママ友がいない寂しさみたいなのも終わると思ってた。
イマドキの成人式って、ママ友同士誘い合って、お式見て、ママ友同士でお茶飲んでから
帰るんだね。
今日、知ってショックだった。
もし、今、お子さんのいる人がいるなら、がんばってママ友、作った方がいいです。
ママ友の付き合いは一生のものらしい。
>>402-404 みなさんの投稿を読んで、ここが自分の居場所って感じた。
ずうずうしかったらゴメン
家が嫉妬と妬みと意味不明なルールに支配されている。
こういう人達とは距離を置いてマトモに相手したらいけないし、離れるのが一番いい。
今、はじめてのおつかいを見ていて感動とは違う意味で泣いている。
自分がacだと知ってからはいつもこんな感覚だ
ひたすらはじめてのおつかいのような人生だった。
しかしゴールがない、良くやったねと抱きしめてくれることがないはじめてのおつかい
>>401 人生脚本とかシナリオの中にバッドエンドになるような罠が仕込まれてて
ある程度仲良くなると自動で発動するってやつかもしれないですね
TAとかいう心理学の分析でキックミーってのがありますけど
ACはこのゲーム理論でいうキックミーをやらかしやすい感じがします。
なぜなら幸せになってはいかんとか!他者と仲良くするなとか
妙な認知が入り込んでるからとかがあるかもしれません。
はじめてのおつかいを見るのが大嫌い。子供は好きで見てるけど、
どんなこと思いながら見てるんだろう。
見てると親が子供を大切にしてるから。子供も親大好き。うちでは考えられない。
抱き合ってよく帰ってきたねーって号泣とか。
何も教えてくれない、させてくれない母だった。「いらんことするな」って
家事の手伝いも一切させない。
野菜を買ってくるように一度だけ頼まれたことがあったけど、見えないところが
傷んでて罵倒されて以来、買い物は未だにトラウマ。
習い事はどうやら親の思惑が絡んでさせてくれたけど、そこで何かのきっかけで
先生から生徒全員に自宅の住所を聞かれた。私だけ答えられず。
私は住所なんて知らされてなかった。当時小一。小四の時、バスの乗り方も知らなくて
社会見学でも恥かいた。
バスは結構乗ってたけど、料金の払い方を知らなかった。
そういえば「可哀想」という言葉が大嫌い。
母はテレビを見る度に「まぁ〜可哀想」という。恵まれない子供たちに向けて。
それを聞く度に凄くイライラしてた。
私には言ってくれたことなかったから。
いつも罵倒ばかりだったから。
高校の時イジメで目を蹴られて瞼腫れて青タン作ったけど、目もくれず登校命令。
担任やクラスメイトたちが驚いて慌てて、すぐ帰って病院に行きなさいと
言ってくれたことが不思議だった。
今ならわかる。それが当然の行為だったと。
帰宅中にこけて足捻って歩けなかった時も、母は一言「仰々しい」。
翌朝レントゲン撮ったら骨折だった。それでも自業自得みたいな言われ方だった。
それでも母の愛情がずっと欲しかったんだなって思う。
でももう諦めた。
名前も「お姉ちゃん」とも呼んでもらえない。私は手先としてしか機能しない
道具だと認識したから、もう諦めた。
怖いのは世代間伝播。もう自信がない。
幸い同居はしてないけど、何かある度に絡め取られるような感覚が辛い。
もしかして毒親スレが向いてたかな。ごめんなさい。
>>409 私の言動もそれにあてはまるのかなと思った
親しくした人との別離が毎回同じようなパターンで、嫌われるのが怖いから自分から切ってた
理由も告げずとんずらの末に音信不通とか
この場合の認知の歪みってなんだろう
いくつか考えたけどしっくりこないよ。複合的に合わさってるとかなのかな
正直まだよく分からない
「人生脚本」を書き換えないと、認知も変わらないな。(思い込みの修正)
自分はひきこもりから脱出してきて、少しは変わってきた。
そして思いがけない方向へ変わっていくこともある。
ひきこもり経験自体も、ある意味きっかけだったかもしれないと思えてきてる。無駄ではなかった。
人生脚本を知ると、自分で自分の思い込みは変えられて、
自分に対する制限・制約をはずしてもいいかも、と思えてくるのでおもしろい。
>>411 tp://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/basic/transactional004.html
この中だとどれになりそうですか?
実家にいると
せっかく少し自分を肯定できたかなと感じても
家族の気配を感じただけで頭が混乱して
からだがぎゅっとなる
親の理解できる「まとも」な自分でいようとしてる
実家が狭くて音が筒抜けだし
>>414 自分も一緒だ。
家族から離れて暮らしていると普通なのに、実家にいると何故か「理想の子供」を演じようとしてしまう。
親にとって都合の「いい子」であって自分じゃない。
家族といると変になる。
家族そろって食事したら気分が悪くなって部屋で横になってしまう。
ペットを飼うのは有効なんだろうか?
>>416 臨床心理士によると、ヒトによって合うものは違うらしい
「Aさんに合った方法が、Bさんには合わない」とか
実際にやってみないとわからないから、
「ペットを飼うのが自分に有効かどうか?」を試すためにやってみたら?
>親しくした人との別離が毎回同じようなパターンで、
>嫌われるのが怖いから自分から切ってた
自分も同じ事してた。
何のトラブルもないのに、先方から切られるのが怖くなった時に
音信不通にして、
自分から連絡とらないように先方の連絡先を全て削除してた。
でも、現在、老人に差し掛かって、切実に新たな出会いがなくなり
自分から切った事を後悔してる。
将来、心の状態がよくなったときに「誰もいない、新しい出会いもない」では
シャレにならないから、「切られたら怖い」という不安をぐっとこらえてほしい。
もう誰にも自分の二の舞をしてほしくないです。
>>411 回避性じゃないかな。
自分はACと知ってよくよく調べてみたら回避性パーソナリティ障害にびっくりするほど当てはまってた。
wikiに定義が詳しくあるよ。
回避性は、そもそも誰とも親しくなんてできないよ。
勘違いしてないか。
ペットを試しに飼ってみて、ダメだったら、どうすんだろ…
そんな気安く考えられても
>>420 表面上は可能な人もいる
嫌われるのが怖いので、実際に嫌われる前から保険をかける(浮気性)
相手がこっちを見たら、ますます面倒なことになりそうなので浮気相手のところに行ってしまう
目が濁ってて、微妙に派手なファッションをしてるけれどちょっとくたびれている感じのチャラ男
そんなイメージ
自他境界の問題は
1.侵入される問題 ← 親との関係その1
2.侵入してしまう問題 → 友達を失くす
この二つだけだと思っていたのだが、
3.侵入するように仕向けられ、 ← ちなみに、親との関係その2
パターンA:お茶を濁すかのように侵入してしまう
パターンB:侵入はしないが、漠然と借りを作った気分になり次回に譲ってしまいやすくなる
これがあることに気づいた
軽くかまってもらえれば満足、軽くかまえれば満足というのであればいいのだが、
自分の親の場合、
「(おまえにとっても)世界の中心は俺/アタシ」というモードに移行する
普段、自分のターンがなぜか回ってきていないと思い込んでいるらしく、
俺のターン、アタシのターンというようにやりたがる
もう疲れたよパトラッシュ
まるで悪い異性に引っかかってるようだ、と思う
要するに、気持ち悪い
親子関係であれ、男女関係であれ、友達関係であれ、
共通する基本は変わらないのかも知れない
気持ち悪くないのは大事だと思う
書いていてふと思ったのだが、
3.(こちらが親に)侵入するように仕向けられる
というパターンがあるなら、
4.(誰かをこちらに or こちらを誰かに)侵入するように仕向ける
というパターンが存在しないのが、むしろ不自然だなこれ
もうさ、三者関係になるとさっぱりわからない
欠席裁判の後に不意打ち系獄門打ち首市中晒しなわけですんで
回避性じゃなくて、境界性か何かじゃないの?
その他人格障害については、よく知らないが。
回避性は対人恐怖が強いんだから、人と関わることなんてムリな結果、回避する。
まあ他人の境界に侵入しまくる人はいるね。
本来聞いてはいけないような個人情報まで聞いたり。
>>55 希望の光に導かれて
アルコール依存症者の両親へ
新たな始まり
傷は癒されて恵みとなった
アルコール依存症者の家族の為のガイド
>>418 自分も同じだ…
子供の母親付き合い(いわゆるママ友)を子供の卒園と同時に
メール送受信拒否、年賀状も1通も出さなかったし来ても返していない
昔から、こうやって切ってきた
子供の頃は転勤族で引っ越しのたびにバッサリ切っていたから長い付き合いの友達もいない
見捨てられ不安ってやつに当てはまる
メールって相手の表情が見えないから怖いよね
怒らせたらどうしようとか考えちゃう
>>401 わかりすぎるw
私は、「悪いところを突かれても出さない、無条件に変なことや失敗しても笑わず怒らずやさしく対応する、
出来ない人の気持ちを考える、それが人間の証だろが」って思っていた。
負のストロークのコミュニケーションしか知らず、安心感を求めていたからだと思う。
最初は正のコミュニケーションの感覚に不信だったし、
優しい人や不良系に、安心感を求めたり、イヤなのにわざわざ何かと正論言って嫌われに行きたくなる、謎のむずむず感があった。
何されても悪いところを引き出さないのは大切だけど、
そうやってコミュニケーションそのものがズレてくのは痛かった。
>>412 ↑を通じて成長して、
「アイツ癖あるけど別にいっか」って感覚と、「みんな仲良くして初めて平和だろうが」って観念の綱引きが起きた。
人生脚本は、自分の感覚を優先すれば良くなると信じてる。
今はそれで良くなっている。
>>400 ACも、共依存もボーダーも回避性もその他人格障害も、
行為のことを言ったり通称だったりで、
名前は違えどほぼ同じと思う。
411です。色々意見ありがとう
回避性は調べてみたら確かに当てはまってるとは思ったけれど、何かしっくりこない感じがあった
回避はするけど、最初から回避しているわけでも回避ばかりではないからかな?よくは分からないでいるんだけど
境界性じゃないかっていう意見にそちらも調べてみたけれど、むしろそちらの方がしっくりくる感はあった
ただ他者への攻撃性や人間関係をひっかきまわすようなことはないからそこがよく分からない
外で感情的になったことはないし喧嘩などもしたことがない
普段人間関係は結構良好だったりする。自分で言うのもなんだけど人には好かれやすい
まあいい子を演じてるからだけど。客商売で培った作り笑顔と接客術もあると思う
割とどういう言動をすると好かれるか計算して動くところがある。でもこれは仕事上だった気もするし違うかな
でも計算でなくても親や職場の人にプレゼントしたり手伝いしたりしてたし、これらが負担になっていたし見返りが欲しくてやっていたのかなと最近は思うようになった
あと少し親しくなると同情を買おうとするようなところがある
>>413のだと「大騒ぎ(ひどいもんだ)」「苦労性」は当てはまると思う
でも他にも当てはまるようなはまらないようなっていうのはあった
あの、今一般的に出てるパーソナリティ障害の本って、引っ掻き回しをボダにカテゴライズしてるけど、個人的にはあれやるのは自己愛だよ。
・・って言っても専門家がそうカテゴライズしてっからしょうがないけどw
個人的な経験とかからだけど、ボダは暴れてめんどくせぇし、理想化とこき下ろしはやるけど、仕組まないんだよ。
自己愛は暴れない、表向きいい人なんだけど、仕組むし、なんていうんだろう、あの
自己愛のまったりとした共感性の無さってのは。
あの、ボダみたいな「わかって!」っていう切実さは無い。ただ、自己愛のほうが当たり前のように人を貶める発言とか侵入的な行動をする。
あんまりにもあっけらかんとすごく相手を傷つけたり貶めたりすることを言うんだよ。
普通の人、ってのはアレな言い方だけどwまぁ、普通の人はそこで「なんだこいつ、はぁ?」ってなるんだけど、ACはそこで鈍いし、変な耐性ついてるから、一瞬わかんねんだよ。「悪気があるわけじゃない」とか否認もするし。
で、つもりつもって病気になったり、爆発したり・・すればいいけど、自己愛が仕掛ける主従関係にすっぽりハマるんだよな。
あー、
自分が悪者にならないように引っ掻き回すのはボダで、相手を陥れるために仕組むのが自己愛かな。
>>普通の人はそこで「なんだこいつ、はぁ?」ってなるんだけど、
>>ACはそこで鈍いし、変な耐性ついてるから、一瞬わかんねんだよ。
>>「悪気があるわけじゃない」とか否認もするし。
そう、自己愛、ボーダーに限らなくても
貶める発言をされたり
約束を破られたりすっぽかされたりしたとき
普通の人は「なんだこいつ、はぁ?」となるところ
許してた
親の口癖が「悪気があるわけじゃない」だった
自分は病気になったり主従関係にはまったりしないけど
けっこうエネルギー・時間・チャンスを奪われて疲れる
>>421 それ回避じゃないよ
保険をかけることすらできないから
>>431 回避はプレゼントとか手伝いができないっていうか苦手
対人関係でどう振舞ったらいいかわからずに回避してしまう
これからはウソつかれたり
約束破られたりすっぽかされたり
傷つけられたり貶められたり
思いっきり軽蔑して距離をおこうと思う
大切な人で言ってわかりそうな相手ならアサーティブに言うけど
相手を見てボダや自己愛臭かったら距離置きする
嫌な奴には抗議する、嫌う、離れるが
人間の自然な反応なんだけど
ACだと小さい頃に親に過度に
ウソつかれたり傷つけられたり
貶められて、それでも親を軽蔑してはいけない、
尊敬しろ、笑えと親にしこまれてるから
自然なセンサーが働かなくなっちゃってるんだよね
ブラック企業や昭和の上司相手なら
そういうACは適応するしね
回避性でやってた自分には、自己愛ボダのかけ引き?が全く理解できない
まあ、相手にされないタイプなのかな
なにかされても反応しないからなw
職場とかで温和ないい人たちに囲まれているような気がするが、
それでも相手にされてないしなあ
どこでも孤立
>>436 あの・・・そうか。
もちろん親はそれが自分にとって都合がいいわけだからそういうふうに囲い込むんだけど、子供はそこに適応していくしかないわけよ。
生き延びるためには適応していくしかないんだから。
「ここのうちの子でいるのは嫌だからあっちのうちの子になる」ってわけいかないからさ
・・って、書いて、改めて「自分もそうだったんだよな」って思ったわ
しょうがなかったところが大きくて、恥たり、自分で自分を貶めたり責めたりしなくていいのかなってさぁ、
>>433 悪気があるわけじゃないで許されるのは小学生までだと思う。
大人になったら悪気がないほうがむしろ罪が思いことが個人的には思うよ。
悪気はなかったで済むなら警察いらねってさぁ。
多い が抜けてた。
悪気がないというのは、
悪意あることをされるとACは
ひどい扱いをされたという自分を恥じてしまうから
それを回避してプライドを守るための言い訳なんだよ
ACでなければ悪意があることをされると
「なんだこいつ、は?」と相手が悪い、
相手が信用できないと判断するのだけど。
言い訳することで
カモ・タゲを抜けられず泥沼にはまるw
普通の人もACも大人も子どもも関係なく、
「悪気がない行為」こそ躾されるべき行為。
ただACは、普通の人よりはいわれやすいだろなー
自分はACで悪気がないけど変な行為が多かったから
カウンセリング・精神療法・AC本で矯正したけど
他人の変な行為に甘いのもあるな
悪気がなくて言ってわかる人もいれば
悪気がある人もいるし
悪気がなくても言ってやめてくれないなら
距離置いたほうがいいだろうね
>>434 多分、AC同士が恋愛すると陥りやすい「恋愛依存と回避依存」の関係でいう回避のことを言ってると思う。
恋愛依存は「何か問題をかかえていそうな人」を選んで世話したがる。そしてこの人しかいないと思いこむ。
回避依存は人と密接になると切られる不安を感じて自分から離れようとする(もしくは、離れようとすると縋ってくる相手を見て安心し、自己価値を再確認する)。
で、切られた時のショックを最小限にするために保険を何人かキープしておく人もいる。
この二人が恋愛すると回避依存が逃げて恋愛依存が追って、だけど恋愛依存が諦めようとすると回避依存は再び甘い言葉を言って
延々と不安定な関係は続いていく‥っていう。
回避性パーソナリティー障害とは違う意味だと思う。
最近、ACの人って、どうでもいいことにこだわって、ねちねちして気持ち悪いと感じるようになってきた
こだわり自体がキモイのではなく、
自分の中のことにしておかず、他人にいちいちねちねちしていかないと気が済まない点が
当人は崇高なつもりだけれど他人にはどうでもいいことだという、自己イメージのギャップに気づいてないせいというか
多分、思春期とともに卒業すべきことなのだろうな
ねちねちしてるのACじゃなくて毒親じゃね?
>>445 自分(の問題)が人に理解されにくいから、そこの弱さを知ってるのもあると思う。
怒るべきこととか相手の人格そのものとかと、どんぶり勘定しなければいいよ。
ACは、うまくいけば相手の見えにくい繊細な部分に気付ける人間になれると信じてる。
>>432 同意。ネットでも自己愛をボダ扱いしてる人多いけど違うよね。
自分は自己愛の遭遇率の方が高い。見ただけでだいたいわかるよw
>>448 親に毒された結果、本人もねちねちするようになるということも
俺もそういう所は心当たりあるわ
他人からしてみればどうでもいいような所に異常なほどこだわり
しかもそれを自分だけの問題として片づけず他人にまで強要する
気付けばそれは自分が何より憎んでいる親と全く同じ行動というね
頭ではわかってるんだけどいつの間にか体が勝手にそう動いてる感じ
最近でこそそういうのは少なくなってきた(ような気がする)けども
気付けばまたやっちゃってるのがもうほんとに嫌になる
ネチネチっていう意味合いが曖昧かなあとは思うけど
でもサバサバ、ザックリしてたらACではないきがする
私自身もネチネチしていると思うし。拘りが強いし完璧主義だから
>>452 そうしたくなる衝動があるの?
あと、頭でわかってることと身体が動きたくなることって、
どちらをとるかで葛藤とかありますか?
>>450 ACから回復していって、カウンセラーになってる人がそんなタイプやろな
回復しない状態のままでカウンセラーになってる人もいるので、厄介なんだけど…
>>446 それ、恋愛依存じゃなくて、まんま共依存なんだけどw
水島広子の
「自分でできる対人関係療法」という本を読んだ
なかなかよかった
年末年始にここを覗きながら
心理学の本を5冊も読んだ
大掃除や帰省旅行ができなかったけど
自尊心が育って人格障害者がいることがわかって
目から鱗が落ちるような休暇になった
いろいろカキコして教えてくれた皆さん、ありがとう
>>454 衝動、というより何なんだろうな
何かしら特定の条件が重なるとその行動に出てしまってる、という感じ
例えば特定の話題について喋ってるといつの間にかスイッチが入っているとか・・・難しいな
どちらを取るかの葛藤も何となく違うような気がする
変な言い方だが「理性を取って余計なことを言わずにいる」のも
「体が勝手に動くのに任せて言うだけ言い倒す」のも「どっちも間違ってる」という感覚がある
理性さえもコントロールできてないというか
どのルートを通っても、気がつけば「やっちまったぁ・・・」と頭を抱えてる的な
>>459 お返事ありがとう。
私はそういう時に、ねちねち言いたくてうずうずする衝動と、まあいいかって冷静な感覚がいちいち葛藤する。
“衝動”って言い切るけれど、自分なりに本読んだりして考え、
だんだん前者は隠れた怒りや甘えの感情が、コミュニケーションを乗っ取ってるように感じてきて、後者の方が身体的な勘が働くから選んでいる。
そんな見えない感覚は、他の人はどうなのか、知りたかった。
悩ましいね。
何か、落としどころが見つかればいいけれど。
それでも、親と同じ行動が減っているようだし、気持ちはわかるが焦っちゃダメだよ。よくやってるよ。
今思いつく選択肢の中から、ああいい人生送れそうだ、って感じられる選択を採れたらいいですね。
私も会話の中でそういう衝動が心の底から湧いたりすることがよくあったし今もある。
言いたい体をおさえて何も考えないようにする。マインドフルネスのように呼吸に意識を集中させる感じかも。
明日ママがいないを単に愛菜ちゃんの演技見たさで見たのが間違いだった
ママに捨てられた
この単語が突き刺さった
いい子にしてたらママやパパは迎えにきてくれると思ってた
だからおばあちゃんのところでひたすらいい子にしてた
表向きだけで裏側では自分はいらない子どもなんだと強く思っていたから
今も彼氏に依存して
いい彼女でいるからいなくならないで!!
って思って不安になる
いつになったら自分の存在を肯定できるようになるんだろう
いつになったら〜っていう考え方が他力本願なので
その思いが続く限り、いつなっても変わりません。
そうやって説教をすることも、
他力本願の姿勢を助長することになる
そういう意見って助けにならならないの?
確かに何言われても結局気付くのは自分だし受け止められない時は気付けないと思うんだけど
そういう意見もあってもいいんじゃないかなーとは個人的には思ったんだけど
どうしてよくないことになるのかが私には分からなかった。私が鈍いのかな
あんたの意見は、それ
自分の意見は、違う
意見を持つのは勝手だし、押しつけようとするのも勝手
正しいことは与えてやるのが正しいと考えるのは勝手
でも、あんたの意見は要らない それが自分の意見
いらないならスルー
相手の言葉や態度に過敏なんだよな
自分の口を塞がれたくないなら
他人の口を塞ぐな
>>465 助けにならない
経験上として「自分で自分を助けることは不可能」と刷り込まれているのがACというもの
だからその状態から抜け出すのに、まずは他人の助けが必要になる
自分だけではどうあがいても抜け出せない落とし穴から脱出するのに他人に助けて貰うようにね
自分ではどうにもできないというのを経験上「知ってる」ために
「お前の考えは他力本願だ」とか言われると
「そうか、じゃあもうこのままでいいや」と諦める方向に突っ走るんだ
というか、そもそも他力本願だということは他人に言われるまでもなく知ってるだろうし
それが甘え以外の何物でもない事も知ってるだろうね
ACというのは「知っていても、知っているからこそ抜け出せない」と絶望してる
だからこそ「最初だけは」助けて貰う必要があるんじゃないかな
スルーと書くのは勝手だけれど、おまえの意見も要らない
自分の行動は自分で決める
おまえの意見は参考にしない
>>468 ふさいではいない
言うのは勝手だが、受け取らないと言っている
その違いを理解しないのは、おまえの勝手だけれど、
ふさぐのと、受け取らないのとは、異なるというのが、自分の意見だ
おまえにいってない
>>466 うむ、その通り
だからアナタの意見が無視されるのもアナタの勝手
反論されるのもアナタの勝手
アナタが虐待されるのもアナタの勝手
答えは人それぞれだよってことになるけど
私の場合は人に手を引かれて立ち上がったらそのまま、
手をつないでもらって同じところをグルグルまわってるだけだと思う。
前に進むよりも、手をつないでもらっていることのほうが大事になってしまうの。
自分がつくづく受動的で、依存心が強く、反応しかしないヒトだから、だからこそ、
ホントの最初の立ち上がって声を出す時の、最初の一歩は、自力でなければ続けて来れなかった。
465だけど
単純に自分自身が理由が分からなかっただけで批判したり否定したりするつもりはなかったんだけど
そういう風に取れたならごめん。言い方が悪かったのかも
>>469 説明ありがとう
自分には厳しい意見は自分のためのもので受け止めるべきものだっていう思い込みもあるのかも?
回復したいと思って立ち上がって歩き出したあの最初の時に
自力で一人で踏み出したことは
今も何度思い返してもすごく大事。
あれから躓きがなかったとは言わない、しょっちゅう躓くわけだが
その都度、再び立ち上がる時に、一人で自力なのが今につながってる。
それまでほっとく周りも偉い。
むろん、
対人関係でも、出会いでも、意見を向けられるでも、天気や森羅万象みたいな働きかけで、それで、
もちろん、深く気づいたりすることもある。けど
でも自分は「人の手を差し伸べられてその手につかまって立つ」っていうのはイヤハヤどうもダメだ
他人様の思う私の解決と、本来自分の私の解決が異なるってことがげんぜんとある
人に手を引かれると何だか訳のわからない迷路に入ってしまうようだよ私の場合。
でも「人の手」って何かスゴいよね
自力で気づくためのヒントや自分でその気になって調べるものも
結局ほとんど誰かの言った事や書いた事なんだけどな
誰かの一言がきっかけで目からウロコが落ちることってのはあるし
繰り返し指摘される事で刷り込みが変わっていくこともあるんだよ
他人同士の会話が自分のヒントになることもある
>>464は「自分は〜と思う」とか「こともある」と付けるべきなんだね
無駄だ逆効果だと自分の思い込みできつい横槍を入れてたら
誰かのチャンスを奪ってるかも知れないよ
他人がどう言おうと、まずは自分がどう思ってもいい、と許している。
だから、他人の意見も、一つの独立したモノとして受け止められる。
あと、耳に痛くても自分に必要だ、と感じられるから、受け入れられる。
「己の欲せざるところは人に施す勿れ」と言うが、
批判の先に、願うものになりたい自分がいるのなら、なれない方が辛い。
相手を傷つかないように発言するが、言い方を工夫したり、言ってるこっちも覚悟して、批判する。
......まあ、失敗も多いけど。
>>477 がんばろう!
私も頑張る
>>480 ありがとう。うーん私ぜんぜんガンバレナイヨ。でもエールをありがとう。
何度も当てにしてはダメだったあの魅惑する人の手っていったい何だろうと思うんだけど。
人の手につかまって進むと自分の認知のない処を歩く様になる。
例えで、盲人が音も頼りにできない渋谷の雑踏に手を引かれて進んで行って
交差点の真ん中で「ここまで来れて良かったね、じゃあね」と手を放されるような。
渋谷の交差点に来たかった訳じゃないのに。
そこで一人で立って居ても自立はない。恐れでは無いんだ。
そこにいても益も喜びもない。自分の生きて味わえる喜びは違う場所にあるという
私は自分で気づけている道を
気づく可能性のある道を、自分の感覚器で認知できる道を
乏しくても自分の認知に従って自分の速さで進みたい。
足りなくても不十分でも気づきを重ねて進む。人の手を頼ると想像外の場所に行き、
途方もない経験ができるに違いない。けどそんなところに連れ出されても究極には
人をずっと必要で、人の手がよすがになるだけなわけ
恐れでは無い。認知できない経験に、情報で仮想な臨場感を得て仮に褒められても
カルト教団にいるようなもんで。
弱くても狭くても、他人には魅力なくても、自分の喜びのある所に辿り着かないと。
こんなに議論が深まってるとは
助けを求めるのと、依存とは全然別ものなんだよなあ。
求めるためには少なからず自分の考えが必要になる。
依存してるだけなら、誰かに委ねてるだけで済む。思考停止状態。
助けじゃなくて依存になると主体性が失われるってのはあるよね
助けっていうのはあくまで補助的なものであるわけで
依存状態だと、「どのように助けてほしいの?」と聞かれても答えられない。
具体的な自分の考えがないので、どうしてほしいか?も分かってない。
漠然と、不安や孤独感をどうにかしてほしいと、無茶なお願いをしてしまう…
あーあーあーなんだこのがうっとおしい流れはw
>>463が言ってることは若干ピンポイントで突っ込みすぎだが間違ったことは言っちゃいねーよ
「腹が減った」って寝っ転がって空眺めてても都合良く口にあんころもちなんか落ちちゃこねーよ
それを環境だ刷り込みだグズグズ言ったって落ちてこねぇもんはこねぇよw
そんなことごねてる体力あるならよlesよれだろうがすっ転びながらだろうが立ち上がって動けっての。
そういうときに「助けてやろうか」って差し伸べられる手ってのが本当の助けだよ。
はっきり言うけど簡単にはでてこねぇぞ。
「こんなにやったけどダメかも死ぬかも」くらいの時に出てきたりたどり着いたりするんだよ。
寝っ転がってごねてるだけのやつにわざわざ親切丁寧にお口まで喰いも運んでくれるやつなんて回復してない共依存のお仲間だけだってのw
口汚く底つきについて語ってみたw
>>469 バカも休み休み言えっての
「自分ではどうにもできない」って解ってる、って最初から諦めてる奴なんか誰も助けねぇし、助けられねえんだよ。
それすら「助けてくれない」って他力本願なんだろ?
そんな奴には助けの手なんか誰も差し伸べない。差し伸べたってなんともできない。
裏返したら助けがなきゃ助かろうとしないし、だから助からないって、そんなのマトモな奴は気づきもしないで通り過ぎるが、気づいても「お気の毒に」って心の中で手を合わせて通り過ぎるよw
天はわが身を助けるものを助ける
天だけじゃねえよ、人間も同じだよ。
ネットの距離感だから親切に説教もできるけど、実生活なら全力で関わり断ち切るわw
お助けだ、ありがたいと思っておけカス
なげーよ
心の中に少しずつ自分の価値観を築いて、誰に何されようが言われようが侵されることのないスペースを作れば依存はなくなるよね…
すぐには難しいから、現状上手くいかなくても構わないくらいの気持ちで少しずつ
>>488 言えるのはそれだけか?w
じゃあじっくりしっかり読んでおけよ
>>489 あのさー
嫌な事言われたら「嫌だな」って思うのは普通だし、解ってもらえなかったら悲しいし淋しいし、バカにされたら頭にくるの
大事なのは、いちいちとらわれないとか、全てが否定されたように受け取らないとさ、振れ幅を小さくすることだと思うよ
あんたのものいいは「絶対〜されまい」なの
それは感情鈍麻と否認でしかないから
ACスレ来て否認を共感してどーするっての
本末転倒だっての
あ、共感じゃなくて、強化、な
他人がどう思ってるかすごく気になるために
自己がないように感じてる人ってそこそこいると思うけど
治し方はどうやればいいですか?
スル検
>>491 侵されないは乗っ取られないという意味ね
心の操縦権を完全に相手に受け渡して依存状態になってたことが多かったので
誰に何されようが〜は、仮定なので文には入れたけど意識はしてないよ
自分の心に従うのが怖い。
ピカソは故郷を爆撃されたその日のうちに、怒りでゲルニカを描き始めたそうだ。
例が偉人なんで何とも言えないが、できる限り心に嘘はつきたくないな。
>>495 はいはい、そうやってつっこまれりゃコロッコロと話変えてなw
意識しないてその言い回しって言うなら、そういうところを意識しないと、何も変わらないんだよ?
その、プリセットされてる全か無かの思考と否認を解かなきゃよくなんかなんねーだろよw
ま、それ以前に解ってるけどな。
変わる気なんてさらさらねーだろ?w
ま、ダメなもんはダメ
出直しておいで
自己愛のグダグダの言い訳の逃げ回りなんかにつきあえねっての
ずけっと言っとくわw
上から目線の人間ってどのスレにもいるけど
だいたいろくでもないね
>>499 はいはい負け惜しみの捨て台詞
惨めだなw
自分を惨めにしているのは、お前自身なんだぞ?