本当の自己愛かあ
優越感=自信ではないみたい
本当の自己愛、本当の自信ってものを考えてみると、やっぱり「他に利する自分である」ことしかないと思う
そんな自分なら愛おしく思えるだろうし、そしたら自然と自信も出るだろうと思う
ただ、仮にそれが出来たとしても、それすら優越感に曲げてしまう程の自己中性を持つのが自己愛だと思う
自己愛も人の為に動く事は出来る
でも自己愛性の人は、少しでも自我を出せば自己愛になる(100%自己中心)
つまり常に自信にあふれている状態で居るためには、常に100%人の利のために生きて居なければならない
と思う
自己愛性の病理は愛着スタイルの育成に失敗し、「認知が歪んだ」点に集約される。
だから理論的には「愛着形成の再構築」のプロセスを踏む以外には、根本的な改善点は無いとされているね。
ただし自己愛性も、他者に対する弊害は年齢を重ねるごとに縮小化する傾向がある。
これは
・加齢による身体機能低下
・加齢による社会的地位の低下
こうした「超えられない壁」を体験する事により、「誇大自己」の及ぼす範囲が狭まるという傾向。
境界例のように加齢によって経験を積み、結果自己と他者の在り方を学んで症状を脱するケースとは、やはり雲泥の差があるように思える。
ただし愛着スタイルの形成と人格障害とは密接な関係がある事が判明しており、
「愛着(この場合は他者と自己を含めた愛着)を育む」というプロセス医学的に経ない限りは、
境界例やその他の人格障害であってもそう簡単に克服はできない。
愛着スタイル形成とは自己で行える作業ではないので、そうした協力者に出会えるか否か?にも大きく関係している。
運の要素はかなり絡むので、治したいと考える人はまず自ら病理を学び、その上で客観的に判断し、主体的に動いていくしかない。
ま、大変な作業ではありますよ。普通はこれが出来ないから問題化するので・・・
じゃあ、自分の不安定な愛着スタイルを自覚して客観視できるようにがんばりつつ、できれば安定した愛のある人と親しい関係を築いていくのがベストなのかな
>>163 >>164 他人のためという気でやってると「こんなにしてあげてるのに」という気持ちが無意識にでも溜まっていきそうなんだよね
結局、自分のために他人も喜ぶことをしようという気でやるのがいちばん楽になれそうだと思うけど、なかなか
>>167 ところが自己の人格を客観視するというのは極めて難しい作業でもある。
安定した愛着の形成とは、「良い自分」と「悪い自分」両方の存在を「認め」、「寄り添っていく」という事。
同時に他者に対しても、同様の感覚を持てるようになる事。
こうして安定した「愛着」が形成され、結果として自己の人格形成の下地になっていく、という理論(愛着理論)。
更に噛み砕いて述べるならば、人格障害者という人々は、皆一様に「他人を信用できない」。
人間という生物は、「他者を見て、己を理解する」という行動様式がある。
しかし「他者を信頼できない」となれば、「他者からの介入・攻撃」に日々怯えて暮らす事になる。
故に人格形成の時点で「他者を信頼しなくても生存していける形態に進化する」という、
いわば奇形の様な「歪んだ認知の発達」を遂げるのです。
これは8歳までの未熟な愛着スタイル形成を経た「歪んだ認知」が潜在意識下に形成され、
その上で最適化された人格が形成されるため、これらを改善するにはどうしても客観的な視点と他者の助けが必要になるのです。
そうした意味で
>安定した愛のある人と親しい関係を築いていくのがベストなのかな
これは非常に重要な事で、「よき師匠」ともいえる人物と出会える事が、自己愛性パーソナリティ障害を克服する上で大きな手助けとなる。
しかしながら、それらは師匠側(自己対象という)にかなりの知識と気構えが必須となるため、
医学的な治療行為以外の一般的な社会生活の中でそれらの人々の協力を得るのは極めて困難と言えるだろう。
しかし自己の持つ病理と問題性を自己認識できれば、その時点で回復への道を歩み始めていると表現しても過言ではないと思う。
例えばデイケアで、「どうせこんなところの職員は裏表がある、表で優しくても裏で馬鹿にしてる」
と言ってるアスペは他人を信用できないのか事実を言っているだけか
>>169 確かに、他人を信用できてないなと思う
他人のせいで大切な自分の人生がダメになるのを予防しないと、みたいなことをいつのまにか考えている
しかも、親しい人ほど自分をひどく傷つけそうにみえる
せっかく自分を受け入れてくれて、良き師匠のようになってくれてる人を今度こそ遠ざけないようにしたい
>他人のせいで大切な自分の人生がダメになるのを予防しないと
オレは、他人を遠ざけてしまうから人生がダメになっていく、、、
と思って日々悩んでるんだけど、、、
上の賢い人が精緻に解説してくれてるけど、もう一度人格形成し直すとか運の要素も必要だとか、、、
正直オレみたいな馬鹿とか大半の人には無理だと思う、、、
だからやっぱり「100%人のために動く自分」を目指すのが唯一の解決法だとオレは思う
電車にも乗れなくなった
ってか部屋に自分を置いて別のモノにならないと外にすら出れない
過剰警戒ってマジでやばいな
今、普通の人には想像もつかないような有り得ない人生を体験してるわ
ID:91lbgaPQ
ありえん、まぁどっちにしてもスキゾじゃない俺には全く関係がない、
だがなんでだと?と思いつつスルーした
80 : 優しい名無しさん[] 投稿日:2008/02/05(火) 19:16:29 ID:Ce7UbbmN [1/2回]
スキソの作家とかいないのかな
どんな文章になるのかみてみたい
86 : 優しい名無しさん[] 投稿日:2008/02/07(木) 22:44:16 ID:3j92n9uA [1/1回]
>>80 三島由紀夫とか?
87 : 優しい名無しさん[] 投稿日:2008/02/07(木) 23:07:49 ID:oicDw6VB [1/2回]
三島由紀夫てスキソイドだったのか…
知らなかった…
太宰の作品、特に人間失格だな、あれを読んであの作品の主人公は典型的なアスペだというのが結構いた
え?ありえん普通にボダだろとこれもスルーしてしまった
俺はかなり主観的で粗暴な見方、断定をしていたようだが…俺のオツムで分かるのはそこまでだ
それこそIQ120とかの人を診断する(真似事?)のが好きなアスペがいて
「ここ(の作業所)はほとんど統合失調症しかいない」と言っていた
そのアスペの診断方法はあれじゃないこれでもないと消去法的にやって行くパターンだったが
自己愛なんぞ当たり前だからどうでもいい、あとはボダかどうかだ、と言っていた
自己愛が当たり前とかその頃の俺には訳が分からなかった
なんか思い付いたら全くつまらんことでも書き込まなければ気が済まないとか結局、強迫的で衝動的なのな
マスターソンの理論では自己愛性〜より境界性〜のほうがまだ成熟しているらしい
いわゆるパニック起こしてるだろ、いわゆるパニック起こしてるだろ、いわゆるパニック起こしてるだろ、
いわゆるパニック起こしてるだろ、いわゆるパニック起こしてるだろ、いわゆるパニック起こしてるだろ、
むしろ糖質のワードサラダに近いんじゃないか
387 :名無しゲノムのクローンさん:2014/06/05(木) 17:37:52.00 .net
>>380 統合失調症 ワードサラダ
http://paco0915.com/keitai/tougou15.htm 「言葉のサラダ」というのは、統合失調症に時々見られる症状を指す精神医学用語ですが、言い得て妙な文学的表現だと思います。
助詞や助動詞の使い方がめちゃくちゃになり、単語が正しい結びつきをせず、てんでばらばらな状態で表現してしまうのです。
シチューのように素材が混じり合ってなじんだ状態ではなく、サラダボウルに盛られた野菜が好き勝手に点在している様子を想像してみて下さい。
病状の安定していない患者は、頭の中に常に対立する二つの考え(生きねばならない、いや死んだほうが楽だ、など)を持つため、いつも渦巻くような葛藤に苦しんでいます。
そのうえ勝手なことを命令する幻聴や妄想、さらに狭い人間関係の中でのあつれきなどが加わると、脳の中は爆発寸前の混沌とした小宇宙のようになることがあります。
そうなると自分の考えを整理できないため、文章に書いてまとめてみたくなるらしく、言葉のサラダ満杯の「奇妙な研究論文」をしたためることがしばしばあります。
ネロとパトラッシュは、お爺さんやお母さんのいる、遠いお國えゆきました。
もう、これからは、寒いことも、悲しいことも、お腹のすくこともなく、みんな一緒に、いつまでも、楽しく暮すことでしょう。
と
彼がどのような人間であるか、人々はちっとも知らなかった。
すでに彼を愛することは、途方もなくむずかしい行為になっていたのである。
ただ神だけが僕を愛することができるのだと、彼はそんなことをほのかに思った。
しかし、神はまだなかなか彼を愛そうとはしないらしかった。
はどう違うんだ
>しかしながら太宰自身は退廃的な作品を書きながらも同世代の作家の中で最も「神を求めた人」であったとする研究・評論も多くある
これもよく分からん。つまり死を求めた人と俺は解釈したが
ネクターピーチ飲んで腹壊したとか言って帰ったおっさんが…まあ俺もおっさんだが。さすがに笑ったわ
今も思い出して大笑いだ、ただ、なんで笑うか俺の中の人しか分からない
>>181 は誤爆、もうちょっとネットと言うかこの板を離れる
もう来んなよ
世間、みたいなものを憎んでいますか
意識レベルでは恨んでない
でも「誰も理解してくれない」という他人に対する怒りが無意識レベルにはある
世間、社会=人だからやっぱり恨んでる
数年引きこもっていたら外出先で声かけられるのも怖い。声がでない。何か圧力を感じる。
人って近くにいるだけでエネルギーが違うんだね。
と思ってたら、グルチャに入っても複数の場にドキドキして居心地悪かった。リアルじゃなくてもネットでも多数の人がいる中では恥かくんじゃないかと全然落ち着かない。
勝手に耐えられずやめてしまった。
またやってしまった
いくら隠していても自分を知ってほしいという欲望はなかなか抑えられん
ドンマイっ
俺はやっぱ諦めが必要だと思うようになってきた
そもそも分かり合えっこない相手なんだと、、、
何でも可能だと思っちゃうから余計な失敗や苦労をすることになる
世の中には自分にはどうすることも出来ない事もある、、、というかほとんどがそうだよねと健常者たちがよく語ってるし
見れば見るほど回避よりこっち側なんだがなぁ
治し方変わんのかね?
そうだろ、だからここに居ていいじゃん。治し方なんぞないが。リタは効く
チーターの結論が出てから8時間寝てた。ふと思いついたんだが小児うつだったじゃんそっちの方向から考えみる
思い煩うことはない。人生は無意味なのだ!
そういや太宰がモームは二日酔いさせるとか言ってたな
織田信長てめーそんな程度で天下取った気でいたのか?殺られたじゃん
もし〜があるならもし斎藤義龍が50歳まで生きていたら織田信長は天下なんか遥か遠い鬱獣で終わったんよ
昔ACの自助会に行ったが全く合わなかった
そこの自助会のリーダー役?と言っていいのかが何やら配布物を俺に手渡す時
手が震えていたんだわ。ガタガタ震えてんだ。ACだからして対人恐怖から来る手の震えだろう
だがな、俺を恐れる必要などどこにもないんだ。せいぜいネットでgdgd言う程度だ
ていうか俺は壊し屋でもスパイでもない、詰まってACの自助会に行ってみたらなんとかなるかとなって行ったようなやつだお仲間だ
アスペがムキになって近づいてきたら顔近いぞとちょっと離れてくれ近いと俺もきついんだ
と言えばいいんだ。怖がる必要はない。ちゃんと言えば伝わる。「おおそうやな俺もや」となるわ
過剰警戒からしてみたら無自覚型など川に叩き落とせるんだ。造作ない。まぁ子供の頃の話だが
ある福祉会のお偉いさんとこに怒鳴り込んだ、俺は何か使ってるつもりなかった。まぁ癖みたいなもんだ
最初お偉いさんはあんたの言ってることがよく分からないから紙に書いてくれとか言っていたが
Ω返し一つでお偉いさんははい分かりましたと突然丁寧語になって硬直した
彼が誰かを動かす時によく使う言葉をそのまま返すと彼は身動きとれなくなったようだ
「それは」Ω返しになった言葉はこれだけだ
それこそチミ達も結構Ω返し出てるんじゃないの「あっ」「あっ」とか
顔見知りの人に偶然会って彼が「あっ」と言えば、「久しぶりですね」とか「こんにちわ」と返すのが普通だわな
どっちにしろ反旗を翻した。俺の診断名は反復性うつだ、ネットやってるとタイパルっぽくなるが
小児うつ 問題行動でググっていたら色々あるな
真の診断名を否認してるとしたら俺はあそこに行き着くしかない、どの道自己愛の亜流らしいが
ちょっと書き込んでみる
ぼくは意地悪どころか、結局、何者にもなれなかった――意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。
或声 お前はお前のしたことをどこまでも是認するつもりだな。
僕 どこまでも是認してゐるとすれば、何もお前と問答などはしない。
或声 ではやはり是認しずにゐるか?
僕 僕は唯あきらめてゐる。
或声 しかしお前の責任はどうする?
僕 四分の一は僕の遺伝、四分の一は僕の境遇、四分の一は僕の偶然、――僕の責任は四分の一だけだ。
或声 お前は何と云ふ下等な奴だ!
僕 誰でも僕位は下等だらう。
或声 ではお前は悪魔主義者だ。
僕 僕は生憎悪魔主義者ではない。殊(こと)に安全地帯の悪魔主義者には常に軽蔑を感じてゐる。
或声 (暫く無言)兎に角お前は苦しんでゐる。それだけは認めてやつても善(い)い。
僕 いや、うつかり買ひ冠(かぶ)るな。僕は或は苦しんでゐることに誇りを持つてゐるかも知れない。のみならず「得れば失ふを惧(おそ)る」は多力者のすることではないだらう。
或声 お前は或は正直者かも知れない。しかし又或は道化者(だうけもの)かも知れない。
僕 僕も亦どちらかと思つてゐる。
>>207 それそれ
善人道も悪人道もどっちも良くて選べないんだよな
ゲームやってもそうだしw
あるいはただ決断する勇気の欠如か・・・
24時間自分を取繕うことしかしてないことに気付いた
無意識まで完全に支配されてる
もう完全に詰んでるのに他人には全く分からない
私もいつも取り繕ってる
最近、取り繕ってるのが恥ずかしくなってきた
自然に生きたい
でも自然な自分も恥ずかしい
とにかく恥ずかしい
自分の存在自体がおかしすぎて恥ずかしいよな
あまりにも一般とかけ離れ過ぎててもう何をどうしたらいいか全く動けない状態やわ
露出狂を見習いたい
うわーなんか書いていた
露出狂は恥ずかしくないだけか、露出狂はマナー違反を辞さないのか、逮捕を辞さないだけなのか
死事やめて一週間
全く動けねーわ
生活やばいはずなのに現実感とんじゃってるわこれ
もっともっともっともっと愛されて気にかけられて心からほめられたい
それが本音
脳味噌になにか異常があるとしか思えないくらい
人の事を思いやることができない
「私は人にどう思われているのか」
「嫌われていやしないか」
と考える事に脳のリソースを使い過ぎているのか
いざ人の事を考えると
頭の中に空洞があるみたいになんの感情も浮かばない
何をどうしたら解消されるのか分からない
同じく
「これをしたらどう思われるか」
に脳のリソースを使い過ぎているのか
いざ自分がやりたいことについて考えると何も浮かばない
ほんとに自分の中身がからっぽ
私もそれ思う
最近は自分のそういうところが周りにも伝わってるだろうから、どうフォローするか必死だよ
>>217 じゃあ相談に乗るの大好きでしょ?
相談に乗ってあげたらいっぱい褒めてもらえるもんね。
更に好きになってもらえるもんね。
でもぉ実際には嫌われちゃうんだけどね☆
みんなの親ってやっぱり毒親?
>>221 いや、かなりいい部類の親
おかげで早めに目が覚めることができたのかもしれない
思い返すと4〜5歳くらいから自己愛の萌芽があったような気がするから
(4〜5歳は基本的に世界が自分を中心に回ってることを差し引いて考えても異常)
ほぼ自分の生まれもっての性質と考えて間違いない
海外の境界例の本とか見てると生まれ持っての境界例としか考えられないケースがちらほら散見されるから
あまり不思議でもないとは思う
親にはほんとに心配かけた・・・・・
強迫概念ね。親に植え付けられて、自分で自分を強迫して苦しめるわけだろ。、
>>223 症状
無気力・無関心・無快楽(快体験の希薄化)が主症状であるが、耐え難い不安、焦燥、抑
うつ、葛藤などの主観的な苦痛体験を前景に持たない。また、以下の徴候も示す。
・陰性の行動化としての「ひきこもり」
・アパシーによって攻撃性を抑えているが、内的世界は紛れもなく怒りと破壊に満ちてお
り、時にそれは外界に投影される
・実存的な抑うつ状態(内因性うつ病とは異なる)。神経症性抑うつ
・生きる意味の消失
・漠然とした不安
・過眠。「もうどうでもよい」という投げやりな気持ちからくる退却心理に起因する
・「空しい」という感覚(境界例患者の内的空虚感と類似している)
・快体験の希薄化。「楽しい」「嬉しい」といった喜びを感じ取る力が落ちる(境界例患者に見
られる空虚感に近いものである)
・スプリッティングが生じており、自己分割によって内的葛藤や耐え難い感情を否認している
・重いタイプでは対人恐怖症状、うつ、軽躁、関係妄想などが見られることがある
自分をとりつくろうのに疲れた
もう止めようと思って素を出そうとしたのに実際はいつも通りニコニコして相手の話しに相槌をうってた
だめだこりゃ無理だわ
社会的ペルソナを捨てたら 生きやすくなるけど、逆に他人との衝突は増える気がする。
ペルソナを捨てるって過剰警戒から無自覚になるっちゅうことでしょ?
だとしたら衝突は増えて当然でしょ
もし俺がそうしたら衝突どころじゃ済まない事になるな、、、
そうしたい衝動は常にある
「自分の事について考えるのをやめる」
を頑張って実践してるけどきついね
空虚しか残らなくて最初はすごい辛かった
いかに自分の脳内が自分への過大な妄想と
人からどう見られているかという不安でいっぱいになっているかが分かった
最近はその空虚にだんだん本当に自分がしたいことが流れ込んでくるようになった
俺、広汎性発達障害の診断下ってて自分では自己愛性だと思ってるんだけど
ストラテラ飲んだら以前と比べて感情的な傾向が減って自分を客観的に見れるようになって(あくまでも比較的に)
精神的に落ち着いてきたわ
加齢のせいかもしれないけど
((((;゜Д゜))))