【K.HORNEY】カレン・ホーナイの神経症理論 第2章
1 :
パンドラクイーン :
2013/11/09(土) 23:37:32.67 ID:1yoF4cVH ドイツのハンブルク近郊で生まれたカレン・ホーナイ(1885〜1952)は、精神分析医としての 豊富な臨床経験をもとに研究を重ね、非常に優れた画期的な精神病理、神経症理論を完成させました。 「基本的な不安」を抱いた神経症者が、不安から逃れるために身に付けた「自己理想化」のための 「誇りの体系」「べき」などによる「栄光の追求」は、「真の自己」を縮小させる「自己疎外」を 引き起こし、「自己嫌悪、自己軽蔑」などの精神障害を引き起こすことを構造的に明らかにしました。 また、ホーナイ自身の健全な人間性に対する信頼をもった、健康的な人間観、人間性が、 理論や主張に妥当な中庸性や暖かみを加えているのではないでしょうか? 晩年近くになってから著述、出版された「Neurosis and Human Growth」は、彼女の著作中で圧倒的に 優れて重要なもので、独自の概念を包内した理論体系は、可憐ともいえる完成度に達しています。 現代においてもメンタルヘルス改良のために必読の一冊でしょう。
2 :
優しい名無しさん :2013/11/09(土) 23:38:54.00 ID:1yoF4cVH
3 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 00:15:37.79 ID:A+qYz+A7
/// 緊張緩和の一般的手段 31 /////////// カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 1950年発行 邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より 第7章 緊張緩和の一般的手段 ・・・・ 内心の問題に関しては、それは、建設的な吟味への扉を閉ざしてしまうが、それと同時に、 精神を確実に不毛にするので、緊張は減少される。これと正反対の、全般的な自己疑惑も、 他の神経症的文脈で非常によく起こるように、緊張を緩和するという同じ結果を生み出す。 どんなことも、人から思われているのとは違っているなら、何もそれに気をもむことはない ではないか。多くの患者はこうした徹底した懐疑主義を少しも外に表わさない。彼らは うわべは、何でも愛想よく受け入れているが、口にこそ出さね、心は閉ざしている。その結果、 自らの発見も、分析家の与える示唆も、両方とも何の役にも立たない無駄なものに終わって しまう。 ///// アカデミア出版会 ///
4 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 06:29:48.26 ID:A+qYz+A7
/// 緊張緩和の一般的手段 32 /////////// 最後に、精神は魔術的な支配者となる。神にとってあらゆることが可能なように、精神に とってどんなことも可能となる。内心の問題について知ることが変化に向かう第一歩とはならず、 知ることがすなわち変わることなのである。患者は自分では気づかずに、この前提に立って 行動しているので、しばしば、自分はあれこれの障害の力学をこんなによく知っているのに、 なぜその障害が消えないのかといぶかる。分析家は、彼らに、自分では気づかない本質的な 要因がまだ他にあるはずだと指摘してやる――ふつうはまったくその通りなのである。しかし、 他の有力な要因が分っても何事も変わらない。そこで患者は再び当惑し、落胆する。そして、 さらに多くの知識を求めて、果てしない探求が続けられることになるだろう。知識はそれ自体、 価値のあるものであるが、それにもかかわらず、患者が、自分では実際に変わるうとせず、 知識の光が人生の暗雲を一掃してくれるべきだと思っている限り、この知識は無益なものに ならざるをえない。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
5 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 06:39:07.29 ID:A+qYz+A7
/// 緊張緩和の一般的手段 33 /////////// 彼は、自分の人生のすべてを、純粋な知性により処理していこうとすればするほど、 自分のなかに無意識的な要因があることを認めるのがいっそう耐えられなくなってくる。 もし無意識的な要因がどうしても侵入してくれば、それらは不釣り合いなほどの強い恐怖を 引き起こすか、またある場合は、否認され、合理化されるだろう。これは、患者が漠然と にせよ、初めて自分のなかに神経症的葛藤を認めた場合に、特に重要である。彼は自分の 理性や空想の力をもってしても、両立しないものを両立させることは不可能であることを 一瞬のうちに悟る。彼は、罠にかかって逃れられなしように感じ、恐怖の反応を起こすだろう。 そこで、彼は精神の全エネルギーを奮い起こして、この葛藤に直面するのを避けようとする。 ///////// 対馬忠監修 ///
6 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 07:40:52.52 ID:A+qYz+A7
/// 緊張緩和の一般的手段 34 /////////// 自分はどのようにしてそれをうまく避けることができるのか? どのようにしてこれをうまく やり過ごすことができるのか? 罠の抜け穴はどこにあるのか? 単純さとずるさは両立 しない――そうだ、ある場面では純真で、他の場面ではごまかすというようにはできない だろうか? あるいは、平静という考え方に強く支配されながらも復讐的衝動をもち、それを 誇りにするように駆り立てられていれば、彼は冷静な報復性といったものを身につけ、騒ぎ 立てずに人生をうまく渡り、草むらをなぎ倒すように、自分の誇りを傷つける人々を全滅 させようといった考えに取り憑かれるようになる。そのようなうまくやり過ごしたいという 欲求は、真の情熱にまで達することがある。その時、葛藤を明らかにするために注がれてきた 努力はすべて無駄になるが、内心の「平和」は再び確立される。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
7 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 08:46:26.59 ID:A+qYz+A7
/// 緊張緩和の一般的手段 35 /////////// すべてこうした手段は様々な仕方で、内的緊張を緩和するものである。それらのどれにも 統合力が働いているから、ある意味では、これらを解決の試みと呼ぶことができよう。例えば、 人は隔壁づくりによって葛藤する流れを断ち切り、そうすることによって、もはや葛藤を 葛藤として経験しなくなる。また、自らを自分自身の傍観者として経験する場合、それに よって統一観がもてる。しかし、ある人が彼自身の傍観者であるというだけでば、おそらく、 その人のことを満足のいくように記述したことにはならないだろう。それは彼が自分自身を 見る時に、何を観察し、どういう精神で観察しているかが大切であろう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
8 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 09:43:34.73 ID:A+qYz+A7
/// 緊張緩和の一般的手段 36 /////////// 同様に、外在化の過程についても、われわれがたとえ彼が何を外在化し、どのような仕方で 外在化するかを知っているにしても、それは彼の神経症の構造の一部分にしか関係していない。 言い換えれば、すべてこれらの手段は、単に部分的な解決にすぎない。私はこれらの手段が、 第1章で述べたような包括的な性格をもつ時にだけ神経症的解決だと言いたい。神経症的解決は、 人格全体に形と方向を与える。つまり、その解決によって、どんな種類の満足が得られ、 どんな要因が回避され、どんな価値のヒエラルヒーや対人関係がつくられるかが決定される。 また、それは人格を統合するために、どのような種類の一般的手段を用いるかを規定する。 要するに、それは modus vivendi, つまり一つの生活方法なのである。 ・・・・ ///// 自己実現の闘い ///
9 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 11:39:47.38 ID:A+qYz+A7
//////// 誠信書房 ///
邦訳:神経症と人間の成長 (ホーナイ全集)
我妻 洋 (編集), 安田 一郎 (編集), 榎本 譲 (翻訳) , 丹治 竜郎 (翻訳)
出版社: 誠信書房 (1998/06)
【目次】
第1章 栄光の追求
第2章 神経症的権利主義
第3章 〈べき〉の専制
第4章 神経症的自尊心
第5章 自己嫌悪と自己軽蔑
第6章 自己疎外
第7章 緊張解消のための一般的方策
第8章 自己拡張的解決策――支配の魅力
第9章 自己消去的解決策――愛の魅力
第10章 病的依存
第11章 断念――自由の魅力
第12章 人間関係における神経症的諸障害
第13章 仕事における神経症的諸障害
第14章 精神分析療法の道
第15章 理論的考察
http://www.amazon.co.jp/dp/4414420067/ /// 神経症と人間の成長 (ホーナイ全集) /////////
10 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 19:36:06.37 ID:A+qYz+A7
/// 自己拡張的解決 1 ////// カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 1950年発行 邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』叢書『人間なるもの』 対馬忠監修 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より ・・・・ 第8章 自己拡張的解決 ――支配を求める―― 神経症的発達を行なうすべての過程において、自己疎外は中心的な問題である。われわれは どの神経症的過程においても、栄光の追求、〈べき〉、要求、自己嫌悪、様々な緊張緩和の 手段を見出す。しかし、これらの要因がそれぞれの神経症的構造においてどのように作用して いるかについては、まだその全体像を把握していない。その像は、各人が心のなかの葛藤に 対してどのような解決法をとるかによって決まる。 ///// アカデミア出版会 ///
11 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/10(日) 20:01:07.36 ID:A+qYz+A7
/// 自己拡張的解決 2 ////// しかし、これらの解決法を適切な仕方で記述するためには、まず、誇りの体系と、それに ともなう葛藤のために生じた心の全体構造を明確にしなければならない。われわれは誇りの 体系と真の自己との間に葛藤があることを知っている。しかし、既に示したように、誇りの 体系それ自体の内部でも主要な葛藤が生じる。自己賛美と自己軽蔑とは葛藤を構成しない。 事実、自分自身についてのこれら二つの正反対のイメージによってのみ考える限り、矛盾 してはいるが、相補的な自己評価が認められる――だが、そこでは葛藤する欲勤は自覚され ないのである。ところが、この姿を違った観点から眺め、われわれが自分自身をどのように 体験しているか、という問題に焦点を絞ってみる時、その姿は違ったものになる。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
12 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/11(月) 20:44:08.30 ID:wD3YOBJm
/// 自己拡張的解決 3 ////// その心内の全体構造は、自己同一感を根本から不安定なものにする。自分は誰なのか? 誇り高い超人間的な存在なのか、それとも抑圧された、罪深い、むしろ卑しむべき者なのか? ふつう、詩人か哲学者かでない限り、このような疑問を意識してもつことはない。しかし、 心のなかで感じている困惑は、夢のなかに現われてくる。夢のなかでは、自己同一性を 喪失していることがいろいろな仕方で、直接的に、しかも簡潔な形で表現されうる。夢の なかに現われる彼は、パスポー卜をなくしたり、自分自身を誰かと聞かれても答えられ なかったりする。あるいはまた、昔の友達が自分の記憶しているのとは全然違ったように 現われたり、肖像画を見ても、額縁だけで、なかに何も描かれていなかったりする。 ///////// 対馬忠監修 ///
13 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/11(月) 21:24:03.17 ID:wD3YOBJm
/// 自己拡張的解決 4 ////// これよりもっとよく起こるのは、夢のなかで、自分が誰なのかはっきりと分らないという のではなくて、自分が様々な象徴――いろいろな人物、動物、植物、無生物――になって 現われる場合である。彼は、同一の夢のなかで、自分自身になったり、ガラハッド郷に なったり、恐ろしい怪物になったりする。また、彼は誘拐された被害者であると同時に 誘拐犯人である。囚人であり、獄吏である。裁判官であり、被告人である。拷問する人であり、 拷問される人である。ガラガラ蛇であると同時に、それを怖がる子どもでもある。このように 自己脚色できるのは、彼のなかにいろいろな力が働いていることを示している。そこで 自己脚色を解釈していけば、そこにどういう力が働いているかを知るのにたいへん助けになる。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
14 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/11(月) 21:40:47.39 ID:wD3YOBJm
/// 自己拡張的解決 5 ////// その人がもっている傾向は、夢のなかでいろいろな象徴となって現われる。例えば、あきらめの 傾向は、隠遁者によって、自己軽蔑の傾向は、台所の床をはい回るゴキブリによって表現される。 しかし、これだけが自己脚色の重要な点ではない。そもそも自己脚色が起こること自体、 (自己脚色をここに挙げた理由でもあるのだが)やはり、われわれが自分自身をいろいろな 自己として経験できる力をもっていることを示している。また、この同じ能力は、日常生活の なかと夢のなかとでは、自分自身を経験する仕方がしばしば非常に違うことにも現われる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
15 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/12(火) 23:00:45.25 ID:EebJsUvq
/// 自己拡張的解決 6 ////// 人は意識的には、自分は優れた知性の持ち主であり、人類の救世主であり、何をするにも 不可能ということのない人間であると思っているのに、夢のなかでは、気まぐれ者、言葉も はっきり言えない白痴、貧民街に寝そべっている浮浪者となって現れる。最後に、神経症者は、 自分を意識的に経験する場合でさえも、自分を全能者であると倣慢に思う感情と、自分は 人間の屑であると思う感情との間を揺れ動いている。これはアルコール依存患者に(この 人々だけに限らにれるわけではないが)特にはっきりと見られることで、彼はある時は 気分が高揚して、大袈裟な身振りをし、大きなことを約束したりするが、次の瞬間には、 みじめな気分に陥り、卑屈な態度になる。 ///// 自己実現の闘い ///
16 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/12(火) 23:11:21.80 ID:EebJsUvq
/// 自己拡張的解決 7 ////// 神経症者がこのように自己を経験するいろいろな仕方は、彼のもっている内的構造と対応 している。神経症者は、もっと複雑な可能性があることを考えないで、自分自身を、美化 された自己、軽蔑された自己、時には真の自己(これはほとんど消されているが)として 感じる。そこで、彼は実際に自分が何であるかについての確信がもてなくなるに違いない。 そして、こうした内的構造が続く限り、「私は誰なのか?」という疑問は確かに答えることの できないものである。この時点で、さらに興味深いのは、自己についてのこうした違った 経験が必ずお互いに葛藤しているという事実である。もっと正確に言えば、神経症者は 自分自身を、優れた誇り高い自己とも、軽蔑する自己とも完全に同一視するので、必ず葛藤が 起こるということである。 ///// 原著 1950年発行 ///
17 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/12(火) 23:41:18.23 ID:EebJsUvq
/// 自己拡張的解決 8 ////// 彼が自分自身を優れたものと感じれば、自分が達成できることについて、努力の上でも 信念の上でも拡大して考える傾向があり、多かれ少なかれ、公然と傲慢になり、野心的、 攻撃的、要求的になる。また、自己充足感をもち、他人に対して軽蔑的な態度をとり、 他人に自分に対する尊敬や盲目的な服従を要求する。逆に、彼が自分自身を劣った自己と 思えば、無力感を抱き、服従的、宥和的な態度をとり、他人に依存し、他人の愛情を求める。 言い換えると、彼は自分をこの二つの自己のそれぞれと完全に同一視することによって、 正反対の自己評価を下すだけでなく、他人に対する態度や、行動の種類、価値観、欲動、 満足の種類までも、まったく正反対のものとなる。 ///// Neurosis and Human Growth ///
18 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/13(水) 00:00:01.97 ID:mjmy9iWU
/// 自己拡張的解決 9 ////// 自分自身を経験するこれら二つの仕方が同時に働く場合には、彼は二人の人によって 反対の方向に引っ張られている感じを受けるに違いない。そして、これが実は、自分を、 同時に存在するこれら二つの自己と完全に同一視するということの意味である。そこには 単に葛藤が存在するだけでなく、その葛藤は、彼をばらばらに引き裂くほどの強い衝撃を 与える。もしこの葛藤のために生じる緊張をうまく緩和することができなければ、必ず 不安が生じる。そこで、彼がもし他の理由のためにアルコール依存の傾向をもっていれば、 その不安を和らげようとして、飲酒にふけるだろう。 ///// Karen Horney ///
19 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/13(水) 21:25:51.31 ID:mjmy9iWU
/// 自己拡張的解決 10 ////// しかし、ふつうは、非常に強いどんな葛藤の場合とも同じように、解決の試みが自動的に 起こってくる。こうした解決の方法として、三つの主なものがある。第一は、文学で、 ジキル博士とハイド氏の小説に述べられている方法である。ジキル博士は、自分のなかに 二つの面があり(大きく分けて、罪人の面と聖者の面とがあり、そのどちらも彼自身ではない)、 互いに絶えず闘っていることを認めている。「私は、もしその各々が別々の人間に宿ることが できたら、人生はすべての耐えがたいことから解放されるだろうにと独り言を言った。」 そこで、彼はこの二つの自己を別々に切り離すことのできる薬を調合するのである。この 小説は、そこから幻想的な衣を取り去れば、隔壁づくりによって葛藤を解決しようとする 試みであることが分る。この方向に変わっていく患者は多く、彼らは、自分自身を極めて 自己縮小的なものと、偉大で自己拡張的なものとの二つとして、代わる代わる経験しながらも、 心のなかではこの二つの自己は無関係なままであるから、この矛盾に心を煩わされることはない。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
20 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/13(水) 21:50:53.55 ID:mjmy9iWU
/// 自己拡張的解決 11 ////// しかし、スティーヴンソンの小説が示すように、こうした試みが成功することはできない。 最後の章で述べるように、それはあまりにも部分的な解決だからである。次に、第二の 解決法は、第一の方法より過激なもので、多くの神経症者に典型的なものである。それは 抵抗を最小にしようとして、余分なものを取り除き、単純化する型であり、一方の自己を 永久的に厳しく制圧し、他の自己だけになりきろうとする試みである。第三の方法は、 内心の闘いに興味をもたないようにし、活発な精神生活をやめることで、葛藤を解決しよう とするものである。 ///// アカデミア出版会 ///
21 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/13(水) 22:03:05.91 ID:mjmy9iWU
/// 自己拡張的解決 12 ////// そこで要約すれば、誇りの体系によって生じる心内の葛藤の主なものは二つあり、その 一つは、中心的な内的葛藤であり、もう一つは、誇り高い自己と軽蔑される自己との葛藤 である。しかし、分折中の人や分析の初期にある患者では、これら二つの葛藤は別々のもの として現われない。その理由は、一つには、真の自己は潜在的でまだ現実的な力となって いないためである。しかし、患者はまた、自分自身のなかの誇りを帯びていないすべての もの――そのなかには真の自己が含まれている――を一括して軽蔑する傾向がある。これらの 理由のために、二つの葛藤は一つの葛藤に解け込んで、自己拡張的なものと自己縮小的な ものとの間の葛藤のように見える。そして、分析を重ねた後で、初めてもう一つ別の葛藤 として、中心的な内的葛藤が現われてくるのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
22 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/13(水) 22:17:18.37 ID:mjmy9iWU
/// 自己拡張的解決 13 ////// 現在までに分っているところでは、心内の葛藤に対して、人が主にどのような神経症的 解決をするかによって、神経症の型を決めるのが最も適切であるように思われる。しかし、 ここで心に留めておかねばならないことは、人が厳密に分類しようとするのは、多様な 人間生活を公平に扱いたいためよりは、むしろ秩序や指針を得たいと思う気持を満足させる ためだということである。人間の型に――ここでのように、神経症的な――について語る ことは、結局、人格をある立場に立って眺める一つの手段にすぎない。 ///////// 対馬忠監修 ///
23 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/13(水) 23:01:41.54 ID:mjmy9iWU
/// 自己拡張的解決 14 ////// その場合に、われわれが規準として用いるものは、その特定の心理学的体系の枠組のなかで いちばん重要と思われるような要因であろう。この限られた意味において、型を設定しよう とするあらゆる試みは、ある種の長所と共に一定の限界ももっている。私の心理学理論の 枠組のなかでは、神経症的性格構造が中心になっている。そこで、「型」を設定する場合に 私が規準として用いるのは、個々の徴候や個々の傾向ではありえず、ただ一つ、神経症的 構造全体の特性である。この特性は逆に、その人が内的葛藤を解決するためにこれまで 見出してきた主な解決法によって大きく影響を受けている。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
24 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/14(木) 21:04:19.82 ID:t0grLOkz
/// 自己拡張的解決 15 ////// この規準は、類型学で用いられている規準と比べて、より包括的であるが、有用性については、 やはり限界がある。それには多くの保留と条件をつけねばならないからである。まず、同じ 主要な解決法をとる人々でも、性格的には類似していても、人間性や才能やそれに関違した 業績の水準には非常な違いがある。さらに、われわれが「型」としてみるのは、実際には、 神経症的過程が極端なまでに発達して、著しい特徴を示すようになった人格の横断面である。 ところが、どんな正確な分類でも、それを嘲笑するかのように、いつもそれにうまく入らない 中間的な構造が存在している。さらに複雑さを増すのは、極端な場合でさえも、精神の断片化 過程のために、主要な解決法が一つ以上ある場合が多いということである。ウィリアム・ジェイムズは、 「たいていの事例は混合したものであるから、分類をあまり重視しすぎてはいけない」と 言っている。おそらく、型よりも、発達の方向について語る方がより真実に近いだろう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
25 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/14(木) 21:09:49.55 ID:t0grLOkz
/// 自己拡張的解決 16 ////// これらの条件を順に置いたうえで、われわれは、本書に示された問題点から見て、三つの 主な解決法を区別することができる。すなわち、自己拡張的解決、自己縮小的解決、あきらめ、 である。自己拡張的解決では、人はたいてい自分自身を、美化した自己と同一視する。彼が 「自分自身」について語る時、それはペール・ギュントのように、自分の非常に素晴らしい 自己のことを意味しているのだ。あるいは、ある患者が言ったように、「私は、優れた人間 としてしか存在しない」のである。 ///// 自己実現の闘い ///
26 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/14(木) 21:33:37.87 ID:t0grLOkz
/// 自己拡張的解決 17 ////// この解決にともなう優越感は必ずしも意識されているわけではないが――意識的、無意識的 のいずれにせよ――その人の行動、努力、人生一般に対する態度に大きな影響を与えている。 彼にとって人生の魅力とは、人生を支配することである。それは主として、自分の心の内外の すべての障害を克服しようとする意識的、無意識的な決意と、自分にはそれができるはず であり、事実そうすることが可能であるという信念である。彼は運命の与える逆境も、状況の もつ困難も、むずかしい知的な問題も、他人の抵抗も、自分自身のなかにある葛藤も、すべて 克服し支配すべきである。このように支配を必要とすることは、裏返して言えば、無力さを 示すものはどんなものでも恐れるということであり、この恐れは彼には最も身にこたえる 恐れである。 ///// 原著 1950年発行 ///
27 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/14(木) 22:35:33.85 ID:t0grLOkz
/// 自己拡張的解決 18 ////// 拡張型の人を表面的に見れば、自己賛美や野心的仕事や報復的勝利をひたすら追い求め、 理想化された自己を現実化する手段として、知性や意志力を用いて人生を支配しようとする ように見える。そして、フロイトやアドラーも、前提の違いや個々の概念や用語の違いを 別にすれば、拡張型の人々をこれと同じ仕方で(すなわち、自己性愛的な自己拡大を求める 欲求や、最高位にありたいという欲求に駆り立てられている人々として)考えている。 ///// Neurosis and Human Growth ///
28 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/15(金) 23:03:45.21 ID:i5Qv6Riu
/// 自己拡張的解決 19 ////// ところが、このような患者を深く分析していくと、どの人々のなかにも、自己縮小的傾向 ――これは彼らが抑圧しているだけでなく、憎しみ、嫌悪している傾向なのだが――が あることが分る。われわれの目に最初に映った姿は、その人たちの一面だけで、実際には、 彼らは主観的な統一観をつくり出すために、それを自分の全体であるかのように見せかけて いるのである。彼らが拡張的傾向に執拗にしがみつくのは、拡張的傾向の強迫的性質による だけでなく、自己縮小のあらゆる痕跡、例えば、自責、自己疑惑、自己軽蔑などを意識から 取り除かなければならないためである。この方法によってのみ、彼らは自分が優越し、 支配しているという主観的な確信を持ち続けることができるのである。 ///// Karen Horney ///
29 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/15(金) 23:12:03.13 ID:i5Qv6Riu
/// 自己拡張的解決 20 ////// しかし、この確信も、自分の〈べき〉が成就できないと気づけば揺らいでくる。というのも、 〈べき〉にそえないと、自分は罪があり、価値のない人間だと感じるようになるからである。 実際には、誰も自分の掲げる〈べき〉にかなうことはできないのであるから、このような人は、 利用できる限りの方法を用いて自分が〈べき〉を成就「できないこと」を自らに否定しなければ ならない。彼は空想を用い、あるいは「善い」性質を目立たせ、他の性質を消し去り、行動を 完璧にし、外在化を行なうなどして、自ら誇れるような自分自身の姿を心のなかに保つように しなければならない。彼は言わば無意識のうちに自分自身をごまかして、自分が完璧な知識を もち、申し分なく寛大で公正であるようなふりをして生きなければならない。彼は、美化した 自己と比較して、自分には隠された弱さがあるとは決して、どんな条件の下でも、気づいては ならないのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
30 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/15(金) 23:40:25.58 ID:i5Qv6Riu
/// 自己拡張的解決 21 ////// 対人関係では、次の二つの感情のうちどちらか一つが優勢になるだろう。彼は意識的、 無意識的に、あらゆる人を軽蔑できる能力があることを非常に誇りに思いそして、他人に 対して傲慢と軽蔑を示して、実際に、人をばかにすることができたと思う。しかし、逆に、 軽蔑されることを非常に恐れ、人からばかにされると、ひどい恥辱を感じる。あるいは、 この型の人はひそかに自分がただのはったり屋ではないかと絶えず恐れ、この恐れは他の 型の神経症の人の場合よりも強い。例えば、自分が真面目に働いて成功や名誉を得たとしても、 彼はなお自分は他人を利用したために成功できたのだと感じるだろう。このために、彼は 実際に人から批判を受けたり、失敗したりすることに対して、あるいは、失敗しないかとか、 人から「はったり屋」と批判されはしないかとかいう恐れに対してさえ、極度に敏感になる。 ///// アカデミア出版会 ///
31 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/15(金) 23:52:47.04 ID:i5Qv6Riu
/// 自己拡張的解決 22 ////// このグループは、そのなかに多くの異なった種類の型を含んでおり、そのことは、誰でも、 患者や友達や文学の登場人物を少し調べてみればよく分ることである。個人差のなかで最も 重要なのは、人生を楽しみ、他人に親しみを感じる能力についてである。例えば、ペール・ ギュントもヘッダ・ガブラーも、両方共自己拡張型の人物像である点では同じである。しかし、 この二人の情緒的傾向には、何と大きな違いがあることだろう。また、他の重要な違いは、 この型の人が自分の「不完全さ」を気づかないようにするやり方である。さらに、その人の 要求の性質や、要求を正当化する理由、要求を主張する手段にも違いがある。われわれは 「拡張型」をさらに少なくとも三つに分けて、自己性愛型、完全主義型、尊大報復型を考え なければならない。最初の二つについては、精神医学の文献に十分に述べられているので、 ここでは簡単に触れるにとどめ、第三のものについてより詳しく述べることにしよう。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
32 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/16(土) 07:35:11.53 ID:U3vwWXw3
/// 自己拡張的解決 23 ////// 私は自己性愛という言葉を用いるのにいくぶんのためらいを感じる。というのは、フロイト 学派の古典的な文献では、この言葉は、自己膨張、自己中心性、自己の幸福についての深い 関心、他人から身を引く、などあらゆる種類のものをかなり無差別に含んでいるからである。 私はここでこの語を「自分の理想化された像に恋する」というその語が本来もっている意味に とる。もっと正確に言えば、人はその人自身の理想化された自己であり、それを熱愛している ように思われる。このような基本的態度をもっているため、この型の人は、他のグループの 人にはまったく欠けている楽天的な性質や快活さを具え、自己疑惑で苛立つ人々から見れば、 羨ましいほど自信に満ちているように見える。彼は(意識的には)どんな疑いももっていない。 彼は聖なる人、運命の人、予言者、偉大な施与者、人類の恩人である。彼が自分のことをすべて このように考えることには、一握りの真実がある。彼はしばしば平均以上の才能に恵まれ、 幼少にして容易に傑出し、時には人から可愛がられ、褒められた子どもであったからだ。 ///////// 対馬忠監修 ///
33 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/16(土) 08:42:05.37 ID:U3vwWXw3
/// 自己拡張的解決 24 ////// 自分の偉大さと素晴らしさに対するこの確固たる信念こそ、彼を理解する鍵である。彼の 楽天性や永遠の若さはそこから発しており、人をうっとりさせるような魅力もそこからきて いる。しかし、才能に恵まれているにもかかわらず、彼の立っている基盤は明らかに不安定 である。彼は絶えず自分の功績や素晴らしい性質を口にし、他人から賞賛や献身を受けることで、 自分についての評価を確かめる必要があるのだ。他人に対する支配感情は、自分には何一つ できないもの、勝てないものはないという確信に基づいている。確かに、彼は魅力的であり、 特に、自分の生活に新しい人々が入ってきた時はそのようになることが多い。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
34 :
優しい名無しさん :2013/11/16(土) 09:30:32.20 ID:dP8SMRQZ
自分に神経症的とは違うんだよなぁ。。。
35 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/16(土) 10:13:53.70 ID:U3vwWXw3
/// 自己拡張的解決 25 ////// その人々が自分にとって実際に大切な人かどうかにかかわりなく、彼はその人々に自分を 印象づけねばならない。彼は自分自身にも、他人にも、自分が人々を「愛している」という 印象を与える。そして、――賞賛されることを期待し、あるいは、献身を受けたお返しとして ――気前良く感情を派手に示したり、お世辞を振りまいたり、人に親切や援助を施したりする ことができる。彼が素晴らしい性質を付与するのは、このように自分の仕事や計画だけでなく、 自分の家族や友人にまで及ぶ。彼はまったく寛容になることができ、他人が完全であることを 期待しない。自分のことで冗談を言われても、それが自分の愛すべき特性を際立たせるもの であれば我慢することもできる。しかし、彼に決して本気で質問してはならないのである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
36 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/16(土) 11:49:46.49 ID:U3vwWXw3
/// 自己拡張的解決 26 ////// 分析の時に分るように、この型の人の〈べき〉は、神経症の他の形態の場合に劣らず厳しい。 しかし、彼はこれらの〈べき〉に魔法の杖を用いて対処するのが特徴である。欠点を見逃したり、 それを長所に変えたりする彼の能力は無限であるように思われる。真面目な観察者なら、 しばしば彼を破廉恥な人間、少なくとも、信頼のできない人間だと思うであろう。彼は約束を 破ること、不誠実なこと、負債を返さないこと、人をだますことを何とも思わないように見える (ジョン・ガブリエル・ボルクマン)のことを考えてみるとよい)。しかし、彼は狭滑な搾取者 というのではなくて、むしろ、自分の欲求や仕事は非常に重要なものであるから、自分には どんな特権も受ける資格があると思っているのである。彼は自分の権利について疑いをもたず、 他人の権利を自分が実際どれほど侵害しているかも考えずに、他人がただ無条件に自分を 「愛する」ことを期待している。 ///// 自己実現の闘い ///
37 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/16(土) 13:38:11.49 ID:U3vwWXw3
/// 自己拡張的解決 27 ////// こうした障害は、彼の対人開係にも仕事にも現われる。彼と親しい関係になると、彼が 心の底では他人と無関係でいることが必ず分ってくる。他人もまたその人自身の欲望や意見を もち、彼のことを批判的に見たり、彼の欠点に腹を立てたり、彼に何かを期待することが あるという単純な事実も、そのすべてが彼には不愉快な恥辱に感じられ、怒りを内攻させる。 それから急に怒りを爆発させ、自分をもっとよく「分ってくれる」他の人のところへ行くこと もある。こうした過程は、対人関係のほとんどの場合に起こるので、彼は孤独であることが 多い。 ///// 原著 1950年発行 ///
38 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/16(土) 19:33:36.62 ID:U3vwWXw3
/// 自己拡張的解決 28 ////// 仕事の面に現われる障害は、多種多様である。彼は、しばしば計画を拡大しすぎ、限界を 考えず、自分の能力を過大評価する。また、いろいろな仕事に手を出しすぎて失敗しやすい。 彼は、快活な性質のために、ある点まではそれをはね返すことができるが、企業で失敗が たび重なるとか、人間関係で拒絶されると、すっかり打ちのめされてしまう。その時、今まで 抑えられていた自己嫌悪と自己軽蔑が激しい勢いで働き始める。彼はうつ状態や精神病的な 症状を起こしたり、さらには、自殺することさえもあり、(もっとよく起こるのは)自己破壊的 衝動に駆られて、自ら事故を招いたり、病気になったりすることだろう。 ///// Neurosis and Human Growth ///
39 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/16(土) 19:53:33.85 ID:U3vwWXw3
/// 自己拡張的解決 29 ////// 最後に、この種の人が人生一般についてどのような感情をもっているかを述べよう。彼は 表面的にはむしろ楽観的で、人生に対して外向きの姿勢をとり、喜びや幸福を求めている ように見えるが、心の底には、失望と悲観主義が流れている。無限性や幻想的な幸福を得よう とする彼の物差しで測れば、彼は自分の人生に、苦しみに満ちた食い違いがあることを感じ ないわけにはいかない。しかし、得意の絶頂にいる間は、自分が何かに失敗したこと、特に 人生を支配することに失敗したと認めることはとうていできないだろう。そこで、彼はこの 食い違いは自分のなかにあるのではなく、人生そのもののなかに存在しているのだと考える。 だから、彼は人生に悲劇性を見るが、この悲劇性は人生にもともと存在しているものではなく、 彼が人生に付与したものである。 ///// Karen Horney ///
40 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/16(土) 21:48:33.08 ID:U3vwWXw3
41 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/17(日) 07:35:57.45 ID:ZE9ALU6C
/// 自己拡張的解決 30 ////// 第二の下部グループの型は、完全主義の方向に進み、自分の掲げる規準と自分自身とを 同一視するものである。この型の人は自分の掲げる高い道徳的規準や知的規準のために、 自分は優れていると感じ、それを根拠に、他人を見下す。しかし、他人に対する彼の傲慢な 軽蔑心は、上品な友情という仮面の後ろに――自分自身からも――隠されている。というのは、 彼の掲げた道徳規準そのものが、人を軽蔑するというような「規準から外れた」感情を禁じて いるからである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
42 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/17(日) 08:36:01.07 ID:ZE9ALU6C
/// 自己拡張的解決 31 ////// 〈べき〉が遂行されない場合、それをごまかす方法は二通りある。自己性愛型の人とは 対照的に、彼は自分の〈べき〉にかなうように仕事や義務を果たし、丁寧な、折り目正しい 態度をとり、見えすいた嘘はつかないなど、懸命の努力をする。完全主義者と言えば、 われわれはしばしば細かいところまでひどく几帳面で、時間もきちんと守り、言葉遣いも 正確でないと気が済まず、ネクタイや帽子もきちんと身につけずにはいられないような 人々のことしか考えない。しかし、こうしたことは、最高の水準に達したいという彼の欲求の うちの表面的なものにすぎない。 ///// アカデミア出版会 ///
43 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/17(日) 10:26:06.66 ID:ZE9ALU6C
/// 自己拡張的解決 32 ////// ほんとうに重要なのは、このような些細なことではなく、人生のすべての行為が完全無欠 であることである。ところが、彼が達することができるのは、せいぜい行動を完璧にする ことくらいであるから、他の工夫が必要となる。それは、掲げた規準と現実とを――道徳的 価値について知っていることと、実際に善良な人間であることとを――同じとみなすこと である。他人に関しては、自分の掲げた完全な規準に合わせて行動するように強要し、その 人がそれができないと軽蔑するから、そこに含まれている自己欺瞞にはなおいっそう気が つかない。こうして、彼自身の自己非難は外在化されるのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
44 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/17(日) 12:28:20.19 ID:ZE9ALU6C
/// 自己拡張的解決 33 ////// 彼は自分自身についての意見が正しいことを確認するために、熱烈な賞賛(彼はこれを 軽蔑する傾向がある)よりもむしろ、他人からの尊敬を必要とする。したがって、彼の要求は、 自分の偉大さに対する「素朴な」信念に基づいているというよりは、(第2章「神経症的要求」 のところで述べたように)彼が人生との間にひそかに行なっている「取引」に根拠をもって いるのである。彼は自分は公平で正しく誠実だから、他人からも人生一般からも公平な扱いを 受ける資格があると思っている。人生には絶対に誤りのない正義が働いているというこの 確信は、彼に人生に対する支配感情を与える。 ///////// 対馬忠監修 ///
45 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/17(日) 13:06:43.69 ID:ZE9ALU6C
/// 自己拡張的解決 34 ////// そこで、自分自身の完全さは、人に優越するための手段となるだけでなく、人生を支配する ための手段ともなる。幸運でも不運でも、自分の価値に不相応な運命を受けることがある という考え方は、彼には無縁なものである。だから、彼自身の成功、繁栄、健康は自分が 享受するものというよりは、自分の徳の証拠である。逆に、彼に降りかかる不運は何でも ――例えば、子どもの死、事故、妻の不貞、失業――この一見均衡のとれたように見える人を 崩壊の淵にもたらすものとなる。彼は不運を不当なものとして恨むだけでなく、それ以上に、 精神的存在の根底から揺り動かされる。というのは、不運は彼の評価体系全体の効力を失わせ、 自分は無力であるという恐ろしい見通しを彼にもたらすからである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
46 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/17(日) 16:34:45.08 ID:ZE9ALU6C
/// 自己拡張的解決 35 ////// 不幸以外に彼に破綻をもたらすものについては、〈べき〉の専制を論じた際に言及したが、 それは、自分自身が犯した誤謬や失敗に気づくことであり、自分が矛盾した〈べき〉の 板挾みになっていることを認めることである。彼は不幸によって自分の根底を失うのと ちょうど同じように、自分が誤りを犯すことがあると気づくと、根底から覆される。この時、 それまでうまく抑えられていた自己縮小的傾向と、まだ薄れずに残っていた自己嫌悪が 前面に出てくる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
47 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/18(月) 20:58:25.65 ID:G//2Nten
/// 自己拡張的解決 36 ////// 第三の型、つまり、尊大報復性の方向に向かう人は、自分の誇りと自分自身を同一視する。 彼の人生を動機づけている主な力は、報復的勝利を求める欲求である。ハロルド・ケルマンが 外傷性神経症との関連で述べているように、ここでは報復性が一つの生き方となっている。 報復的勝利を求める欲求は、栄光の追求の全部にわたって入っている要素である。だから、 われわれにとって興味があるのは、この欲求が存在することではなく、むしろ、この欲求の 圧倒的な強さである。勝利という観念は、なぜこれほどまでに人の心を強くとらえ、人生の すべてを賭けてまで、追い求められるのであろうか? もちろん、勝利の観念は多くの強力な 原因によってはぐくまれているに違いない。しかし、それらの原因について知るだけでは、 勝利の観念のもつ恐ろしい力を十分に説明することはできない。 ///// 自己実現の闘い ///
48 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/18(月) 21:38:41.65 ID:G//2Nten
/// 自己拡張的解決 37 ////// それをもっとよく理解するためには、この問題に、もう一つの角度から迫っていかなければ ならない。復讐と勝利への欲求の衝動は非常に激しい場合もあるが、ふつう、愛、恐怖、 自己保存という三つの要因によって、ある限度内に保たれている。そして、これらの抑制が 一時的または永久的に働かなくなる時にだけ、報復性は人格全体を巻き込み――そのため、 メディアにおけるように、それが一種の統合力となって――その人の人格全体を復讐と勝利 というただ一方向にだけ向けることができる。そして、ここで論じている尊大報復型の人では、 この二つの過程――激しい衝動と不十分な抑制――の結合が、こうした大きな報復性をもたらす 原因となっている。偉大な作家たちはこの結合を直観的にとらえ、精神医学者が示したいと 思う以上に印象深く述べている。例えば、『白鯨』のエイハブ船長、『嵐ケ丘』のヒースクリフ、 『赤と黒』のジュリアンがそれである。 ///// 原著 1950年発行 ///
49 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/18(月) 22:00:49.24 ID:G//2Nten
/// 自己拡張的解決 38 ////// まず最初に、報復性が人間関係にどのように現われるかを述べよう。勝利を得ようとする 強迫的欲求は、自己拡張型の人を極度に競争的にする。事実、彼は自分より知識や業績に 優れ、権力をもつなど、自分の優越性に何か疑いをもたせるような人には我慢できない。 彼はどうしても自分の競争相手を引き下ろし、打ち負かさずにはいられない。たとえ今は 自分の出世のために、その人の下についていても、最終的には勝利を収めようとたくらんで いる。彼は、人との結びつきも誠実な感情によるものでないから、容易に人を裏切ることが できる。辛抱強く仕事を続けることもよくあるが、それで実際に何をやり遂げるかは、彼の 才能にかかっている。しかし、いろいろ計画を立てたり、考えたりしても、価値のあることは 何もしないだろう。それは彼が非生産的であるばかりでなく、やがて見るように、あまりにも 自己破壊的であるからだ。 ///// Neurosis and Human Growth ///
50 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/19(火) 22:02:13.53 ID:9BMILh/R
/// 自己拡張的解決 39 ////// 彼の復讐心を最も顕著に示すものは、激しい怒りである。こうした復讐的激情の発作は 激しく起こり、自分でも抑制しきれずに、何か取り返しのつかないことをしでかしはしまいか と恐ろしくなるほどである。例えば、患者は酒に酔った時、つまり、ふだんの抑制がきかなく なると、自分が誰かを殺しはしまいかと実際におびえる。復讐的行動に駆り立てる衝動は非常に 強くなって、日頃彼の行動を支配している慎重さを失わせるほどになる。人は、復讐的な怒りに 取り憑かれると、自分の生命や安全や仕事や社会的地位を危うくすることにもなる。文学から 一例を挙げると、スタンダールの『赤と黒』がそれで、ジュリアンは自分の名誉を傷つける 手紙を読んだ後で、レナール夫人を撃っている。われわれはこの無謀さの意味するところを、 後程理解するだろう。 ///// Karen Horney ///
51 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/19(火) 22:11:36.90 ID:9BMILh/R
/// 自己拡張的解決 40 ////// このような時たま爆発する復讐的激情よりももっと重要なものは、拡張型の人の対人的 態度全体に浸透している永続的な復讐心である。このような人は、人は誰でも心の底では 意地悪く、根性が曲がっており、親切そうな振舞いも実は偽善なのだから、その人が正直 であることが証明されるまでは、疑ってみるのが賢明であると信じ込んでいる。しかし、 そうした証明も、ほんの些細な剌激からすぐに疑いに変わっていくものである。彼は他人に 対しては、時には表面だけ礼儀正しく装っていることもあるが、ふつうは公然と傲慢な、 しばしば乱暴で攻撃的な態度を示すことが多い。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
52 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/19(火) 22:28:00.71 ID:9BMILh/R
/// 自己拡張的解決 41 ////// また、精粗様々なやり方で、また、気づくと気づかないとにかかわらず、他人を辱め、搾取 する。例えば、女性を、その感情をまったく無視して、自分の性欲の満足のために利用する。 また、一見「無邪気」な自己中心的態度のような外観をとりながら、実は、自分の目的を 達成するための手段に他人を利用している。他人と交際し、それを続けるのも、ただその 人が自分の勝利を求める欲求を充たすのに役立つからにすぎない場合が多い。例えば、彼は 交際の相手として、自分の仕事の踏み台に利用できる人々、征服し、手なづけることができる 有力な女性、自分を盲目的に認めてくれ、自分の権力を強めてくれる追随者を選ぶのである。 ///// アカデミア出版会 ///
53 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/20(水) 20:51:04.27 ID:I8tHkcPq
/// 自己拡張的解決 42 ////// 彼は他人の欲求を挫折させることにかけては達人である。他人がもっている大小の望みや、 注目、安心、時間、仲間、楽しみなどを求める欲求を挫折させる。このような仕打ちに対して 相手が抗議すると、そんな抗議をするのは、相手が神経症的に過敏になっているからだと思う。 分折中に、自分が人を挫折させる傾向をもつことがはっきり現われてきても、彼は、皆が 互いに闘っているこの世の中では、それは合法的な武器なのだと考える。そのため、もし 用意を怠り、防衛の闘いのために全力を尽くさないとすれば、彼は愚か者である。彼はいつも 相手を打ち返す覚悟がなければならず、いつもどんな条件の下でも、その場の無敵の支配者 でなければならない。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
54 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/20(水) 21:48:24.33 ID:I8tHkcPq
/// 自己拡張的解決 43 ////// 他人に対する復讐心は、彼がどんな種類の要求をし、それをどのような仕方で主張するか ということにいちばんよく現われる。彼は公然と要求しないかもしれないし、自分が何かの 要求をもったり行なったりしているとは全然思っていないかもしれないが、実際には彼は、 自分の神経症的欲求は絶対に尊重され、逆に、他人の欲求や願いを完全に無視しても許される 資格があると思っている。例えば、自分は他人についてひどい観察や批評をあますところなく 言ってもよいが、他人からは、決して批判されない資格がある、また、友達にどれくらい 会うか、また、会って一緒に何をするかを決める権利は自分にあり、このことで友達から どんな期待も反対もされない資格があるというように考えている。 ///////// 対馬忠監修 ///
55 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/20(水) 22:12:32.97 ID:I8tHkcPq
/// 自己拡張的解決 44 ////// こうした要求がどのような内的要請から出ているにせよ、それらが他人を軽蔑し、無視 していることを示しているのは確かである。要求が充たされない時には、応報的な復讐心が 生じ、それは苛立ちから、ふくれる、他人に罪を感じさせる、公然と怒りを表わすことまで、 あらゆる表現をとる。これらは一つには、自分の欲求が充たされないことに対する憤りの 反応である。しかし、この感情をそのままぶっつけると、相手は恐れて従順な宥和的態度を とるので、彼はそれを自分の要求を通す一つの手段として使う。逆に、自分の「権利」を 主張しなかったり、報復しなかったりする時には、自分自身に対して非常に腹を立て、 「軟化している」と自分を叱る。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
56 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/21(木) 21:06:51.41 ID:eZwlSL0g
/// 自己拡張的解決 45 ////// 分折中に、自分には禁止や「服従」の態度があると訴える場合には、彼は自分では気づかないが、 自分のやり方のまずさについての不満を伝えようとしているのである。だから、彼が分析から ひそかに期待している一つのことは、こうした技術を上達させることである。言い換えれば、 彼は自分の敵意を克服したいと思っているのではなく、むしろ禁止をなくしたい、もっと 上手なやり方で敵意を表わしたいと望んでいるのである。そうすれば誰もが彼に畏怖の念を 抱き、とんできて自分の要求を充たしてくれるだろう。これら二つの要因のどちらもが不満を もつことを助長しているようなものだ。まったくのところ、彼は慢性的な不満をいつももった 人間である。彼は心のなかではそうであるのは当然だと思い、他人にもそれを知らせたいと 思っている。そして、すべてこうしたことは、不満を抱いているという事実も含めて、無意識的 なものであろう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
57 :
優しい名無しさん :2013/11/21(木) 21:18:45.54 ID:9BDf9mUG
ドイツはシュタイナーもそうだが 精神分析が学問として成り立ってるな
58 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/21(木) 21:33:56.82 ID:eZwlSL0g
/// 自己拡張的解決 46 ////// 彼は一つには、自分は人より優れた性質――彼の考えでは、それは優れた知識、「知恵」、 予見なのであるが――を具えているから、要求をするのは正当だと思っている。もっと具体的に 言えば、彼の要求は自分が傷つけられたことに対する復讐の請求なのである。彼は要求を 行なうためのこの根拠を強固にするため、昔のものであれ、最近のものであれ、受けた傷を 言わば宝物のように大切に心に抱き、生かしておかねばならない。彼は自分を、決して忘れる ということを知らぬ象にたとえる。自分では自覚していないが、彼は自分の受けた侮辱は 世間に差し出すべき請求書だと思っており、その侮辱を決して忘れないように最大の関心を 払っている。自分の要求を正当化したい欲求と、その要求の挫折に対する反応とは、悪循環を なして働き、彼の復讐心を絶えず煽り立てている。 ///// 自己実現の闘い ///
59 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/21(木) 21:55:11.52 ID:eZwlSL0g
/// 自己拡張的解決 47 ////// 復讐心がこのように生活全般に浸透してくると、当然、それが分析関係のなかにも入り込み、 いろいろな形で現われる。それは、いわゆる陰性治療反応と呼ばれるものの一部であって、 建設的な前向きの動きがあった後で、急激に状態が悪化することを言う。人々や人生一般に 向かう前向きの動きはどれも、実際には、彼の要求や復讐心にまつわるすべてのものを危うく するものである。復讐心が主観的に必要不可欠なものである限り、彼は分析においてそれを 守っていかねばならない。この復讐心の擁護のうち、外にじかに現われるのはごく一部分だけ である。 ///// 原著 1950年発行 ///
60 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/22(金) 20:49:41.70 ID:SOfX10Rr
/// 自己拡張的解決 48 ////// その場合、患者は、復讐心を決して捨てまいと思っていると率直に言うことがある。 「それを取り上げないでください。あなたは私に善人のふりをさせたいのでしょうけれど、 復讐心にはスリルがあり、生きている感じがするのです。それは強さなのです。」患者の この復讐心の擁護は、たいてい、巧妙に、婉曲に姿を変えて現われるので、それらがどんな 形をとるかを知ることは、分析家にとって臨床的に最も大切なことである。というのも、 復讐心の擁護は分析過程を滞らせるだけでなく、完全に台無しにしてしまうことがあるから である。 ///// Neurosis and Human Growth ///
61 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/22(金) 20:57:53.59 ID:SOfX10Rr
/// 自己拡張的解決 49 ////// 復讐心の擁護が分析過程を損なう仕方は二つある。まず、それは分析関係を支配しない までも、それに非常に大きな影響を与えることができる。この時、患者にとっては、分析家を 打ち負かすことの方が、分析の進展よりも大切なことに思えるだろう。さらに(これはより 知られていないことだが)、復讐心の擁護は、彼がどの問題に取り組むかを決定することが できる。もう一度極端な例で言えば、患者の関心は、結局もっと大きい、もっと上手な復讐 ――つまり、もっと効果的であると共に、自分は何の犠牲も払わず、平静に、落ち着いて できる復讐――をするのに役立つすべてのものに向かう。 ///// Karen Horney ///
62 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/22(金) 21:28:20.77 ID:SOfX10Rr
/// 自己拡張的解決 50 ////// この選択過程は意識的な推理力によらずに、直観的な方向感覚によってなされ、しかも、 それは少しの狂いもない確かさで働く。例えば、彼は自分の服従的な傾向や自分には何の 権利もないと思う気持を克服したいと強く思う。自己嫌悪は世間と闘う場合に自分を弱める ものであるから、それをなくすことにも関心がある。他方、自分の傲慢な要求や他人から 侮辱されたと思う感情の方は和らげようと思わない。彼は奇妙に見えるほど自分の外在化に 執着する。確かに、彼は自分の人間関係を分析することを好まず、その点に関しては、自分は ただ、煩わされたくないだけなのだと強調する。それゆえ、分析家は、この選択過程を支配 している恐るべき論理を把握しない限り、容易に分析過程全体が訳の分らぬものになって しまうだろう。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
63 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/23(土) 18:03:10.62 ID:bn9nTWj5
/// 自己拡張的解決 51 ////// このような復讐心の根源は何であり、その強さはどこからくるのであろうか? 他の すべての神経症的発達と同じように、この発達もその起源をたどれば幼年期にあり、特に 不利な人間的環境を経験し、それを償う要因がほとんどなかったことに原因がある。真の 残虐性、屈辱、嘲笑、無視、ひどい偽善、すべてこれらはとりわけ感受性に富んだ子どもには 非常にこたえるものである。何年間も捕虜収容所で耐えてきた人々の言うところでは、特に 自己と他人に対する同情の感情も含めて、自分たちのやさしい感情を押し殺すことによって 初めて生き残ることができたという。 ///// アカデミア出版会 ///
64 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/23(土) 19:00:19.46 ID:bn9nTWj5
/// 自己拡張的解決 52 ////// 私が今述べたような条件の下で育った子どももまた、生き残るためにこうした非情化の 過程を経てきたように思われる。子どもは同情は関心や愛情を得るために涙ぐましい試みを するが、うまくいかず、ついにはすべての思いやりのある欲求を殺してしまう。彼はしだいに 自分が真の愛情を得られないだけでなく、そんなものは全然存在しないのだと「決めて」 しまう。そして、最後にはもはや愛情を求めなくなり、むしろ、嘲笑するようにさえなる。 しかし、これこそが重大な結果を引き起こす第一歩なのだ。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
65 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/23(土) 20:20:55.12 ID:bn9nTWj5
/// 自己拡張的解決 53 ////// なぜなら、愛情や人間的な温かさや親密さを求める欲求は、人に好かれる性質を発達させる ための強い誘因になるからである。人から愛されているという感情、そして――さらにそれ 以上に――愛されることができるという感情は、おそらく人生で最大の価値をもつものの 一つであろう。反対に、次章で論じるように、愛されることができないという感情は、深い 悲しみの源となりうる。報復型の人はこのような悲しみを単純で過激な方法で取り除こうと する。彼は自分はどうしても人から愛されることができず、また、それでもかまわないのだと 思い込んでいる。そこで、人の気に入ろうという気持をなくしてしまい、少なくとも心のなかで、 激しい憤りを自由に思う存分味わうようになる。 ///////// 対馬忠監修 ///
66 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/24(日) 08:47:53.13 ID:GbdObtYT
/// 自己拡張的解決 54 ////// ここには、もっと後でその十分発達した姿を考察することになる事柄の発端がある。 復讐心は、慎重な配慮や方策を用いて外に現われないように抑えることができるが、同情や 好意や感謝の感情によってその力を消し去ることはほとんどできない。やさしい感情を破壊 するこの過程が、もっと後で、人々が友情や愛を求める時になっても、なぜ存続している のかを理解するためには、生き残るために彼が使っている第二の手段、つまり、彼の空想や 未来像を見てみなければならない。彼は次のように考えている。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
67 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/24(日) 10:53:52.19 ID:GbdObtYT
/// 自己拡張的解決 55 ////// 自分は現在「彼ら」よりはるかに優れており、将来も優れているだろう。自分は偉くなって、 彼らに恥をかかせるのだ。彼らがどんなに自分を見損ない、ひどい扱いをしていたかを 思い知らせてやるのだ。自分は偉大な英雄(ジュリアンの場合は、英雄はナポレオンであった)、 迫害者、指導者、不滅の名声を博する科学者となるのだ。以上のような感情は、雪辱、復讐、 勝利などを求めるもっともな欲求によって駆り立てられているので、単なる幻想ではない。 それは人生のコースを決定するものである。彼は事柄の大小を問わず、勝利から勝利へと 自らを駆り立てながら、「最後の審判の日」のために生きるのである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
68 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/24(日) 12:15:28.17 ID:GbdObtYT
/// 自己拡張的解決 56 ////// 勝利を求める欲求と、やさしい感情を否定する欲求とは共に、幼年期の不幸な環境から 生まれたものであり、そのため、この二つの欲求は最初から密接に関係し合っている。 そして、両者は互いに強化し合うので、依然としてその緊密な関係を保ち続ける。感情を 非情にすることは、もともと生き残るために必要なものであったが、今やそれは人生を 勝ち誇って支配しようとする欲動を自由に発達させることになる。しかし、やがてこの 欲動は、それにともなう飽くなき誇りによって、すべての感情を次々に飲み尽くす怪物と なっていく。愛、同情、配慮などすべての人間的な絆は、不吉な栄光へ進む途上での妨げと 感じられる。この型の人は孤立し、人から遠ざかったままでいなければならないのである。 ///// 自己実現の闘い ///
69 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/25(月) 21:07:26.58 ID:fk/KR2Kq
/// 自己拡張的解決 57 ////// モームは、サイモン・フェニモアの性格のなかで、このような人間的な欲望を故意に 破壊する過程を、一つの意識的な過程として述べている。サイモンは全体主義国家において 「正義」を行う独裁的指導者になるために、愛や友情やその他、生活を楽しませるものは すべて、自分で無理に拒否し、破壊するようにした。彼は自分自身や他人のなかのどんな 人間的な感動を誘うものによっても心を動かされてはならないのだ。報復的勝利を得るため には、彼は真の自己を犠牲にする。これは尊大報復型の人の心のなかで、無意識のうちに、 徐々に進行しているものを、芸術家の的確な目を通して見た姿である。どんな人間的な 欲求を認めることも、軽蔑すべき弱さの証拠となる。多くの分析作業の後で、いろいろな 感情が現われてくると、彼はそれに吐き気をもよおし、恐れる。また、自分が「軟化して いる」ように感じられて、不機嫌なサディズム的態度を強めたり、自分が嫌になって、 急に自殺したい衝動に駆られたりするのである。 ///// 原著 1950年発行 ///
70 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/25(月) 21:33:20.88 ID:fk/KR2Kq
/// 自己拡張的解決 58 ////// これまでのところは、主として、彼の人間関係の発達の跡をたどってきた。そして、 これによって彼の報復性や冷淡さの多くのものを理解することができるようになった。 しかし、なお多くの未解決な問題が残されている。例えば、報復性のもつ主観的な価値や その強さに関する問題、彼の要求の非情さについての問題などである。ここで、われわれは、 心内の要因に焦点を絞り、それが人間関係に及ぼす具体的な影響を考えてみるならば、 いっそう深い理解に達することができるだろう。 心内の要因のなかで彼の行動を動機づけている主な力は、復讐したいという欲求である。 彼は世間から見捨てられた者のように感じるので、自分自身の価値を自らに証明しなければ ならない。 ///// Neurosis and Human Growth ///
71 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/26(火) 21:24:17.01 ID:mmiDZf9O
/// 自己拡張的解決 59 ////// そして、その証明を満足のいくようにするためには、自分の持ち合わせない非凡な性質を 自分に与えるより他に方法はないが、どのような性質を与えるかは、彼がどんな特殊な欲求を もっているかによって決まる。もちろん、彼のように孤立し、敵意をもった人にとっては、 他人を必要としないことが大切なことである。そこで、彼は神のような完全な自己充足性を もっていることに大きな誇りをもつようになる。彼はあまりにも誇りが高いので、人に何かを 頼んだり、人から何かを感謝しながら受け取ったりすることができない。自分がものを受け取る 立場になることはひどい屈辱に感じられ、どんな感謝の気持も押し殺してしまう。 ///// Karen Horney ///
72 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/26(火) 21:35:13.54 ID:mmiDZf9O
/// 自己拡張的解決 60 ////// 彼はやさしい感情を抑制してしまった後では、人生を支配するのに、自分の知性だけを頼りに する。そのため、知性に対する誇りは異常なまでに高められ、警戒心や、あらゆる人を出し抜く こと、見通しをもつこと、計画することに誇りをもつようになる。さらにそのうえ、彼にとって、 人生とは、最初から、万人の万人に対する苛酷な闘いであった。そこで、無敵の強さをもち、 侵されないことは、単に望ましいだけでなく、絶対に必要なことに思われるに違いない。 実際、彼の誇りがすべてを食い尽くすほどに高くなるにつれ、傷つきやすさも耐えられない ほどになる。しかし、彼の誇りは、傷つけられたと感じることを禁じているので、彼はこの 感情をもつことを決して自分に許さない。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
73 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/26(火) 21:54:20.46 ID:mmiDZf9O
///// KAREN HORNEY //////////// [Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization] by Karen Horney, Norton 1950 CONTENTS INTRODUCTION: A MORALITY OF EVOLUTION 1. THE SEARCH FOR GLORY 2. NEUROTIC CLAIMS 3. THE TYRANNY OF THE SHOULD 4. NEUROTIC PRIDE 5. SELF-HATE AND SELF-CONTEMPT 6. ALIENATION FROM SELF 7. GENERAL MEASURES TO RELIEVE TENSION 8. THE EXPANSIVE SOLUTIONS: The Appeal of Mastery 9. THE SELF-EFFACING SOLUTIONS: The Appeal of Love 10. MORBID DEPENDENCY 11. RESIGNATION: The Appeal of Freedom 12. NEUROTIC DISTURBANCES IN HUMAN RELATIONSHIPS 13. NEUROTIC DISTURBANCES IN WORK 14. THE ROAD OF PSYCHOANALYTIC THERAPY 15. THEORETICAL CONSIDERATIONS ///// Neurosis And Human Growth ///
74 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/27(水) 21:49:05.91 ID:5sn+fsZN
/// 自己拡張的解決 61 ////// こうして、もともと真の感情を守るために必要であった非情化過程は、今や、誇りを守る ために強化されなければならなくなる。そこで、彼は自分が心の傷や苦しみを受けない存在 であることに誇りをもつようになる。蚊のような小さな虫であれ、事故であれ、人間であれ、 どんなものも、どんな人も、彼を傷つけることはできないのだ。しかし、この方法は両刃の 剣である。彼は傷つけられたと意識しないから、絶えず鋭い苦しみを感じることなく生きる ことができる。さらに、傷つけられたという意識が減少すれば、実際には、復讐的衝動も くじかれないだろうか。 ///// アカデミア出版会 ///
75 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/27(水) 22:03:56.78 ID:5sn+fsZN
/// 自己拡張的解決 62 ////// 言い換えれば、逆にもし傷つけられたという意識が減少しないとすれば、彼はもっと激しく、 もっと破壊的になるのではなかろうか。確かに、傷つけられたという意識が減じると、復讐心を 復讐心として意識することも少なくなる。復讐心は彼の心のなかでは、自分の受けた不正に 対する正当な怒りに変わり、不正を犯した人を罰する権利となる。しかし、ある傷が絶対に 難攻不落の防壁を突き通して、侵入してきた時、それによって受ける苦痛は耐えがたいもの となる。彼の誇りが――例えば、他人に認められないことで――傷つけられるだけでなく、 自分が他の何かの物や人によって傷つけられるのを自らに「許した」ことについて、屈辱的な 打撃も受けるからである。このような場合には、ふだん冷静な人も感情の面で危機に陥る ことがある。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
76 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/27(水) 22:16:46.94 ID:5sn+fsZN
/// 自己拡張的解決 63 ////// 以上述べたような、自分は絶対に侵されず、傷つけられないという信念と誇りに非常に よく似ていて、しかも、それと相補的な関係にあるものに、自分だけは免除されており、 刑罰を受けないという信念と誇りがある。この信念はまったく無意識的なものであるが、 次のような要求から生じる。すなわち、自分は他人に対して自由に好きなことをしてもよく、 そのことで他の誰からも嫌がられたり、仕返しされたりしない資格があるという要求である。 言い換えれば、私を傷つける人は誰でも罰を受けるが、私は誰を傷つけても罰を受けない ということである。 ///////// 対馬忠監修 ///
77 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/28(木) 20:55:01.23 ID:D5o4k+HN
/// 自己拡張的解決 64 ////// この要求が彼にとって絶対に必要であることを理解するためには、他人に対する彼の態度を もう一度考えてみなければならない。われわれは既に、彼が他の人々に軍隊式の正義を 振りかざし、傲慢な懲罰を与えることによって、あるいは、自分の目的に対する手段として 彼らを公然と利用して、よく怒らせるのを見た。ところが、彼は自分の感じている敵意を 全部さらけ出しているわけではなく、実際にはかなり抑制しているのである。スタンダールが 『赤と黒』のなかで描いているように、ジュリアンは、抑え切れない復讐の怒りで逆上して しまう場合のほかは、どちらかと言えば、自制的すぎるほどの、用心深い、警戒心の強い人 である。だから、この型の人は、他人を扱うのに向こう見ずであると同時に、警戒的である という奇妙な印象を与える。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
78 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/28(木) 21:19:18.94 ID:D5o4k+HN
/// 自己拡張的解決 65 ////// しかも、この印象は彼のなかに働いている種々の力を正確に映し出している。確かに、彼は 他人に自分の正当な怒りを感じさせることと、それを押し隠すことの両方をうまく均衡させ なければならない。彼が怒りを外に表わすように駆り立てられるのは、報復的衝動が大きい ためだけではなく、それ以上に、他人を脅し、鉄拳の恐怖を与えたい欲求があるからである。 さらに、怒りを外に表わすことがどうしてこのように必要になるかと言えば、彼は他の人々と 友好的な関係になる可能性が全然ないことを知っているからであり、また、怒りを表わす ことは自分の要求を主張する手段であるからであり、――もっと一般的に言えば――皆が お互いに闘っている時には、攻撃こそ最大の防御になるからである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
79 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/28(木) 22:00:40.94 ID:D5o4k+HN
/// 自己拡張的解決 66 ////// 他方、攻撃的衝動を和らげようとする彼の欲求は、いろいろな恐怖から生じる。彼は あまりにも傲慢なので、誰かを恐れたり、何らかの影響を受けたりすることがあると自分に 認めることができないが、実際には、人々を恐れている。この恐怖は多くの理由が結合して つくり出される。彼は自分が人に侮辱を与えると、その仕返しを受けるかもしれないと恐れる。 人と関係のあるどんな計画をしても、自分が「やり過ぎ」れば、妨害されるのではないかと 恐れる。人が自分の誇りを傷つける力をもっているから恐れる。 ///// 自己実現の闘い ///
80 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/29(金) 21:13:47.79 ID:6a0/kH8s
/// 自己拡張的解決 67 ////// また、自分の敵意を正当化するためには、他人のもっている敵意を誇張して考えねばならない から、彼らを恐れる。しかし、これらの恐怖を取り除くためには、その恐怖を自分に対して 否定するだけでは十分でなく、何かもっと有力な保証が必要である。彼が恐怖を処理できる ためには、必ず報復的敵意を表明しなければならず――それも、恐怖を意識せずに、敵意を 表わさねばならない。自分は免除されるべきだという要求が、自分は免除されているという 幻想的な確信に変わることで、このディレンマを解決するように思われる。 ///// 原著 1950年発行 ///
81 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/29(金) 21:43:39.16 ID:6a0/kH8s
/// 自己拡張的解決 68 ///////// 最後に挙げる誇りの種類は、自己の正直さ、公平さ、正しさについての誇りである。 言うまでもなく、彼は実際には正直でも公平でも正しくもなく、また、おそらくそうなる こともできないだろう。反対に、もし真理を無視し、人生を自分のやり方で欺き通そうと ――無意識のうちに――決心している人がいるとすれば、彼こそ、そうした人である。 しかし、彼の立っている前提を考えれば、彼がこれらの優れた性質を非常に高い程度に 具えていると自分で信じるのも、もっともなことに思える。仕返しをすること、あるいは、 望むらくは、こちらから撃ってでることが、彼には(論理的に)自分を取り巻くゆがんだ、 敵意に満ちた世界と闘う不可欠の武器に思えるのだ。これこそまさに聡明で合理的な自己利益 にほかならない。また、自分の要求や怒りやそれの表現についての妥当性を疑わないことは、 彼にはまったく正当で「率直な」態度に思われるに違いない。 ///// Neurosis and Human Growth ///
82 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/29(金) 22:03:54.27 ID:6a0/kH8s
/// 自己拡張的解決 69 ////// なおもう一つ、彼が自分を特に正直な人間であると確信するに至る強い要因があり、これに ついてここで言及することは他の理由のために重要である。彼は自分の周りで、追従的な 多くの人々が、本心より以上に愛情深く、同情的で、気前の良いふりをしているのを見ている。 そして、この点に関しては、なるほど彼の方が正直である。彼は親切なふりをしないし、 実際親切にするのが嫌いである。しかし、彼は、「少なくとも私は……するふりはしない」 というところでとどめておけばよかったのだが、自分の冷淡さを正当化したいために、さらに 一歩を進め、人を助けたり、親切にしたいという気持はそもそも純粋なものではないと主張 するまでになる。彼は一般的に親切に異議を唱えているのではなく、実際にある人々が親切に すると、見境もなくどれもこれも偽善であるとみなしてしまう。そうすることで彼はまたも 最高の地位に立つのである。なぜなら、このために、彼は自分が通俗の偽善者を超えた唯一の 人間であるように思われるからである。 ///// Karen Horney ///
83 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/30(土) 19:34:20.36 ID:uXAgtwYE
/// 自己拡張的解決 70 ////// こうした見せかけの愛情を許さぬ態度は、自分を正当化したい欲求よりもずっと深いところに 根ざしている。すべての拡張型の場合にそうであるように、ここでもまた、自己縮小的傾向が 現われてくるのは、かなり分析作業が進んだ後である。彼は自分自身を究極的に勝利を得る ための道具に利用してきたため、自己縮小的傾向を埋没させる必要が、他の拡張型の人より ずっと強いのである。後に、自分をまったく卑劣で無力なものに感じ、愛されるためには 平身低頭するようになる時期がやってくる。この時、彼は、自分が他人のなかに軽蔑して いたのは、彼らの愛の見せかけの態度だけでなく、彼らの屈従的な態度、堕落、愛に対する 無力な渇望であったことが分る。つまり、彼は自分自身のなかで嫌悪し軽蔑していたまさに その自己縮小的傾向を、他人のなかに見て、軽蔑していたのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
84 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/30(土) 20:05:38.98 ID:uXAgtwYE
/// 自己拡張的解決 71 ////// 今現われてきた自己嫌悪と自己軽蔑は、実に凄まじいまでの強さのものである。自己嫌悪は 常に残酷で無慈悲なものであるが、その強さや効力は次の二つの要因にかかっている。その 一つは、その人が自分の誇りにどの程度支配されているかであり、もう一つは、建設的な 力がどの程度自己嫌悪を打ち消すかである。建設的な力とは、例えば、人生の積極的な価値を 信頼すること、建設的な人生目標をもつこと、自分自身に対して温かく受け入れる気持を もっていることなどである。攻撃報復型の人では、これらすべての要因が不利に働くので、 自己嫌悪はふつうの場合よりもいっそう有害な性質をもつ。分析の場以外でも、彼がどれほど までに自分自身を苛酷にこき使い、自分自身の欲求を阻止し、その欲求阻止を禁欲主義として 美化しているかを観察することができる。 ///// アカデミア出版会 ///
85 :
◆9JwNW1WNKc :2013/11/30(土) 21:02:57.81 ID:uXAgtwYE
/// 自己拡張的解決 72 ////// このような自己嫌悪に対しては、しっかりとした自己防衛の手段をとることが必要になる。 自己嫌悪を外在化するのは、まったく自己保存のためであるように思われる。すべての自己 拡張的解決の場合のように、それは主として積極的な外在化である。彼は自分自身のなかで 制圧し、嫌悪するすべてのものを、他人のなかに見る。すなわち、彼らの自発性、生活の喜び、 宥和的傾向、服従、偽善、「愚かさ」を見て、嫌悪し軽蔑する。また、自分の規準を他人に 押し付け、その人々がそれにそえない時は罰する。彼が他人を挫折させるのは、一つには 自己を挫折させたい衝動の外在化である。それゆえ、他人に対する懲罰的態度は、完全に 報復的なように見えるけれども、実は混合した現象である。それは、一つには復讐心の現われ であり、さらに、自分自身に対する非難懲罰的傾向の外在化でもあり、最後に、自分の要求を 主張するために他人を脅す手段としても役立つ。これら三つの根源の全部は、分析で次々に 取り組まれなければならない問題である。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
86 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/01(日) 12:28:17.89 ID:xXwrUTvt
/// 自己拡張的解決 73 ////// 自己嫌悪から身を守るために大切なことは、いつでもそうするように、ここでも、自分が 誇りの命じるような理想的な人間でないことに気づかぬようにすることである。この点に 関する主な防衛方法は、外在化を別にすれば、独善という強固な鎧を身につけて、しばしば 自分を理性に近づけないようにすることである。何か議論が起こっても、それが敵意を含んだ 攻撃だと思うと、真理かどうかを考えてみようともせず、山荒が触れられるとすぐに針を 立てるように、自動的に反撃に出る。彼は、自分の正しさに疑いを差し挾むもののことなど ちょっとでも考えたら、おしまいなのである。 ///////// 対馬忠監修 ///
87 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/01(日) 16:21:25.36 ID:xXwrUTvt
/// 自己拡張的解決 74 ////// 自分の何らかの欠点に気づかないようにする第三の方法は、彼が他人に対して行なう要求の なかに示される。われわれが要求について論じた際、彼が自分にはあらゆる権利があるが、 他人には何もないという態度をとったなかには、復讐的要素が含まれていると強調した。 しかし、たとえ復讐心をもっていたとしても、自らの自己嫌悪の猛撃から身を守る必要が なければ、他人に要求することにももっと分別をもつことができたであろう。身を守るという 観点からすれば、彼の要求は、他人は自分にどんな罪の感情も自己疑惑も起こさせないように 振舞うべきだというのである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
88 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/01(日) 18:21:12.14 ID:xXwrUTvt
/// 自己拡張的解決 75 ////// もし彼が他の人々を搾取したり、人の欲求を阻止したりしても、その人から不平や批判や 恨みを受けない資格があると確信できれば、その時彼は、他人を搾取したり、他人の欲求を 阻止したりする自分の傾向を意識しないで済むわけである。また、もし自分にはやさしさや 感謝や配慮を他人から期待されない権利があると思っているなら、その場合、たとえ人々が 自分に失望しても、それは彼らの不運であって、自分が彼らを公平に扱わなかったためでは ない。もし、彼が自分は人間関係で失敗しているのではないかとか、他の人々が自分の態度を 恨むのば当然であるとかいった疑念をもつことを自らに許すなら、その疑いはちょうど堤防に あいた一つの穴のようなもので、そこから自己非難の洪水が堰を切ったように溢れ出し、 彼の作り物の自己確信をすっかり流し去ってしまうであろう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
89 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/02(月) 21:06:59.74 ID:hMl8+e9/
/// 自己拡張的解決 76 ////// この自己拡張型の人において、誇りと自己嫌悪がどんな役割を果たしているかを認める時、 彼の内部に働く種々の力がいっそう正確に理解できるだけでなく、彼に関するわれわれの 見解もすっかり変わるであろう。彼が人間関係でどのようであるかということに主に焦点を 合わせれば、彼のことを、横柄で、冷淡で、自己中心的で、サディズム的な人間であるとか、 その他なんでも思いつくままに、敵意ある攻撃性を示すような言葉で呼ぶことができる。 そして、その言葉はどれもが正しいと言えよう。しかし、彼が自らの誇りの体系のからくりの なかにどれほど深くはまり込んでいるかを知る時、また、彼が自己嫌悪に打ちひしがれない ためにいろいろな努力をしなければならないことを知る時、われわれは彼を、生き残るために 苦闘している一人の悩める人間として見るのである。そして、彼のこの姿は、最初に述べた ものに劣らず正確なものである。 ///// 自己実現の闘い ///
90 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/02(月) 21:55:23.11 ID:hMl8+e9/
/// 自己拡張的解決 77 ////// 二つの異なった観点から見たこれら二つの違った面のうち、どちらが他方より本質的で、 重要なのであろうか。その問いに答えることは困難なだけでなく、多分不可能であろう。 しかし、彼が対人関係での自分の障害を吟味することを嫌っており、しかも、その障害が 差し迫った問題でないような場合に、分析で彼をとらえることが可能なのは、内的葛藤の 面についてである。一つには、彼は対人関係がきわめて不安定なので、それに触れることを 恐れ、避けたがっているため、内的葛藤の面の方が近づきやすいのである。しかし、治療で 最初に心内の要因の方に取り組む客観的な理由も存在している。既に見たように、心内の 要因は、多くの意味で、彼の顕著な傾向である傲慢な報復性の一因となっている。 ///// 原著 1950年発行 ///
91 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/03(火) 20:55:26.72 ID:NUvbRdq6
/// 自己拡張的解決 78 ////// 事実、彼が心内にもっている誇りや、誇りの傷つきやすさを考慮に入れるのでなければ、 あのひどい傲慢さは理解できないし、彼が自己嫌悪などから身を守りたいという欲求をもって いることを知っていなければ、あの強い復讐心を理解することはできない。しかし、もっと 深く考えると、これら心内の要因は、強化要因であるだけでなく、彼の敵対攻撃傾向を強迫的な ものにする要因にもなっている。そして、これこそが、敵意に直接に取り組んでも実際に 効果がなく、無駄であり、また、そうならざるをえない決定的な理由である。敵意を強迫的に する要因が残っている限り(簡単に言えば、患者が敵意をどうすることもできない限り)、 彼は自分の敵意を認めることには、ましてや、それを吟味することには、おそらくなんの 興味ももつことはできないだろう。 ///// Neurosis and Human Growth ///
92 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/03(火) 21:21:50.73 ID:NUvbRdq6
/// 自己拡張的解決 79 ////// 例えば、報復的勝利を得ようとする彼の欲求は、確かに敵対攻撃的な傾向である。しかし、 その傾向が強迫的なものになるのは、自分自身に対して自分を弁護したい欲求のためである。 この願望はもともと神経症的なものですらない。彼は人間的な価値の非常に低い段階から 出発しているので、ただ、自分の存在を正当化し、自分の価値を証明しなければならない。 ところが、それから、誇りを取り戻し、心の内に潜む自己軽蔑から自らを守ろうとする欲求の ために、この願望が絶対不可避の必要物となる。同様に、自分は正しくありたいという欲求と、 その結果生じる傲慢な要求とが――好戦的で攻撃的なものであるが――どんな自己疑惑も 自責ももってはいけないという内的要請のために、強迫的なものとなる。そして最後に、 他人のあら探しをしたり、他人に対して懲罰的、非難的になったりする彼の態度の大半が ――ともかく、こうした態度を強迫的にしているものが――自己軽蔑を外在化したいという 強い欲求から生じる。 ///// Karen Horney ///
93 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/05(木) 00:19:22.59 ID:SmSn+ScD
/// 自己拡張的解決 80 ////// さらにそのうえ、最初に指摘したように、ふだん報復性を抑制している力がうまく働かないと、 報復性は一段と強くなる。そして、ここでもまた、心内の要因が、こうした抑制を働かなく させる主要な原因となっている。やさしい感情を失っていく過程は、幼年期に始まるあの 非情化の過程と言われるもので、これは他人に対して自分を守るために、他人の行動や態度に よって仕方なく身につけたものである。彼の誇りは傷つきやすいために、苦しみを感じない ようにしたい気持は非常に強くなり、さらに、その欲求は、自分は絶対に傷つけられないという 誇りのために、最高の強さに達する。人間的な温かさや愛情に対する願望(それを与えることも 受けることも両方を含む)は、もともとは、環境によってくじかれ、ついで、勝利を求める 欲求のために犠牲にされ、最後には、自己嫌悪によって、自分は愛されることができないのだ という烙印を押されて、凍えてしまう。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
94 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/05(木) 00:35:17.30 ID:SmSn+ScD
/// 自己拡張的解決 81 ////// こうして、彼は他人に反抗しても、失うべき貴重なものは何ももっていないのである。彼は 無意識のうちに、ローマ皇帝の格言の言う「彼らが私を恐れる間は、彼らが私を憎むも可なり」 を自分の態度として採用している。言い換えれば、「彼らが私を愛するなどということは 論外である。彼らはともかく私を憎んでいる。だから、少なくとも私を恐れているはずだ」 というのである。さらに、他の場合なら報復的衝動を抑制するはずの健全な自己関心も、 ここでは、彼が自分の個人的な幸福をまったく無視しているので、最低限に抑えられている。 また、他人を恐れる気持でさえも、ある程度は働いているが、彼が自分は絶対に傷つかず、 自分だけは免除されているという誇りをもっているために、抑えられている。 ///// アカデミア出版会 ///
95 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/05(木) 20:57:48.45 ID:SmSn+ScD
/// 自己拡張的解決 82 ////// 報復性が抑制できなくなる過程を論じているこの文脈で、特に言及に値する一つの要因が ある。それは、彼が他人に対する同情をほとんどもっていないということである。この同情の 不在を引き起こす原因は多くあり、他人に対する敵意や自分自身に対する同情の欠如から きている。しかし、彼が他人に対して冷淡になる最大の原因となるものは、他人に対する 羨望である。この羨望は特定の価値に対するものではなく、全般的な価値に対する苦い羨望 であり、人生一般から自分が除け者にされていると感じるところから生じる。事実、彼は 心にもつれをもっているため、人生の生きがいとなるすべてのもの――喜び、幸福、愛、 創造性、成長――から実際に除外されている。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
96 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/05(木) 21:39:05.55 ID:SmSn+ScD
/// 自己拡張的解決 83 ////// もし物事をはっきりしたやり方で考えたいと思えば、ここで次のように言えるだろう。彼は 人生に背を向けてしまっているのではないのか? 何事も欲せず、何事も必要としないという 禁欲的な態度を誇りに思っているのではないのか? あらゆる種類のやさしい気持をずっと 避け続けているのではないのか? もしそうなら、彼はなぜ他人を羨むことがあろうか? だが、事実、彼は他人を羨ましく思っている。当然のことながら、もし分析を受けなければ、 彼は傲慢な心のために、自分が他人を羨んでいることを率直に認めないだろう。しかし、 分析が進んでくると、人は皆自分より楽な暮らしをしているという意味のことを口にしたり、 誰かがいつも朗らかで、何かにたいへん興味をもっているというただそれだけのことで、 その人に腹を立てることを認めるだろう。 ///////// 対馬忠監修 ///
97 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/06(金) 21:16:49.36 ID:QuO4aE2o
/// 自己拡張的解決 84 ////// そして、自分から婉曲に説明を加えて、このような人は自分の幸せをこれみよがしに顔に 表し、意地悪く自分を辱めようとしているのだと言う。このような物事の考え方は、喜びを 抹殺してしまいたいような報復的衝動を起こすばかりか、他人の苦しみに対する同情をもみ 消して、一種の奇妙な冷淡さを生む(イプセンのヘッダ・ガブラーはこのような報復的な 冷淡さを示す好い例である)。以上のところでは、彼の羨望はちょうど自分の使わないもの でも、人に使わせることを嫌がるといった意地悪い態度を思わせる。自分がそれを欲しいと 思っても思わなくても、ともかく、自分の手に入らぬものを他の誰かがもつことができる ということが、彼の誇りを傷つけるのである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
98 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/06(金) 21:50:38.86 ID:QuO4aE2o
/// 自己拡張的解決 85 ////// しかし、この説明ではまだ十分深く物事をとらえていない。彼はこれまで人生という葡萄は 酸っばいものだと言っていたが、分析を進めていくうちに、それはやはり望ましいものだと いうことがしだいに分ってくる。彼が人生に対して背を向けているのは、自分で望んだもの ではないこと、彼が生きることと交換に得たその代用物はつまらないものであることを忘れては ならない。言い換えれば、生きることへの彼の強い関心は、押しつぶされそうになってはいるが、 すっかり消えてしまってはいないのである。このことは、分析の当初にはただ希望的に信じ られていたにすぎないが、ふつう考えられている以上に、その信念の正しいことが多くの 症例によって分ってきている。治療がうまくいくかどうかは、それが妥当であるかどうかに かかっている。彼のなかに、もっと充実した生活をしたいという願いがなければ、どうして 彼を助けることができようか。 ///// 神経症と人間的成長 ///
99 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/07(土) 09:46:44.28 ID:JfrCLqrB
/// 自己拡張的解決 86 ////// 以上に述べたことをよく認識することは、そのような患者を扱う分析家の態度にとっても 大切である。この型の人に対しては、たいていの人は、脅されて言いなりになるか、それとも、 まったく拒否するかのいずれかの態度をとる。どちらの態度も分析家のためにならないもの である。当然のことながら、分析家は彼を一人の患者として受け入れる時、彼を助けてやりたい と思う。しかし、分析家が脅されている間は、勇気をもって問題にうまく取り組んでいく ことはできない。また、分析家が心のなかで患者を拒否しているなら、分析作業を生産的に することはできない。しかし、もし分析家がこの患者も口では反対のことを言っているけれども、 実際には苦しみ、もがいている一人の人間であることを認めるなら、彼は患者を、必要な 同情と尊敬をもって、理解することができるであろう。 ///// 自己実現の闘い ///
100 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/07(土) 18:47:46.66 ID:JfrCLqrB
/// 自己拡張的解決 87 ////// 以上の三種類の自己拡張的解決の方法を振り返ってみると、その全部が人生を支配する ことを目的としていることが分る。これは恐怖と不安を静めるやり方であり、彼らに人生の 意味を与え、生きるための強い興味を与えるものである。彼らは様々な仕方で、すなわち、 自己を賛美し、魅力を振りまくことによって、あるいは、自分たちの高い規準に運命を 無理に合わせることによって、あるいは、決してひるまず、報復的勝利の精神をもって 人生を征服することによって、このような支配を得ようとするのである。 ///// 原著 1950年発行 ///
101 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/08(日) 17:19:45.78 ID:XxN3jjCD
/// 自己拡張的解決 88 ////// このそれぞれに応じて、情緒的な雰囲気にもいろいろな違いがある。それには、時たま 燃え上がる温かさや生きる喜びから、冷静さ、そして、最後には冷淡さまである。それぞれの 雰囲気は、主として、自分のやさしい感情に対してどのような態度をとるかによって決まる。 自己性愛型の人は豊かな感情のために――たとえその感情が部分的には見せかけから発した ものであっても――ある条件の下では親切寛大であることができる。完全主義型の人は、 自分は親切であるべきだと思うから、親切を示すことができる。尊大報復型の人は、親切な 感情を打ち砕き、それを軽蔑する傾向がある。 ///// Neurosis and Human Growth ///
102 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/10(火) 21:12:58.11 ID:VK5iP7jG
/// 自己拡張的解決 89 ////// これらのどれにも、多くの敵意が含まれているが、自己性愛型の人では、その敵意は寛大さ によって打ち消され、完全主義型の人では、敵意をもつべきではないという拘束によって 抑えられ、尊大報復型の人では、敵意は他の型の人よりも公然と外に表わされ、先に述べた 理由のために、いっそう破壊的になる可能性が強い。他人から何を期待するかという点に ついては、献身と賞賛を求める欲求から、尊敬を求める欲求、さらには服従を求める欲求 まである。そして、彼らが人生に対して要求する時に無意識のうちに根拠にしているものには、 自分は偉大であるという「素朴な」信念から、人生との小心翼々とした「取引」、さらには、 受けた傷に対して復讐する権利が自分にはあるとする感情まである。 ///// Karen Horney ///
103 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/11(水) 21:50:53.81 ID:mIGABw1F
/// 自己拡張的解決 90 ////// 治療の機会は、以上に述べた段階が進むのに従って減少するように思われるかもしれない。 しかし、ここでもまた、このような分類は、単に神経症的発達の方向を指し示すだけのもの にすぎないということを心に留めておかねばならない。治療の機会は実際には多くの要因に 依存している。この点に関して最も大切な問題は、これらの傾向がどれほど深く浸透して いるか、そして、これらの傾向を克服しようとする動機もしくは潜在的な動機がどれほど 強いかということである。 ・・・・ ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
104 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/14(土) 20:00:24.76 ID:iqGbwPc6
105 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/15(日) 13:28:35.51 ID:cqL5iHlF
/// 自己縮小的解決 1 /////////// カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 1950年発行 邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より ・・・・ 第9章 自己縮小的解決 ――愛を求める―― ここで取り上げる内的葛藤の主な解決法の第二のものは、自己縮小的解決である。自己 縮小的解決は本質的には、自己拡張的解決と逆の方向への心の動きを表わすものであるが、 現実には、自己拡張的解決と対照してみる時、その際立った特徴がただちに明らかになる。 そこで、次のような問題に焦点を合わせて、自己拡張型の目立った特徴を振り返ってみよう。 人は自らの内部の何を美化し、何を憎み、何を軽蔑するのか。また、自分のなかの何を はぐくみ、何を抑えるのか。 ///// アカデミア出版会 ///
106 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/16(月) 21:01:59.51 ID:giEslZgO
/// 自己縮小的解決 2 /////////// 自己拡張型の人は、支配という意味をもつものすべてを自分のなかで美化し、はぐくむ。 他人に関する支配では、何かで人より優れ、人の上に立ちたいという欲求が現われる。 彼は他人をうまく操り、支配し、自分に依存させようとする。この傾向は、他人にどのような 態度を期待するかという点に関しても生じる。崇拝、尊敬、承認のいずれを求める場合でも、 彼の関心は、他人が自分に従い、自分を尊敬することにあり、自分の方が他人に従い、宥和的、 依存的になるは考えたくもないのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
自己愛性、自己愛萎縮系、パーソナリティ障害理論と重複するところが多々あるね。 パーソナリティ障害理論確立の土台の一つになったのだろう。 更にホーナイは生前来日し、森田療法確立の一役を担った高良博士と会い、 森田療法に感銘を受けたそうだ。 加藤諦三もホーナイの「自己分析」を読んで大きく飛躍したとのこと。 「自己分析」はオレも読んだが、まぁあの手法で解決するためには、 本人の知性や洞察力も一定以上でなければならないだろう。
108 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/19(木) 21:11:23.39 ID:AD2RL+aJ
/// 自己縮小的解決 3 /////////// さらにそのうえ、彼は、自分がどんな突発事にも対処できる能力があると確信し、それを 誇りにしている。彼にできないことは何もないのだ。いや、あってはならないのだ。何としても、 彼は自らの運命の支配者にならねばならず、また現になっていると思う。自分が無力であると 知れば、彼は恐慌状態に陥るであろう。彼は自分のなかに少しの無力な痕跡も見たくない のである。 支配が自分自身との関連で現われる場合には、自分が理想化された誇り高い自己になる、 という意味をもっている。彼は、意思力と理性によって、自らの魂の主人になる。彼は自分の なかに、何か無意識的な力、つまり、自分の意識の統制のきかないような力が存在している ことをなかなか認めようとしない。 ///////// 対馬忠監修 ///
>>106 (&108)の「自己拡張型」とは、全く持って「自己愛性パーソナリティ」とイコールだと思われる。
110 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/21(土) 14:55:13.86 ID:/BSuY/Ff
/// 自己縮小的解決 4 /////////// 自分のなかに葛藤や、自分ですぐに解決(支配)できない問題があると認めることは、彼を ひどく不安にさせる。苦しみは他人に知られてはならない恥なのだ。彼の場合に典型的なのは、 精神分折中に、自分の誇りを認めるのは別に困難でないのに、〈べき〉や、〈べき〉に自分が 振り回されていることを認めたがらない点である。彼は何ものによっても突き動かされる べきでないのだ。彼は、自分には、自らの掟をつくり、それを守ることができる力がある という虚構をできる限り長く信じ込もうとする。また、自分が外部のどんな要因に対しても 無力であることを憎むのと同じくらいに、あるいはそれ以上に、内部の何ものに対しても 無力でありたくないと思う。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
111 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/22(日) 09:44:45.99 ID:mkMBQQKz
/// 自己縮小的解決 5 /////////// 自己縮小的解決の方向に進んでいる人々には、自己拡張型の人々とは逆の強調が見られる。 この型の人は、他人の上に立ちたいと意識的に思ったり、そのような気持を行動に表わしたり してはならないのである。むしろ反対に、彼は他人に従属し、依存し、他人をなだめようと する。この型の最も著しい特徴は、無力や苦しみに対して、自己拡張型とはまさに正反対な 態度をとる点にある。無力や苦しみを嫌うどころか、彼はむしろそれをはぐくみ、無意識の うちにそれを誇張する。したがって、他人が自分を崇拝し、承認し、高い地位につけようと する態度を示すと、気持が落ち着かない。彼が切に求めるのは、他人からの援助や保護であり、 身を委ねる愛情なのである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
112 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/23(月) 09:35:41.88 ID:AesuE251
/// 自己縮小的解決 6 /////////// こうした特徴は、自分自身に対する態度にも浸透している。自己拡張型とは正反対に、 彼は、自分の〈べき〉にかなっていないという漠然とした失敗感を抱いており、そのため、 罪悪感や劣等感や屈辱感をもちやすい。また、そのような失敗感や自己軽蔑は受動的な 仕方で外在化され、他人が自分をとがめ、軽蔑しているように感じる。その反面、彼は、 自己賛美、誇り、傲慢のような、自己拡張的感情を否定し、それをなくしてしまおうとする。 ///// 自己実現の闘い ///
113 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/23(月) 19:54:50.69 ID:AesuE251
/// 自己縮小的解決 7 /////////// 誇りはどんなものでも、広範な厳しいタブーのもとに置かれ、その結果、彼は意識的には 誇りをもたなくなる。つまり、誇りは否定され、否認される。彼は抑制された自己、言い 換えると、何の権利ももたぬ密航者のようになる。また、こうした態度をとることで、自分の 心に潜む野心、復讐、勝利、私利の追求という意味を帯びたものをすべて抑え込んでしまう。 要するに、彼は自己拡張的態度や欲動をすべて抑制し、自制の傾向を強めることで、内的葛藤を 解決してきたのである。精神分析を受けて、初めてこれらの葛藤する欲動が前面に出てくる。 ///// 原著 1950年発行 ///
114 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/24(火) 21:13:59.05 ID:Pl3Ba0kY
/// 自己縮小的解決 8 /////////// 誇りや勝利や優越性をやっきになって避けようとする態度は、いろいろな面に現われるが、 なかでも特徴的で、よく見られるのは、ゲームに勝つことを恐れる態度である。様々な病的 依存の症状をもつかある患者の例を挙げると、彼女は時々テニスやチェスで素晴らしし腕前を 発揮することができた。ところが、試合で自分が勝っているのを忘れている間は、万事うまく いったのだが、相手より勝っていると意識したとたんに、テニスのポールを受け損じたり、 チェスで必ず勝つと分っている手を見逃してしまった。精神分析を受ける以前でさえ、彼女は、 自分がそのようなことをしたのは、勝つのが嫌だったからではなく、勝つのが怖かったからだ、 ということがよく分っていた。しかし、この渦程はすべて自動的に働いたので、彼女はわれと わが身を負けさせたことに対して、腹を立てても、それをどうすることもできなかったのである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
115 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/24(火) 22:09:29.45 ID:Pl3Ba0kY
/// 自己縮小的解決 9 /////////// これとまったく同じ態度が、他の場面でも見られる。自分が他人より優位にあることを 自覚せず、それを利用できないのが、この型の人の特徴である。特権をもっていても、 この人の心のなかではそれは負担に変わる。彼はしばしば自分が卓越した知識をもっている ことを自覚せず、決定的な瞬間にそれを使うことができない。例えば、家事や秘書の仕事の ように、何をするかがはっきり決まっていないことをする場合に、どうしてよいか分らない。 ///// Karen Horney ///
116 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/25(水) 22:08:15.29 ID:yE7+H1lt
/// 自己縮小的解決 10 /////////// ごく当たり前のことを人に頼む時でも、他人を不当に利用するような感じがして、頬むのを やめるか、「罪」を意識し、言い訳をしながら頼むことになる。現に、自分に依存している 人に対してさえも、彼は無力であり、その人が自分を侮辱するような態度をとっても、 それから身を守ることができない。だから、彼がみすみす自分を利用しようとする人の 餌食になってしまうのも、なんら不思議ではない。彼は無防備であり、ずっと後になって 初めて自分が利用されたことに気づき、自分自身や搾取者に対して、激しい怒りを覚える ことが多い。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
117 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/26(木) 20:50:48.55 ID:RoMdTVcF
/// 自己縮小的解決 11 /////////// ゲームよりもっと大切な事柄で、彼が勝利を恐れるのは、成功し、喝采や注目を浴びる 場合である。彼は人前ですることをなんでも恐れるだけではない。何かで成功しても、 それが自分の働きによるとは思えず、かえってそれにおじけづいて、成功を過少評価したり、 自分の運が良かったせいにする。運のせいにした場合には、「自分がそれをやった」のでは なく、「偶然そうなったのだ」というようにしか思われない。成功と心の安定感は、しばしば 逆比例する。彼は、自分の専門分野でたびたび業績を上げても、心が安まらず、ますます 不安になり、それが高じてひどい恐慌状態に陥ることもあり、音楽家や俳優なら、条件の良い 契約も断わってしまうほどになる。 ///// アカデミア出版会 ///
118 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/27(金) 21:07:21.53 ID:u8ZSW+ec
/// 自己縮小的解決 12 /////////// さらにそのうえ、彼は「僣越な」考えや感情や態度を避けなければならない。彼は無意識 ではあるが一貫して、自分を過小評価する過程を進み、傲慢、自惚れ、僣越と思われるものは 何でも避けようとして、それとは正反対の態度をとる。自分の知識、自分の業績、自分の 善行はすべて忘れてしまう。自分のことは自分でやれる、自分が招待すれば誰でも喜んで やって来る、魅力ある女性が自分を好きになる、などと考えるのは、自惚れなのだ。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
119 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/28(土) 08:46:58.31 ID:EGyWBG9P
/// 自己縮小的解決 13 /////////// 「私がやりたいと思うことは、何でも傲慢なのだ」と彼は思う。自分が現実に何かをやり 遂げたとしても、それは運が良かったのか、はったりによるのだ。自分の意見や信念を もつこと自体が既に僣越だ、と彼は感じているので、人から強引に言われると、自分の 信念のことも忘れて、すぐに妥協してしまう。だから、風見鶏のように、反対勢力の言いなり にもなるだろう。不当な非難を受けた時に釈明する、食事を注文する、昇給を要求する、 契約の時自分の権利を主張する、好ましい異性に積極的に近づく、などのまったく当然な 自己主張すら、彼には僣越なことに思える。 ///////// 対馬忠監修 ///
120 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/28(土) 18:45:42.48 ID:EGyWBG9P
/// 自己縮小的解決 14 /////////// この型の人は、自分が現に長所をもっていることや、業績を上げたことを、間接的に認めは するが、その実感をもたない。例えば、彼は、「患者は、私が立派な医者だと思っている ようです」とか、「私のことを魅力的だと男の人たちが言ってくれました」とかいうような 言い方をする。時には、他人が自分に対して心から良い評価をしてくれても、それを否認する。 「先生方は私が聡明だと思っているけれど、それは間違いです。」これと同じ態度は経済的な 事柄にも及び、彼は自分で働いて得た収入を、自分のものだと思うことができず、経済的に 豊かな暮らしをしていても、自分は貧しいと感じている。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
121 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/28(土) 21:26:38.17 ID:EGyWBG9P
/// 自己縮小的解決 15 /////////// ごくありきたりの観察や自己省察によっても、こうした過度の謙虚さの背後には必ず恐れが 隠されていることが分る。そして、彼が頭角を現わし始めると、すぐにこの恐れが出現して くる。自己過小評価の過程がどのような原因から始まるにせよ、その過程は、彼が自分を 狭い枠のなかにはめ込み、枠からはみ出ることを強くタブーにすることによって、維持されて いる。自分は少なきに甘んじるべきだ。より多くを求めるべきではない。より多くを求める 願いや努力はどれも、運命に対する危険で無謀な挑戦のように思える。 ///// 神経症と人間的成長 ///
122 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/29(日) 07:20:17.96 ID:2kPNLmqj
/// 自己縮小的解決 16 /////////// また、食事制限や体操をして格好よくなろうとか、良い服を着て見かけを立派にしようとか 望むべきではない。最後に、非常に重要なのは、自己分析をして自分を良くしようなど、 すべきではないことだ。人から強制されれば、できないこともなかろうが、そうでない場合 には、自己分析をする時間などはない、と彼は思う。ここでは、特定の問題に取り組む際に 起こる個々の恐れについて言っているのではない。そうしたありきたりの困難は外にも、 彼が自己分析をしようとすると、それを妨げる何かがある、よく彼は、意識的には自己分析に 価値があると確信しながら、現実にはそれとまったく逆に、自分のことに「それほど時間を 使う」のが「利己的」であるように思うのである。 ///// 自己実現の闘い ///
123 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/29(日) 17:16:34.31 ID:2kPNLmqj
/// 自己縮小的解決 17 /////////// 彼が「利己主義」であるとして軽蔑するものは、彼が「僣越」と思うものと同じくらい 広範囲にわたっている。彼の言う「利己主義」とは、自分一人のために何かをすることを 意味する。彼はしばしば多くのことを楽しむことができるが、そうしたことを自分一人で 楽しむのは、「利己主義」ということになる。彼にこうしたタブーによって自分が動かされて いるとは気づかず、喜びを人と分かち合いたいと望むのは「自然のことだ」と思っている。 実は、喜びを分かち合うことは、彼には絶対的な義務なのである。食物、音楽、自然のいずれ であろうと、他の誰かと分かち合うのでなければ、その風趣と意味は失われてしまう。彼は 自分のために金をつかうことができず、自分個人の出費については、常軌を逸するほどけち になり、その態度は、他人のためなら惜しげもなく浪費することと、特に著しい対照を 示している。 ///// 原著 1950年発行 ///
124 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/29(日) 23:17:04.80 ID:2kPNLmqj
/// 自己縮小的解決 18 /////////// もしタブーを犯して自分のことに金をつかえば、それが客観的に見て筋の通ったもので あっても、彼は恐慌状態に陥るだろう。時間やエネルギーの使用についても同じである。 彼はしばしば、暇な時でも、仕事のために役立つ本しか読むことができない。私信を書く 時間もさけず、人と会う約束の合間にその時間をこっそりひねり出す。また、誰かが喜んで くれるのでなければ、自分の持ち物を片づけたり、整頓したりすることができない。同様に して、デートや仕事やつき合いで人と会うため――つまり、ここでも他の人のため――という のでなければ、彼は自分の身なりもかまわないだろう。逆に、善い人に紹介したり、就職の 世話をするというような、人のためになることなら、かなりのエネルギーと、手腕を発揮する。 ところが、自分のために同じことをするとなると、手も足も出なくなるのである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
125 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/30(月) 07:54:24.70 ID:Vx6m1K3y
/// 自己縮小的解決 19 /////////// 彼の心には敵意があるのだが、感情を取り乱した時のほかは、それを表面に表わすことが できない。平静な時の彼は、人とのいさかいや小さな摩擦でさえも恐れるが、それにはいくつかの 理由がある。一つには、こんなふうに無力になってしまっている人は、もはや強い戦士では なく、またそうなることもできないからである。また、もう一つには、彼は誰かが自分に 敵意をもちはしまいかと恐れ、むしろ自分の方から先に降伏し、相手を「理解し」、許そう としているからである。この恐れについては、後に彼の人間関係について論じる際に、もっと はっきり分るであろう。 ///// Karen Horney ///
126 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/30(月) 16:41:43.74 ID:Vx6m1K3y
/// 自己縮小的解決 20 /////////// しかしまた、他のタブーとも矛盾せず、実際にそのなかに含まれるものに、「攻撃的」に なることに対するタブーがある。彼は、ある人物、ある考え、ある主義主張を好まぬことを、 表明したり、必要なら、そのために闘ったりすることができない。また、意識的に敵意や 恨みを長く持ち続けることもできない。そのため、報復的欲動は無意識の状態にとどまり、 擬装された形で、間接的にしか表わされない。彼は公然と要求することも、非難することも できない。たとえ自分が正しいと思っても、人を批判し、非難し、責めるのは、彼には 至難の業なのである。彼は冗談にも、鋭い、機知に富んだ皮肉を飛ばすことができない。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
127 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/30(月) 20:00:53.21 ID:Vx6m1K3y
/// 自己縮小的解決 21 /////////// 前述のすべてを要約すれば、僣越で、利己的で、攻撃的なことはすべてタブーである、と 言うことができる。こうしたタブーがどれほどの範囲にわたっているかを詳しく見れば、 これらのタブーは、その人が発展し、闘い、自分や自分の利益を守る能力、すなわち、成長や 自尊心を高めるすべてのものを、弱め抑制する働きをしていることが分る。そうしたタブーと 自己の過小評価によって、縮小過程が生じ、それが人の背丈を無理に縮め、ある患者の夢に 現われたような感じを抱かせる。その夢では、何か苛酷な罰を受けた結果、人の体が半分の 大きさに縮み、極貧と痴愚の状態に落とされたのだった。 ///// アカデミア出版会 ///
128 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/31(火) 08:42:53.22 ID:9T+pg9kn
/// 自己縮小的解決 22 /////////// そこで、自己縮小型は、自分のもつタブーを犯さずには、どんな自己主張、攻撃、拡張の 動きもすることができない。タブーを犯せば、自責と自己軽蔑の両方が生じる。それに対して、 彼は特定の内容をもたぬ全般的な恐慌状態に陥るか、罪の意識をもつか、どちらかの反応を する。自己軽蔑が前面に出ている場合には、人からもの笑いにされるのを恐れる心が生じる であろう。彼は自分を非常に小さく、取るに足らぬものに感じているので、自分の狭い枠から 少しでも外に出ようとすると、人から笑われはしまいかという恐れがすぐに起こってくる。 この恐れは、少しでも意識されると、外在化されるのがふつうである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
129 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/31(火) 12:04:43.61 ID:9T+pg9kn
/// 自己縮小的解決 23 /////////// 例えば、自分が討論の場で発言したり、何かの役職に立侯補したり、ものを書こうという 野心をもったりすれば、人は自分を滑稽に思うだろう、と考える。ところが、この恐れの 大部分は無意識のままである。いずれにせよ、彼は、その恐れがどんなに重大な影響を 及ぼすかについて、気づいていないようである。だが、それこそ、彼を抑えつけている 重要な要因なのである。したがって、人のもの笑いになりはしまいかというこの恐れは、 それに自己縮小的傾向があることを具体的に示すものである。そこは自己拡張型の人には 無縁である。拡張型の人は、自分が滑稽に見えたり、人からおかしいと思われたりしないか など考えもせず、堂々と僣越に振舞うことができる。 ///////// 対馬忠監修 ///
130 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/31(火) 17:39:00.61 ID:9T+pg9kn
/// 自己縮小的解決 24 /////////// 自己縮小型は、自分のためなら何でも切り詰めるが、他人のためには自由にどんなこと もできる。そればかりでなく、彼の内的命令によれば、できる限りの援助、気前の良さ、 思いやり、理解、同情、愛、犠牲を他人に与えるべきなのである。事実、彼の心のなかでは、 愛と犠牲が密接に絡み合っている。彼は愛のためにすべてのものを犠牲にすべきであり ――愛、すなわち犠牲である。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
131 :
◆9JwNW1WNKc :2013/12/31(火) 19:48:36.80 ID:9T+pg9kn
/// 自己縮小的解決 25 /////////// これまでのところ、タブーと〈べき〉は驚くほど一致していたが、遅かれ早かれ、矛盾した 傾向が現われてくる。われわれは、この型の人が他人の攻撃性、倣慢さ、報復的傾向を、 どちらかと言うと嫌っていると、単純に考える。ところが、実際には、彼の態度は分裂して いる。彼がそれらを嫌っているのはほんとうだが、また一方では、心ひそかに、または 公然と、しかも無差別に、つまり、真の自信と空虚な傲慢さ、真の強さと自己中心的な残忍さを 区別せずに、それらに憧れてもいる。彼が他から強制された謙譲さをじれったく思い、自分には 欠けていて、手の届かぬ攻撃性を、他人のなかに見出して憧れることは、容易に理解できる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
132 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/01(水) 00:07:05.46 ID:IebGKZac
/// 自己縮小的解決 26 /////////// しかし、これだけでは説明として完全でないことがしだいに分ってくる。つまり、これまで 述べたものとは正反対の、心のもっと奥深くに秘められた価値観も彼の内部に働いている こと、彼は自己統一のためにそれほど心の奥深くに抑えておかねばならぬ拡張的欲動を、 攻撃型の人のなかに見出して、憧れているのだということが分る。このように、自分の誇りや 攻撃性は否認するが、他人のそれは尊重するという心の働きは、彼に起こってくる可能性の ある病的依存の現象で大きな役割を果たすが、それについては次章で論じることにしよう。 ///// 自己実現の闘い ///
133 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/01(水) 07:35:38.11 ID:IebGKZac
/// 自己縮小的解決 27 /////////// 患者が強くなって、自分の葛藤に直面できるようになると、自己拡張的欲動はいっそう はっきりしてくる。彼は絶対に恐れを知らぬものであるべきだし、また自分の利益を求める ことに全力を挙げ、自分に逆らうものを撃退することもできるべきなのだ。したがって、 「臆病さ」や無能さや人の良さが少しでも見えると、心の底で自分を軽蔑する。このように、 彼は四方八方から絶えず集中砲火を浴びており、何かをすれば、しようもないということに なり、また、しなければしないで、やはりしようもないということになる。借金の申し込み などの頼まれ事を断われば、自分を冷淡でひどい奴だと思い、頼みを聞いてやれば、自分は 「だまされやすい人間」だと思う。自分を侮辱する側に置いてみると、考えただけでも恐ろしく なり、自分は人から全然好かれぬ人間だと感じる。 ///// 原著 1950年発行 ///
134 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/01(水) 15:53:44.78 ID:IebGKZac
/// 自己縮小的解決 28 /////////// 彼は、この葛藤を直視し、それに取り組んでいくことができない限り、心の奥に潜む 攻撃性を抑えておかなければならない。そのため、自己縮小という型にしがみつくことが いっそう必要になり、そうすることで、なおいっそうかたくなになっていく。 これまで述べてきた主な人間像は、自己拡張的傾向を避けようとして、身が縮むほど 自分を抑えている人の姿であった。さらに、以前にも述べ、その後も補足説明してきたように、 その人は、絶えず、自分を責め軽蔑する気持に圧迫されている。また、すぐにおびえ、 これから見るように、こうしたすべての辛い感情を和らげようとして、多くの精力を使って いる。彼の基本的状態についてもっと詳しく述べ、その意味を考える前に、どのような 要因が彼を自己縮小の方向へ駆り立てているかを考え、この状態がどのように進んで行くか について、ある程度の理解を得ることにしよう。 ///// Neurosis and Human Growth ///
135 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/01(水) 21:23:16.35 ID:IebGKZac
/// 自己縮小的解決 29 /////////// 後年になって自己縮小的解決の方向へ進む人々は、初期の他人との葛藤を、他人に「接近する」 ことで常に解決してきた人である。典型的な例では、自己縮小型の育った幼年期の環境は、 自己拡張型とは特徴的に違っている。自己拡張型は、幼年期にちやほやされながらも厳しい 規準を強制されて成長したか、または、利用され、辱められるようなひどい取り扱いを受けて きたか、のいずれかである。他方、自己縮小型は、誰かの陰に隠れて――例えば、自分より 愛されたきょうだい、(外部の人から)尊敬された親、美しい母親、慈悲深い専制君主である 父親の陰で――成長している。 ///// Karen Horney ///
136 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/02(木) 08:23:14.48 ID:xJWyAxAZ
/// 自己縮小的解決 30 /////////// それは恐れを生じやすい不安定な状態であったが、一種の愛情を得ることはできた。しかし、 一つの代価、すなわち、自分を軽んじ相手に献身する、という代価が支払われた。例えば、 病気で長い間苦しんでいる母親が、自分の看病や世話を子どもが少しでも怠ると、罪を感じる ように仕向けた場合もあろう。また、盲目的な愛情を捧げられた時だけ親切で寛大になる 父親や母親、気に入り、気持が和らげば、愛情や保護を与える兄や姉がいた場合もあろう。 そして、子どもが、心のなかで反抗と愛情を求める欲求との葛藤を経験する何年かが過ぎると、 敵意は抑えられ、戦闘意欲は消え失せ、愛情を求める欲求が勝ちを占める。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
137 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/02(木) 19:43:36.49 ID:xJWyAxAZ
/// 自己縮小的解決 31 /////////// 子どもは癇癪を起こすこともなく従順になり、すべての人を好きになり、自分がいちばん 恐れる相手に対して、自分でもどうすることもできぬ尊敬の念をもって、寄り掛かるように なる。彼は敵意をはらんだ緊張状態に過敏になり、波風を立てず、万事まるく収まるように せずにはいられない。人を味方につけることがいちばん重要になるので、彼は人から受け入れ られ、愛されるような性質を、自分のなかに育てようとする。時として、青年期に、激しい 強迫的野心と結びついて第二の反抗期が生じることがある。ところがその時も、彼は愛情と 保護を得るために、時には初恋の場合でも、こうした拡張的欲動を捨ててしまう。この傾向が さらに進むかどうかは、主に、反抗心や野心がどの程度抑えられているか、従属、愛情、 恋愛の方向に彼がどれほど進んでいるかに依存している。 ///// アカデミア出版会 ///
138 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/03(金) 07:44:19.05 ID:7OihJd4x
///// アカデミア出版会 ///
カレン・ホーナイ(Karen Horney)著、1950年発行
原著:Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization
邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』 (叢書・人間なるもの)
対馬忠監修、藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会、1986年10月発行
目次
序文 自己実現の道徳
第1章 栄光の追求
第2章 神経症的要求
第3章 〈べき〉の専制
第4章 神経症的誇り
第5章 自己嫌悪と自己軽蔑
第6章 自己疎外
第7章 緊張緩和の一般的手段
第8章 自己拡張的解決――支配を求める
第9章 自己縮小的解決――愛を求める
第10章 病的依存
第11章 あきらめ――自由を求める
第12章 人間関係における神経症的障害
第13章 仕事における神経症的障害
第14章 精神分析療法の道
第15章 理論的考察
http://honto.jp/netstore/pd-book_00428165.html http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/04250698/ /// 対馬忠監修、藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 /////
139 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/03(金) 12:11:12.58 ID:7OihJd4x
/// 自己縮小的解決 32 /////////// 他のすべての神経症と同じく、自己縮小型も、幼年期から発達してきた欲求を自己理想化に よって解決する。ところが、彼が自己理想化を実現する際にとれる方法は、一つしかない。 彼が自分自身について抱く理想像は、第一に、「愛される性質」、例えば、無欲、善良、 寛大、謙虚、高徳、高貴、思いやり、の合成物である。第二に、無力、苦しみ、犠牲も美化 される。尊大報復型とは反対に、感情にも高い価値が置かれ、喜びや苦しみの感情、個人に 対してだけでなく、人間性、芸術、自然など、あらゆる種類の価値に対する感情が、大切に される。深い感情をもつことは、彼の理想像の一部をなしている。その結果生じた内的命令を 果たすために、彼は、対人関係における基本的葛藤を解決するのに用いてきた自己放棄の 傾向を強めるしかない。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
ためになります 書いてくれてる人ありがとう
141 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/04(土) 07:31:39.93 ID:ahfEkkLY
/// 自己縮小的解決 33 /////////// そのため、彼は自分の誇りに対して愛憎両価性の矛盾した態度をとらねばならなくなる。 彼のもっている価値は、偽りの自己のもつ気高い、愛される性質だけであるから、彼はそれを 誇りにせざるをえない。回復期のある患者は、自分のことをこう言っている。「私は謙虚にも、 自分が道徳的に優れているのを当然のことだと思っていました。」彼は自分が誇りをもって いることを否認し、行動のなかにもそれは見られない。しかし、誇りは、例えば、傷つき やすい、何とか面子を立てようとする、物事を回避する、などの、神経症的誇りがふつうとる 形をとって、間接的に現われる。 ///////// 対馬忠監修 ///
142 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/04(土) 19:29:53.80 ID:ahfEkkLY
/// 自己縮小的解決 34 /////////// 他方では、彼のもつ気高いとか、愛らしいといういうイメージそのものが意識的にどんな 誇りの感情ももつことを禁じる。彼はどんなにわずかな誇りも払拭すべく、誇りと正反対な 行動をとらざるをえない。こうして自己縮小の過程が始まり、彼は小さく無力になっていく。 自分自身を誇り高い輝かしい自己と同一視することは、彼にはとうてい不可能である。 彼は自分が抑え付けられ、犠牲にされた自己であるという感じしかもてないのだ。また、 自分は小さく無力なだけでなく、罪深く、人から望まれず、愛されず、愚かで、無能である、 とも思う。彼は負け犬であり、自分を虐げられた人々とすぐに同一視してしまう。したがって、 誇りを意識から追い出すということは、彼なりの内的葛藤解決の方法なのである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
143 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/05(日) 12:11:10.86 ID:cKlrdaAx
/// 自己縮小的解決 35 /////////// この解決法の弱点は、われわれが調べた限りでは、二つの要因にある。その一つは、自己を 縮小するという過程であり、聖書の言葉で言えば、自分の才能を地中に埋もれさせる(自分自身に 背く)罪をともなっている。もう一つは、自己拡張がタブーになっているため、むざむざと 自己嫌悪の餌食になってしまうことである。それは、精神分析の初期に、自己縮小型の患者の 多くが、どんな自責に対してもこわばった恐怖を示すという事実に認められる。この型の人は、 たいてい、自責と恐怖が結びついていることを意識せず、恐怖や恐慌状態だけを感じている。 彼はふつう、われとわが身を責める傾向のあることを自覚しているが、そのことを深く考えず、 自分に正直で良心的なしるしであると見ている。 ///// 神経症と人間的成長 ///
144 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/05(日) 19:03:40.31 ID:cKlrdaAx
/// 自己縮小的解決 36 /////////// 彼はまた、自分が人の非難をあまりにも容易に受け入れ、そして後になって、初めてその 非難が実は根拠のないものであったらしいと気づくこと、自分にとっては人を非難するより 自分に罪があると言う方がたやすいこと、を自覚しているかもしれない。事実、人から批判 されると、自分の罪や失敗を認める反応がすぐ自動的に起こってくるので、理性の介入する 余地はないのである。しかし、彼はわれとわが身をわざと虐待していること、ましてどれほど ひどく虐待しているかについては、全然自覚していない。彼の夢は、自己軽蔑と自責の象徴で 満ちている。自責の夢の典型的なものは、死刑の夢であり、夢のなかで彼は死刑の宣告を受け、 理由も分らぬまま、それを受け入れる。誰も彼を憐むどころか、関心すら示さない。また、 ある時は、拷問を受ける夢や幻想を見る。拷問についての恐れは、心気症的な恐怖になって 現われることもある。例えば、頭痛は脳腫瘍、咽喉の痛みは肺結核、腹痛は癌であるように 思われる。 ///// 自己実現の闘い ///
145 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/06(月) 22:01:07.62 ID:tTUM0moK
/// 自己縮小的解決 37 /////////// 精神分析が進むにつれて、激しい自責と自己毀傷が浮き彫りにされてくる。分析家との話題に のぼったどんな障害でも、自分を打ちのめす材料に使われる。自分が敵意をもっていると自覚 すれば、殺人者になりそうに思い、他人にどんなに多くを期待しているかを知れば、自分が 略奪者であるかのように感じる。時間や金銭についてだらしがないと分れば、「堕落」する のではないかと恐れる気持が起こる。不安が存在すること自体が、自分は心の平衡をまったく 失った狂気寸前の人間であるかのような感じを抱かせる。こうした反応が表に現われれば、 当初は、精神分析によって患者の病状が悪化したように見えるであろう。 ///// 原著 1950年発行 ///
146 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/07(火) 22:08:24.70 ID:G8BiQhpM
/// 自己縮小的解決 38 /////////// こうした理由で、最初、われわれは、自己縮小型のもつ自己嫌悪と自己軽蔑が、他の種類の 神経症におけるよりも強く悪質であるような印象を受ける。ところが、彼のことをもっとよく 知るようになり、その状態を他の患者と比較してみると、当初の印象は薄らぎ、彼は自己嫌悪に 対して他の患者より無力であるにすぎないことが分ってくる。自己拡張型が用いる有効な 自己嫌悪回避の方法は、そのほとんどが、自己縮小型には使用できないものである。しかし、 自己縮小型は、彼独自の〈べき〉とタブーを守ろうとして、他のどの神経症でもそうであるように、 推論や空想によって、自己の姿をぼかし、美化する。 ///// Neurosis and Human Growth ///
147 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/07(火) 23:54:56.66 ID:G8BiQhpM
/// 自己縮小的解決 39 /////////// しかしながら、彼は自らを正しいとすることで、自責を免れることはできない。そうすれば、 傲慢や自惚れに対するタブーを犯すことになるからである。また、彼は「もの分り良く」 寛大でなければならないので、自分の内部で拒否しているものが他人にあるからと言って、 その人を現実に嫌ったり、軽蔑したりすることもできない。攻撃は彼にとってタブーなので あるから、他人を責めたり、他人に対し敵意を抱くようなことがあれば、安心より恐怖の方が 先立つのである。また、これから述べるように、彼は他人を切実に必要とする、まさにそのことの ために、人との摩擦を避けなければならない。 ///// Karen Horney ///
神経症の仕組みなどは大したことでも難しいことでもない。 この人にしても日本の森田にしても神経症の確立した治療法にはまだ遠い。 100q中80qには来たというところだ。
149 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/08(水) 22:29:32.12 ID:ba7Ok2ro
/// 自己縮小的解決 40 /////////// 最後に、こうしたすべての要因により、彼はどうしても立派な戦士にはなれず、それが 対人関係だけでなく、自分自身に対する攻撃にも現われてくる。言葉を換えれば、彼は 他人からの攻撃に対して無防備であるだけでなく、自責、自己軽蔑、自己毀傷などからも 身を守ることができず、そのすべてを甘んじて受け入れる。そして、内的専制の命令を 受け入れたことによって、これまで縮小してきた自己に関する感情を、なおいっそう縮小する。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
150 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/08(水) 23:57:39.80 ID:ba7Ok2ro
/// 自己縮小的解決 41 /////////// こうしたことがあるにもかかわらず、彼が自己防衛を必要とし、彼独自の防衛手段を発達 させていくことは、言うまでもない。彼が自己嫌悪の攻撃に対して恐怖の反応を示すのは、 自分独自の防衛がうまくいかない時だけである。自己卑下の過程自体は、自己拡張的態度を 避けタブーによって限られた枠の内部に閉じ龍るための手段になっているだけでなく、自己嫌悪を 和らげる方法でもあるのである。この過程を最もよく物語るのは、自己縮小型の人が攻撃されたと 思う時に、特徴的に示す対人的行動である。 ///// アカデミア出版会 ///
151 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/10(金) 00:30:03.87 ID:R/XoAQaR
/// 自己縮小的解決 42 /////////// 例えば、彼は自分の非を認めすぎるほど認めることで、相手の気勢をくじき、非難を和らげ ようとする。「まったくおっしゃる通りです……とにかく私は駄目なんです……皆私のせいです。」 彼は弁解し、後悔と自責の念を表すことで、相手の同情をひき、無力を強調することで、 情けを乞う。また、同じ宥和的な方法で、自分自身の自責を骨抜きにもする。彼は心のなかで、 自分の罪悪感や無力さやあらゆる点で恵まれぬことを、誇張して考える――要するに、自分の 苦しみを強調するのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
152 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/10(金) 23:19:16.77 ID:R/XoAQaR
/// 自己縮小的解決 43 /////////// 彼の内的緊張を緩和するもう一つの方法は、受動的な外在化である。この外在化は、自分が 人から非難され、疑われ、無視され、抑えつけられ、軽蔑され、虐待され、搾取され、まったく ひどい扱いを受けている、と感じることに現われる。しかし、こうした受動的な外在化は、 不安を和らげはするが、自責を追放する方法としては、能動的な外在化ほど有効でないよう である。そればかりでなく、すべての外在化と同じく、それは対人関係を悪化させる。しかも 多くの理由から、彼はこの対人関係の障害に対して、特に傷つきやすいのである。 ///////// 対馬忠監修 ///
153 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/11(土) 08:31:36.98 ID:4PIWdVDs
/// 自己縮小的解決 44 /////////// しかしながら、こうしたすべての防衛手段をもってしても、彼はやはり内的な不安の状態から 抜け出すことができない。彼にはそれよりもっと強力な保証が必要なのである。自己嫌悪が ほどほどの範囲にとどまっている時でさえ、自分が独力ですることや自分自身のためにする ことは、すべて無意味であるという感情――自己過小評価など――が起こってきて、彼をひどく 不安にする。そこで彼は、以前からとってきた行動の型に従い、自分が受け入れられ、是認され、 必要とされ、望まれ、好かれ、愛され、感謝されているのだ、と感じさせ、自分の内的な状態を 強めてくれるように、他人に求める。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
154 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/11(土) 19:41:10.16 ID:4PIWdVDs
/// 自己縮小的解決 45 /////////// 彼の救いは他人の手にあるのだ。そのため、他人を求める欲求は非常に強化され、しばしば 狂気じみた性格をもつようにもなる。ここに至って、この型の人がどんなに愛を求めているかが、 われわれに分り始める。私は「愛」という言葉を、同情、優しさ、愛情、感謝、性愛、人から 必要とされ、認められていると思う感情など、あらゆる種類の肯定的な感情に共通な分母として 用いている。こうした愛の追求が、厳密な意味で、人間の愛情生活にどのような影響を及ぼすか については、別に独立した一章を当てることにして、ここでは、愛の追求が彼の対人関係一般に どのような作用を及ぼすかを述べよう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
155 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/11(土) 23:14:19.74 ID:4PIWdVDs
/// 自己縮小的解決 46 /////////// 自己拡張型は、自分の力や見せかけの価値を確かめるために、他人を必要とする。また、 自分自身の自己嫌悪に対する安全弁としても、他人が必要である。しかし、彼は他人よりも 自分の才能に頼り、自分の誇りを心の支えにすることができるので、他人を求める欲求は、 自己縮小型におけるほど切実でも、包括的でもない。こうした他人に対する欲求の性格や 大きさが分れば、自己縮小型の人が他人に期待することの根本的な特徴が明らかになってくる。 尊大報復型は、反対の証拠がある場合は別として、他人からはまず悪を期待する。それに 反して、真の孤立型(この型については後に述べるが)は、善も悪も期待せず、自己縮小型は、 善を期待し続ける。 ///// 自己実現の闘い ///
156 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/12(日) 08:29:13.65 ID:GX8sKn6k
/// 自己縮小的解決 47 /////////// 表面的には、自己縮小型は、人間性が本質的に善であるということに、揺るがぬ信頼を置いて いるように見える。しかも、この型の人が他のどの型よりも開放的で、他人の好ましい性質に 対して敏感であることは事実である。ところが、他人に対する期待が強迫的であるため、 彼には物事の見境がつかない。彼は通例、真の友情とその多くの擬い物が区別できず、人から 温かさや関心を少しでも示されると、すぐに心を動かしてしまう。そのうえ、彼の内的命令は、 すべての人間を愛すべきだ、疑うべきでない、と命じている。最後に、対立や喧嘩になることを 恐れるため、彼は、嘘つき、不正、搾取、残酷、裏切りのような性質を見逃し、忘却し、 過少評価し、ごまかしてしまう。 ///// 原著 1950年発行 ///
157 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/12(日) 18:47:33.38 ID:GX8sKn6k
/// 自己縮小的解決 48 /////////// 相手がそのような傾向をもっているという動かしがたい証拠に出合うと、そのたびごとに、 彼はびっくり仰天する。しかし、それでも、相手が自分をだまし、恥をかかせ、利用しよう という意図をもっているとは、決して信じようとしない。彼は現実にたびたび裏切られ、 また裏切られたと感じることもそれ以上に多いのだが、それでもなお、根本的には期待を 変えずに持ち続ける。苦い経験を経て、あるグループや人から自分のためになるものは何も 得られないと分っても、彼はやはり、意識的、無意識的に、その相手に期待し続ける。 ///// Neurosis and Human Growth ///
158 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/13(月) 07:05:08.24 ID:ZhyVy3L7
/// 自己縮小的解決 49 /////////// 特に、それ以外の点では敏感で抜け目のない人が、そのような盲目的な行動にでると、 友人や同僚は面食らってしまう。だが、それは、情緒的な欲求があまり強くなりすぎて、 客観的な事実が見えなくなったことを示しているにすぎない。他人に対する期待が大きく なればなるほど、彼はその相手を理想化しがちになる。だから、彼は人間を真に信頼して いるのではなく、楽天的な態度をとっているにすぎず、そのため必然的に、多くのことで 失望し、対人関係がいっそう不安定になる。 ///// Karen Horney ///
159 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/13(月) 15:25:39.74 ID:ZhyVy3L7
/// 自己縮小的解決 50 /////////// ここで彼が他人に何を期待しているかについて、簡単に概観してみよう。まず、彼は 他人に受け入れられているという実感をもたなければならない。注意、是認、感謝、愛情、 同情、恋愛、性関係のいずれの形をとるにせよ、彼には受容されていると感じることが 必要なのである。たとえてみれば、現代の文明社会では、多くの人々が、自分が「稼いで いる」収入の金額だけの価値があると思っているが、それとまったく同じように、自己縮小型は 自らの価値を愛という通貨で測る。愛という言葉は、ここでは様々な形の受容を含んだ 包括的な意味で用いられている。彼は人から好かれ、必要とされ、望まれ、愛される程度に 応じて価値ありとされるのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
160 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/13(月) 23:32:23.20 ID:ZhyVy3L7
/// 自己縮小的解決 51 /////////// そのうえ、彼は少しの間も一人でいることに耐えられないので、絶えず人との接触や 交わりを求める。また、生活から切り離されでもしたかのような、どうしようもない感じを すぐにもってしまう。この感情は辛くはあるが、それでも自己虐待がある範囲内にとどまって いる間は、まだ耐えることができる。ところが、自責や自己軽蔑がひどくなると、どうしようも ない感情は漠然とした恐怖に変わり、まさにその時点で、他人を求める欲求が狂おしいまでに 強まる。 ///// アカデミア出版会 ///
161 :
優しい名無しさん :2014/01/13(月) 23:38:55.02 ID:AHMRsgTp
キメェ…
162 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/14(火) 22:54:25.08 ID:huqrax9f
/// 自己縮小的解決 52 /////////// 一人ぼっちであるということは、彼にとっては人から望まれず好まれぬ証拠であり、 したがって、人にも話せぬ恥なのであるから、この相手を求める欲求はなおさら強くなる。 一人で映画に行き、休暇を過ごし、他の人たちがつき合いで忙しい週末に、一人ぼっちで いるのは恥辱である。これは、彼の自信が何らかの意味で人に好かれることにどんなに 依存しているかを示す一例にすぎない。彼はまた、自分のすることなすことすべてに、 他人から意味や関心を付与してもらわなければならない。自己縮小型は、自分以外の誰かの ために料理や裁縫や庭の手入れをし、先生のためにピアノを弾き、自分に頼る患者や来談者を もつことが、必要なのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
163 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/14(火) 23:04:47.33 ID:huqrax9f
/// 自己縮小的解決 53 /////////// しかし、こうしたすべての感情的な支えのほかに、彼は助けを――しかも多くの助けを 必要としている。彼自身は心のなかで、自分に必要な助けはごく妥当な範囲内のものだと 思っているが、それは一つには、助けを求める欲求のほとんどが意識されないからであり、 また一つには、ある頼み事だけが、他とは別で、かけがえのない唯一のものであるかのように、 心を占めてしまうからである。例えば、就職の世話、家主との交渉、買い物の相談、借金を 頼む場合などである。さらに、自分で意識する願望はどれも、その背後にある欲求が非常に 強いため、彼にはきわめて合理的なものであるように思える。 ///////// 対馬忠監修 ///
164 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/15(水) 22:48:44.64 ID:c/UQwnH7
/// 自己縮小的解決 54 /////////// ところが、精神分析をして彼の全体像を見ると、助けを求める欲求は、実際には、自分の ために何もかもしてもらえるという期待にまで、ふくらんでいるのである。すなわち、他の 人々が主導権を握り、彼の仕事を引き受け、責任をとり、彼の人生に意義を与え、彼が生活 できるように面倒を見るべきだと、彼は思う。こうした欲求や期待の及ぶ範囲の全体が分れば、 自己縮小型にとって愛がどんな力をもつかが、余すところなく明らかになる。愛は不安を 和らげる手段になるばかりでなく、愛がなければ、彼および彼の生活は価値と意味を失って しまう。それゆえ、愛は自己縮小的解決の本質的な部分をなすものである。自己縮小型の 人の個人的な感情から言えば、愛は呼吸をする時の酸素のように、彼には欠くことのできぬ ものになっている。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
165 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/16(木) 22:55:49.81 ID:ENWzdiCa
/// 自己縮小的解決 55 /////////// 当然のことながら、自己縮小型の人は、こうした期待を、精神分析の人間関係にも持ち 込んでくる。ほとんどの自己拡張型と対照的に、彼は助けを求めることを恥とは全然思わず、 むしろ逆に、自分の欲求や無力を脚色して、助けを乞うであろう。だが、彼が求めるものは、 彼自身のやり方による援助であることは言うまでもない。彼は心の底では、「愛」による 治癒を期待している。彼は自分から進んで精神分析に励むが、それは後に分るように、救いと あがないが、外部(ここでは分析家)からのみ――他人に受容されることによって――与え られなければならず、またそれが可能なのだという強い期待に突き動かされるところから きている。彼は、分析家が愛によって自分の罪の意識を取り除いてくれることを、期待する。 その愛とは、分析家が異性の場合には、性愛を意味することもあるが、たいていは、もっと 一般的な意味での、友情、特別な配慮、関心を指している。 ///// 神経症と人間的成長 ///
166 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/17(金) 21:41:22.81 ID:izjKD7tH
/// 自己縮小的解決 56 /////////// 神経症者では常にそうであるように、欲求は要求に変わる。それは、自分には次のような 良いことのすべてが起こるはずだ、と思うことを意味する。愛情、理解、同情、援助を求める 欲求は、「私は愛情、理解、同情を受ける権利がある。人からいろいろなことをしてもらう 権利がある。私が幸せを追求するのではなく、幸せの方から私のところにやってくるはずだ」 という要求に変わる。これらの要求は――要求としては――自己拡張型の場合より無意識 であることは言うまでもない。 ///// 自己実現の闘い ///
167 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/17(金) 22:12:24.45 ID:izjKD7tH
/// 自己縮小的解決 57 /////////// この点に関して、次のような疑問が起こる。自己縮小型の要求はどんな根拠に基づいて いるのか? そして、要求をどのように主張するのか? いちばん意識されており、しかも、 ある意味で現実的な根拠は、彼が自分を愛想よく、役立つ人間にしようと努力している点 である。彼の気質や、神経症の構造や、その時の場面によって多少異なるが、彼は魅力的で、 素直で、思いやりがあり、人の気持を敏感に感じ取り、人の役に立ち、献身的で、理解が あるだろう。 ///// 原著 1950年発行 ///
168 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/18(土) 08:40:02.64 ID:FnjT/TKn
/// 自己縮小的解決 58 /////////// だから、彼が人のためにいろいろしていることを、自分で過大に評価するのも当然である。 彼は相手がこうした配慮や気前の良さを全然好まないかもしれないということを、忘れて いる。また、自分の親切がひもつきであることにも気づかず、自分の性格の嫌な面のことは、 すべて考慮の外に置いている。そこで、自分のしていることはすべて純粋な友情の表われ であり、それに対して返礼を期待するのは当然のことであると思っている。 ///// Neurosis and Human Growth ///
169 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/18(土) 09:38:00.63 ID:FnjT/TKn
/// 自己縮小的解決 59 /////////// 彼の要求の根拠となっているもう一つのことは、先に挙げたものより、彼自身にとって 有害であり、他人に対して強制的なものである。例えば、自分が一人でいるのが恐ろしい から、他の人たちが家にいるべきだ。自分が噪音に耐えられないから、皆が家では忍び足で 歩くべきだ、というものである。こうして、神経症的欲求や苦しみに優先権が与えられる。 苦しみは無意識のうちに、要求を主張するために利用され、そうすることで、苦しみを克服 しようとする気持が抑えられるだけでなく、つい、苦しみを誇張することにもなる。 ///// Karen Horney ///
170 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/18(土) 22:47:26.60 ID:FnjT/TKn
/// 自己縮小的解決 60 /////////// それは、彼の苦しみが人に見せるために「装われた」ものにすぎない、という意味ではない。 苦しみはそれよりずっと心の奥深くに影響を与える。というのは、彼は、自分には欲求を 充たしてもらう権利があるのだということを、まず自分自身に納得のいくよう証明しなければ ならないからである。彼は、自分の苦しみがとびぬけて強いものであるから、自分には援助を 受ける権利があるのだ、と実感しなければならない。言葉を換えれば、この過程により、彼は、 苦しみが無意識の戦術的な価値をもっていなかった時より、もっとひどく、苦しみを実感する。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
171 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/19(日) 08:38:48.60 ID:ZoQjicMa
///// KAREN HORNEY //////////// [Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization] by Karen Horney, Norton 1950 CONTENTS INTRODUCTION: A MORALITY OF EVOLUTION 1. THE SEARCH FOR GLORY 2. NEUROTIC CLAIMS 3. THE TYRANNY OF THE SHOULD 4. NEUROTIC PRIDE 5. SELF-HATE AND SELF-CONTEMPT 6. ALIENATION FROM SELF 7. GENERAL MEASURES TO RELIEVE TENSION 8. THE EXPANSIVE SOLUTIONS: The Appeal of Mastery 9. THE SELF-EFFACING SOLUTIONS: The Appeal of Love 10. MORBID DEPENDENCY 11. RESIGNATION: The Appeal of Freedom 12. NEUROTIC DISTURBANCES IN HUMAN RELATIONSHIPS 13. NEUROTIC DISTURBANCES IN WORK 14. THE ROAD OF PSYCHOANALYTIC THERAPY 15. THEORETICAL CONSIDERATIONS ///// Neurosis And Human Growth ///
172 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/19(日) 10:11:09.03 ID:ZoQjicMa
/// 自己縮小的解決 61 /////////// 要求の第三の根拠は、第二のものよりいっそう無意識的、破壊的なもので、自分は虐待 されていて、受けた傷を他の人々から償ってもらう権利がある、と彼が感じていることである。 夢のなかで、彼は治療できないほど痛めつけられ、それゆえ、すべての欲求を充たしてもらう 権利があるように見えるであろう。こうした報復的要素を理解するためには、彼の被虐待感の 元になっている要因を、調べてみなければならない。 ///// アカデミア出版会 ///
173 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/19(日) 19:38:40.99 ID:ZoQjicMa
/// 自己縮小的解決 62 /////////// 典型的な自己縮小型の人では、虐待されているという感情が、人生に対する態度全体の 底にいつも流れている。彼の特徴を一言で要領よく言うなら、愛情を切に求めながら、 ほとんどいつも裏切られたと感じている人であると言えよう。まず、以前にも述べたように、 他人は彼の無防備な点や、あまりにも自分を犠牲にして他人のために尽くそうとする点を、 しばしば利用する。彼は自分には価値がないと思い込み、自己弁護ができないので、このような 裏切りにも気づかないであろう。また、縮小過程やそれにともなうものがあるため、他人の 方で何ら悪意をもっていなくても、自分から損をすることも多い。実際には、彼はある面で 人より恵まれていても、タブーがあるため、その利点を認めることができず、自分は人より 不運なのだ、と自分自身に納得させなければ(したがって実感しなければ)ならないのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
174 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/20(月) 22:40:42.65 ID:ykMu1aHt
/// 自己縮小的解決 63 /////////// さらに、自分のもっている多くの無意識の要求が充たされない時、彼は虐待されたと感じる。 例えば、他人を喜ばせ、助け、自分を犠牲にしてその人のために尽くそうと強迫的努力を するのに対して、相手が感謝しない場合である。要求が充たされぬ時、彼が典型的に示す 反応は、相手に対して当然の怒りを感じるというよりは、むしろ、自分が不当な取り扱いを 受けたという自己憐憫の感情を抱くのである。 ///////// 対馬忠監修 ///
175 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/21(火) 22:22:03.86 ID:humGzcV7
/// 自己縮小的解決 64 /////////// ここに挙げたどの要因よりも身にこたえるものは、自己叱責、自己軽蔑、自虐ばかりでなく、 自己過少評価によっても、彼がわれとわが身に加える虐待であろう――そして、そのすべてが 外在化される。自己虐待が強くなるほど、外部の好条件によってそれを防ぐことはできにくく なる。彼はしばしば、胸も張り裂けんばかりの悲しみを語り、他人の同情心や彼の待遇を良く したいという気持を掻き立てるが、その結果は、自分が以前と変わらぬ苦境に立っている ことを知るだけである。実際には、彼は自分で思うほど不当な取り扱いを受けていなかった のかもしれない。いずれにせよ、こうした感情の背後には、自己を虐待している現実が存在 している。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
176 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/21(火) 22:47:51.10 ID:humGzcV7
/// 自己縮小的解決 65 /////////// 自責の突然の高まりと、それに続いて起こる被虐待感との間の関係は認めがたいものでは ない。例えば、精神分折中に彼は、自分自身の障害を見て自責を感じると、たちまち、自分が 実際にひどい扱いを受けた過去の出来事を思い出す――それは、子どもの頃のこともあれば、 医者にかかった時や以前の就職先でのこともある。彼は以前から何度も繰り返してきたように、 自分が不当な仕打ちを受けたことを脚色し、いつまでもくよくよと考え続ける。それと同じ 型の行動は、他の人間関係でも起こりうる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
177 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/22(水) 22:47:56.77 ID:GZLrgiNr
/// 自己縮小的解決 66 /////////// 例えば、彼は自分が他人に対して思いやりがなかったと少しでも気づけば、その気持を 電光石火のごとく被虐待感へと切り替える。要するに、彼は自分が間違ったことをして いるのではないかという恐怖心に駆られて、自分が犠牲者だと感じるようになり、実際には、 彼自身の方が人を裏切ったり、盲目的な要求のために人を利用している場合でも、そう思う のである。このように、自分は犠牲者であるという感情は、自己嫌悪に対する防壁の役割を 果たしており、強力に守るべき戦略点になっている。自責が強くなればなるほど、彼は自分が 不当な待遇を受けたことを必死になって証明し、誇張せねばならず――そして、なおいっそう、 その「不当さ」を感じるようになる。 ///// 自己実現の闘い ///
178 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/23(木) 22:09:35.40 ID:Nrb/Kwwu
/// 自己縮小的解決 67 /////////// この欲求があまりに強まったため、彼がしばらくの間援助を受け入れることができなくなる こともある。なぜなら、援助を受けることや、援助が提供されていると認めることさえも、 自分がまったくの犠牲者であるという彼の防衛的な立場を覆すことになるからである。逆に、 被虐待感が急に強くなった時には、罪悪感が深まったのはないかと調べてみるとよい。 精神分折中によく見られるのだが、患者がある状況に自分も責任のあることを認め、しかも 平静に、つまり自責なしに、それを見ることができるようになるや否や、自分に加えられた という不正は、妥当な程度のものになるか、またはまったく不正ではないということになる。 ///// 原著 1950年発行 ///
179 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/24(金) 23:00:03.10 ID:/F/C2Can
/// 自己縮小的解決 68 /////////// 自己嫌悪の受動的な外在化は、被虐待感だけにはとどまらない。彼は他人をそそのかして 自分に対してひどい仕打ちをさせ、そうすることで、心のなかの状態を外部に置き換える。 このやり方でも、彼は卑しく残酷な世の中で苦しんでいる気高い犠牲者になるのである。 ここに挙げた有力な根源は、すべてが一緒になって彼の被虐待感を生み出している。ところが、 もっとよく観察すると、被虐待感をもつのは、これといった具体的な理由があるからだけ でなく、彼の内部の何かがこうした感情を歓迎し、いやそれどころか、この感情を貪欲に 利用していることが分る。それは、被虐待感もまた、ある重要な機能を果たしているに相違 ないことを示している。 ///// Neurosis and Human Growth ///
180 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/25(土) 07:39:27.92 ID:+azQxtbQ
/// 自己縮小的解決 69 /////////// つまり、抑圧された拡張欲動にはけ口を与え――それは彼が黙認できるほとんど唯一のはけ口 である――しかも同時に、その欲動を覆い隠す働きなのである。被虐待感をもつことによって、 彼は自分が他人より優れている(殉教者の担う栄誉)と、心ひそかに感じることができる。 また、彼の他人に対する敵意を含んだ攻撃は、それによって正当な根拠を与えられ、ついには 擬装される。というのは、これから見るように、敵意のほとんどが抑圧され、苦しみという 形で表現されるからである。それゆえ、被虐待感は、患者が内的葛藤――自己縮小はそれに 対する一つの解決だったのだが――を認め感じることに対する最大のつまずきになる。個々の 要因の分析は被虐待感を弱めるのに役立つが、被虐待感そのものは、患者がこの葛藤を直視 するようになるまで、消滅することはない。 ///// Karen Horney ///
181 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/25(土) 19:53:20.25 ID:+azQxtbQ
/// 自己縮小的解決 70 /////////// こうした被虐待感が続く限り――しかも、それはふつう静止せず、時が経つにつれて強まって いくが――他人に対する報復的な憤りは増していく。こうした報復的な憤りは、大部分が 無意識のままである。それは、彼がそのために生きているすべての主観的な価値を危険に 陥れるので、心の奥深くに抑えておかなければならないものである。また、報復的な憤りを もつことは、絶対的に善良で寛大であるはずの自分の理想像を傷つけ、自分は人から愛されない 人間だという感じを与えて、自分が他人に期待するものとまったく矛盾し、さらに、すべてに もの分り良く寛容であれ、という内的命令にも反する。そのため、憤りを感じれば、他人だけ でなく、自分自身にも背くことになる。したがって、こうした憤りは自己縮小型の人を崩壊 させる第一級の要因なのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
182 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/26(日) 09:40:54.69 ID:bo20N668
/// 自己縮小的解決 71 /////////// 以上のように、憤りを全般的に抑えていても、非難は和らげられた形で時たま出現する。 そして、彼が絶望へと追い詰められた時、初めて鍵のかかっていた門が押し破られ、激しい 非難の洪水がどっと流れ出す。こうした非難は、心の奥深く感じていることをそのまま表わす ものであろう、が、彼は興奮のあまり思ってもいないことを口走ったのだと言って、それを 見過ごしてしまうのがふつうである。しかし、彼の報復的な憤りを表現する最も特徴的な 仕方は、やはり、「苦しみ」によるものである。怒りは、心身的症状や疲労感や抑うつ感が 増すという形をとることもある。精神分析を受けて、こうした復讐心が掻き立てられると、 患者は怒りをそのまま表わすのではなく、病状が悪化する。 ///// アカデミア出版会 ///
183 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/26(日) 18:19:21.99 ID:bo20N668
/// 自己縮小的解決 72 /////////// 彼は以前よりいっそう苦痛を訴え、精神分析を受けて良くなるどころか悪くなったようだと 言う。分析家はその前の分析時に何が患者に打撃を与えたのかを知っており、患者にそれを 自覚させようとするが、患者は苦しみを和らげるようなことには関心を示さない。彼はただ 苦しみを繰り返し訴えるだけで、抑うつ状態がどんなにひどいものか分析家は十分知って いるのかを、確かめねばならないといった様子である。また、自分でも意識せずに、彼は 自分を苦しめた罪を分析家に感じさせようとする。それは家庭内で起こることそのままの 繰り返しであることが多い。このようにして、苦しみは新たな機能、すなわら、怒りを吸収し、 他の人々に罪の意識をもたせるという働きをする。それは他人に仕返しをするのに有効な 唯一の方法なのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
184 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/27(月) 20:30:32.14 ID:/cA1w6+2
/// 自己縮小的解決 73 /////////// こうしたすべての要因は、彼の対人的な態度に奇妙な愛憎両価性の性格を与えている。 すなわち、表面的には「素朴な」楽観的な信頼を示しながら、心の底ではそれに劣らぬほどの 見境のない疑惑と憤りが存在する。 報復性が増すことによって生じる内的緊張は極端に強くなりうる。ところが不思議なことに、 彼はこれといった感情的な混乱に陥らず、かなりの平静さを保っていることが多い。彼が 平静でいられるかどうか、またその平静さがどれくらいの間続くかは、一つには内的緊張の 強さにより、また一つには環境によっても、左右される。 ///////// 対馬忠監修 ///
185 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/28(火) 23:26:57.73 ID:tAwkXqHN
/// 自己縮小的解決 74 /////////// この型のように無力で他人に依存している場合には、環境条件が他の型の神経症における より重要になってくる。彼にとって良い環境とは、禁止をもっている彼の手にあまるような ことを強要しない環境、彼の人格構造からして必要であり、自らに許せるほどの満足を与えて くれる環境である。神経症があまり重くなければ、彼は人のためや理想のために自分の生活を 捧げることに、満足を得ることができる。それは、他人の役に立つことで自己をなくし、 自分が人から必要とされ、望まれ、好まれていると感じられる生活である。しかし、内的、 外的に最高の状態にあっても、彼の生活の基盤ははやり揺らいでいる。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
186 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/29(水) 22:43:27.18 ID:jr4y5SD5
/// 自己縮小的解決 75 /////////// 外部の状況の一つが替わっても、彼の生活は脅威を受ける。例えば、彼が世話をしている 人が死んだり、もう彼を必要としなくなったり、あるいは、今まで運動してきた主義主張が 不成功に終わった場合や、彼にとって意味を失った場合が、それである。そのような喪失が あっても、健康な人なら無事に切り抜けることもできようが、彼の場合には、不安感や虚無感 ばかりが前面に出てきて、まさに「精神障害」寸前の状態になる。もう一つの危険は、主と して内部からくる脅威である。彼は他人や自己に対して自分でも気づかぬ敵意を抱いているが、 その敵意のなかには、とうてい耐えられぬほど強い内的緊張を引き起こす要因が多くあり すぎる。言い換えれば、虐待されたと感じる危険があまりにも多いので、どんな状況も彼に とって安全ではないのである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
187 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/29(水) 23:21:38.28 ID:jr4y5SD5
/// 自己縮小的解決 76 /////////// 他方、彼の周囲の支配的な状況が、今述べたような部分的に好都合な要素すら、もって いない場合がある。内的緊張が高く、環境条件も厳しければ、極度にみじめになるばかりか、 心の平衡状態も崩れ去るであろう。恐慌状態、不眠症、食欲減退(食欲をなくする)など、 どんな症状でも起こる可能性があり、それは、敵意がダムを破って流れ出し、あらゆるものを 埋め尽くすような様相を呈する。これまで心に積もってきた他人に対する厳しい非難がすべて 表面に現われてきて、彼の要求はあからさまに報復的で不合理なものになる。 ///// 自己実現の闘い ///
たまに読んでるがすごいスレだな
189 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/30(木) 22:30:45.04 ID:S9IBwNsa
/// 自己縮小的解決 77 /////////// 自己嫌悪は意識され、恐ろしい程度に達する。彼は手のつけられぬ絶望の状態に陥るか、 または、ひどい恐慌状態になり、自殺の危険性もかなり生じてくる。その姿は、他人の気に 入られたいとあれほど望んでいた、やさしすぎる人とはたいへんな違いである。しかも、 この初めと終わりの段階は、ある種の神経症的発達の本質的な部分をなしている。終わりの 段階で現われる破壊性は、そのままの大きさで初めから存在し抑制されていたのだと結論 づけるのは、誤りであろう。表面はやさしくもの分りの良い態度をとっていても、その陰に 目に見えぬ強い緊張が潜んでいたことは確かであるが、終わりの段階は、欲求不満や敵意が かなり高まってのちに、初めて生じたものである。 ///// 原著 1950年発行 ///
まさにおれは自己縮小型タイプだと思うけど、解決法もこの後出てくるのだろうか。 まあ買って読めって話だが。
191 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/31(金) 21:08:43.33 ID:PAVFQR0T
/// 自己縮小的解決 78 /////////// 自己縮小的解決の他のいくつかの側面については、病的依存の文脈で述べるので、ここでは 神経症的苦悩の問題について一、二の注釈を付け加え、自己縮小的解決の概観を終わりたい と思う。神経症はふつうどれでも、その人自身が意識する以上に、真の苦しみをともなう ものである。自己縮小型は、発展を阻まれ、自己を虐待し、他人に対する愛と憎しみの葛藤に 苦しむ。これらはすべて明白な苦しみであり、何か隠された目的のために使われているので なく、また、人に何かを印象づけようとして装われたものでもない。ところが、苦しみは このほかにもいくつかの機能をもつようになる。 ///// Neurosis and Human Growth ///
192 :
◆9JwNW1WNKc :2014/01/31(金) 22:28:14.85 ID:PAVFQR0T
/// 自己縮小的解決 79 /////////// このような過程から生じる苦しみを、神経症的または機能的な苦悩と呼ぶことにしよう。 苦しみの果たすこうした機能のうち、いくつかは既にここで取り上げてきた。苦しみは 要求の根拠になり、他人の注意や世話や同情を求める口実になるばかりでなく、そのすべてを 得る資格を彼に与える。それは、彼が自分の解決法を継続するのに役立ち、したがって、 一つの統合的な働きをする。苦しみはまた、彼の復讐の表現にもなる。夫婦の一方が、自分の 精神的な病気を相手に対する致命的な武器として使ったり、親が自分の病気を理由に、子どもに 独立することを罪と感じさせ、子どもを束縛する例は実に多い。 ///// Karen Horney ///
193 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/01(土) 09:51:20.29 ID:G3N1OG5s
/// 自己縮小的解決 80 /////////// 彼は誰の感情も傷つけまいと汲々としているのに、他人をそれほど不幸にしてしまった 償いをどのようにするのだろうか。彼は自分が周囲の足手まといになっていることに、うすうすは 気づいても、自分自身が苦しんでいるので、その責任は免れると考え、事実をまともに直視 しようとはしない。簡単に言えば、彼の苦悩が他人を責め、自分を許すのである。それは 彼の心のなかにあるすべて――彼の要求、怒りっぽさ、他人の気をくじくこと――を許して しまう。苦しみは彼自身の自責を和らげるばかりでなく、他人からの非難も免れさせてくれる。 そしてここでも、免除されたいという欲求が要求に変わる。彼の苦悩が人から「理解して もらう」権利を与える。他人が批判的であれば、その人の方が無感覚なのだ。彼が何をしても、 人は同情と援助の気持をもつべきなのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
194 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/01(土) 19:33:49.32 ID:G3N1OG5s
/// 自己縮小的解決 81 /////////// 苦悩はさらにもう一つの意味で、自己縮小型の人を救う。苦悩は、自分の生活を充実させて いないこと、野心的目標を果たしていないこと、の両方を包括する口実になる。これまで 見てきたように、彼は野心や勝利をひたすら避けているが、それでもなお、成功や勝利を 求める欲求は働く。そこで彼は、自分がこの訳の分らぬ病気に取り憑かれていなければ最高の 仕事もできるのに、と心のなかで意識的、無意識的に思い続けることで、面子を保つことが できる。 ///// アカデミア出版会 ///
195 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/01(土) 23:48:01.28 ID:G3N1OG5s
/// 自己縮小的解決 82 /////////// 最後に、神経症的苦悩にともなって、破滅するのではないかと思いあぐんだり、破滅しよう と無意識に決心したりすることがある。破滅したいという気持は、悩んでいる時期に当然 強まり、それが意識されることもある。そのような時には、精神的、肉体的、道徳的に堕落 することへの恐れ、非生産的になることへの恐れ、年とって何もできなくなるのではないか という恐れなどのような、破滅に対する反動としての恐れだけが意識されることが多い。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
196 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/02(日) 09:08:11.90 ID:v+XIsEQP
/// 自己縮小的解決 83 /////////// これらの恐れは、その人の健康な部分が充実した生活を望み、破滅に向かっている部分に 対して、憂慮していることを示している。こうした傾向はまた、無意識的にも働き、その場合、 人は、例えば、以前ほど仕事ができない、人を恐れるようになった、元気がないなど、自分の 状態が全般に悪化していることに、気づきさえしないであろう。そして、ある日突然に、 彼は、自分が今、坂道を転げ落ちそうな危険に直面していること、自分の内部の何かが自分を 追い落としていることに目覚めるのである。 ///////// 対馬忠監修 ///
197 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/02(日) 17:40:16.72 ID:v+XIsEQP
/// 自己縮小的解決 84 /////////// 苦悩の時期には、「落ちていく」という考えに、彼は強い魅力を感じるであろう。落ちる ことは、自分のもっているすべての障害から脱け出すことのできる方法のように思える。 すなわち、彼は敗北を受け入れることによって、愛を求めて絶望的に闘ったり、矛盾する 〈べき〉にかなおうと必死に試みたりするのをやめ、自責の恐怖から自分を解放することが できる。彼は受動的であるために、なおいっそう、この方法に心をひかれる。この方法は 自殺傾向のように積極的なものではない。このような場合には、自殺が起こることは滅多に なく、彼はただ闘うことをやめ、自己破壊的な力を野放しにするだけである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
そこからの成長とかはないのかな。ただ苦しんで落ちる人間を分析するだけなのだろうか。
199 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/03(月) 21:41:49.75 ID:atFKKbcm
/// 自己縮小的解決 85 /////////// 最後に、彼には非情な世間の攻撃を受けて破滅することが、最終的な勝利のように見える。 それは、「自分を攻撃した人の戸口で死ぬ」というような目立った形をとることもあるが、 たいていは、他人に恥をかかせることで自分の要求を通そうとするような示威的な苦悩には ならない。それはもっと心の奥深くに進むため、なおいっそう危険なものになる。それは 主に、その人の心のなかにある勝利なのであるが、そのことさえも意識されていないであろう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
200 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/03(月) 22:50:16.40 ID:atFKKbcm
/// 自己縮小的解決 86 /////////// 精神分析によってこのことが明らかになると、混乱した一部だけの真理を基にして弱さや 苦悩が美化されているのが分る。苦悩自体は気高さの証拠であるように見える。このいやしい 世間で、感じやすい心をもった人は破滅する以外に何かできるだろうか。闘い、自己を主張し、 そのため、粗野で俗悪な人々と同じレベルに身を落とすべきなのか。彼にできることと言えば、 相手を許し、殉教という無上の栄光を抱きながら、滅びいくだけである。 ///// 自己実現の闘い ///
201 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/04(火) 21:02:30.21 ID:LHxp94QY
/// 自己縮小的解決 87 /////////// 以上のようなすべての機能をもつため、神経症的苦悩は執拗で根深いものになっている。 しかも、こうした機能は、人格の全体構造から必然的に生じたものばかりであり、したがって、 人格構造という背景に照らしてみて初めて理解できるものである。精神療法で言えば、 人格全体に激しい変化が起こらない限り、神経症的苦悩をなくすることはできない。 自己縮小的解決を理解するためには、人格の全体性についての配慮が不可欠である。 ///// 原著 1950年発行 ///
202 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/04(火) 22:33:41.07 ID:LHxp94QY
/// 自己縮小的解決 88 /////////// 全体性とは、人がそれまでに歩んできた歴史的発達の全体と、ある一定の時期に働く過程の 全体との両方である。この問題に関する諸学説を簡単に調べてみると、その本質的な欠陥は、 ある側面だけ――例えば、心内の要因か人間関係の要因かのどちらかだけ――を一方的に 見ているところから生じているようである。ところが、行動の力学はこれら二つの側面の 一方だけからは理解できない。行動の力学は、人間関係の葛藤が特殊な心内の構造を生み出し、 そしてこの心内の構造はそれ以前から存在した対人関係の型に依存しながら、それを修正 していく一つの過程である、と見る時に、初めて理解される。しかも、この過程は対人関係を いっそう強迫的、破壊的にしていく。 ///// Neurosis and Human Growth ///
203 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/05(水) 21:03:55.64 ID:enBTqEsp
/// 自己縮小的解決 89 /////////// さらに、フロイトやカール・メニンジャーの説のようないくつかの学説では、例えば、 「マゾヒズム的」倒錯、罪悪感にひたる、われとわが身を殉教者に仕立てる、などの著しく 病的な現象に集中しすぎて、もっと健康に近い傾向の存在を見落としている。確かに、人の 心をひきつけたい、人と親しくなりたい、平和に暮らしたい、という欲求は、弱さや恐れに よって左右され、したがって見境のないものであるが、人間の健康な態度の萌芽も含んでいる。 ///// Karen Horney ///
204 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/05(水) 22:16:18.38 ID:enBTqEsp
/// 自己縮小的解決 90 /////////// 自己縮小型のもつ謙譲さや人に従う能力は(それが彼の見せかけだけの基盤であるにしても)、 例えば、尊大報復型のもつ、これみよがしの傲慢さよりも、正常に近いように思える。こうした 性質のために、自己縮小型は他の多くの神経症と比べて、言わば、もっと「人間的」に見える。 ここで私は自己縮小型を弁護するつもりはない。今ここで述べたばかりの傾向こそ、彼の 自己疎外の出発点であり、病的な発達を促進するものなのである。私がここで言いたいのは、 ただ、こうした傾向を全体的解決の本質的な部分として理解しなければ、過程全体を誤解 することになる、ということである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
205 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/06(木) 22:02:57.28 ID:iDEKJxF8
/// 自己縮小的解決 91 /////////// 最後に、ある学説は神経症的苦悩に中心を置いているが――そして確かに神経症的苦悩は 中心的な問題なのであるが――苦悩をその背景全体から切り離してしまっている。そのため、 苦悩の戦略的意味がどうしても不当に強調されることになる。そういうわけで、アルフレッド・ アドラーは、苦悩が他人の注意をひき、自分の責任を逃れ、誤った優越感を得る手段である と見た。テオドール・レイクは、示威的な苦悩が愛を獲得し、復讐を表わすための手段である ことを強調する。フランツ・アレクサンダーは、既に述べたように、苦悩が罪悪感を取り除く 働きをするという点を強調している。 ///// アカデミア出版会 ///
206 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/06(木) 23:10:49.31 ID:iDEKJxF8
/// 自己縮小的解決 92 /////////// これらの諸学説は、妥当な観察に基づくものばかりであるが、それでも、人格の全体構造に 十分根差していない時は、自己縮小型は苦しみを望んでいるだけなのだとか、みじめであれば 幸せなのだとかいう、通俗的な信念に似た望ましくないものを持ち込んでくるのである。 人格の全体像を見るということは、理論的な理解のために大切であるだけでなく、こういう 患者に対して分析家がどのような態度をとるかを決定するうえからも重要である。患者は 心の内に潜む要求や彼独特の神経症的な嘘によって、人をよく怒らせるであろうが、この 人々こそ、おそらく他の誰よりも同情的な理解を必要とするものである。 ・・・・ ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
207 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/07(金) 21:26:50.58 ID:+i9jdTBI
208 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/07(金) 22:40:53.38 ID:+i9jdTBI
/// 病的依存 1 /////////// カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 1950年発行 邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より ・・・・ 第10章 病的依存 誇りの体系のなかには内的葛藤の主な解決法が三つあるが、自己縮小はそのなかで最も 満足度の低い方法のようである。自己縮小的解決は、他のどの神経症的解決にも付随している 欠点をもっているうえに、他の方法よりも自分を主観的に不幸に感じる気持がいっそう強い。 自己縮小型の人が実際に経験する苦悩は、他の神経症の場合より大きくはないかもしれないが、 その苦しみが様々な働きをするため、主観的には他の神経症の人よりみじめに感じることが 多く、またその程度もひどい。 ///// アカデミア出版会 ///
209 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/08(土) 09:34:27.60 ID:Noz9CLvV
/// 病的依存 2 /////////// そのうえ、この型の人は他人に対する欲求や期待が強いため、他人に依存しすぎるように なる。強制された依存というものは常に苦痛なものであるが、特に彼の場合には、そのために 他人との関係が分裂せざるをえなくなるので、とりわけ不幸である。そうしたことがある にもかかわらず、愛(ここではまだ広義で使われているが)は、彼の人生に肯定的な内容を 与えてくれる唯一のものである。性的な愛という特定の意味での愛は、彼の人生で非常に 特殊な、重要な役割を演じるので、それについては独立した別の一章を当てるのが妥当であろう。 そうすることで、ある程度の重複は避けられないけれども、かえって、人格の全体構造の 主な特徴をいっそう明らかにできることにもなろう。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
210 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/08(土) 19:00:13.61 ID:Noz9CLvV
/// 病的依存 3 /////////// 性的な愛は、自己縮小型の人にとって最高の理想としての魅力をもっものである。愛は 天国行きの切符であるはずであり、まさしく、そのように見える。そうした天国では、すべての 嘆きはなくなり、寂しさも消え失せ、喪失感や罪悪感。無価値感はもはや存在せず、自己に 対して責任を負う必要もない。また、厳しい世間との闘いで自己の無力に絶望することもない。 そうしたものの代わりに、愛は保護、支持、愛情、激励、同情、理解を約束するように見える。 愛は生きがいを与え、彼の人生に意義を与えてくれる。それは救いにも、あがないにもなる。 そこで彼が、しばしば、富や社会的地位ではなく、結婚しているかどうか、または愛する人が あるかどうかによって、人を「もてるもの」と「もたざるもの」とに分けて考えるのも、 当然と言えよう。 ///////// 対馬忠監修 ///
211 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/09(日) 09:20:27.44 ID:RLB+wgvD
/// 病的依存 4 /////////// これまで述べたところでは、彼にとって愛のもつ意味は、主に愛されることへの期待から くるものだけに限られていた。依存的な人々の愛について述べた精神医学者らは、この一面 だけを特に重視したため、この型の人の愛を、寄生的、寄食的、「口唇性愛的」であると 言っている。なるほど、この側面が目立つことは事実であろうが、典型的な自己縮小型の人 (自己縮小的傾向が支配的な人)にとって、愛することは愛されることと同じくらい魅力が ある。彼にとって、愛するということは、恍惚感のなかにわれを失い、解け込むこと、他の 人と融合し、一心同体になること、そしてこの融合によって自分の内部には見出せぬ統一感を 得ること、を意味する。このように、彼の愛への憧れは、他人に服従したいという願いと 統一感を得たいという切望との、強く深い根源から生じたものである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
正直自殺したくなるだけの評価だな
213 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/09(日) 19:32:24.17 ID:RLB+wgvD
/// 病的依存 5 /////////// したがって、こうした根源について考察しなければ、彼の感情的なかかわりの深さは理解 できない。統一を求めることは、人間の行動を引き起こす最も強い動機となるものであるが、 内部で分裂している神経症者にとっては、それは、なおいっそう重要な意味をもってくる。 自分より大きな何かに屈服したいという願いは、ほとんどどの宗教においても、基本的要素 になっているようである。自己縮小的な服従は健全な憧れを戯画化したものであるにしても、 健全な憧れと同じ力をもっている。それは愛への切望という形をとるほかにも、いろいろな 仕方で現われる。それは、ありとあらゆる感情のなかに――「涙の海」に、自然への陶酔に、 罪悪感への耽溺に、オーガズムや眠りにおける忘我への憧れに、そして、しばしば、自己の 終局の消滅としての死への切望に――自分をなくそうとする彼の傾向の一つの要因となって いる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
214 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/10(月) 22:01:41.14 ID:pKWzPYtF
/// 病的依存 6 /////////// さらに、一歩深く分析を進めるならば、彼が愛に心をひかれるのは、愛によって満足や 平和や統一感を得たいと願うからだけでなく、愛は理想化された自己を現実化する唯一の 道のように思えるからである。愛することにより、彼は理想化された自己の愛すべき特質を 最大限に発達させることができ、愛されることにより、理想化された自己を最高に確証できる。 愛は彼にとってかけがえのない価値をもつものであるから、彼の自己評価を決定する すべての要因のなかで、人に愛される性質が最も重要なものになる。既に述べたように、 自己縮小型の人では、人に愛される性質は、幼年期に愛情を求める欲求が生じると同時に 育ち始める。 ///// 自己実現の闘い ///
215 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/11(火) 09:48:01.42 ID:fSul/W/P
/// 病的依存 7 /////////// 自分の心の平和を保つために他人が重要になってくるにつれ、愛される性質をもつことは いっそう必要になり、しかも自己拡張的な気持が抑えられると、それはますます全般的な ものになってくる。この型の人は愛される性質だけに抑制された誇りといったものをもって おり、それは、愛される性質について何か批判や疑問が示されると、彼が非常に過敏になる ことで、明らかである。彼は他人の欲求に対する自分の気前の良さや心遣いが感謝され なかったり、また逆に相手を苛立たせたりすると、ひどく感情を傷つけられる。 ///// 原著 1950年発行 ///
216 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/11(火) 20:00:03.94 ID:fSul/W/P
/// 病的依存 8 /////////// 彼が自分のなかで価値を認めているのは、こうした愛される性質だけなのだから、それが 少しでも拒否されると、自分が全面的に拒否されたように感じるのである。したがって、 彼の拒否に対する恐れは非常に激しいものである。というのも、拒否されるということは、 彼にとって、これまで誰かに託してきた望みがすべて失われるだけではなく、自分がまったく 無価値であると感じさせられるからである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
217 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/12(水) 21:56:48.84 ID:ILwmr8AR
/// 病的依存 9 /////////// 精神分析でわれわれは、人から愛される性質をもちたいという願いが、厳しい〈べき〉の 体系によってどのように強化されていくかを、いっそう詳しく学ぶことができる。愛される 性質をもつためには、他人に対して同情心をもつだけでなく、他人を完全に理解すべきである、 と彼は考える。また、個人的なことで感情を害すべきではない。相手を完全に理解すれば、 個人的に感情を害するようなことはすべてなくなるはずだからである。だから、感情を害すると、 それが苦痛なだけでなく、狭量であるとか利己的だとかいった自責が生じる。特に、彼は 嫉妬に苦しめられるべきではないが、それは、人から拒否されたり、見捨てられたりしまいか という恐れをすぐにもってしまう彼には、まったく実行不可能な命令である。 ///// Karen Horney ///
218 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/13(木) 21:34:09.72 ID:mPQuYmAk
/// 病的依存 10 /////////// 彼にできることと言えば、せいぜい「心の広い」ふりを続けるくらいである。何か摩擦が 起これば、彼はすべてを自分のせいにし、もっと平静で、思慮深く、寛大であるべきだった のにと、自分を責める。〈べき〉をどの程度自分自身のものに感じるかは、人によって様々 である。ふつう、いくつかの〈べき〉は相手に外在化される。その場合、彼が意識するのは、 相手の期待にどうしてもそいたいという気持だけである。この点で最も関係の深い〈べき〉は 二つあり、その一つは、どんな愛情関係も完全に調和のとれた状態に発展させることができる べきだ、という〈べき〉で、もう一つは、相手に自分を愛させることができるべきだ、という ものである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
219 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/14(金) 21:09:56.10 ID:GPSS/gtm
/// 病的依存 11 /////////// 相手との関係がもうこれ以上続かないような状態に陥り、別れた方が自分のためだと十分に 分っている時でも、彼の誇りは別れるという解決を恥ずべき失敗だとして、相手との関係を あくまで続けるべきだと要求する。他方、人に愛されることは――それがどんなに見せかけ だけのものでも――ひそかな誇りと結びついているので、それもまた、彼の多くの隠された 要求の根拠になる。愛される性質のゆえに、彼は、他人からひたすらな献身を受け、前章で 述べたような、様々な欲求を充たしてもらう権利があるのだと感じている。また、自分が 思いやりがある――それは事実だろうが――からばかりでなく、弱く、無力であり、苦しみ、 自分を犠牲にしている、まさにそのことのゆえに、愛される資格があると思う。 ///// アカデミア出版会 ///
220 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/15(土) 11:51:39.34 ID:K706VauY
/// 病的依存 12 /////////// これらの〈べき〉と要求との間に葛藤が生じ、彼がそこから脱け出せなくなることがある。 ある日突然、彼は、自分の純真さにすっかり付け込まれたという理由で、相手に別れを告げる 決心をする。ところがそうなると、彼は自分自身のために何かを要求し、他人を責めるという 二つのことをやってのけた自分の勇気が空恐ろしくなり、また、相手を失うことになるのでは ないかとも恐れる。すると振子は反対側に振れて、〈べき〉と自責の力が増してくる。自分は 何ものも恨むべきではない、怒ってはならない、他人をもっと愛し理解すべきだ――とにかく、 皆自分が悪いのだ、と彼は思う。同様に、相手についての評価も絶えず揺れ動き、相手が 時には強く素晴らしく見え、時には信じられぬほど非人間的に冷酷に思われる。こうして、 何もかも曖昧にされ、何一つ決められなくなる。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
221 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/15(土) 21:42:09.65 ID:K706VauY
/// 病的依存 13 /////////// 彼が他人との愛情関係に入っていく時の心の状態は常に不安定であるが、それが必ずしも 不幸に導くとは限らない。彼があまり破壊的でなく、また、見つけた相手がかなり健康で あるか、その相手自身のもつ神経症的理由のために、彼の弱さや依存性をむしろ大切にして くれる場合には、彼はある程度の幸せをつかむことができる。そのような相手は、彼のすがり つくような態度を重荷に感じる時もあろうが、自分が保護者であり、人からそれほどの献身 ――あるいは、献身と思うもの――を受けることで、自分が強く安全であると感じるだろう。 こんな場合には、神経症的解決が成功したと言ってよいであろう。自分が大切にされ、保護 されていると感じれば、自己縮小型の人のいちばん良い面が表面に出てくる。しかしながら、 そうした状況は必然的に彼が神経症的障害を克服し成長する妨げにもなるのである。 ///////// 対馬忠監修 ///
222 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/16(日) 12:48:06.57 ID:DNFuElLe
/// 病的依存 14 /////////// 以上のような偶然の事態がどれほど起こっているかは精神分析家の知るところではない。 精神分析家の目に留まるのは、もっと不幸な愛情関係であり、二人が互いに相手を苦しめ合い、 依存している側の人は痛ましくも、ゆっくり自分自身を破壊していく危険性をもった関係 である。このような例に見られるものを、われわれば「病的依存」と呼ぶ。病的依存が起こる のは、性的な関係だけに限らず、親と子、教師と生徒、医者と患者、指導者と従属者のような、 性的でない愛情関係においても、多く認められる。しかし、病的依存が最も顕著に現われるのは 恋愛関係においてであるから、恋愛関係でそれをしっかり把握しておけば、他の人間関係で 病的依存が誠実や義務であるかのように正当化され、曖昧になっている時でも、容易に見分け られるであろう。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
223 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/16(日) 19:56:56.85 ID:DNFuElLe
/// 病的依存 15 /////////// 病的依存の関係は、相手の選択が不運であったところから始まる。もっと正確に言えば、 選択とは言えないかもしれない。自己縮小型の人は、実は選択しているのではなく、ある 型の人に「呪文をかけられる」のである。彼は当然、自分より強く優れていると思う同性や 異性に心をひかれる。ここで健康な相手は別にして、彼が恋に陥りやすい相手とは、富、 社会的地位、名声、特殊な才能など、何か素晴らしい魅力をもつ孤立型の人、自分に似た 楽天的な自信をもっている外向的な自己性愛型、堂々と要求し、平気で傲慢になったり、 攻撃的になったりする尊大報復型の人間である。 ///// 神経症と人間的成長 ///
224 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/17(月) 21:41:30.59 ID:hl4s03y+
/// 病的依存 16 /////////// 彼がこうした性格の人にすぐに夢中になるのには、いくつかの原因が同時に働いている。 彼は、自分に欠けているのをひどく残念に思い、またそのため自分を卑下してもいる、 その性質を、相手がすべて具えているように見えるので、その人を過大に評価してしまう。 それは、独立性、自己充足性、優越性への確信、傲慢さ、攻撃性を誇示する大胆さ、という ような事柄であろう。こうした性質を具えた、強い優れた(と彼が見る)人々だけが、彼の もつすべての欲求を充たし、身も心も奪うことができるのである。ある女性患者の幻想に よれば、強い力をもった男だけが、燃えている家や難破船や恐ろしい強盗から彼女を救い 出すことができるのである。 ///// 自己実現の闘い ///
225 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/18(火) 23:46:01.96 ID:xmsQ/loS
/// 病的依存 17 /////////// しかし、魅惑されたり、呪文をかけられたりするようになるのは――つまり、そのように 夢中になることのなかに強迫的要素があるのは――はっきり言うと、自己拡張的欲動が抑え られているからである。既に見たように、彼はどんなことをしても、この拡張的欲動を否認 しなければならない。どんな誇りや支配への欲動を心に秘めていようと、それは自分のあずかり 知らぬものであり、遂に、自分の誇りの体系の抑えられた無力な部分こそ自分の本質だと 彼は感じている。しかし、他方では、自己縮小過程からくる結果に苦しんでいるため、攻撃的に 傲慢に人生を送る能力にも強い魅力を覚える。彼は、無意識的に――また、自由に感情を 表わしてもよいと思う時には意識的にさえ――もし、自分が昔のスペイン人征服者ほど誇り 高く非情になれさえすれば、自分は「自由」になり、世界を支配することもできるのに、 と思う。 ///// 原著 1950年発行 ///
226 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/19(水) 21:48:47.38 ID:1TMme3Dh
/// 病的依存 18 /////////// しかし、こうした性質は自分の手の届かぬものであるから、他人のそれに心をひかれる。 また彼は、自分自身のもつ自己拡張的欲動を外在化して他人のなかに認め、それを賛美する。 彼の心の核心に触れるものは、他人の誇りや傲慢さなのである。自分の葛藤は自分の内部 でしか解決できぬことに気づかず、彼はそれを愛によって解決しようとする。彼は誇り高い 人を愛し、その人と一体になり、その人を通じて生きることで、自分が実際に人生を支配 しなくても、人生の支配に参加したような満足感を味わうことができる。この愛情関係を 続けていくうち、神とも思う相手にもやはり欠点のあることが分れば、彼はもはや自分の 誇りを相手に移し替えることができないので、相手への関心を失うであろう。 ///// Neurosis and Human Growth ///
227 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/20(木) 21:54:20.75 ID:kFLWfJUp
/// 病的依存 19 /////////// 他方、彼は自己縮小的傾向の人には性的な魅力を感じない。自己縮小的傾向の人には、 深い同情心、理解、献身が見られるので、友人としては好きになるかもしれないが、もっと 親しい間柄になると、反発さえ感じるであろう。彼は鏡を見ているように、相手のなかに 自分の弱さを見出すため、相手を憎み、少なくとも、そのことで苛立ちを感じる。彼はまた、 そうした相手のすがりつくような態度も恐れているが、それは、自分が強い側に立たねば ならないと考えただけでも、ぞっとするからである。このような否定的な感情反応が起これば、 相手のもつ長所の価値を認めるどころではなくなるであろう。 ///// Karen Horney ///
228 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/21(金) 21:39:22.79 ID:nYAYTR43
/// 病的依存 20 /////////// 明らかに誇り高い人々のなかでは、通例、尊大報復型が、依存的な人の心を最もひきつける。 ところが、依存型の真の利益から言えば、尊大報復型を恐れて当然なのである。尊大報復型に 魅力を感じるのは、一つには、この型の人の誇りが最も際立っているからであるが、もっと 決定的な点は、この型の人が、いちばん依存型の誇りを叩きつぶしてくれそうだからである。 実際、二人の関係は、尊大型の人が何か露骨な侮辱を与えることで始まるだろう。サマセット・ モームは、『人間の絆』におけるフィリップとミルドレッドの最初の出会いで、このような 関係を描写している。シュテファン・ツヴァイクも、『アモク』で同様な例を挙げている。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
229 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/21(金) 22:37:42.03 ID:nYAYTR43
/// 病的依存 21 /////////// この二つの場合、依存的な人は無礼な相手――この例ではいずれも女性であるが――に対して 初めのうちは腹を立て、復讐の衝動を感じるが、ほとんど同時に、彼女に強く心をひかれ、 激しく、自分でもどうしようもなく「惚れ込んで」しまう。以後、彼は彼女の愛を得たい という一心にひたすら掻き立てられ、ついには、われとわが身を破滅させるか、破滅寸前の 状態に追いやる。侮辱行動が依存的な人間関係を生じさせる例は多い。それは必ずしも、 『人間の絆』や『アモク』におけるほど劇的な現われ方をするとは限らず、それよりはるかに とらえがたく、表に現われないこともある。 ///// アカデミア出版会 ///
230 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/22(土) 08:31:31.29 ID:EOtQHNhT
/// 病的依存 22 /////////// しかし、依存的な関係で侮辱的な行動が全然存在しないということはありえない。侮辱的な 行動には、単なる無関心、高慢で打ち解けない、相手以外の人に注意を向ける、冗談やふざけた ことを言う、名声・職業・博識・美貌のような、ふつう人の心をとらえる相手の長所に心を 動かさない、などがある。このような行動が「侮辱」になるのは、相手に拒否されたと受け取られる からであり、以前にも述べたように、拒否されるということは、万人に好かれることを非常な 誇りとしている人にとっては、一つの侮辱となるからである。孤立した人が彼にとって魅力的 であるのは、こうした事態がよく起こるためで、孤立した人の示す冷淡さや取り付く島のなさ、 そのものが、侮辱的な拒否になるのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
231 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/22(土) 23:23:16.07 ID:EOtQHNhT
/// 病的依存 23 /////////// これまで述べてきたことを見れば、自己縮小型の人とは、ただ苦しみを渇望し、侮辱を 受けることで苦しみが得られそうな機会を貪欲にとらえる人たちだと、考えたくなる。 しかし、実際には、この考えほど、これまで病的依存の真の理解を妨げてきたものはない。 しかも、この考えには一面の真理が含まれているので、なおいっそう人を誤った考えに 導きやすい。自己縮小型の人にとって、苦しみが様々な神経症的価値をもっているという ことは分っており、しかも、侮辱的な行動が彼の心を強くひきつけることも真実である。 ///////// 対馬忠監修 ///
232 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/23(日) 13:00:07.65 ID:ysxwrOd+
/// 病的依存 24 /////////// ここでの誤りは、侮辱的な行動に強くひきつけられるのは、侮辱により苦しみが得られる 見込みがあるからだというように仮定して、両者の間にあまりに単純明快な因果関係を 想定する点にある。侮辱に心をひかれる理由は、先に本書でそれぞれ取り上げりてきた 二つの要因にある。その一つは、他人の傲慢さや攻撃性が彼の心をひくこと、もう一つは、 彼自身が服従したいという欲求をもっていることである。この二つの要因は、これまでに 分っている以上に密接に絡み合っている。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
233 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/23(日) 23:47:31.86 ID:ysxwrOd+
/// 病的依存 25 /////////// 彼は心身共に相手に服従したいと切に願うが、そのためには、誇りを曲げるか、捨てて しまうしかない。言葉を換えれば、最初の侮辱が彼の関心をそれほどひくのは、それに よって傷つけられるからというよりは、自己脱却と自己放棄が可能になるからである。 患者の言葉を借りれば、「私の誇りを根底から揺さぶる人は、傲慢と誇りから私を解放 してくれる」。あるいは、「彼が私を侮辱できれば、その時、私はふつうの人間になれる」。 そして、さらに言えば、「その時初めて、私は人を愛することができる」のである。ここでも、 ビゼーのカルメンの情熱は、愛されていない時しか燃え上がらなかったことが思い出されよう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
234 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/24(月) 21:57:30.24 ID:10BF9gpr
/// 病的依存 26 /////////// 誇りを捨てることが愛に従うための絶対的な条件だとすることは、疑いもなく病的である。 特に、(これから見るように)ひどい自己縮小型の人は、堕落するか、自分で堕落したと 思わなければ愛することができないので、病的である。しかし、健康な人の場合に愛と真の 謙遜が共存していることを思えば、この現象は珍しくも、不可解なものでもない。また、 この現象と自己拡張型で見られたものとの違いは、われわれが最初に思ったほど大きなもの ではない。自己拡張型が愛を恐れるのは、主に、愛のためには自分の神経症的誇りの多くを 捨てなければならないだろうと、無意識のうちに気づいているところからきている。 ///// 自己実現の闘い ///
235 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/25(火) 22:09:57.17 ID:O00EfrPa
/// 病的依存 27 /////////// 簡単に言えば、神経症的誇りは愛の敵なのである。自己拡張型と自己縮小型との違いを 挙げれば、拡張型は、愛を必ずしも必要とせず、逆に危険なものとして避けるのに対して、 縮小型においては、愛に従うことがすべての解決であり、したがって、愛は必要不可欠な ものに思われる。拡張型も、自分の誇りが砕かれれば、砕かれた時だけ服従することも あるが、その時は情熱的に相手に隷属する。スタンダールはこの過程を、『赤と黒』の なかで、誇り高いマチルダがジュリアンに対して抱く情熱のなかに描いている。これは、 尊大型の人が愛を恐れるのには、彼なりの、しっかりした根拠があるのだということを 示している。だが、たいていの場合、尊大型はあまり慎重なため、恋に陥ることはない。 ///// 原著 1950年発行 ///
236 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/26(水) 22:10:07.36 ID:jUIkS8rV
/// 病的依存 28 /////////// 病的依存の特徴は、どんな人間関係にも見られるが、自己縮小型と尊大報復型との間の 性関係で、それが最もはっきり現われる。この場合は、双方のもつ心理的な理由から、二人の 関係はふつう永続きするので、その葛藤はいっそう激しく、しかも、とことんまで発達する。 自己性愛的、または孤立的な相手なら、自分に向けられた暗黙の要求にもっと早くうんざり して、逃げ出しもしようが、サディズム的な人は自分を犠牲者にしっかり結びつけようとする。 他方、依存的な人にとって、尊大報復型との関係を断ち切るのは、他の型の人間との関係を 断つのよりはるかにむずかしい。依存型特有の弱さをもっているため、彼はこのような事態に うまく対処できない。 ///// Neurosis and Human Growth ///
237 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/27(木) 22:55:03.01 ID:D65Gvu73
/// 病的依存 29 /////////// それはちょうど、穏やかな海で航海するように造られた船が、荒れ狂う嵐の大洋を横断すれば、 船全体の弱さ、つまり構造上の欠陥が一つ一つ現われてきて、沈没に至るようなものである。 それと同様に、自己縮小型の人は、これまでかなり順調にやってきても、前述のような 人間関係の葛藤に巻き込まれると、心のなかにある神経症的要因がいっせいに活勤し始める。 ここでその過程を、主として依存的な人の立場から述べよう。話を単純化するため、自己 縮小的な方が女性で、攻撃的な方が男性であると仮定しよう。現代の文明社会では、現実に この組み合わせが多いようである。しかし、多くの例にも見られるように、自己縮小は女らしさ と何の関係もなく、攻撃的尊大は男らしさとは別のものである。この二つの傾向は、共に きわめて神経症的現象なのである。 ///// Karen Horney ///
238 :
◆9JwNW1WNKc :2014/02/28(金) 23:15:08.65 ID:YR09ipWv
/// 病的依存 30 /////////// この過程で目につく第一の特徴は、そのような女性が相手との関係に完全に没入して しまう点である。彼は彼女の人生の唯一の中心になり、あらゆるものが彼を中心に回転する。 自分に対する彼の態度が肯定的であるか、否定的であるかによって、彼女の気分は左右 される。彼からの電話やデートの機会を逃すのを恐れ、自分の計画は何も立てることが できない。また、彼を理解し助けることばかりを考え、彼が期待していると思われることに 応えようと真剣に努める。彼女が恐れるのは、ただ彼に逆らい、彼を失いはしないかという ことだけである。逆に、それ以外の興味は消えてしまう。彼女の仕事は、彼に関連した ものでなければ、多かれ少なかれ、意味を失う。彼とのことがない時には大切に思って いる専門的な仕事や、今までにいろいろな成果を上げてきた仕事ですら、意味がなくなる。 当然、生産的な仕事がいちばん被害を受ける。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
239 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/01(土) 15:13:18.60 ID:5lEyZhy6
240 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/01(土) 20:06:38.46 ID:5lEyZhy6
/// 病的依存 31 /////////// 彼以外の人との人間関係はなおざりにされる。彼女は子どもや家庭をほったらかしにし、 捨てることもある。他の友人はしだいに、彼がいない時の穴埋めに利用されるだけのもの になる。他の人との約束も、彼が現われると、即座に取り消される。彼の方も彼女をもっと 自分に依存させたいと望むので、他の人々と彼女との人間関係はますます損なわれてくる。 また、彼女は彼の目を通して自分の親戚や友人を見るようにもなる。彼は、彼女が人を 信頼するのを嘲笑し、自分の猜疑心を彼女に吹き込む。 ///// アカデミア出版会 ///
241 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/02(日) 10:08:43.33 ID:ncPWYvyX
/// 病的依存 32 /////////// そこで、彼女は自分の基盤を失い、ますます心が貧しくなる。そのうえ、これまで既に 衰退していた彼女の自己への関心は、ついに消失する。彼女は借金を背負い、評判を落とし、 健康や個人としての尊厳を損ねる。彼女が精神分析を受けていたり、よく自己分析をして いたりする場合には、彼女の自己認識への関心は、彼の動機を理解し、彼を助けたいという 気持にとって代わられてしまう。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
242 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/02(日) 19:39:35.48 ID:ncPWYvyX
/// 病的依存 33 /////////// 二人の間の障害は当初から十分発達した形で始まっているかもしれないが、しばらくの 間は、かなり順調に物事が進んでいるように見えるであろう。ある神経症的なやり方で、 二人はお互いにうまくかみ合っているようである。彼は主人になることを欲し、彼女は 服従することを欲する。彼は公然と要求し、彼女はそれに従う。彼女は誇りが打ち砕かれて、 初めて服従することができ、彼は自分自身のもつ多くの理由から、どうしても彼女の誇りを 打ち砕かざるをえない。 ///////// 対馬忠監修 ///
カレン・ホーナイの理論で神経症が治った人はいますか?
244 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/03(月) 21:39:09.91 ID:9iHQDPP3
/// 病的依存 34 /////////// しかし、遅かれ早かれ、二人の気質の間に――もっと正確に言えば、本質的な点ですべて 正反対な二つの神経症的人格構造の間には――必ず衝突が起こる。衝突は主に感情の問題、 つまり「愛」に関するものである。彼女は愛情やいたわりや親しみをしつこく求めるが、 彼の方ではやさしい感情を極度に恐れ、そのような感情を表わすのは見苦しいと思う。 彼女が愛を保証するのは、彼にはまったくの偽善であるように思われる――確かに、彼女が 彼を愛する動機は、実のところ、彼に対する人間的な愛というよりは、自分をなくし、彼と 一体になりたいという欲求からきている。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
245 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/04(火) 22:59:10.59 ID:DhiVPxrU
/// 病的依存 35 /////////// 彼は彼女のそうした感情、したがって彼女そのものに応じることができない。そのことが 逆に彼女に、自分が無視され辱められたという感じを与え、不安を掻き立て、彼に対する 執着をいっそう強める。そして、ここでもう一つの衝突が起こる。彼は何としても彼女を 自分に依存させようとするが、彼女がすがりついてくると、恐れ、反発する。彼は自分自身の 内部のどんな弱さも恐れ、軽蔑し、したがって、彼女の弱さも嫌悪する。このことが、 彼女にまた拒否されたような感じを与え、不安と執着をいっそう深める。彼女の暗黙の 要求は強制に感じられるので、支配感を保つために、彼はそれを撃退しなければならない。 ///// 神経症と人間的成長 ///
246 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/05(水) 22:21:34.32 ID:A5lQzvtf
/// 病的依存 36 /////////// 彼女が強迫的に尽くしてくれることは、彼の自ら足れりと思っている誇りを傷つけ、また、 何がなんでも彼を「理解しよう」とする態度も、同じく彼の誇りを傷つける。しかも、実際に 真剣な努力を重ねているのに、彼女は彼を真に理解していない――いや、理解できないの である。そのうえ、彼女の、いわゆる「理解」には、見逃し、許してやりたいという欲求が あまりにも強く含まれている。というのも、彼女は自分の態度がすべて立派で、当然のもの ばかりだと思っているからである。 ///// 自己実現の闘い ///
247 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/06(木) 21:40:26.97 ID:msa4BXcF
/// 病的依存 37 /////////// 彼の方では、彼女の感情の方が自分より道徳的に優れていると感づき、そこに含まれている 見せかけを暴きたいという気持に駆られる。二人共、心の底では独善的なので、こうした 問題について十分に話し合える可能性は乏しい。こうして、彼女は彼を獣のような男と見る ようになり、彼の方は彼女を道学者ぶった女だと思う。彼女の仮面を剥ぎ取ることも、建設的な 仕方でされるなら、大いに彼女のためになるであろう。ところが、たいていは、皮肉たっぷりの 軽蔑的なやり方でされるので、彼女を傷つけ、いっそう不安定で、依存的にするだけである。 ///// 原著 1950年発行 ///
248 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/07(金) 22:59:46.38 ID:a/5NNfJJ
/// 病的依存 38 /////////// このような衝突があっても、彼らがお互いの助けになれるかどうかと考えるのは、無駄な ことである。確かに、彼はいくぶん軟化し、彼女の方もいくらかの硬化には耐えられるだろう。 だが、だいたいにおいて、二人共、それぞれの神経症的欲求や嫌悪感に左右されすぎている。 そこで、双方に最悪の事態をもたらすような悪循環が働き続け、お互いに苦しめ合うような 結果に陥るしかない。 ///// Neurosis and Human Growth ///
249 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/08(土) 10:02:23.74 ID:tfc1wwvW
/// 病的依存 39 /////////// 彼女の受ける欲求阻止や束縛は様々であるが、それは種類が異なっているというよりは、 やり方の洗練度や強さが違うのである。相手の気をひいては、はねつけ、束縛しては手を引く、 といった、猫が鼠をなぶりものにするようなことは、しょっちゅう起こる。例えば、満足な 性関係の後で粗野な嫌がらせで相手を怒らせ、楽しいはずの夜のデートの約束を忘れ、隠し事を 聞き出してはそれをもとに当てこすりを言う、などである。彼女も同じような駆け引きを しようとするが、禁止があまり強すぎるので、それがうまくできない。しかし、彼女は、 彼が攻撃すれば意気消沈し、機嫌の良い顔をすれば、これからは万事うまくいくという誤った 希望をもつので、いつも彼の格好の玩具になる。 ///// Karen Horney ///
250 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/08(土) 19:32:10.77 ID:tfc1wwvW
/// 病的依存 40 /////////// 彼は、自分には、いつでも、誰からも口を挾まれずに、いろいろなものを受ける権利が あると思っている。彼の要求には、自分や友人や親戚に対して経済的援助や贈り物をして もらう、自分のために家事やタイプのような仕事をしてもらう、自分の昇進を助ける、 自分の欲求について細やかに配慮してもらう、といったことがある。この最後の、欲求に ついての配慮とは、例えば、彼の都合に合わせて時間をやりくりする、彼の仕事に対して 無批判に、ひたすら関心を寄せる、彼の望むままに一緒にいたり、いなかったりする、 彼が不機嫌で苛立っても動じない、などである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
251 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/09(日) 11:16:36.24 ID:TcrNc3oM
/// 病的依存 41 /////////// 自分が要求することはすべて自明の権利なのだ、と彼は信じている。感謝するという ことは決してなく、自分の希望がかなえられないと、苛立ち、文句を言う。自分は全然 要求的でないのだが、彼女が、けちで、だらしなく、思いやりも、感謝する気持もないのだ、 だから自分はあらゆるひどい仕打ちに耐えねばならないのだ、と彼は思い、あからさまに 口に出しても言う。また、その一方では、彼女が何を要求しているのかを素早く突きとめ、 その要求はまったく神経症的だと思う。愛情や時間や共にいることを求める彼女の欲求は 独占的だし、性や美食を望むのは我儘なのだ。そこで、彼女の欲求を充たしてやらない時、 彼は実は、自分自身の理由からそうせざるをえなかったのだが、心のなかでは、自分が 欲求阻止をしたとは思っていない。 ///// アカデミア出版会 ///
252 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/09(日) 19:30:31.24 ID:TcrNc3oM
/// 病的依存 42 /////////// そのような欲求をもつこと自体が恥ずべきなのだから、彼女の欲求は無視した方がよいのだ、 と彼は思っている。実際に、彼が欲求を阻止するのに使う技術は、高度に発達したもので ある。それには、すねることで彼女の喜びをくじく、自分は歓迎されず望まれでいないのだ と感じさせる、物理的または精神的に彼女から遠ざかる、などがある。なかでも、いちばん 彼女を傷つけ、理解に苦しませるのは、全般に彼女を無視し軽蔑する態度である。彼が彼女の 能力や性質をほんとうはどう考えているかを話すことは滅多にない。他方では、以前にも 述べたように、彼は彼女のおとなしさ、慎重さ、婉曲なものの言い方を軽蔑しきっているが、 さらにそのうえ、自分の自己嫌悪を積極的に外在化したいという欲求からも、彼女のあら探しをし、 傷つける。それに対して、彼女の方が批判したりすれば、彼は高圧的な態度で、言われた ことを無視するか、それは仕返しなのだと言い張る。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
253 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/10(月) 22:13:23.96 ID:wWvYIxJs
/// 病的依存 43 /////////// 性の問題には最も個人差が大きい。性関係だけが満足な対人的接触になっていることも あれば、また、彼の方が性を楽しむことに禁止を感じている場合には、性関係でも彼女を 欲求不満にさせるであろう。しかも、彼にはやさしさが欠けているため、性だけが彼女に 愛を保証するものであろうから、この不満はいっそう身にこたえる。その他に、性が彼女を 辱め、品位を落とす手段に使われることもある。彼は、自分にとって彼女は性の対象以外の 何ものでもないのだ、とはっきり言明したり、また、他の女性との性関係を自慢し、それに 比べて彼女は魅力が乏しく反応が鈍いと、侮辱的な批評をしたりする。性交渉には、やさしさが まったく欠けていたり、サディズム的な技巧を使うため、彼女にとって屈辱的な体験となる。 ///////// 対馬忠監修 ///
254 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/11(火) 23:43:49.19 ID:dfNl4px+
/// 病的依存 44 /////////// 前述のような虐待に対して彼女のとる態度は、矛盾だらけである。これから見るように、 それは一連の静止した反応ではなく、葛藤をますます拡大していく変動の過程である。まず、 彼女は、これまで攻撃的な人に対してずっと無力であったように、今でも何の抵抗もできない。 彼らに対しては、自己を主張し、うまく反撃することができず、いつでもその言いなりに なってしまう方がやりやすかったのだ。それに、いずれにしても、すぐ罪の意識が起こって くるので、彼女は彼のいろいろな非難にむしろ同調してしまう。特に、その非難にはかなりの 真実が含まれていることが多いからである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
255 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/12(水) 21:49:57.62 ID:cWvgvVWb
/// 病的依存 45 /////////// ところが、今では彼女の従順さの比重が増し、その性格も一変する。従順であることが、 人を喜ばせ、人の気持を和らげたいという欲求の表われであることに変わりはないが、今では そのうえに、全面降伏したいという気持も加わる。全面降伏は、前にも見たように、彼女の 誇りがほとんど打ち砕かれた特に、初めて可能になるものである。このように、彼女は一部では、 心ひそかに彼の行動を歓迎し、ひどく積極的に彼に協力する。彼は明らかに――無意識では あるが――彼女の誇りを打ち砕こうとする。彼女は誇りを犠牲にして彼の気に入られようと する、自分でもどうしようもない衝動をひそかに感じる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
256 :
優しい名無しさん :2014/03/13(木) 14:52:39.25 ID:1eyfRBzv
マズローの欲求段階説かな…
257 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/13(木) 21:20:56.22 ID:Dh2ZO8Z7
/// 病的依存 46 /////////// 性行為では、この衝動が完全に意識されるであろう。彼女は強い性への欲望に駆られて、 ひれ伏し、屈辱的な姿勢をとり、打たれ、噛まれ、辱められる。しかも、時には、このような 状態のもとでしか十分な満足に達することができない。自らを堕落させることで全面降伏を 果たそうとするこの衝動は、他のどんな説明よりも十分に、マゾヒズム的倒錯を解明する ように思われる。 自らを堕落させたいという切望をそのように率直に表現するということは、こうした 欲動がどんなに大きな力をもつかを示す証拠である。この欲望はまた、しばしば自慰と 結びつき、堕落した性的乱行の夢想、人前にさらされ、犯され、縛られ、打たれる夢想の 形をとって現われる。最後に、この欲動は、貧民街で困窮の果てを、相手に助けられ、娼婦の ように扱われ、彼の足許にひれ伏す、という夢で表わされることもある。 ///// 自己実現の闘い ///
258 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/14(金) 23:37:37.98 ID:C0X3utSS
/// 病的依存 47 /////////// 自己を堕落させようとする欲動は、あまり姿を変えているため、はっきり分らないことが ある。しかし、経験豊かな観察者には、他のいろいろな形をとっても、その欲動は明らかで ある。例えば、相手の欠点をかばい、その失策に対する非難を自分の身に引き受けようと する熱意――というよりはしつこさ――や、相手に仕え服従する時のみじめさ、のような 形をとる場合である。彼女自身はこの欲動を意識していない。というのも、一般に、相手の 前にひれ伏したいという衝動は、性の場合を除けば、心の最も奥深くに抑えられているので、 彼女はこうした服従を、謙虚さとか、愛情とか、愛しているがゆえの謙遜とか思っている からである。 ///// 原著 1950年発行 ///
259 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/15(土) 09:25:55.01 ID:izwAdWzp
/// 病的依存 48 /////////// しかし、衝動は現に存在し、一つの妥協、つまり自分でも意識せずに、堕落していく、という 妥協を強いる。こうしたことが原因になって、長いい間、彼の無礼な行動が誰の目にも明白で あるのに、彼女はそれに気づきさえもしない。あるいは気がついても、その実感をもたないので、 本気で気にすることがない。時々友人がそのことを忠告すると、彼女は、忠告が真実であり、 友人は自分のためを思って言ってくれたのだと分っていても、腹を立てるだけである。実は、 友人の忠告は、この点に関して彼女のもっている葛藤にあまり触れすぎているため、彼女は そうせざるをえないのである。それよりもっと印象的なのは、ある時期、この状態を何とか 逃れようとして彼女が自分から種々な試みをする点である。彼女は彼に抵抗しようとして、 彼のとったあらゆる侮辱的な態度を繰り返し思い出してみる。そして、長い間この努力を 空しく続けた後に初めてそれが何にもならなかったことに気づき驚く。 ///// Neurosis and Human Growth ///
260 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/16(日) 07:42:21.85 ID:aHksuodJ
/// 病的依存 49 /////////// 全面降伏したいという欲求をもてば、相手を理想化することも必要になる。彼女は自分の 誇りを委ねた相手としか一体になれないのだから、相手は誇り高い人であり、自分は征服 された者でなければならない。最初に彼女の心をとらえるのは、彼の傲慢さであることは 既に述べた。この意識された魅力は消えていくだろうが、彼の美化は、もっと巧妙な仕方で 続いていく。もっと後になれば、彼女もいろいろな点で彼のことがはっきり見えるのだろうが、 実際に破局がきてしまうまで、彼のありのままの全体像をとらえることができない――そして、 破局がきてしまっても、まだ美化が残っていることもある。 ///// Karen Horney ///
261 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/16(日) 20:11:29.50 ID:aHksuodJ
/// 病的依存 50 /////////// その間、彼女は、彼がいろいろな障害をもっているにもかかわらず、だいたいにおいて 正しく、誰よりもよく物を知っていると考えがちである。この場合、彼を理想化しようと する欲求と、服従したいという欲求との両方が共に働いている。彼女は自分の自己を失って しまって、彼の目を通してしか、彼や他人や自分自身を見ることができなくなる。そして、 それは彼との別れを非常にむずかしくしているもう一つの要因なのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
262 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/17(月) 22:34:22.63 ID:BRnW/mGe
/// 病的依存 51 /////////// これまでのところ、相手との関係は万事順調であった。ところが、彼女の賭けは当たらず、 転換点、というよりは、長期間にわたる転換の過程が生じる。彼女が自分を堕落させるのは、 だいたいにおいて(全部というのではないが)、結局は、自己を捨て相手と融合することで 心の統一を見出そうとする、目的達成のための一つの手段なのである。この目的を達成する ためには、相手が彼女の愛の服従を受け入れ、愛を返してくれなければならない。ところが、 まさにこの決定的な点で、彼は彼女を裏切る――われわれも知っているように、彼は自分の 神経症のためそうせざるをえないのである。 ///// アカデミア出版会 ///
263 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/18(火) 21:50:07.74 ID:NvnW8uj2
/// 病的依存 52 /////////// したがって、彼女は彼の傲慢を気にしない―――というより、心ひそかにそれを歓迎するが、 他方、愛の問題では欲求が陰に陽に阻止されたり、彼から拒否されたりすることをひどく 恐れ、嫌う。それには、彼女の心の奥深くに潜む救いへの切望と、自分は彼に愛され、彼との 間をうまくいかせるべきだと要求する、あの誇りの部分の、両方が関連している。それに、 たいていの人がそうであるように、彼女は今までこれほど打ち込んできた目標を簡単に捨てて しまうことはできないのだ。そこで、彼女は彼の虐特に出合うと、不安になり、落胆し、 絶望するが、すぐその後で、また気を取り直し、逆の証拠があっても、いつかはきっと彼が 自分を愛してくれるという信念にしがみつく。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
264 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/19(水) 22:12:42.48 ID:8wlPlGUf
/// 病的依存 53 /////////// 葛藤はまさにこの時点で始まる。それは最初、短期間続いて後すぐに克服されるが、しだいに 深く永続的になっていく。その一方では、彼女は彼との関係を改善しようと必死に努力する。 こうすることが、彼女にとっては彼との関係を深める良いやり方に思えるのだが、彼の目には 彼女の執着が増したと映る。双方の見方はある点までは正しい。しかし、双方とも本質的な 点を見落としている。それは、彼女が最終的に良いと思うものを求めて闘っている事実である。 ///////// 対馬忠監修 ///
265 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/20(木) 22:47:53.29 ID:/mBeo9X/
/// 病的依存 54 /////////// 彼女はこれまで以上に背伸びをして、彼を喜ばせ、彼の期待にそい、失敗は自分のせいにし、 どんな無礼も大目に見て恨まず、彼を理解し、その過失をかばおうとする。こうした努力は すべて、まったく誤った目標に向けられていることには気づかず、彼女はこの努力を、自分が 「向上」したしるしであると評価する。またそれと同様に、彼女は彼も「向上しているのだ」 という、ふつう誤った信念に例によって固執する。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
266 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/21(金) 10:19:04.98 ID:rRL2B/Hn
/// 病的依存 55 /////////// 他方では、彼女は彼を憎み始める。この憎しみは彼女の希望をくじくものであるから、 初めのうちは完全に抑圧されている。だがしだいに、憎しみは瞬間的にちらりと意識される ようになるだろう。彼女は今では彼の無礼な振舞いを恨み始めるが、自分でそれを認める のはやはりためらっている。この変化にともない報復的傾向が表面に出てくる。感情が 爆発して彼女のもつ真の恨みが現われることもあるが、それでもまだ、彼女には、それが どれほど真であるかが分っていない。 ///// 神経症と人間的成長 ///
267 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/22(土) 06:54:51.66 ID:XoywRIRa
/// 病的依存 56 /////////// 彼女は以前より批判的で、利用されるのを喜ばないようになる。この報復的傾向はほとんど、 その特徴として、不平、苦悩、献身、執着の増大という間接的な形をとる。報復的要素は 彼女の目標にも忍び込んでくる。それはこれまでも、目標のなかに潜在した形で常に存在 していたのだが、今はちょうど癌が大きくなるように急速に広がっていく。彼に愛されたい という切望は現在も続いているが、それはむしろ報復的勝利の意味を帯びたものになる。 ///// 自己実現の闘い ///
268 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/22(土) 22:04:56.37 ID:XoywRIRa
/// 病的依存 57 /////////// このことはあらゆる意味で、彼女にとって不幸である。無意識のままであっても、それほど 重大なことで心がはっきり分裂すると、真の不幸はいっそう増大する。また、無意識である という、まさにその理由から、この報復的傾向は、「幸福な結末」に向かって努力しよう という新たな強い刺激を与え、彼女をいっそう強く彼に結びつける。その努力が成功し、 結局のところ、彼が彼女を愛するようになった時でさえ――彼があまりかたくなでなく、 彼女が自己破壊的すぎなければ、そうなることもあるのだが――彼女はその恩恵に浴する ことができない。彼女の勝利を求める欲求は充たされるとしぼんでしまい、誇りは当然受ける べきものを受けるが、彼女はもうそれには関心がないのだ。与えられる愛にはありがたく 感謝するが、遅すぎた、と彼女は思う。実は、彼女は誇りが満たされてしまうと、もう愛する ことができないのである。 ///// 原著 1950年発行 ///
269 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/23(日) 07:00:29.66 ID:lhTyIop/
/// 病的依存 58 /////////// しかし、努力を倍加しても、この事態が本質的に変わらないと、彼女は以前にもまして 激しく自分を責め、そのため、四方八方から攻撃を身に受けることになる。服従という考えは しだいに価値を失い、したがって、自分が侮辱をあまり我慢しすぎていたと気がつくので、 自分が利用されたと感じ、そのために自分自身を憎む。また、最後に、彼女は自分の「愛」が、 実は病的依存(彼女がそれをどんな言葉で呼ぼうと)であることを自覚し始める。それは、 健康な認識なのであるが、最初、彼女はそれに対して、自己軽蔑の反応を示す。そのうえ、 彼女は、自分の内部にある報復的傾向をとがめ、そのような傾向をもつ自分自身を憎み、 ついには、彼の愛を得ることができなかったと言って、情容赦もなく自分をこき下ろす。 ///// Neurosis and Human Growth ///
270 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/23(日) 19:37:44.43 ID:lhTyIop/
/// 病的依存 59 /////////// こうした自己嫌悪のいくらかは意識されているが、そのほとんどは、たいてい、自己縮小型に 特徴的な受動的な仕方で外在化される。それは、彼に虐待されたと思う気持が、今では強く 全般に広がっていることを意味する。こうなると、彼に対する彼女の態度には新しい亀裂が 生じる。この被虐待感から生じた恨みは強まり、彼女を彼から引き離す。ところが、例の 自己嫌悪も非常な脅威になるので、彼女は安心できるような愛情を求めるか、または、完全に 自己破壊的な立場に立って、もっと虐待を受け入れるようにするか、のどちらかである。 その時、相手は彼女の自己破壊の執行者になる。彼女は自分自身を憎み、軽蔑しているので、 虐げられ辱められるよう駆り立てられるのである。 ///// Karen Horney ///
271 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/24(月) 21:26:13.00 ID:5lqM0wpZ
/// KAREN HORNEY ////////////
カレン・ホーナイ(Karen Horney, 1885年9月16日 - 1952年12月4日)は、精神科医、精神分析家。新フロイト派とされる。
精神分析の男性中心的な部分(女児の男根願望など)を批判した。フェミニズムにも影響を与えた。ドイツの
ハンブルク郊外の高級住宅街ブランケネーゼにフランドル系(オランダ系)の家庭に生まれた。
著作にホーナイ全集全7巻(我妻洋, 安田一郎 編、誠信書房)など。
http://ja.wikipedia.org/wiki/カレン ・ホーナイ
Karen Horney /?h?rna?/[1][2] (born Danielsen, 16 September 1885 ? 4 December 1952) was a German
psychoanalyst who practiced in the United States during her later career. Her theories questioned some
traditional Freudian views. This was particularly true of her theories of sexuality and of the instinct
orientation of psychoanalysis.
http://en.wikipedia.org/wiki/Karen_Horney /////////////// カレン・ホーナイ ///
272 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/25(火) 21:46:16.56 ID:voAGNYnA
/// 病的依存 60 /////////// ここで、依存関係から今まさに脱出しようとしている二人の患者の自己観察の例を挙げて、 この時期に自己嫌悪がどのような役割を果たしているかを示そう。まず最初の男性患者は、 依存している相手の女性に対して自分が真にどんな気持をもっているかを確かめるため、 短い休暇を一人きりで過ごそうと決心した。このような試みは理解できるが、たいていは 成功しない。それは、一つには、強迫的要因のため、問題の所在が曖昧にされているから であり、また一つには、患者がふつう、自分自身の問題や、問題と周囲との関係に真の 心をもたず、真空状態のなかで、相手を愛しているかどうか「発見する」ことばかりに、 心を奪われているからである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
273 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/26(水) 23:45:22.81 ID:QWg9USvI
/// 病的依存 61 /////////// この例では、患者はもちろん自分の問いに対する答えを得ることはできなかったが、 問題の根本に迫ろうとする決心そのものは実を結んだ。様々な感情が実際に現われてきて、 彼は感情の嵐のなかにのめり込んだ。最初、彼は相手の女性があまり冷酷なので、どんな 罰を加えてもひどすぎることはないという気持で一杯だった。ところがそのすぐ後、同じ くらい強く、彼女の好意を得るためには何ものも惜しまない気持になった。こうした両極の 感情は代わる代わる何回も起こり、起こった感情の方があまりにも真に感じられるので、 その当座は、反対の感情は忘れられてしまった。 ///// アカデミア出版会 ///
>>273 あなたがカレンホーナイの情報を提供し続けていることに
感謝している。前スレから拝見させてもらっているし、今後も続けてもらえるなら
すごくありがたい。とても勉強させてもらっている。
275 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/27(木) 21:36:13.93 ID:SR27hqMu
/// 病的依存 62 /////////// この過程を三回経て初めて彼は自分の感情が矛盾していることに気づいた。その時初めて、 彼は、この両極の感情のいずれもが自分の真の感情でないこと、また、両方が共に強迫的 感情であることを、はっきりと悟った。この自覚が彼を解放した。今では彼は、一方の 感情から他方の感情へと無力に押し流されるのではなく、その双方を理解すべき問題と 見始めるようになった。次に述べる分析によって、彼は、この二つの感情が、根底では 相手より自分自身の内的過程に深く関連している、という驚くべき自覚に達したのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
276 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/28(金) 21:27:41.56 ID:XdjpH4Ip
/// 病的依存 63 /////////// 感情的な混乱を明らかにするために、二つの問いが役に立った。「彼はなぜ、彼女を 非人間的な怪物だというほどまで、その無礼を誇張しなければならなかったのか」「自分の 気持の変化には明らかな矛盾があると認めるのに、どうしてそれほど手間どったのか」の 二つである。第一の問いは、次のような経過を明らかにした。(いくつかの理由で)自己嫌悪が 高まると、相手の女性から虐待されているという気持が強くなり、その外在化した自己嫌悪に 応じて、相手に対する報復的憎悪を抱く。この過程を見れば、第二の問いに対する答えは 容易である。彼の感情が矛盾していたのは、相手の女性に対して愛と憎悪の両方を表わす という表面的な価値で見られた時だけであった。実際には、彼は、相手をどんなに罰しても ひどすぎることはないという考えに表われた自分の報復性におびえ、相手を思い焦がれる ことで、この不安を和らげ、自分を安心させようとしたのだった。 ///////// 対馬忠監修 ///
277 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/29(土) 08:56:40.25 ID:BeYSaTR2
/// 病的依存 64 /////////// もう一つの例は、ある女性患者に関するものである。この患者はある時期、相手から やや離れたい気持と、どうしても電話をかけたいという気持との間を揺れ動いた。一度、 彼女は受話器に手を伸ばしかけ――また彼と接触すれば、自分にとって事態は困難になる ばかりだと十分に分っていて――こう考えた。「誰かが私をユリシーズのようにマストに 縛りつけてくれればいいのに……ユリシーズのようにだったかな? だが、ユリシーズは 人間を豚に変えてしまうキルケーの誘感に勝つために縛られる必要があったのだ。私を 駆り立てているのは、それなんだ。私自身を堕落させ、彼に辱められたいという激しい 衝動なのだ。」 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
278 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/29(土) 19:50:58.74 ID:BeYSaTR2
/// 病的依存 65 /////////// このことが正しく実感されると、呪文は解けた。すると、彼女は自分自身を分析できる ようになり、自分に対して適切な質問をした。「この衝動がたった今これほど強くなった のはなぜか。」その時彼女は、これまで意識していなかったかなり強い自己嫌悪と自己軽蔑を 感じた。過ぎ去った日々の出来事が現われてきた。それは彼女が己れに背く原因となった 出来事だった。この後、彼女は解放され、以前よりもっと確実な基盤に立っているように 感じた。なぜなら、この時期に彼女は彼と別れたいと望み、この自己分析によって、自分を まだ彼に結びつけている紐帯の一つをつかんだからである。彼女は次回の分析時の初めに、 「私の自己嫌悪をもっと分析しなければなりません」と言った。 ///// 神経症と人間的成長 ///
279 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/30(日) 08:45:30.21 ID:r7Lk3kYz
/// 病的依存 66 /////////// こうして、前述のすべての要因により、内的混乱はしだいに増大する。満たされる希望は しぼみ、努力は倍加され、憎悪感や復讐心が生じると共に、それに対する反動や自己に対する 暴力が起こる。内的状態はしだいに耐えがたいものになり、彼女は現実に伸るか反るかの 瀬戸際に立つ。ここで二つの動きが始まり、そのどちらが勝つかに、彼女の将来のすべてが かかる。その一つは、落ちていく動きである。それは、以前にも述べたように、自己縮小型の 人にとって、すべての葛藤の最終的な解決になるという魅力をもっている。 ///// 自己実現の闘い ///
280 :
◆9JwNW1WNKc :2014/03/31(月) 22:10:37.29 ID:ws+ma2iI
/// 病的依存 67 /////////// 例えば、彼女は自殺を考え、そうすると言って脅し、現実にもそれを企て、実行したりする。 また、病気になって死んだり、道徳的に退廃し、つまらぬ情事にふけることもある。あるいは、 報復的に相手を攻撃し、その結果、ふつう、相手より自分の方が傷ついてしまう。また、 知らず知らずのうちに生きる意欲を失い、怠惰になり、身なりや仕事にもかまわなくなり、 太ってしまうこともある。 ///// 原著 1950年発行 ///
281 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/01(火) 22:54:24.09 ID:5WEiCap9
/// 病的依存 68 /////////// もう一つの動きは、健康な方向へ向かって、現在の状態から脱出しようとするものである。 時には、自分は現実に破滅の危機に瀕しているのだ、と自覚するそのことから、脱出に必要な 勇気が生じる。二つの動きは交互に働くこともある。現状からもがき出ようとする過程は とりわけ辛いものであるが、それを可能にする刺激と力は、健康な源泉と神経症的なものとの 両方から生じる。それには、建設的な自己関心の目覚めもあれば、実際に侮辱されただけでなく、 「だまされた」という思いをさせられたことに対しての恨みがつのる場合もあり、また、 負けたことで誇りが傷つけられることもある。 ///// Neurosis and Human Growth ///
282 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/02(水) 21:10:55.46 ID:dlsjbU9N
/// 病的依存 69 /////////// 他方では、彼女はひどく勝ち目のない勝負をしている。今まで彼女は非常に多くの事柄や 人々から自分を切り離してきた。そして、そんなに一人切り離された状態にあるので、こんどは 彼から放り出されると考えただけでも茫然自失するのだ。また、彼と別れることは、自分の 敗北を認めることにもなるので、もう一つの誇りがそれに反発する。ふつう、彼女には調子の 良い時と悪い時――つまり、彼と別れられると感じる時と、どんなに侮辱されても別れる よりはましだと思う時がある。それは、だいたいにおいて、言わば、一つの誇りともう一つの 誇りとの闘いであり、彼女自身はその間に立ちすくんでいる状態なのである。その結果が どうなるかは、様々な要因によって決まる。要因のほとんどは彼女自身の内部にあるが、 生活全体の状況からくるものも多い。――そして、友人や分析家の助力もかなり重要である ことは確かである。 ///// Karen Horney ///
283 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/04(金) 00:31:33.91 ID:jjV8Bm8F
/// 病的依存 70 /////////// 当面の困難は何とか切り抜けたとしても、彼女のとる行動の価値は、次のようなことで 決まるであろう。彼女は一つの依存関係をどうにか脱却したとしても、いずれはまた、違う 依存関係に飛び込むだけではないか。自分の感情について警戒するあまり、あらゆる感情を 殺すようになったのではないか。そうであれば、表面的には「正常」に見えても、実際には、 一生の傷を負ったことになる。それとも、彼女はもっと根本的に変化し、以前より真に強い 人間に生まれ変わったのだろうか。これらのうち、どれもが現実に起こりうるものである。 当然のことながら、精神分析は、悩みや危険の原因となっている神経症的障害を克服して 成長するための最上の機会を提供する。だが、彼女がこの闘いで自分の建設力を十分に発揮でき、 また、闘いの真の苦しみを超えて成熟したとすれば、自己についてふつうに正直であり、 自分の足で立とうと努力するだけで、ある程度の心の自由を得ることができる。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
284 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/04(金) 22:33:15.02 ID:jjV8Bm8F
/// 病的依存 71 /////////// 病的依存は、われわれが取り組まねばならぬ、最も複雑な現象の一つである。人間の心理の 複雑さを認めず、単純な定式ですべてを説明しようとする限り、病的依存の理解は望むべく もない。病的依存の全体像を、性的マゾヒズムからの種々の派生物として説明することは できない。たとえマゾヒズムがいくらかあるとしても、それは他の多くの要因が働いた結果 であり、その原因ではない。また、病的依存は、弱く無力な人のもつ倒錯したサディズム でもない。さらに、病的依存の寄生的または共生的な側面、言い換えると、自分自身を なくしたいという神経症者の欲動に焦点を絞っても、病的依存の本質を把握することは できない。 ///// アカデミア出版会 ///
285 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/05(土) 09:21:33.91 ID:XPnJm3yr
/// 病的依存 72 /////////// 自己に苦しみを課そうとする衝動をともなった自己破壊も、それだけでは説明原理として 不十分である。最後に、病的依存の状況全体を、誇りや自己嫌悪の外在化にすぎないもの とみることもできない。これらのうち、どれか一つの要因が現象全体の奥深い根源そのもの であるとみなせば、どうしても一方的な見方に片寄り、病的依存のもつ特質のすべてを 覆うことができない。そのうえ、そうした説明はあまりにも静止的な姿しか示していない。 病的依存は静止した状態ではなく、前述の要因のすべて、またはほとんどが、重要性を 増したり、減じたり、一つの要因が他を支配したり、強めたり、お互いに衝突したりしながら、 働く過程である。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
286 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/05(土) 20:02:28.73 ID:XPnJm3yr
/// 病的依存 73 /////////// 最後に付け加えると、ここに挙げた要因のすべては、病的依存の全体像にかかわるもの であるが、言わば、あまりにも否定的すぎて、病的依存のもつ情熱的な性格を明らかにして いない。なぜなら、病的依存は、燃えていようと、くすぶっていようと、情熱には違いない からである。しかし、何らかの生の充実を期待しない情熱はなく、それは、この期待が神経症的 前提から発したものであろうとなかろうと、同じことである。この情熱という要因は、それだけを 他から切り離して考えることはできず、自己縮小的構造という全体的な枠組のなかで初めて 把握される。それは全面降伏へ向かう欲動であり、相手と一体になることによって統一を 見出そうとする切望である。 ・・・・ ///////// 対馬忠監修 ///
287 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/06(日) 08:34:10.05 ID:dVdw21dy
288 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/08(火) 23:54:44.26 ID:f+CBE7jL
/// あきらめ 1 ///////// カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 1950年発行 邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より ・・・・ 第11章 あきらめ ――自由を求める―― 内的葛藤の第三の主な解決法は、基本的には、神経症者が内的な闘いの場から退却して、 自分は闘いには関心がないと宣言するものである。「気にしない」という態度を強化し、 持ち続けることができれば、内的葛藤に煩わされることもなく、心の平和らしきものを 得ることができる。 ///// アカデミア出版会 ///
289 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/10(木) 23:22:54.44 ID:hr5B150T
/// あきらめ 2 ////// 積極的に生きることをやめることによってのみ、それが可能であるから、この解決法には 「あきらめ」と名づけるのがふさわしく思われる。あきらめは、ある意味では、すべての 解決法のなかで最も過激なものであり、おそらくそのために、人がかなり円滑に機能できる ような条件をつくり出すことが多い。しかも、何か健康であるかについてのわれわれの感覚は 一般に鈍化しているので、あきらめ型の人々はしばしば、「正常」な人として通用している。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
290 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/12(土) 08:46:15.80 ID:NpEgaibp
/// あきらめ 3 ////// あきらめは建設的な意味をもつこともある。思うに、多くの先達は野心と成功のうちに 潜む空しさを認め、期待や要求を低くもつことで人間的な円熟を得、本質的でないものを 切り捨てることで賢くなっていった。多くの宗教や哲学では、本質的でないものを捨てる ことが、より高い精神的な成長と完成を得るための条件の一つであると主張する。すなわち、 神に近づくために、個人的な希望や性欲や世俗的な利益をあきらめる、永遠の生を得るために、 束の間のものを欲する心を捨てる、人間に潜在的に具わる精神力を得るために、個人的な 闘いや満足をあきらめる、などがそれである。 ///////// 対馬忠監修 ///
291 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/12(土) 19:56:30.38 ID:NpEgaibp
/// あきらめ 4 ////// しかし、ここで論じている神経症的解決のためのあきらめは、単に葛藤が存在しない というだけの平和に甘んじる、という意味である。宗教の実践活動では、平和の追求は、 闘いや努力をやめるのではなく、むしろそれをもっと高い目標へ向けて行なうことを 意味するが、神経症者にとっての平和とは、闘いや努力をやめて、より少なきに安んじる ことなのである。そこで神経症者のあきらめとは、生活や成長を縮小し、制限し、 切り詰める過程である。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
292 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/13(日) 07:49:09.93 ID:ogioU/Od
/// あきらめ 5 ////// 後に見るように、健康なあきらめと神経症的あきらめとの区別は、今私か述べたほど はっきりしたものではない。神経症的あきらめにも積極的な価値が含まれているが、上述 したような過程から生じる否定的な性質の方が目立っている。それは他の二つの主な解決法を 振り返ってみれば、いっそう明らかである。他の解決法には、もっと動揺した姿、すなわち、 支配と愛情のいずれに関したものであろうと、何かを求め、何かを追いかけ、何かに情熱を 燃やしている姿が見られる。そこには希望や怒りや絶望がある。尊大報復型の人は、感情を 押し殺してしまった結果、冷淡になってはいるが、それでもまだ、激しく成功や権力や勝利を 求める、というよりは、求めるように駆り立てられている。それと対照的に、あきらめを 一貫して持ち続けるあきらめ型の人は、絶えず衰えつつある人生、苦痛や摩擦もないが 情熱も存在しない人生を送っている。 ///// 神経症と人間的成長 ///
293 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/13(日) 18:50:29.72 ID:ogioU/Od
/// あきらめ 6 ////// そこで、神経症的あきらめの基本的特徴は、制限し、避け、望まず行なわずというような 雰囲気である、と言っても少しも不思議ではない。神経症者は誰でもいくらかあきらめを もっているが、私がこれから述べるのは、あきらめを主な解決法とするようになった人々の 断面図である。 神経症者が自分自身や自分の人生に対し傍観者的な態度をとっているということは、彼が 内的な闘いの場から身を引いたことを直接的に示すものである。私はこの態度を、内的緊張を 和らげる一般的な手段の一つとして述べてきた。彼はどこでも目立って孤立的な態度をとって いるので、他人に対しても傍観者である。彼の生き方は、オーケストラ席に坐って、舞台で 上演されている劇、それもあまり刺激的でない劇を見ているようなものである。 ///// 自己実現の闘い ///
294 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/15(火) 00:03:32.91 ID:HpjzJjMH
/// あきらめ 7 ////// 彼は必ずしも優れた観察者とは言えないが、非常に鋭い観察者であろう。初めて来談した 時でも、彼はいくつかの適切な質問を受ければ、公平な観察力を具えた人間であることを 示した。しかし、こんなことをいくら知っていても何にも変わりはしないのだ、と彼は いつも付け加えて言う。もちろん、それだけでは、何も変わりはしない。なぜなら、彼が 言っていることは、どれも彼の体験ではないからである。自分自身の傍観者とは、まさに このことを意味する。彼は生きることに積極的に参加せず、また、参加することを無意識の うちに拒否する。精神分析でも、彼はそれと同じ態度をとろうとする。彼は分析には非常な 興味を示すが、その興味は、面白いことを楽しむという水準にかなり長い間とどまっている ――そこで何も変わらないのである。 ///// 原著 1950年発行 ///
295 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/16(水) 00:07:07.17 ID:2623ouHe
/// あきらめ 8 ////// しかし、彼が意識的にも避けようとしているのは、自分の葛藤を見るという危険を冒す ことである。不意を突かれて、言わば、うっかりその危険に落ち込んだりすれば、彼はひどい 恐慌状態に苦しむであろう。だが、彼はたいてい用心深く、何ものも自分に近づけないように している。例えば、一つの葛藤に近づけば、たちまち、その問題全体への興味がなくなって しまう。あるいは、その葛藤は葛藤ではないのだと自分に言い聞かせて、そこから逃れよう とする。分析家が彼の「回避」戦術を認めて、「気をつけなさい。危機に瀕しているのは あなたの人生なのですよ」と言っても、患者は分析家が何のことを話しているのかよく分らない。 彼にとって、それは自分の人生ではなく、自分が眺めている人生であり、自分が積極的に 参加していない人生なのだからである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
296 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/16(水) 23:56:54.60 ID:2623ouHe
/// あきらめ 9 ///////// 第二の特徴は、この生への不参加と密接に関連したもので、仕事に対する真剣な努力の 欠如と、努力を嫌悪することである。私がこの二つの態度を一緒にするのは、この組み合わせが あきらめ型の人に典型的だからである。神経症者の多くは、何かを成し遂げたいと望み、 その達成を妨げるような禁止が働くと、苛立つ。ところが、あきらめ型の人は、そうではない。 彼は成功も努力も共に無意識に拒否する。彼は自分の才能を過小に評価するか、あるいは まったく否定し、より少なきに甘んじ、自分の評価とは逆の証拠を示されても頑として承服せず、 むしろそれを煩わしく思う。分析家は自分に何かの野心をもたせたいのか、自分をアメリカの 大統領に仕立て上げたいのか、などと彼は考える。どうしても自分に何かの才能があると 認めざるをえなくなると、彼はおびえてしまうであろう。 ///// Karen Horney ///
297 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/17(木) 22:54:13.72 ID:gOJsgkRq
/// あきらめ 10 ////// また、彼は美しい曲を作り、絵を描き、著書を出すだろう――だが、それは空想のなか だけである。それは野心と努力の両方を消してしまうもう一つの方法なのである。彼は 実際に、あるテーマについて独創的な立派な考えをもっているかもしれないが、論文を 書くには、その考えを十分に練り上げ、体系づけるという自発的な辛抱強い作業が要求 される。そこで論文は書かれないで終わる。彼は小説や劇を書きたいと漠然と思うことも あるが、インスピレーションが起こるのをじっと待っている。インスピレーションが起これば、 構想もはっきりして、何でもすらすらとペンから流れ出てくるだろう、と彼は思うのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
298 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/18(金) 23:45:01.87 ID:E0jHICQu
/// あきらめ 11 ////// また、彼は、自分が何もしない理由を見つけるのが非常に巧みである。例えば、汗を流し 苦労して書かねばならないような本がどれだけ役に立つのか、とにかく、感激のない書物が 多すぎるのではないか、一つの仕事に熱中すれば、他のことへの興味が薄れ、視野が狭く なるのではないか、政治などの競争社会に入れば、性格が損なわれるのではないか、など である。 努力に対するこの嫌悪は、すべての行動に波及し、完全な無気力状態をもたらすが、 それについては後にまた言及することにしよう。そんな時の彼は、手紙を書く、読書する、 買い物に出かける、などの簡単なことでも、ぐずぐずと引き延ばし、あるいは、心のなかの 抵抗と闘いながら、のろのろと、もの憂げに、能率悪くしかできない。引っ越しやたまった 仕事を片付けるなど、もっとたいへんな、どうしてもしなければならないことにぶつかると、 それを考えただけで、始める前から疲れてしまう。 ///// アカデミア出版会 ///
299 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/19(土) 09:55:19.16 ID:+NoERS+b
/// あきらめ 12 ////// それに付随して、彼は目標への方向づけや計画性にも欠け、それは大小様々な問題に 関連してくる。現実に自分の人生をどう生きたいのか、という疑問は今まで心に浮かんだ ことがなく、また、たとえそのような疑問が生じても、自分の知ったことではないかの ように、無視されてしまう。この点で、彼は長期的な綿密な計画を立てる尊大報復型と 著しい対照を示している。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
300 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/19(土) 19:39:41.13 ID:+NoERS+b
/// あきらめ 13 //////// 精神分析では、彼の目標は制限され、やはり否定的なように見える。彼は人見知りや、 赤面恐怖や、外で気を失いはしまいかという恐怖、などの困った症状を精神分析が取り除いて くれるべきだ、と思う。さらに、読書障害のような、無気力状態のいろいろな面も分析が 除くべきだと考える。また、もっと幅広い目標を心に描いていることもあり、それを彼独特の 曖昧な表現で、「平静」と呼んでいる。しかし、この「平静」というのは、彼にとっては、 ただ苦労や苛立ちや怒りがまったくないというだけの意味である。しかも、彼の望むものは 当然、何でも容易に、苦しみや努力をせずに手に入るべきなのだ。 ///////// 対馬忠監修 ///
301 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/20(日) 20:20:35.89 ID:fj/MGQ/J
/// あきらめ 14 ////////// 分析家がそのように取り計らうべきだ。何と言っても、分析家は専門家ではないか。精神分析は、 歯医者に行って歯を抜いてもらったり、医者に注射をしてもらったりするようなものであるべきだ。 だから、彼は分析家が万事を解決する手がかりを示してくれるのを、じっと辛抱強く待っている。 だが、患者があまり話さずに済めばなおよい。分析家は患者の考えを写し出すレントゲンの ようなものを使うべきだ。あるいは催眠術の方がもっと手っ取り早いかもしれない――つまり、 患者の方は何の努力もせずに済むのである。新しい問題がはっきりしてくると、彼はまず、 これからどんなに多くのことをしなければならないかと考えていらいらする。前にも述べた ように、彼は自分の心の内部を観察するのはいとわないが、変わろうと努力するのはいつでも 嫌なのである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
302 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/22(火) 21:59:16.41 ID:w+J8cc4I
/// あきらめ 15 ////// それからもう一歩深く進めば、あきらめのまさに本質をなす願望の制限に至る。願望を 抑えるということは、他の型にも見られたが、その場合には、人間的な親密さや勝利を 求める願望のような、ある範疇の願望の制限に限られていた。また、願望は、自分が何を 望むべきかということによって決まるため、不確かなものであることも、われわれはよく 知っている。こうした傾向のすべてがここでも働く。ここでも、ある領域がいつも他の 領域よりも強く侵され、また、自発的な願望は内的命令によってぼやかされる。しかし、 これらのほかに、あきらめ型の人は、意識的、無意識的に、何も望まず、期待せぬ方が よいと信じている。 ///// 神経症と人間的成長 ///
303 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/26(土) 09:39:26.68 ID:D4PihmCv
/// あきらめ 16 //////////// 時には、この考えには、悲観的な人生観、つまり、人生はどちらに転んでも空しいもの であり、努力に値するようなものは何もないのだ、という考えがともなうこともある。 だが、もっと多いのは、いろいろなことが漠然と考えれば望ましく見えるのに、それに 対して具体的な生き生きとした願望が生じない場合である。ある願望や興味が強くなって 「気にしない」という態度を突き崩すことがあっても、それは間もなく消え失せ、「何も 問題はないのだ」とか、「何も問題になるべきではないのだ」とかいう表面的な平穏が 取り戻される。 ///// 自己実現の闘い ///
304 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/27(日) 23:10:02.53 ID:ivcCMysZ
/// あきらめ 17 ////////// このような「願望のなさ」は、職業生活と個人生活の両方――つまり、結婚や、家や車 などの所有物だけでなく、転職や昇進に関しても、生じてくる。これらの願望を満たす ということが、まず重い負担に見えてきて、実際にも、人に煩わされたくないという彼の ただ一つの願いを妨げる。願望を控えることは、以前にも述べた三つの基本的特徴と密接に 絡み合っている。第一に、彼はどんな種類の強い願望ももたない時に、初めて自分の人生に 対する傍観者になれる。第二に、願望という動機づけの力がなければ、彼は野心や目標を もつことができない。第三に、努力を保証するほど強い願望は何も存在しない。それゆえ、 彼の二つの目立った神経症的要求は、生活が安楽で、苦痛がなく、努力もいらぬという ことと、人から煩わされないことである。 ///// 原著 1950年発行 ///
305 :
◆9JwNW1WNKc :2014/04/29(火) 22:13:00.47 ID:VEqYsgIt
/// あきらめ 18 ////////////// 彼は何に対しても、それをほんとうに必要とするほど深い愛着をもたぬよう気を配っている。 何ものも、それなしではいられないほど彼にとって重要になってはならないのだ。ある女や、 田舎のどこかある場所や、ある飲み物を好きになってもよいが、それに依存するようになる べきではない。だから、ある場所や人やグループが自分にとって大きな意味をもち、それを 失うことが苦痛になると意識するや、彼は自分の感情の方を引っ込めてしまう。どんな他人も、 彼に必要な存在なのだと思ったり、彼との関係を当然のことと受け取ったりすべきではない のだ。そのどちらかの態度が少しでもあるように思えば、彼はその人から身を引いてしまう。 ///// Neurosis and Human Growth ///
306 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/01(木) 22:57:46.70 ID:LaEn9HNg
/// あきらめ 19 //////////// 「不参加主義」は、彼が願望を制限することにも、人生の傍観者であることにも現われるが、 それはまた、彼の人間関係にも働いている。彼の人間関係は、孤立、すなわち、他人との 間に感情的な距離をおく、という特徴をもつ。彼は一定の距離をおいて一時的な人間関係を 楽しんでもよいが、感情的なかかわりをもってはならないのだ。ある人を愛する場合、その人と 一緒にいたり、助けてもらったり、性関係をもったりしなければならないほど執着すべき ではない。 ///// Karen Horney ///
307 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/02(金) 21:01:55.56 ID:QFvtRJIa
/// あきらめ 20 ////////// 孤立を保つ方がかえって容易であるというのは、彼が他の型の神経症の人とは対照的に、 良かれ悪しかれ、他人に多くを期待しないからである。緊急の場合でも、彼は人に 助けを求めようとは考えもしない。その一方では、進んで人を助けることがあるが、 その場合も、感情的なかかわりをもたないことが前提になっている。彼は人から感謝される ことを望まず、期待もしない。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
308 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/05(月) 07:53:50.20 ID:rH/XbEjf
/// あきらめ 21 ////////// 性の果たす役割は人によってかなり異なる。性が他人との唯一の掛け橋になることもある。 その場合、彼は一時的な性関係をもち、遅かれ早かれ、その関係から身を引く、といった ことを何回も重ねる。性関係は、言わば、堕落して愛情に変わってしまってはならないのだ、 と彼は思う。彼は、誰ともかかわりをもちたくないという自分の欲求を、完全に自覚して いることもあれば、好奇心が満たされたから性関係を終わりにしたのだ、と言うこともある。 ///// アカデミア出版会 ///
309 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/06(火) 06:38:16.98 ID:u9oGwDs4
/// あきらめ 22 ///////// 自分があちこちの女性のところへ行ったのは、新しい経験を求める好奇心に駆られたから であり、一度経験してしまえばもうその女性には興味がないのだ、と彼は言う。これらの 例で、彼の女性に対する態度は、新しい景色や新しいサークルの人々に対するものとまったく 同じである。相手の女性を知ってしまえば、もう好奇心が起こらない。そこで、心は何か 他のものへ向かう。このことは、彼の孤立を正当化するだけではない。彼は人生に対する 傍観者としての態度を人一倍意識し、一貫して守り続けているのである。そしてそれが、 時として、生きることに強い関心をもっているように見誤られることもある。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
310 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/08(木) 22:42:30.99 ID:3fdvYLyn
/// あきらめ 23 /////////// 他方、いくつかの例では、患者は性という領域全体を自分の生活から閉め出し、それは 性に関する欲望のすべてを押し殺すほどにもなる。こうなれば、性的な夢想が起こる ことは全然なくなるか、また、たとえあったとしても、少数の未熟なものだけに限られる。 また、他人との実際の交わりは、一定の距離をおいて温かい関心をもつというレベル 以上にはならないであろう。 ///////// 対馬忠監修 ///
311 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/09(金) 22:06:49.60 ID:e2OdDm5f
/// あきらめ 24 //////////// どうしても永続的な人間関係をもつはめになれば、もちろん。彼は相手との間にある 一定の距離を保たねばならない。この点で、彼は、相手と一体になりたいという欲求を もつ自己縮小型とは反対の極にある。距離のおき方は人によって千差万別である。相手との 関係を永続きさせるために、性関係は親密すぎてよくないというので排除し、その相手の 代わりに見知らぬ人を対象に性欲を充たすこともある。また、それとは逆に、人間関係を ほとんど性交渉だけにとどめ、性以外の経験は相手と共にしないこともある。結婚生活では、 相手のことには気を配るが、自分の心の底を語るということは決してないであろう。また、 かなりの時間を一人きりで過ごすとか二人で旅をしたいとか言い張ることもあれば、相手との つき合いを時おりの週末や旅行の時だけに限る場合もある。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
312 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/10(土) 09:40:25.66 ID:uSRcwo2E
/// あきらめ 25 ////////////// 私はここで一言付け加えたいと思うが、そのことの意味はもっと後になって理解される だろう。他人と感情的なかかわりをもつのを恐れるということは、やさしい感情がないと 言うのと同じではない。逆に言えば、もし彼がやさしい感情を全面的に抑制してしまった のであれば、それほど警戒する必要はないのである。彼は自分の深い感情をもってもよいが、 それを心の密室に押し込めておくべきなのだ。この感情は彼の個人的な事柄であり、他の 誰もが関知しないことなのだ。 ///// 神経症と人間的成長 ///
313 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/11(日) 19:29:53.87 ID:4zRpBd9q
/// あきらめ 26 ////// この点で、彼は尊大報復型とは異なる。尊大型も孤立しているが、尊大型はやさしい 感情をもたぬよう、無意識のうちに自分を訓練してしまったのである。あきらめ型の 人はどんな意味でも、他人とかかわりをもったり、摩擦を生じたり、腹を立てたり したくないのだが、尊大型はすぐに腹を立て、闘うことが自分の本分だと思っている。 こんな点でも両者は異なっている。 ///// 自己実現の闘い ///
314 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/14(水) 22:41:54.50 ID:BDuTi5U0
/// あきらめ 27 ////////// あきらめやの人のもう一つの特徴は、どんな種類の影響や圧力や強制や束縛に対しても 過敏な点であり、これも彼の孤立に関連した要因である。他人と個人的な関係をもったり、 団体活動に加わったりする場合には、実際にそれが起こりもせぬうちから、永久に束縛 されはしまいかと恐れ、どうしたらそこから逃れ出せるかという問いが、そもそもの始まり から念頭を離れない。結婚の直前になると、この恐れは拡大し、恐慌状態になることもある。 ///// 原著 1950年発行 ///
315 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/16(金) 23:08:12.79 ID:LlGM7/Ae
/// あきらめ 28 ////////////// いったい何を強制と感じ嫌うのかは、千差万別である。それは借用証や長期契約にサインを するような約束事であったり、カラーやベルトや靴などによる肉体への圧迫であったり、 視界がさえぎられることであったりする。クリスマスの贈り物、手紙、節季の支払いの ように、人から期待されることや、期待されそうなことは、何でも嫌なのだ。時には、 社会制度、交通法規、慣習、政治的規制にまで、それが及ぶこともある。彼は闘士では ないから、そのすべてと闘うわけではないが、内心でそれに反抗し、返事をしなかったり、 忘れたりというような、自分なりの受動的な仕方で、意識的、無意識的に相手の要求を 阻止する。 ///// Neurosis and Human Growth ///
316 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/17(土) 18:06:24.43 ID:sI898Eoa
/// あきらめ 29 /////////// 強制に対する過敏さは、無気力や願望を控える態度と結びついている。彼は動きたく ないので、何かするように期待されると、たとえそれが自分のためになると分っていても、 強制されたように感じる。願望を控える態度との結びつきはもっと複雑である。彼は、 自分より強い願望をもった人に容易に付け込まれ、その人の強い決意に動かされて何かを させられるのではないか、と恐れている。それにはもっともな理由があるのだが、しかし、 外在化も働いている。彼は自分自身の願望や好みを体験していないので、現に自分の好み 通りにしている時でも、自分は他人の希望に従っているのだと感じてしまう。 ////////// Karen Horney ///
317 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/18(日) 11:46:58.94 ID:shClnWNL
/// あきらめ 30 ///////////////// 日常生活からの単純な例を挙げると、ある男が恋人とデートの約束のある晩に、たまたま パーティに招待された。ところが、男はこの事態をありのままに受けとめなかった。彼は 恋人とのデートの方に出かけたが、自分は彼女の願いに「従った」のだと思い、彼女が 自分を「強制」した、と怒っていた。ある非常に聡明な患者は、この過程全体の特徴を 次のように述べている。「自然は真空状態を嫌うものだ。だから、自分の願望が沈黙して いれば、他人のそれが侵入してくる。」それにはこう付け加えることができる。「侵入して くるのは、他人が実際にもっている、またはもっていると主張している願望か、または 自分が他人に外在化した願望か、のどちらかである。」 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
318 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/20(火) 22:47:55.39 ID:N/loTs+n
//////// 誠信書房 ///
邦訳:神経症と人間の成長 (ホーナイ全集)
我妻 洋 (編集), 安田 一郎 (編集), 榎本 譲 (翻訳) , 丹治 竜郎 (翻訳)
出版社: 誠信書房 (1998/06)
【目次】
第1章 栄光の追求
第2章 神経症的権利主義
第3章 〈べき〉の専制
第4章 神経症的自尊心
第5章 自己嫌悪と自己軽蔑
第6章 自己疎外
第7章 緊張解消のための一般的方策
第8章 自己拡張的解決策――支配の魅力
第9章 自己消去的解決策――愛の魅力
第10章 病的依存
第11章 断念――自由の魅力
第12章 人間関係における神経症的諸障害
第13章 仕事における神経症的諸障害
第14章 精神分析療法の道
第15章 理論的考察
http://www.amazon.co.jp/dp/4414420067/ /// 神経症と人間の成長 (ホーナイ全集) /////////
319 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/24(土) 08:02:58.54 ID:6ZzmXi/6
/// あきらめ 31 /////////////// 強制に対する過敏さは、精神分析を行なう際の真の障害になる――つまり、患者が拒否的な だけでなく反抗的であればあるほど、精神分析は困難になる。患者は、分析家が自分を 変えてあらかじめ考えた型にはめ込もうとしているのではないかという果てしない疑惑を 抱く。患者が無気力なため、いくら奨められても、与えられた示唆を試してみることが できなければできないほど、この疑惑はなおいっそう解きがたいものになる。 ///// アカデミア出版会 ///
320 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/25(日) 10:27:43.75 ID:ZsArhYXm
/// あきらめ 32 /////////// 患者は分析家が自分に不当な影響を与えていると考え、それを根拠に、自分の神経症的 態度を陰に陽にとがめるような質問や話や解釈のいっさいに反駁する。この点での進歩を なおいっそう困難にしているのは、彼が人との摩擦を好まぬため、長い間疑惑を口に 出さないという事実である。彼は、そうした事柄は分析家の個人的な偏見や趣味にすぎない と思う。だから、それに心を煩わせる必要はなく、無視してよいものとして取り合わない。 例えば、分析家が患者の対人関係を調べてみる価値があると言っても、患者は、心のなかで、 分析家が自分を社交的にしたがっているのだと考え、すぐに警戒的になる。 //////// 邦訳 1986年10月発行 ///
321 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/26(月) 22:27:15.12 ID:w37iZ5vF
/// あきらめ 33 ////////// 最後に、あきらめにともなって、変化に対する嫌悪、すなわち、新しいものすべてに 対する嫌悪が生じる。この嫌悪の強さと形も様々である。無気力状態がひどいほど、変化に ともなう危険や、それに必要な努力を恐れる心は強くなる。仕事、住まい、使用人、配偶者の いずれに関しても、彼は変化するよりむしろ現状に甘んじていたいのだ。自分が今の状態を 改善できるなど及びもつかぬことである。例えば、彼は家具の模様替えとか、レジャーに もっと時間をさくとか、妻が困った時にもっと手伝うことはできるであろう。ところが、 そういうことを分析家が示唆すると、慇懃だが無関心な反応しか示さない。 ///////// 対馬忠監修 ///
322 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/28(水) 23:47:16.31 ID:+I9oqBxd
/// あきらめ 34 ////// この態度をとるには、無気力のほかに二つの要因が働いている。彼はどんな事態にも多くを 期待しないので、それを変えようという動機はどうしても乏しくなる。それに、彼は物事が 変えられないとみる傾向がある。人間とはそんなもので、それが人間の本性なのだ、人生も まったくその通り――それは運命なのだ、と彼は思う。したがって、たいていの人には 耐えられぬような状況にあっても、不平をもらさない。彼の物事に耐えるやり方は、 自己縮小型のとる殉教者的な態度に似て見えることがよくあるが、この類似は表面的な ものにすぎず、二つの態度は違った根源からきている。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
323 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/30(金) 21:26:47.84 ID:uUxXid8c
/// あきらめ 35 ////////////// これまで述べてきた変化に対する嫌悪の例は、外部的な事柄に関するものばかりである。 だからと言って、外部の変化に対する嫌悪を、あきらめの基本的特徴と言うのではない。 あきらめ型の人のなかには、自分の周囲のものを変えたがらない人もいるが、逆の印象、 つまり、全般に落ち着きがないという感じの人もいる。しかし、いずれの場合にも、 内的変化に対する著しい嫌悪は存在している。こればある意味では、すべての神経症に 当てはまることなのだが、嫌悪はふつう、特定の要因――たいていはそれぞれの神経症の 主な解決法に関連した要因に取り組み、それを変えることに対して存在する。 ///// 神経症と人間的成長 ///
324 :
◆9JwNW1WNKc :2014/05/31(土) 09:02:20.86 ID:EoJZzWzw
/// あきらめ 36 ////////////// それはあきらめ型でも同じであるが、あきらめ型では、その解決の性質上、自己を静止した ものと考えるため、変化という考えそのものを嫌う。あきらめ型解決の真髄は、積極的に 生き、願い、闘い、計画することや、努力し行動することから退却することにある。彼が 進歩についてどんなに多くを語り、進歩という考えを理性的に評価しても、やはり他人を 変わらぬものと受け取っているのは、自分自身が不変だと思っていることが反映している のである。 /////////// 自己実現の闘い ///
すばらしい投稿、ありがとうございます
326 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/03(火) 22:48:45.28 ID:d5xhEDEx
/// あきらめ 37 //////////// 彼の心のなかでは、精神分析は、一度受ければ永久に物事を解決してくれる一回限りの 啓示であるべきなのだ。分析は一つの過程であり、その過程でわれわれは、常に新しい 角度から問題に取り組み、新しい関連を見出し、新しい意味を発見し、ついには問題の 根源に至る、すると何かが内部から変わってくる、こうしたことを認めるのは、 分析初期の彼には及びもつかぬことである。 ///// 原著 1950年発行 ///
327 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/04(水) 23:47:51.15 ID:5eOdibDn
/// あきらめ 38 ////////////// あきらめという態度全体は、意識されていることもある。その場合、当人はそれが知恵 というものだとみている。しかし、私の経験では、あきらめの態度全体でなく、ここに 挙げるいくつかの側面だけが意識されている場合の方がずっと多い。ところが、これから 見るように、当人はそうした側面を違った目で見るため、あきらめとは違うように考える であろう。最も多いのは、自分の孤立と、強制に対する過敏さだけを意識している場合 である。しかし、神経症的欲求がかかわっている場合の常として、その人がどんな時に 欲求阻止に対して反発するのか、どんな時に無関心になり、疲れ、苛立ち、恐慌状態になり、 腹を立てるか、を観察することによって、あきらめ型の人のもっている欲求の性質を知る ことができる。 ///// Neurosis and Human Growth ///
328 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/05(木) 22:04:52.22 ID:xAtw0QPp
/// あきらめ 39 //////////////// 分析家が、あきらめ型の基本的特徴を知っていれば、その全体像を早くつかむ助けに なる。諸特徴のうちどれか一つでも目につけば、それ以外の特徴もないか探してみる べきである。そうすれば必ず基本的特徴が見つかるであろう。私か特に指摘したように、 これらの諸特徴は無関係な一連の特色の集合ではなく、互いに緊密に絡み合い一つの 構造を形づくっている。それは少なくとも基礎構造では、強い一貫性と統一性をもち、 全部が一色に塗りつぶされているかのように見える。 ///// Karen Horney ///
329 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/06(金) 22:26:26.18 ID:WHcvyPuo
/// あきらめ 40 //////////// 次に、このあきらめという形の力学や意味や歴史について解明を試みよう。これまで 指摘したのは、あきらめとは、退却することで心内の葛藤を解決する主な方法である、 ということだけであった。一見したところ、あきらめ型の人はまず野心を捨てているような 印象を受ける。それは彼自身もよく強調し、全体的な発達へのきっかけになったとみなし がちな側面である。彼のこれまでの経歴を見ても、野心の点で目立って変わったらしい という限りでは、この印象を裏づけているようである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
330 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/07(土) 15:14:30.66 ID:zLhHZy8u
/// あきらめ 41 ///////////////// 青年期の頃、彼は素晴らしいエネルギーや才能を示すようなことをよくやる。敏腕を ふるって経済的な不利を克服し、立派な地位を獲得することもあれば、学業に意欲を 燃やし、クラスのトップに伸し上がり、討論会や学生運動で頭角を現わしたりする。 少なくとも、彼が比較的活力に満ち、いろいろなことに興味をもち、自分の育った 伝統に反抗し、将来何かをやり遂げたいと思う一時期がある場合が多い。 ///// アカデミア出版会 ///
331 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/08(日) 11:44:07.04 ID:wSNfzVZE
/// あきらめ 42 /////////// ところが、この時期の後に、しばしば、不幸な一時期がやってくる。不安や 抑うつ状態が起こり、また、何かの失敗や、自分の反抗的な所業から不幸な はめに陥ったことに絶望する時期である。それ以後、彼の生活は平穏になった ように見える。彼は「適応」し、落ち着いたのだ、と人は言う。あるいは、 太陽に向かって青年らしい飛翔をして、再び地上へ戻ってきたのだ、それは 人間のとる「正常な」コースなのだ、とも批評する。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
332 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/09(月) 22:02:51.63 ID:vUKSmWvN
/// あきらめ 43 //////////////// ところが、もっと考え深い人々は、彼のことを心配する。なぜなら、彼が生きる意欲や いろいろなことへの関心を失い、自らの恵まれた才能や機会よりずっと低いところで 満足しているようにも見えるからである。彼の身に何が起こったのか。確かに、災難や 喪失に次々に出合うと、人間は無力になるものだ。ところが、ここで考えている例では、 すべてが環境のせいであると言えるほど、周囲の状況が悪いわけではない。だから、 何かの心理的な悩みが決定因子になっているに違いない。 ///////// 対馬忠監修 ///
333 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/11(水) 22:28:59.87 ID:tgmsCFGw
/// あきらめ 44 //////////// しかし、同じような内的混乱を経験しながら、違ったふうにそれを脱却した人のいることを 思えば、この答えも十分なものではない。実はこの変化は、葛藤の存在にも、その大きさ にもよるのではなく、むしろ、その人が自分自身と和解した仕方によるのである。今 起こっていることは、彼が内的葛藤をちょっぴり味わい、それを退却によって解決した ということなのである。なぜこのような仕方で解決しようとしたのか、なぜこの方法しか とれなかったのか、それは彼のこれまでの歴史の問題であり、それについてはもっと 後で触れよう。ここではまず、退却の性格像をもっと明らかにする必要がある。 /////// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
334 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/13(金) 22:05:21.77 ID:ZdsrNM7M
/// あきらめ 45 ////////// 最初に、自己拡張的欲動と自己縮小的欲動との間の主な内的葛藤について検討してみよう。 前の三つの章で論じた二つの型では、これらの欲動のうち、一つが表面に現れ、もう一つは 抑えられていた。しかし、あきらめが浸透してくれば、この葛藤に関する典型的な性格像は 違ったものになる。あきらめ型では、自己拡張的傾向も自己縮小的傾向も抑制されない ようである。これら両傾向の現われ方や内容をよく知っていれば、それを観察しある点まで 自覚させることもむずかしくはない。 ///// 神経症と人間的成長 ///
335 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/15(日) 10:39:07.88 ID:evoavMS6
/// あきらめ 46 ////////// 実は、すべての神経症をあくまで自己払張型か自己縮小型かのどちらかに分けて呼ぼうと すれば、あきらめ型をどちらのカテゴリーに入れたらよいか困るのである。われわれに 言えることは、どちらか一つの傾向が、意識されやすいとか強力であるとかいう意味で、 概してまさっているということだけである。あきらめ型全体のなかの個人差は、一つには、 どちらの傾向が優勢であるかによって決まる。しかし、時には二つの傾向がかなり 釣り合っているようなこともある。 ///////// 自己実現の闘い ///
336 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/19(木) 22:10:40.66 ID:G3xUKaZg
/// あきらめ 49 //////////// 彼は、自分には、他人からプライバシーを浸されず、何かを期待されたり、煩わされたり せず、生計を立て責任をもつことを免除される資格があると思う。最後に、あきらめという 基盤から第二次的に発展した、名声を大切にしたり、公然と反抗するような、拡張的傾向が 現われることもある。 ///// Karen Horney ///
337 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/19(木) 22:11:47.13 ID:G3xUKaZg
/// あきらめ 47 //////////////// 自己拡張的傾向は、空想の世界でしかできないような大きなことや、自分の特質について、 どちらかと言うと壮大な幻想を抱くことに現われる。そのうえ、彼はたびたび、意識的にも 自分は人より優れていると思い、それを大袈裟な威厳ある挙動で示すであろう。自分自身に ついての感情では、彼は誇り高い自己になりがちである。 ///// 原著 1950年発行 ///
338 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/21(土) 08:43:38.96 ID:e/lWWd+m
/// あきらめ 48 ////////// だが、彼の誇りに思う特質は――自己拡張型とは対照的に――あきらめのために役立って いる。彼は自分の孤立、「禁欲」、自己充足性、独立性、強制に対する嫌悪、競争を超越 していること、を誇りに思う。また、自分の要求をよく自覚しており、それを有効に主張 することもできるだろう。しかし、その要求の内容は、自分の象牙の塔を守る必要から生じた ものであるから、拡張型の要求とは異なっている。彼は、自分には、他人からプライバシーを 浸されず、何かを期待されたり、煩わされたりせず、生計を立て責任をもつことを免除される 資格があると思う。最後に、あきらめという基盤から第二次的に発展した、名声を大切に したり、公然と反抗するような、拡張的傾向が現われることもある。 //////// Neurosis and Human Growth ///
339 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/22(日) 12:23:09.10 ID:mR7HkwQY
/// あきらめ 49 /////////////// しかし、こうした自己拡張的傾向は、もはや活動力になれるものではない。彼は野心的 目標を積極的に追求し、その目標に向かって積極的に努力することをやめた、という意味で、 野心を捨ててしまっているからである。彼はもうそうした目標を望まず、手に入れよう ともすまいと心に決めている。たとえ、何か生産的な仕事ができるとしても、周囲の人々が 望み喜ぶようなことをまったく軽蔑し、無視しながら、それをするであろう。 /////// Karen Horney ///
340 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/25(水) 00:07:58.36 ID:5nopA9yH
/// あきらめ 50 ///////////////// これは反抗的なグループの特徴である。彼はまた、復讐や報復的勝利を得るために、積極的 または攻撃的に何かをやろうとも思わない。彼は現実の支配を求める欲動を捨ててしまった のだ。まったく、ある意味では彼の孤立的態度とも一貫したことだが、指導者になったり、 人を動かしたり、操ったりするという考えを、彼はむしろ不愉快に思うのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
341 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/25(水) 22:28:39.24 ID:5nopA9yH
/// あきらめ 51 ///////////////// 他方、自己縮小的傾向が前面に出ている場合には、あきらめ型の人は自分を低く評価 しがちである。彼らは臆病になり、自分か取るに足らぬ人間であると思う。また、十分に 発達した形の自己縮小的解決法についての知識がなければ、自己縮小であるとは認められ ないであろうような態度を示すこともある。彼らはしばしば、他人の欲求を鋭く感じ取り、 実際にも、他人を助け、社会の福祉のために生活のかなりの部分を捧げる。だが、詐欺や 攻撃に対しては無防備で、人をとがめるより自分を責めることが多い。また、他人の 感情を傷つけまいと気をつかいすぎて、人の言いなりになる傾向もある。 ///// アカデミア出版会 ///
342 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/27(金) 21:23:52.76 ID:jAhB9rAX
/// あきらめ 52 //////////////// しかし、この傾向は、自己縮小型におけるように、愛情を求める欲求から生じたものでは なく、人との摩擦を避けたいという欲求からきたものである。しかも、心の底では、 彼らは自己縮小的傾向が潜在的にもっている力を恐れている。例えば、自分が孤立して いなければ、他人にすっかり踏みにじられるのではないかという心配を口にすることもある。 自己拡張的傾向に関して見たと同じく、自縮小的傾向も活発で強力な欲動というよりは、 態度なのである。愛はそれらの欲動に情熱的な性格を加えるが、あきらめ型にはそれを 求める気持がない。あきらめ型は他人から何も望まず、期待せず、感情的なかかわりも もつまいと心に決めているからである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
343 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/28(土) 17:39:07.94 ID:5xh241vG
/// あきらめ 53 ////////////// 自己拡張的欲動と自己縮小的欲動との間の内的葛藤から退却するということの意味は、 もう理解されたであろう。これらの欲動の両方から積極的な要素を取り除けば、その 二つはもはや対立する力ではなくなり、したがって葛藤を生じることもない。三つの 主な解決法を比較してみると、初めの二方法では、葛藤する力の一方を取り除くことに よって統合を行なおうとし、あきらめ型解決法では、葛藤する力を二つとも固定しよう とする。それができるのは、栄光を積極的に追求することをやめてしまったからである。 彼は今でも理想化した自己でなければならない。ということは、〈べき〉をともなった 誇りの体系は働き続けているが、理想化した自己を現実化、つまり、実際の行為に表わそう とする欲動は捨て去られてしまった。 ///////// 対馬忠監修 ///
344 :
◆9JwNW1WNKc :2014/06/29(日) 19:31:53.34 ID:IgasV809
/// あきらめ 54 //////////// 同様な固定化の傾向は、真の自己についても働く。彼は今でも自分自身でありたいと 望んでいるが、自発性や努力や生き生きした希望や闘いを抑えると共に、自己実現へ 向かう自然な欲動も抑制してしまった。理想化した自己や真の自己に関しては、彼は あるがままということを強調し、新しく何かを得るとか成長するとかいうことを重視 しない。しかし、やはり自分自身でありたいと望むところから、感情面ではまだいくらか 自発性を残しており、この点で、他のどの型の神経症より自己疎外が少ないであろう。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
345 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/01(火) 22:25:09.25 ID:vaL94uX3
/// あきらめ 55 ////////////// 彼は宗教や芸術や自然のような非個人的なものに対しては、強い人間的な感情を抱く ことができる。また、他人と感情的なかかわりをもたぬようにしているが、それでも、 他人のことや他人の特殊な欲求を感じることはできる。この残存能力は、彼を自己縮小型と 比べてみると浮き彫りにされる。縮小型は、あきらめ型のようにやさしい感情を押し殺し たりせず、遂にそれを育てていく。だが、感情はすべて、愛、すなわち服従のために 使われるので、脚色され、ゆがめられる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
346 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/04(金) 00:05:51.17 ID:dt0zxt+D
/// あきらめ 56 ///////////////// 縮小型は、感情に己れを埋没させ、ついには、他人と融合することに統一を見出したいと 願うのである。ところが、あきらめ型は、感情を自分の心の密室のなかに厳重に閉じ込めて おきたいのだ。人と解け合うという考え自体が、彼には不愉快に思える。彼は「自分自身」 でありたいが、その「自分自身」が何を意味するかについては、漠然とした考えしかもたず、 事実、自分でも意識していないが、考えが混乱している。 ///// 自己実現の闘い ///
347 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/04(金) 22:36:42.75 ID:dt0zxt+D
/// あきらめ 57 ////////////// あきらめに否定的または静止的な性格を与えるものは、この固定化の過程にほかならない。 だが、われわれはここで一つの重要な疑問を提起しなければならない。否定的な性格を もった静止的状態というこの印象は、新しい観察によって絶えず強められている。だが、 それは現象全体に対する公正な判断であろうか。結局、否定のみで生きていける者はいない のであるから、あきらめの意味についてのわれわれの理解には、何かが欠けているのでは ないか。 ///// 原著 1950年発行 ///
348 :
優しい名無しさん :2014/07/04(金) 22:37:58.03 ID:beOh+OMW
349 :
優しい名無しさん :2014/07/04(金) 22:38:23.49 ID:beOh+OMW
350 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/05(土) 20:03:45.55 ID:st5bjRz0
/// あきらめ 58 /////////// あきらめ型の人は肯定的なものも求めているのではないか。それはどんな犠牲を払っても 平和を得ることだろうか。確かにその通り、だがそれにも、やはり否定的な性格がある。 他の二つの解決法には、人格の統合を求める欲求のほかに、一つの動機、すなわち、 人生に意義を与えてくれるような、何か肯定的なものを強く求めるものがあった。自己 拡張型では、それは支配を求めることであり、自己縮小型では、愛情を求めることであった。 あきらめ型の解決法にも、それに匹敵するような、何かもっと肯定的な目的があるのでは なかろうか。 ///////// Neurosis and Human Growth ///
351 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/06(日) 14:06:43.86 ID:1NJ9N+iy
/// あきらめ 59 //////////////// 精神分折中にこのような疑問が生じたら、患者自身がそのことについてどんな言い分を もっているかによく注意して聞くのが、ふつう役に立つ。彼がこれまでに話したことで、 われわれが十分真剣に受け取っていないことが、ふつうはあるものだ。ここでもそれを してみて、あきらめ型の人が自分自身をどう見ているかをもっとよく調べてみよう。この 型の人は他のどの型とも同じく、自分の欲求を合理化し美化するので、その欲求はすべて 優れた態度のように見えることは、既に見た通りである。しかしこの点で、一つの区別を しておかなければならない。時々彼は、明らかに、欲求を美徳ということにしてしまう。 /////////// Karen Horney ///
352 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/08(火) 22:52:07.83 ID:jm7meW1x
/// あきらめ 60 ////////// 例えば、自分の努力の不足は競争を超越しているのだと言い、無気力は辛い仕事で汗を 流すのを軽蔑しているのだと説明する。分析が進めば、こうした美化は、それについて あまり話し合わなくても、ふつう消えていくものである。しかし、彼にとって真の意味を もっているように見えるため、それほどあっさり捨てられぬ美化もある。それは、彼が 独立や自由ということに関して話すこと、すべてにかかわっている。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
353 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/10(木) 21:55:37.40 ID:YLNmX9Ul
/// あきらめ 61 ////////////// 実のところ、あきらめという観点から眺めてきた基本的特徴のほとんどが、自由という 観点から見ても意味の通るものである。愛着が強まれば、自由は制限される。欲求の場合も その通り、強い欲求に左右されれば、容易に他人に依存することになる。一つのことに 全力を注げば、他の多くのことは、興味があっても思うようにできなくなる。特に、強制に 対する彼の過敏さは、今までと違う現われ方をする。自分は自由でありたい、だから、 圧迫は許さないのだと彼は思う。 ///// アカデミア出版会 ///
354 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/11(金) 21:41:39.93 ID:gMYwht55
355 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/13(日) 18:05:17.11 ID:+NzPj3Ur
/// あきらめ 62 ///////////// したがって、分折中にこの問題が話題にのぼると、患者は激しい防衛を行なう。人間が 自由を求めるの自然ではないか。圧力のもとで仕事をすれば、誰でも気乗りがしないでは ないか。叔母や友達が生彩を失い元気をなくしたのは、人から期待されることばかりを していたからではないか。分析家は自分を飼い慣らし、一つの型にはめ込み、棟割長屋の 一軒のように他と区別できないようにしたいのか、と彼は言う。彼は組織的な集団編成が 大嫌いであり、また、檻に入れられた動物を見るのが耐えられないので、決して動物園には 出かけない。彼は好きな時に好きなことをしたいのである。 ///////// 邦訳 1986年10月発行 ///
356 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/15(火) 23:01:17.55 ID:Buufkosv
/// あきらめ 63 ///////////// ここで彼の主張したことのうち、いくつかを検討し、残りについては後に触れることに しよう。彼の言葉によれば、自由とは自分の好きなことをする意味であることが分る。 分析家はここに一つの明らかな欠陥があることを認める。患者はこれまで自分の願望を 凍結することに最善を尽くしてきたのであるから、自分が何をやりたいのか分らないのだ。 その結果、彼はしばしば何もしないか、または、これといったことは何もしないのである。 しかし、このことは少しも彼の心を煩わせはしない。と言うのは、彼は自由の意味を主に、 他から――それが人間であろうと制度であろうと――干渉されないことと見ているよう だからである。 ///////// 対馬忠監修 ///
357 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/16(水) 22:39:16.84 ID:9ThbMSpO
/// あきらめ 64 ///////////// こうした態度をそれほど重要にしているものか何でああろうと彼は最後までこの態度を 守り続けるつもりである。彼のもっている自由の観念は、ここでもやはり否定的なもの ――つまり、何かを求める自由ではなく、何かからの自由――であるように見えるとしても、 その自由は彼にとって、他の解決法には(これほどまでには)ない魅力をもっている。 これに引き換え、自己縮小型の人は、愛情や依存への欲求があるため、どちらかというと 自由を恐れ、自己拡張型は、あれこれ支配することを切望するので、こうした自由の 観念を軽蔑しがちである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
358 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/17(木) 21:49:24.76 ID:0yLUmS2E
/// あきらめ 65 //////////// 自由のもつこの魅力をどのように説明したらよいだろうか。それはどんな内的必然性から 生じているのか。自由の魅力はどんな意味をもつのか。自由の魅力をいくらかでも理解 するためには、後年になってあきらめ型の解決をするようになった人々の幼年期の歴史に 遡ってみなければならない。この人々の場合、幼年期に拘束が加えられ、それが強すぎたり 理解できなかったために、公然と反抗できなかったということが多い。また、家庭の雰囲気が ひどく窮屈で、家族間の感情的な結びつきがあまり緊密なため、個人的な生き方をする 余地がなくなり、押しつぶされそうな脅威を受けていた場合もあろう。 ////////// 神経症と人間的成長 ///
359 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/19(土) 08:38:25.08 ID:/fJs/rcG
/// あきらめ 66 /////////// 他方、愛情は与えられても、心を温めるというよりは、反発を呼ぶような仕方で与えられ ていることもある。例えば、あまりにも自己中心的で、子どもの欲求が全然理解できず、 しかも子どもには自分を理解し、感情的に支えてくれるように強く要求する親がいた 場合がある。あるいは親の感情の起伏が激しく、溢れんばかりの愛情を示すかと思えば、 癇癪を起して、子どもには訳もわからないのに、叱ったり叩いたりしたのかもしれない。 要するに、子どもは陰に陽にいろいろなやり方に合わせるよう要求される環境に育ち、 子どもの人間的成長が促進されぬことはもちろん、個性も十分に尊重されず、環境に 飲み込まれてしまいそうな脅威を受けていたのである。 ///// 自己実現の闘い ///
360 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/20(日) 13:46:56.80 ID:xt/EqSAu
/// あきらめ 67 //////////////// そこで子どもは、多少の期間にわたって、愛情や関心を得ようとする空しい努力と、 自分に加えられた束縛に対する恨みに、心を引き裂かれる。この幼年期の葛藤を、子どもは 他の人々から退却することによって解決する。つまり、他の人と自分との間に感情的な 距離をおいて、葛藤が起こらないようにするのである。彼はもはや人の愛を求めず、 人に逆らおうとも思わないので、二つの相反する感情に心を引き裂かれることもなく、 人とかなりうまくやっていけるようになる。 ///////// 原著 1950年発行 ///
361 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/21(月) 13:07:26.89 ID:WpWRl+MQ
/// あきらめ 68 ///////// さらに、彼は自分の世界に引き籠ることによって、自分の個性が少しでも束縛されたり、 他から飲み込まれたりするのを防ぐ。このように幼年期の孤立は人格統合に役立つだけ でなく、非常に重要な積極的な意味をもっている。すなわち、自分の心の生活は損なわれ ないでいる、という意味である。束縛からの自由は、内的に独立することを可能にする。 しかし、彼は他人を求め、他人に反発する気持を抑えなければならないだけではない。 ///// Neurosis and Human Growth ///
いつもありがとうございます
363 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/23(水) 23:25:42.32 ID:4TITT5kv
/// あきらめ 69 ///////////////// 例えば、理解を求め、経験を分かち合い、愛情や同情や保護を求める自然の欲求など、 他人に充たしてもらわねばならぬ願望や欲求もすべて控えなければならないのである。 しかも、このことは広い範囲に及ぶ意味――喜びや苦しみや悲しみや恐れを自分一人で 耐えていかねばならないという意味をもっている。彼は暗闇や犬などについての恐れを 誰にも知られず一人で克服しようと、痛ましい絶望的な努力を重ねる。また、苦しみを 表面に出さないだけでなく、(自動的に)感じなくなるよう、自分を訓練する。 ///// Karen Horney ///
364 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/25(金) 00:13:58.08 ID:THAhTaQ6
/// あきらめ 70 /////////// 彼が同情や助けを求めないのは、同情や助けが本物かどうかを疑うのが当然だからという だけでなく、たとえ一時的に同情や助けを得ても、それは脅威的な束縛が次にくることを 示す警告になってしまっているからである。これらの欲求を全面的に抑えるだけでなく、 そのうえさらに、彼は、自分の願望が阻止されたり、自分を依存させる手段に使われたり しないために、何か問題があっても、それを誰にも知らせない方が安全だと思う。こうして、 あきらめの過程に特有の、あらゆる願望の全面的な撤回が始まる。彼は洋服や仔猫や玩具を 欲しいと今でも意識的に思うが、それを口に出すことはない。だが、しだいにそれも、 恐れの場合と同じく、願望を全然もたぬ方が安全だと思うようになる。実際に望むものが 少ないほど、安全に彼は自分の隠れ家に潜むことができ、誰もが彼を支配できなくなる のである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
365 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/25(金) 22:54:10.87 ID:THAhTaQ6
/// あきらめ 71 //////////// こうした結果生じる人格像は、これまでのところ、まだあきらめにはなっていないが、 あきらめが育っていく萌芽をはらんでいる。もし事態がこのまま変わらないとしても、 それは彼の将来の成長にとって容易ならぬ危険をはらんでいる。人と親しくもせず、 喧嘩もしないという真空状態では、人間は成長できない。それに状態が静止したまま ということは、ほとんどありえない。 ///// アカデミア出版会 ///
366 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/26(土) 11:17:33.39 ID:iuQACJJT
/// あきらめ 72 ////////////// 環境が良くなって事態が好転するということでもなければ、この過程は、他の神経症的 発達で見てきたものと同じく、ずるずると悪循環に陥っていく。こうした悪循環の一つに ついては、既にここで述べた通りである。孤立を保つために人は願望や争いを控えなければ ならない。だが、願望を控えるということは両刃の剣の効果をもつ。つまり、そうする ことで彼は他人から独立できるが、同時に弱くもなる。彼の活力は弱められ、方向感覚は 傷つき、他人の願望や期待に対抗する力は乏しくなる。だから、彼はどんな影響も干渉も 受けぬよう警戒を倍増しなければならない。ハリー・スタック・サリヴァンの巧みな 表現によれば、彼は「疎隔装置の精度を高め」なければならないのだ。 ////////// 邦訳 1986年10月発行 ///
367 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/27(日) 15:58:49.23 ID:jzPuCToD
/// あきらめ 73 //////////// あきらめ型の初期の発達は、主に心内の過程によって進められる。他の人々を栄光の 追求へ駆り立てたと同じあの欲求が、この場合も働く。初期の孤立が一貫して持ち続け られれば、他人との葛藤は避けられる。しかし、あきらめ型解決法の信頼性は、願望を 控えることができるかどうかにかかっている。幼年期にはこの過程は動揺し、まだ決まった 態度になるほど発達していない。彼はまだ、自分の心の平和のため以上のものを人生に 求めている。 ///////// 対馬忠監修 ///
368 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/29(火) 23:00:42.07 ID:XceXA+uP
/// あきらめ 74 ///////////// 例えば、強く誘惑されれば、親密な人間関係にも引き込まれるだろう。そのため、葛藤が すぐ起こってきて、なおいっそうの統合が必要になる。ところが、初期の状態では、彼は 分裂しているばかりでなく、自分自身からも疎外され、自信がなく、現実生活がうまく できないと感じている。彼は感情的に安全な距離をおかなければ、他人に対処できない。 つまり、人と親しく接触することになると、自分が闘いから退却しなければならないと いう不利な条件の上に、さらに禁止作用も働いてくる。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
369 :
◆9JwNW1WNKc :2014/07/30(水) 23:13:25.97 ID:vH2g0U3H
/// あきらめ 75 ////////////// そこで、彼もまた、こうした欲求のすべてに対する答えを自己理想化に見出すように駆り 立てられる。彼は野心を実行に移そうとすることもあるが、自分の内部にある多くの理由から、 困難に出合うと努力を放棄してしまいがちである。彼のもっている理想像は、主として、 これまでに発達してきた欲求を美化したものであり、自己充足、独立、自己閉鎖的な平静さ、 欲望や情熱からの自由、禁欲、公平さ、からなっている。彼の言う公平さとは、(攻撃型の 人の言う「正義」のように)復讐心を美化したものではなく、人とかかわりをもたぬことや、 他人の権利を侵害せぬことを、理想化したものである。 //////// 神経症と人間的成長 ///
370 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/01(金) 00:15:27.42 ID:bPj1wEjJ
/// あきらめ 76 ///////////// そのような理想像に応じた〈べき〉は、彼を新しい危険に陥れる。もともと彼は内的な 自己を外界から守らねばならなかったのだが、今度はそれよりはるかに恐ろしい、この 内的専制から自分を守らなければならない。その結果がどうなるかは、彼がこれまで どれだけ内的活力を保ってきたかによって決まる。内的活力が強くて、彼が言わば、 無意識的に、万難を排しても内的な自己を守り抜こうとしているのであれば、まだその いくらかを維持することはできる。ところが、それは、本章の初めで述べたような制限を 強めるという代償――すなわち、積極的に生きることをやめ、自己実現へ向かう欲動を 抑えるという犠牲を払うことによって、初めて可能になるのである。 //////////// 自己実現の闘い ///
371 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/02(土) 08:59:56.81 ID:1TU74hTr
/// あきらめ 77 ///////////////// あきらめ型では他の型の神経症よりも内的命令が厳しい、ということを示すような 臨床的な資料はない。他の型との違いはむしろ、あきらめ型が自由を求める欲求をもって いるところから、内的命令を受けるといっそうひどくいらいらする点にある。彼は一つには、 内的命令を外在化することによって、それに対処しようとする。だが、攻撃はタブーなので、 受動的にしかそれができない――つまり、他人の期待、または自分が他人の期待と思う ものが、否応なく従わなければならない命令という性格を帯びてくる、という意味である。 ///// 原著 1950年発行 ///
372 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/03(日) 18:03:23.75 ID:vBgL3Md7
/// あきらめ 78 /////////// そのうえ、彼は、期待に応えなければ人から冷たく背を向けられると信じ込んでいる。 それは、本質的には、彼が自分の〈べき〉だけでなく、自己嫌悪をも外在化したことを 意味する。彼が〈べき〉にかなっていないから自分を嫌うように、他人も彼に背を向ける というのである。しかも、このように敵意を予想するのは一つの外在化であるから、 それとは逆の事実を経験しても訂正されることがない。例えば、患者は、今までの長い 経験から、分析家が忍耐と理解をもって自分に対してくれると知りながらも、内的な 強迫観念から、自分が公然と反対すれば分析家が即座に自分を捨ててしまうだろうと思う。 ///// Neurosis and Human Growth ///
373 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/04(月) 22:51:56.72 ID:eeuJgNDe
/// あきらめ 79 ///////////// それゆえ、外部からの圧力に対して彼がもともともっていた感受性は、非常に強められる。 外からの圧力がはとんど加わらなくなっても、依然として彼が外的な強制を感じ続けるのは、 そうした理由からである。それに加えて、〈べき〉の外在化は、内的な緊張を和らげはするが、 同時に彼の生活に新たな葛藤をもたらす。自分は他人の期待にそうべきだ、他人の感情を 傷つけてはならない。他人が抱くであろう敵意を静めねばならない。だが、自分の独立性も 保つべきだ、と彼は思う。こうした葛藤は、彼が他人に対して愛憎両価性の反応をすることに 反映されている。 ///// Karen Horney ///
374 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/06(水) 23:30:29.70 ID:pSPrhdFD
/// あきらめ 80 ////////// それは服従と反抗が様々な形で奇妙に混じり合ったものである。例えば、彼は人の頼みを 愛想よく引き受けるが、それを忘れたり、引き延ばしたりする。もの忘れがあまりひどくて、 約束や、しなければならない仕事を書き留めたノートがなければ、生活がスムーズにいかない ほどにもなる。あるいは、彼は、人の希望にそうような素振りを示しながら、内心では それを妨害し、しかもそのことを全然意識していない。例えば、精神分析を受けている時、 時間に遅れないとか、心に浮かんだことを話すとかいうような、はっきりした決まりは 守るが、話し合った内容をほとんど吸収しないので、分析は無駄になってしまう。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
375 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/08(金) 21:37:11.10 ID:yVv+f/F6
/// あきらめ 81 ////////// こうした葛藤があれば、人と交わる際の緊張が高まるのは避けられないことである。 彼はこの緊張を意識していることもあるが、意識するしないにかかわらず、それによって 他人から退却しようとする傾向はいっそう強められる。 他人の期待に対する受け身の抵抗は、外在化されていない〈べき〉に関しても働く。 何かをなすべきだと思うだけで、その気がなくなることも多い。こうした無意識のストライキは、 それぞれの場合により、社交的な集まりに出席する、手紙を書く、勘定を支払うなどの、 彼が心の底で嫌かっている行為に限られている間は、それほど重要な意味をもたないで あろう。 ///// アカデミア出版会 ///
376 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/09(土) 17:26:40.36 ID:NKpw51x2
/// あきらめ 82 ///////////// ところが、彼が自分の個人的な願望をもっと徹底して無視するようになるにつれ、自分の することは何でも――良いことも、悪いことも、無関心なことも――すべてが自分の なすべきことであるように見えてくる。例えば、歯を磨き、新聞を読み、散歩し、仕事をし、 食事をとり、女性と性関係をもつこともそうである。そうなると、何をしようとしても 無言の抵抗が起こってきて、その結果、全般的な無気力状態に陥る。そこで、活動は 最小限に抑えられるか、さらに多くは、緊張しながら行なわれる。そのため、彼は 非生産的になり、すぐに疲れ、慢性的な疲労に悩まされる。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
377 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/12(火) 23:10:00.54 ID:nEY643Kv
/// あきらめ 83 /////////// 精神分折中にこの内的過程が明らかになってくると、二つの要因がこの過程を存続 させるように働いていることが分かる。その一つは、患者が自分の自発的なエネルギーが 頼みにできない限り、自分の生き方に無駄が多く不満足だとよく分っても、それを変える ことはできないと思い込んでいる点である。というのは、彼の感じるところでは、自分で 自分を駆り立てるのでなければ、何をすることもできないからである。もう一つは、 ほかならぬ彼の無気力さが重要な働きをして生じるもので、彼の心のなかで精神的な 麻痺状態が変えられぬ災難になり変わり、それが自責や自己軽蔑を免れる口実に使われる ことである。 ///////// 対馬忠監修 ///
378 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/14(木) 22:37:50.84 ID:DJCPNNie
/// あきらめ 84 /////////////// このように、活動しないということが重視されるが、それはもう一つの根源からも 強化される。彼は葛藤を固定化することにより解決してきたが、それと同じやり方で、 〈べき〉も働かないようにする。それには、〈べき〉に悩まされそうな事態を避ける のである。彼が何かを真剣に追求することばかりでなく、人との接触も避けようとする もう一つの原因は、ここにもある。彼は、何もしなければ〈べき〉やタブーを犯すこと もない、というモットーを無意識に守っている。また時には、自分の権利を主張すれば 他人の権利を侵すことになるのだ、と考えて、こうした回避を正当化する。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
379 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/16(土) 09:57:27.16 ID:eIKHv3eI
/// あきらめ 85 //////////// こうした多くの仕方で、心内の過程はそれがもともととってきた孤立という解決法を 強化していき、しだいに心のもつれをつくり出し、あきらめ像を形成していく。この 状態では、変化しようとする動機は最低の状態に止まるので、自由を求めることのなかに プラスの要素がなければ、治療はできないであろう。こうしたプラスの要素の多い患者は、 しばしば人より早く、内的命令のもつ有害な性格を理解する。条件が良ければ、患者は 内的命令が実際は束縛になっていることをすぐに認め、それに対処する姿勢をとるであろう。 意識的にそうした態度をとるだけで内的命令を取り除くことはできないことは確かだが、 徐々にそれを克服していく助けにはかなりなるであろう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
380 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/17(日) 09:00:26.28 ID:NkaHDSyh
/// あきらめ 86 ///////// 人格の統一性の維持という観点から、あきらめの全体構造を振り返ってみると、次の ような観察事項が意味をもってくる。まず、真に孤立した人々の人格が統一性をもって いることは、今まで常に鋭敏な観察者の目に留まってきた。私自身としては、かねてから そのことを知っていたが、以前は、それがあきらめ型の人格構造に固有な、中核的な部分 であることには、気がつかなかった。孤立し、あきらめた人々は、他人と親しく交わったり、 その影響を受けたりしないよう警戒しているので、非現実的で、無気力で、能率悪く、 扱いにくいであろう。だが、彼らは心の奥に秘めた思想や感情には、ある程度の本質的な 誠実さや純潔を保っており、権力や成功やへつらいや「愛情」の語感によって買収されたり、 堕落するようなことがない。 //////// 自己実現の闘い ///
381 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/18(月) 22:36:11.09 ID:nS7qOqaS
/// あきらめ 87 ////////////// さらに、内的統合を維持しようとする欲求のなかには、あきらめ型の基本的特徴をなす もう一つの要素が認められる。われわれは、まず、回避と制限が統合のために使われる のを見た。次に、それらは自由を求める欲求によっても左右されていることを知ったが、 まだその意味は分らなかった。今になってみると、彼らが他人とのかかわりや影響や 圧迫からの自由、野心や競争によって束縛されることからの自由を必要とするのは、 精神生活を汚さず曇らさないためであることが分る。 ///// 原著 1950年発行 ///
382 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/21(木) 22:59:48.12 ID:2RD+DX6O
/// あきらめ 88 ///////// 患者がこんな重大な問題について語らないのはなぜだろうか。笑は患者は様々な間接的な 仕方で、「自分自身」のままでいたいこと、精神分析によって「自分の個性を失う」のでは ないかと恐れていること、分析は自分を他の皆と同じにしてしまうのではないかと思うこと、 分析家がうっかりして自分を彼の、つまり、分析家の型にはめてしまうのではないかと 恐れること、などを語っているのである。ところが、分析家の方では、そうした発言が どのような意味をもつかを、十分に理解していないことが多い。 ///// Neurosis and Human Growth ///
383 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/23(土) 09:43:58.03 ID:y5x6ZHiq
/// あきらめ 89 //////////// 患者の発言がどんな文脈で行なわれたのかを見れば、患者が現在の神経症的自己のままで いたいのか、理想化した壮大な自己になりたいのか、が分る。確かに、患者は自分の現状を 守ろうとしたのである。だが、患者が自分自身であろうとするのはまた、自分でもまだ はっきり定義できないが、真の自己の本末の姿を保つことに強い関心をもっていることを 示している。彼は分析を受けて、初めて自分自身(真の自己)を見出すためには、自分 (神経症的な美化された自己)を失わねばならないのだ、という昔ながらの真理を 学ぶことができるのである。 ///// Karen Horney ///
384 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/24(日) 08:44:53.29 ID:0ePwvP7H
///// KAREN HORNEY //////////// [Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization] by Karen Horney, Norton 1950 CONTENTS INTRODUCTION: A MORALITY OF EVOLUTION 1. THE SEARCH FOR GLORY 2. NEUROTIC CLAIMS 3. THE TYRANNY OF THE SHOULD 4. NEUROTIC PRIDE 5. SELF-HATE AND SELF-CONTEMPT 6. ALIENATION FROM SELF 7. GENERAL MEASURES TO RELIEVE TENSION 8. THE EXPANSIVE SOLUTIONS: The Appeal of Mastery 9. THE SELF-EFFACING SOLUTIONS: The Appeal of Love 10. MORBID DEPENDENCY 11. RESIGNATION: The Appeal of Freedom 12. NEUROTIC DISTURBANCES IN HUMAN RELATIONSHIPS 13. NEUROTIC DISTURBANCES IN WORK 14. THE ROAD OF PSYCHOANALYTIC THERAPY 15. THEORETICAL CONSIDERATIONS ///// Neurosis And Human Growth ///
385 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/28(木) 00:33:42.34 ID:2bRlIhUF
/// あきらめ 90 /////////// こうした基本的過程から、三つの非常に異なった生活の型が生じる。第一のグループは、 持続的あきらめ、つまり、あきらめとそれにともなうすべてがかなり一貫して継続する ものであり、第二は、自由を求めることによって受け身の抵抗が積極的な反抗に変わる、 反抗グループの型である。第三のグループでは、過程が全般に悪化して、浅薄な生き方に なっていく。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
386 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/29(金) 23:16:11.22 ID:2Om/1lcA
/// あきらめ 91 ////////// 第一のグループにおける個人差は、自己拡張的傾向または自己縮小的傾向がどれだけ浸 透しているか、また、活動をどの程度やめているかに関連した違いである。なかには、 他人との間には感情的な距離をおいても、家族や、友人や、仕事の上で接触するように なった人のためなら尽くすことのできる人もいる。しかも、こうした人々は無欲なので、 有効な援助をすることが多い。自己拡張型や自己縮小型とは対照的に、彼らは多くの返礼を 期待しない。彼らが進んで援助するのを、相手が個人的な愛情からそうしてくれると取り違え、 さらにそれ以上を望めば、彼らは、自己縮小型とは正反対に、むしろ激怒するのである。 ///// アカデミア出版会 ///
387 :
◆9JwNW1WNKc :2014/08/30(土) 20:40:50.11 ID:Znt5oNz0
/// あきらめ 92 ////////////// こうした人々の多くは、活動を制限していても、日常の仕事ならすることができる。 だが、それも、無気力という障害と闘いながらなので、強い緊張感をともなう。仕事が 増えてきて、それをこなすために自主性が必要になったり、何かのため、または何かと 闘わねばならなくなくなったりすると、たちまち、無気力が目立ってくる。日常の決まり きった仕事をしようとする動機には、種々のものが混じっているのがふつうである。 経済的な必要性や伝統的な〈べき〉のほかに、自分のことはあきらめても他人の役には 立ちたいという欲求が働くことも多い。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
388 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/01(月) 23:26:59.15 ID:VKAYW+JG
/// あきらめ 93 ////////// その他、日常的な仕事をすることで、自らの力に頼るよりほかない時に味わう無力感を 逃れることもできる。彼らは暇な時間をどう過ごしたらよいのか分らないことがたびたび ある。人と接触すれば緊張しすぎて楽しめないし、一人でいたいのだが、それでは生産的に なれないし、読書にも内心の抵抗がある。そこで、彼らは夢見、思索にふけり、音楽に 耳を傾け、自然を楽しむ。それも手間をかけずにできれば、の話である。無力を恐れる 気持が心の底にあることを、彼らはたいてい意識せず、自動的に、自分一人で過ごす暇な 時間がないように仕事の手筈を調える。 ///////// 対馬忠監修 ///
389 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/05(金) 23:24:39.53 ID:kQ3FPMrP
/// あきらめ 94 ///////////// 最後に、無気力状態とそれにともなう定職に対する嫌悪感が広がってくる。彼らは 経済的に困れば、時たま仕事をするか、さもなくば他人に寄生する生活に落ちていく。 あるいは、ほどほどの収入があれば、自分の好きなようにできるのだと感じたいため、 欲求の方を極度に制限する。しかし、彼らのすることは趣味的な性格を帯びていることが 多い。また、完全な無気力状態になってしまうこともある。その結果は、ゴンチャロフの 描く、印象的なオブローモフに巧みに表現されている。オブローモフは靴をはかねば ならないことすらいとう人間である。友人が外国の旅に彼を招待し、準備万端を調えて やる。オブローモフは空想のなかでパリやスイスの山を旅している。人は気をもませ られる。彼は実際に出かけるのか、出かけないのか。もちろん、彼は引き下がるのだ。 忙しく動き回り、絶えず新しいことに出合うと考えただけでも、彼の手にあまるのである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
390 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/06(土) 11:37:41.18 ID:oksqiZEb
/// あきらめ 95 //////////// それほど極端にならなくても、全般的な無気力状態は、オブローモフや彼の召使いの 後年の運命に見られるような堕落へ向かう危険性をはらんでいる(そうなると、第三 グループの浅薄な生き方への移行が起こるであろう)。この状態はまた、行動すること への抵抗感からさらに進んで、考え感じることにも抵抗を感じるようになるので、危険 でもある。そうなれば、考えることも、感じることも、その両方がまったく刺激に対する 反応といった性格のものになる。会話や分析家の言葉に刺激されて一連の考えが生じても、 エネルギーが動員されないので、その考えはすぐに消えてしまう。 ///// 神経症と人間的成長 ///
391 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/07(日) 20:17:10.01 ID:J/JfDmba
/// あきらめ 96 //////////// 人の訪問や手紙によって、プラスやマイナスの感情が起こっても、それも同様にまもなく 消え去る。手紙を見て返事を書こうという衝動を感じても、ただちに実行に移さなければ 忘れでしまう。思考における無気力は、精神分折中によく見られ、分析の大きな妨げに なることが多い。その場合には、単純な精神活動も困難になる。精神分析の一時間の間に 話し合ったことは何もかも忘れられる――というのは、特定の何かの「抵抗」があるから ではなく、患者が会話の内容を、自分には無縁のものとして、頭のなかにそっと寝かせて おくからである。 ///// 自己実現の闘い ///
392 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/10(水) 00:14:50.86 ID:PDzlat+a
/// あきらめ 97 ////////// 時々彼は、ややむずかしいものを読んだり話したりする時にも、また分析中にも、 無力と混乱を感じる。それは種々の資料を関連づけるという作業に、あまりにも 強い緊張感を覚えるからである。ある患者はこの漠然とした混乱を夢で表現している。 夢のなかで彼は世界中のいろいろな場所に行った。彼はそのどこへも行くつもりが なかったので、どうやって行ったのか、また、そこから先へどう進んでよいのかも 分らなかった。 ///// 原著 1950年発行 ///
393 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/11(木) 00:22:02.50 ID:fT8arrVF
/// あきらめ 98 ////// 無気力が広がっていくにつれて、感情はますますその影響を受ける。彼が反応するため には、いっそう強い刺激が必要になる。公園の美しい木々はもはや何らの感情も呼び 起こさず、彼には華麗な日没が必要になる。こうした感情的な無気力には、悲劇的な 要素がともなう。既に見たように、あきらめ型は感情の純粋さをそのまま保っておく ために、自分のなかの拡張性を大幅に制限してきた。だが、この過程が極端まで進むと、 もともと守るつもりだった活力そのものを窒息させてしまう。 ///// Neurosis and Human Growth ///
394 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/11(木) 22:11:58.87 ID:fT8arrVF
/// あきらめ 99 ////////// 感情は麻痺し、その結果生じる情緒の喪失に、彼は他のどの患者より苦しむことになる。 それは彼がどうしても避けたいことなのだ。分析が進むにつれて、彼は時おり、自分が 全般に積極的になれば、たちまち感情が生き生きしてくることを経験するであろう。 それでも彼は、自分の情緒の喪失が全般的な無気力の一つの現われにすぎず、したがって、 それは無気力が軽減されて初めて変わりうるものである、ということを認めたくない のである。 ///// Karen Horney ///
395 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/15(月) 23:06:39.01 ID:8Mm2jR0i
/// あきらめ 100 ////////// 活動がある程度続けられ、生活もかなりそれに適したものであれば、こうした持続的 あきらめの姿はそのまま変わらないであろう。あきらめ型のもつ様々な特性、例えば、 努力や期待をしないことや、変化や内的な闘いを嫌うこと、物事に耐える能力があること などが総合されて、そのような状態をつくり出している。ところが、こうした状況全体に 対して攬乱的な作用をする一つの要素――すなわち、彼の心に訴える自由の魅力がある。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
396 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/17(水) 23:24:46.48 ID:5v50OM4+
/// あきらめ 101 ///////////// 実は、あきらめ型の人は抑えられた反逆者である。われわれの研究では、これまで、 この性質が内外の圧力に対する消極的な抵抗として現われるのを見てきた。だが、それは いつ積極的な反抗に変わるやもしれぬものである。実際に変わるかどうかは、拡張的傾向 対縮小的傾向の相対的な強さと、これまでどれほどの内的活力が保たれてきたかによる。 拡張的傾向が強く活力が高いほど、彼は自らの生を制限することに、強い不満を感じる ようになるであろう。外的環境に対する不満がつのれば、それは主として「何かに対する 反抗」になり、自分自身についての不満が大きくなれば、主に「何かのための反抗」と いう形をとる。 ///// アカデミア出版会 ///
397 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/19(金) 00:13:50.76 ID:EsGhF5vW
/// あきらめ 102 //////////////// 家庭や仕事のような環境条件があまりにも不満なものになると、人はもう我慢すること をやめ、何らかの形で公然と反抗するようになる。彼は家庭や仕事を捨て、慣習や組織に 対してだけでなく、接触するすべての人に対して闘争的になるであろう。彼の態度は、 「おまえの期待通りや思い通りになんか、するもんか」というようである、それが多少 慇懃な形で表わさわるか、無礼な形をとるかである。社会的に見れば、それは非常に興味 深い一つの発達である。こうした反抗が主として外部に向けられた場合には、エネルギーの 発散にはなるが、それ自体は建設的な一歩にならず、その人を自分自身からいっそう 遠ざけることになろう。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
398 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/20(土) 00:23:01.51 ID:4CvB0QXx
/// あきらめ 103 /////////// しかし、反抗はもっと内部的な過程をたどり、主に内的専制に向けられることもある。 その時、反抗はある限度内で解放的な効果を発揮できる。この場合、反抗はどちらかと 言えば、暴力的な反乱よりは漸進的な発達であり、革命と言うよりは進展の性格をもつ。 その時、人はわれとわが身に課した拘束にしだいに苦しむようになる。自分はどんなに 束縛されているか、自分の現在の生き方はどんなに自分の意に反したものであるか、 自分は規則に従うだけのために、いかに多くの犠牲を払っているか、周囲の人々を 生活程度や道徳的な基準が違うというので実際にどんなに嫌っているか、に彼は 気がつく。 ///////// 対馬忠監修 ///
399 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/20(土) 19:19:08.91 ID:4CvB0QXx
/// あきらめ 104 /////////// 彼はしだいに「自分自身であろう」と決意するようになり、その決意は、前にも述べた ように、抗議と自惚れと真実の三要素が奇妙に入り混じったものである。エネルギーは 解放され、彼は自分の才能を発揮し、生産的になることができる。サマセット・モームは 『月と六ペンス』のなかの画家ストリクランドの性格に、この過程を描いている。 ストリクランドのだいたいのモデルになっているゴーギャンや他の画家たちも、このような 発展過程を経験したようである。もちろん、作品の価値は画家の才能や技術によって決まる。 また、この過程が生産的になるための唯一の道ではないことは言うまでもなく、それは これまで抑えられていた創造力が自由に発現されるようになる一つの道にすぎない。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
400 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/21(日) 09:07:09.86 ID:Z6Rvp81P
/// あきらめ 105 /////////// ところが、これらの例における解放は限られたものである。解放を勝ち得た人々はまだ あきらめのしるしを多く残している。彼らはなおも慎重に自分の孤立を守らねばならず、 世間に対する彼らの全般的な態度は、依然として防衛的か闘争的である。彼らは自分の 個人生活に関しては今でもだいたい無関心であるが、生産性に関する問題には例外的な 関心を示し、したがって、その関心は熱狂的な性格を帯びている。このすべては、葛藤が まだ解決されず、実行可能な妥協案が見出されたにすぎないことを示している。 ///// 神経症と人間的成長 ///
401 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/22(月) 22:36:53.38 ID:03hQSQNT
/// あきらめ 106 /////////// この過程は精神分析中にも起こりうる。それは、結局、はっきりした解放をもたらす ので、たいへん望ましい成果だとみる分析家もいる。しかし、これは部分的な解決に すぎないことを忘れてはならない。あきらめ型の構造全体の治療によって、初めて 創造力が解放されるだけでなく、その人は人間全体として、自分自身や他の人との より良い関係を見出すことができるのである。 ///// 自己実現の闘い ///
402 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/23(火) 14:38:35.58 ID:3UZv98Xr
/// あきらめ 107 /////////// 理論的に言えば、積極的な反抗の結果は、あきらめ型構造のなかで自由を求めることが どんなに重大な意味をもつかということと、自由を求めることが自律的な心の生活を保つ ことと結びついていることを示している。逆に、人が自分自身から遠ざかるほどしかも 遠ざかる程度に応じて――自由が無意味になるということが今では分ってくる。心の 葛藤や、積極的に生きることや、自分自身の成長に積極的な関心をもつことから遠ざかれば、 自分の深い感情からも離れていく危険性がある。その時、持続的あきらめで既に問題に なった無力感から、無為に対する恐怖が生じ、そのため、絶えず気を紛らわすことが 必要になってくる。 ///// 原著 1950年発行 ///
403 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/24(水) 23:08:49.67 ID:Ix/UoRnu
/// あきらめ 108 /////////// 努力や目標へ向かう行動を抑えれば、進むべき方向を見失い、その結果は流れに押し 流されるか、流れのままに漂うことになる。苦しみや摩擦のない安易な生活を求める ことは、特に富や成功や名声の誘惑に屈した場合には、堕落する要因にもなる。持続的 あきらめは制限された生活を意味するが、それには希望がないわけではない。人はまだ 生きるべき何かをもっている。だが、自分自身の人生の深さや自律性を見失う時には、 あきらめのマイナスの面だけが残り、プラスの価値は消えてしまう。その時初めて、 あきらめは絶望的なものになる。人は生の周辺部へ移動する。これが最後に挙げた、 あの浅薄な生き方のグループの特徴である。 ///// Neurosis and Human Growth ///
404 :
◆9JwNW1WNKc :2014/09/25(木) 22:35:12.00 ID:76Fc/VXP
/// あきらめ 109 /////////// こうして遠心的に自分自身から遠ざかっていく人は、感情の深さと強さを失っていく。 他人に対する彼の態度は見境がなくなり、誰でも「大の親友」、「すごくいいやつ」、 「すてきな美人」ということになる。ところが、目の前からいなくなれば、心からも 消え去るのだ。彼はちょっとでも気に障ることがあれば、真相を調べようともせず、 その人への関心をなくしてしまう。孤立は深まり、人との関係も失われる。 ///// Karen Horney ///
405 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/08(水) 22:24:39.11 ID:eszZwwPb
/// あきらめ 110 /////////// 同様にして、楽しみも浅薄なものになっていく。セックス、食べる、飲む、噂話、 遊び、駆け引き、などが生活の大部分を占め、本質を感じ取る感覚は失われ、興味は 表面的なものにとどまる。彼はもはや自分自身の判断や確信がもてなくなり、代わりに 当世流行の意見を取り入れる。また、一般に、「人」がどう思うかを気にしすぎ、 しかもそのように気にしながらも、他方では、自分自身も、他人も、どんな価値も 信頼せず、皮肉屋になる。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
406 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/10(金) 21:22:58.47 ID:G1grCEOr
/// あきらめ 111 /////////// 浅薄な生き方には三つの形が区別できるが、それは、各々強調される面が異なるに すぎない。第一は、享楽、すなわち、楽しく過ごすことを強調する形である。これを 表面的に見れば、あきらめの基本的特徴である、何も望まぬこととは逆に、生きることに 強い関心をもっているように思われるであろう。ところが、ここでは楽しみを求めて いるのではなく、快楽によって気を紛らわせることで、心をむしばむ無力感を抑える ことが必要なのである。ここに引用する「パーム・スプリングズ」という題の詩は、 『ハーパーズ』誌で見かけたものであるが、有閑階級の人々の、そうした快楽追求の 特徴をよく示している。 //////// アカデミア出版会 ///
407 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/11(土) 14:20:13.87 ID:KiNvLgUM
/// あきらめ 112 /////////// ああ、わが求める家は 億万長者が徘徊し 愛らしき乙女のたわむれ さかしげな言葉はなくて ひねもすドルの集まれる家 しかしながら、こうした快楽追求は、決して有閑階級に限ったものでなく、低所得の 下層階級の人々にも及んでいる。「享楽」を高級なナイトクラブやカクテルパーティや 観劇仲間に求めるか、家に集まって酒やトランプやおしゃべりに見出すかの違いは、 結局金のあるなしによるだけのことである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
相変わらず翻訳が酷すぎて読むのがいやになる。
409 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/12(日) 10:24:47.85 ID:SjuHSky0
/// あきらめ 113 /////////// 享楽がもっと局限されて、切手収集や、食道楽や、映画狂になることもある――これらは すべて、もし生活の実際の内容がそれだけしかないというのでなければ、何ら差し支え ないものである。享楽は必ずしも社会的なものとは限らず、推理小説を読んだり、ラジオや テレビに夢中になったり、白昼夢にふけったりすることもある。享楽が社会化された場合には、 わずかの時間でも一人でいることと、真面目な話をすることの二つが厳重に避けられる。 真面目な話はむしろ礼儀に反するとみなされる。また、冷笑癖は表面、「寛容」や「心が 広い」という見せかけによって隠されている。 ///////// 対馬忠監修 ///
410 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/13(月) 09:31:35.84 ID:hPFh3HqO
/// あきらめ 114 /////////// 第二の形では、名声や日和見的な成功が強調される。あきらめの特徴をなす、闘いや 努力の抑制は、ここでも固く守られている。このグループの動機には種々のものが混じり 合っているが、それは一つには、富を得て安楽な生活を送りたいという願望であり、また 一つには、この浅薄グループ全体でゼロにまで低下している自尊心を、何とか高めたい という欲求でもある。しかし、内心の自律性が失われてしまっているので、自尊心を 高めるためには、他人の目に映る自分を高めるしかない。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
411 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/17(金) 00:05:36.83 ID:6O0mtHpT
/// あきらめ 115 /////////// ある人はベストセラーになりはしまいかと本を書き、ある人は金のために結婚し、また、 ある人は恩恵を与えてくれそうな政党に加入する。人とのつき合いでは、享楽よりも、 特定のグループに所属したり、特定の場所に出入りできたりする特権の方が重視される。 唯一の道徳律は、如才ないこと、うまくやって捕まらないことである。ジョージ・エリオットは 『ロモラ』のなかのティトーという人物に、そのような日和見的な人間像を完璧なまでに 表現している。彼に見られる特徴は、葛藤を避け、安楽な生活を求め、何事にもかかわりを もたず、道徳的にしだいに堕落していく、などである。堕落は偶然に起こるのではなく、 道徳心がしだいに弱まるにつれ必ず生じるものである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
412 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/18(土) 22:26:52.14 ID:mhduo+Mp
/// あきらめ 116 /////////// 第三の形は、自動的な「適応」である。この場合には、真の思考や感情が失われるため、 マーカンドが巧みに描いた多くの人物のように、性格が全般的に平板化する。そのような 人は、他人に調子を合わせ、他人の掟や慣習に従う。彼は周囲の人々が期待したり正しいと 思うことを、感じ、考え、行ない、信じる。感情の鈍化は、他の二つのグループより ひどくはないが、明白に見られる。 エーリッヒ・フロムは、この過剰適応の状態を巧みに描写し、その社会的な意味を 認めている。浅薄な生き方の他の二つの形を含めれば――また、そうしなければならない のだが――こうした生き方をする人々は多数に上るので、その社会的な意味は、いっそう 大きい。 ///// 自己実現の闘い ///
413 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/19(日) 19:36:54.62 ID:HdfpD7ev
/// あきらめ 117 /////////// フロムが過剰適応の人格像を並みの神経症と違うと見たのは正しい。この人たちは、 ふつうの神経症者のようにはっきり何かに駆り立てられたり、葛藤に悩まされたりして いないし、また、不安や抑うつ状態のように、特定の「症状」も示さないことが多い。 彼らの印象は一言で言えば、障害に苦しんでいるのではなく、何かが欠けていると言う 感じである。フロムの結論によれば、こうした状態は神経症というよりは欠乏の状態 である。 ///// 原著 1950年発行 ///
414 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/23(木) 00:58:13.96 ID:ELkF3nyU
/// あきらめ 118 /////////// フロムは、この欠乏が生来のものでばなく、幼年期に権威によって打ちひしがれた 結果であると見ている。フロムが欠乏と呼び、私が浅薄な生き方と言うのは、単に 用語の上の違いにすぎないように見えるかもしれない。だが、よくあるように、用語の 違いは現象の意味に関する見解の重要な相違から生じたものである。現に、フロムの 主張は、次のような二つの興味深い疑問を提起する。浅薄な生き方は、神経症とは 何の関係もない状態なのか、それとも、私がここで述べたように、神経症の過程の結果 生じたものなのか。浅薄な生き方をしている人は、実際に、感情の深さや道徳心や 自律性に欠けているのか。 ///// Neurosis and Human Growth ///
415 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/24(金) 00:21:44.43 ID:7tYGom41
/// あきらめ 119 /////////// 二つの疑問は互いに関連したものであるが、それについて精神分析的観察から何が 言えるかを調べてみよう。こうした観察資料が得られるのは、このグループに属する 人々が精神分析を受けに来ることができるからである。浅薄な生き方が極度に進めば、 もちろん、精神分析を受けようという動機もなくなる。だが、あまり進んでいない 状態であれば、彼らは、心身症状、失敗の繰り返し、仕事における禁止、無力感の増大、 のいずれかに苦しむため、分析を望むであろう。彼らは自分が坂を転げ落ちていることを 感じ取り、不安なのかもしれない。 ///// Karen Horney ///
416 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/25(土) 23:31:42.94 ID:Pb5DlzNz
/// あきらめ 120 /////////// 分析でわれわれが受ける第一印象は、一般的な好奇心という観点から既に述べた通りである。 彼らは常に表面的なことしか考えず、好奇心を欠き、口先だけの説明で済まそうとし、 富や名声に結びついた外面的なことにしか関心を示さない。そのすべてが、彼らの過去には 今目に入る以上の何かがあると思わせるものばかりである。以前に、あきらめに向かう 一般的な動きということで述べたように、思春期およびその前後に、彼らが積極的に努力し、 ある感情的な悩みを乗り越えた時期があった。この事実から見れば、現在の状態が始まったのは、 フロムが考えたより遅い時期であるばかりでなく、それはある時期に現われた神経症の結果で あるとも言えるのである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
417 :
◆9JwNW1WNKc :2014/10/26(日) 12:43:02.33 ID:jPZ1J14y
なんだろう、どうしてこう複雑なんだろう。 言葉というのは便利であるあまり不便だよ。 殊に心を捉えるにおいては
419 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/01(土) 22:42:19.47 ID:2UERpO5r
/// あきらめ 121 /////////// 分析が進むにつれて、彼らの目覚めている時の生活と夢との間に不可解な食い違いの あることが明らかになってくる。彼らの夢は心の深層の感情と混乱をはっきり示し、 そしてしばしばこれらの夢だけが、深く埋もれている悲しみ、自己嫌悪、他人への憎悪、 自己憐憫、絶望、不安を表わしている。言葉を換えて言えば、穏やかな表情の陰には、 葛藤や激しい感情の世界が存在する。自分の夢に対する関心を呼び起こそうとしても、 彼らは夢を忘れがちである。 ///// アカデミア出版会 ///
420 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/02(日) 09:10:30.60 ID:b8jqpL+n
/// あきらめ 122 /////////// この人たちは、全然関連のない二つの世界に住んでいるようだ。彼らはもともと 浅薄なのではなく、自分の心の深層から懸命に遠ざかろうとしていることがしだいに 分ってくる。彼らはその深層をちらりと一瞥し、それから何事もなかったかのように、 再び心を固く閉ざしてしまう。その少し後で、目覚めている時に、感情が忘れられて いる深層から突然出現することがある。例えば、何かを思い出して涙を流し、ある 郷愁や宗教的な感情が表われ、そして消える。こうした観察は、もっと後の分析で 確かめられるが、フロムの欠乏の概念に反し、彼らが内的な個人的な生活から 明らかに逃走していることを示している。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
421 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/03(月) 10:20:09.14 ID:yfeDZcM8
/// あきらめ 123 /////////// 浅薄な生き方を神経症的過程の不幸な結果と考えると、予防と治療との両面の見通しが 明るくなってくる。現在、浅薄な生き方をしている人の数が多いところから、この生き方を 障害として認め、その発達を防ぐことが大いに望まれる。その予防法は神経症一般に 対する方法と同じである。この点に関しては現在多大の努力がなされているが、特に 学校では、さらに多くが必要であり、また明らかに実行可能でもある。 ///////// 対馬忠監修 ///
422 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/08(土) 10:08:31.98 ID:upJmmOiD
/// あきらめ 124 /////////// あきらめ型の患者の治療で第一に必要なことは、この状態が神経症的障害であることを 認め、それを体質的あるいは文化的特殊性であるとみなして放棄してしまわないことである。 後者のような考え方をすれば、それは変えられないものだとか、精神医学者の取り扱う 問題ではないとかいうことになる。しかも、あきらめ型は他の神経症の問題ほど一般には 知られていない。あきらめ型が人の関心をひくことが少なかったのは、おそらく二つの 理由によるのであろう。その一つは、この過程で生じる多くの障害が、その人の生活を 拘束することがあっても、それは比較的目立たず、したがって治療の緊急度が低いことである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
423 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/09(日) 09:55:07.41 ID:7voFf3+u
/// あきらめ 125 /////////// もう一つは、あきらめという背景から生じた障害のすべてが、その基本的過程と結びつけて 考えられなかった点である。この過程のなかで精神医学者たちが熟知しているただ一つの 要因は孤立である。しかし、あきらめはそれよりはるかに包括的な過程であり、治療に 当たってば独自の問題と困難を提起する。これらの問題は、あきらめの力学と意味について 十分な知識を得て初めて解決できるものである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
424 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/14(金) 00:33:53.91 ID:NC1FM+0U
425 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/16(日) 18:24:00.54 ID:ydfTP+Yw
/// 人間関係における神経症的障害 1 /////// カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:1950年発行 Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より ・・・・ 第12章 人間関係における神経症的障害 本書ではこれまで心内の過程に重点を置いて考察してきたが、心内の過程を対人関係から 切り離して述べることはできなかった。というのも、この二つの過程の間には、実際に、 不断の相互作用が存在するからである。当初、栄光の追求を紹介した時でさえ、人の上に 立ちたいとか、人に勝ちたいとかいう欲求のような要素が見られたが、それは対人関係に 直接関連したものである。 ///// アカデミア出版会 ///
426 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/21(金) 22:59:55.71 ID:KsKFqulY
/// 人間関係における神経症的障害 2 ///////// 神経症的要求は内的欲求から生じるものであるが、主として他人に向けられる。われわれは 神経症的誇りについて論じた際にも、その傷つきやすさが人間関係に及ぼす影響を無視する ことはできなかった。また、心内の要因一つ一つのどれもが外在化されうること、この外在化の 過程によって他人に対する態度がどれほどひどく変わるかということを、われわれは見てきた。 最後に、内的葛藤の主な解決法のそれぞれにおいて、対人関係がどのような形をとってくるか についても、いっそう具体的に論じた。本章では、特殊から一般に戻って、誇りの体系が 原則として対人関係にどのような影響を及ぼすかについて、簡単な組織的な概観をしたい。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
427 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/23(日) 13:39:04.55 ID:DaPQUmhB
/// 人間関係における神経症的障害 3 ////////// まず、誇りの体系は神経症者を自己中心的にすることで、他人から離れさせる。誤解を 避けるために言えば、私が自己中心的という意味は、自分自身の利益しか考えない、という 意味での利己主義や自己中心主義ではない。神経症者は非情なまでに利己的なこともあるが、 また、あまりにも無欲すぎることもある。この点に関しては、あらゆる神経症に共通した 特徴というものはない。しかし、自分のことに夢中であるという意味では、神経症者は常に 自己中心的である。このことは必ずしも表面に現われず、彼は一匹狼であることもあれば、 他人のために、他人によって、生きていることもある。 ///////// 対馬忠監修 ///
428 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/24(月) 18:31:09.29 ID:S5tXzypM
/// 人間関係における神経症的障害 4 ////////// しかし、いずれの場合にも、神経症者は自分だけの宗教(自分の理想像)によって生き、 自分自身の決まり(自分の〈べき〉)を固く守り、誇りという鉄条網を周囲に張りめぐらし、 内外の危険から身を守ろうと警戒しながら生きている。その結果、彼は感情的にいっそう 孤立していくだけでなく、他人を自分とは別の、その人自身の権利をもつ個人として 見れなくなってくる。他人は、彼が最大の関心をもつ自分自身の次に置かれる。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
俺この人の本けっこう持ってる
430 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/28(金) 00:12:27.38 ID:psnX6IxQ
/// 人間関係における神経症的障害 5 /////////// これまでのところ、彼の見る他人の姿は、ぼやかされてはいたが、曲げられてはいなかった。 ところが、誇りの体系内には、他人をあるがままに見ることをそれ以上に妨げ、彼の描く他人像の ゆがみを増幅する働きをする他の因子がある。この問題については、他人に関する概念という ものは、自分自身についての概念と同じくらい曇っているのが当たり前だと軽く済ませてしまう ことはできない。それは、だいたいのところは真実なのであるが、それでも人に誤解を与えやすい。 というのも、その言葉は他人をゆがめて見ることと自分自身をゆがめて見ることは並行して起こる ものだということを示唆しているからである。誇りの体系内のゆがみをもたらす因子を調べてみれば、 ゆがみについていっそう正確で包括的な概観を得ることができる。 ///// 神経症と人間的成長 ///
431 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/29(土) 13:08:20.47 ID:R81/DceW
/// 人間関係における神経症的障害 6 ///////// 現実にゆがみが生じるのは、一つには、神経症者が誇りの体系から生じる欲求によって、 他人を見るからである。このような欲求は、直接他人に向けられることも、また間接的に 他人に対する神経症者の態度に影響を与えることもある。彼の賞賛を求める欲求は、他人を、 賞賛してくれる聴衆に変え、魔術的な援助を求める欲求は、他人に神秘的な魔術的能力を与え、 自分が正しくありたいという欲求は、他人の方が間違って当てにならないのだと思わせる。 また、勝利を求める欲求によって、他人は自分の味方か陰謀を企てる敵か、のいずれかに 分けられる。他人を傷つけても非難を免れようという欲求は、他人の方が「神経症的」なのだ と思わせ、自分を縮小したい欲求は他人を巨人に仕立て上げる。 /////// 自己実現の闘い ///
432 :
◆9JwNW1WNKc :2014/11/30(日) 16:26:40.95 ID:zrIO+7RA
/// 人間関係における神経症的障害 7 /////////// 最後に、彼は自分の外在化によって他人を見るようになる。彼は自分自身の理想化のことは 意識せず、他人を理想化する。自分の専制のことは感じないで、他人を暴君だと思う。最も 問題になるのが、自己嫌悪の外在化である。こうした外在化の傾向が優勢になってくると、 他人は軽蔑し非難すべきものに見えてくる。何かがうまくいかなければ、それは他人の責任なのだ。 彼らは完璧であるべきなのだ。彼らを信頼してはならない。彼らは変えられ、改善されるべきだ。 彼らは貧しく過ちを犯す人間なのだから、彼らのために自分が神のような責任を負わねばならない、 と彼は思う。受動的な外在化が優勢な場合には、他人が裁きの座に坐って、彼の欠点を見出し、 非難することになる。他人が彼を押さえ付け、罵り、強制し、おびえさせる。他人は彼を好まず、 必要としないのだ。彼はその人たちをなだめ、その人たちの期待に応えなければならない。 //////// 原著 1950年発行 ///
433 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/03(水) 22:26:16.29 ID:vbYL/Pmd
/// 人間関係における神経症的障害 8 /////// 神経症者の他人を見る目を歪曲させるすべての要因のなかでは、外在化がその効果において、 おそらく第一に位するであろう。しかも外在化は、自分自身のなかに認めるのが非常に困難な ものである。というのは、その人自身の経験するところでは、他人は自分が外在化によって 見る通りのものであり、自分は他人のそんなあり方に応じているにすぎないからである。彼が 見落としているのは、自分が他人のなかに投射したものに対して反応しているという事実である。 ///// Neurosis and Human Growth ///
434 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/05(金) 00:08:00.56 ID:NcRvMgj1
/// 人間関係における神経症的障害 9 /////////// 外在化は、自分の欲求や欲求不満に基づく他人への反応と混じり合っていることが多いので、 なおいっそう認めにくい。例えば、他人に対する苛立ちは、すべて根本では自分自身への憤りを 外在化したものである、と言う一般化は、支持できないものであろう。それぞれの状態を慎重に 分析してみて初めて、その人が本当に自分自身に対して腹を立てているのか、それとも実際には、 自分の要求を阻止したというようなことで他人に怒っているのか、それにどの程度怒っているのかが 分るのである。最終的には、もちろん、彼の苛立ちはその両方から生じているのであろう。 自分自身や他の人々を分析する場合には、必ずこの両方の可能性に対して、公平に注意を払わな ければならない。つまり、どちらか一方の説明だけに片寄ってはならない。双方に注意して、 初めてそれらが対人関係にどのように、またどれだけ、影響しているかがしだいに分ってくる のである。 ///// Karen Horney ///
435 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/06(土) 11:42:01.68 ID:wwW3T3GA
/// 人間関係における神経症的障害 10 /////////// しかし、われわれが他人との関係のなかに、もともとそれとは関係のないものを持ち込んでいると 気づいたとしても、そうした自覚によって外在化の働きは止められるものではない。われわれが 外在化しているものを自分のなかに「取り戻し」、自分の内部でその過程を経験できる程度に応じて しか、外在化をやめることはできないのである。 外在化によって他人の姿が歪曲されるのには、大雑把に言って三つの仕方がある。第一は、他人が 全然または取るに足らぬほどしかもたぬ特徴を、もっているとするところから生じる。神経症者は 他の人々を神のような完全さと力を具えた理想的な人物と見ることも、卑しむべき罪深い人間と見る こともある。また、他人を巨人にも、小びとにも変えるであろう。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
436 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/07(日) 12:00:53.41 ID:EH010Znb
/// 人間関係における神経症的障害 11 /////////// 第二に、外在化によって、人は他人が現にもっている長所と短所に対して盲目にもなる。彼は 搾取や詐欺について自分がもっている(無自覚の)タブーを他人に移し替えるため、他人が搾取や 詐欺の意図をもっていることが明らかな時でも、それに気づかない。また、自分自身のやさしい 感情を抑えてしまっているので、他人が好意や献身的な愛をもっていても、それを認めることが できない。そんな場合、彼は往々にして、他人が偽善者であると思い、その「策略」にだまされない ように警戒する。 最後に、彼は外在化によって、他人が実際にもっているある種の傾向が非常によく分るようになる。 ある患者は、自分だけがキリスト教徒の美徳をすべて具えていると思い、自分のなかにある顕著な 略奪的な傾向は見ず、他人の偽善的な態度、特に、見せかけの善良さや愛情を見抜くのは早かった。 /////// アカデミア出版会 ///
437 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/10(水) 00:21:07.30 ID:2lAO7c7r
/// 人間関係における神経症的障害 12 //////////// もう一人の患者は、自分が不誠実や裏切りの傾向をかなりもっていることには気づかず、他人のそれに 対しては敏感であった。こうした事実を見ると、外在化には歪曲的な力があるという、私の主張とは 矛盾しているようである。外在化にはその両方がある――つまり、人を特に盲目にも、特に明敏にもする、 と言う方がいっそう正確であろうか。私はそうは思わない。患者がある属性を見分ける際にもつ洞察力は、 その属性が彼にとってどんな個人的な意味をもっているかによって損なわれる。個人的な意味をもって いれば、属性がひどく拡大されて見えるので、その属性をもった人は個人としての存在が薄れ、それぞれの 外在化された傾向の象徴になってしまう。そのため、人格全体の見通しは一方的なものになり、明らかに 歪曲される。当然のことながら、この最後に述べたような外在化は、外在化と認めるのが非常にむずかしい ものである。というのは、患者自身はいつでも、結局自分の観察が正しいのだ、という「事実」に 逃げ込むことができるからである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
438 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/10(水) 22:28:22.39 ID:2lAO7c7r
/// 人間関係における神経症的障害 13 ////////// 以上述べたような要因のすべて――神経症者の欲求や他人への反応や外在化――が、少なくとも、 他人が彼と親しくつき合うことをむずかしくしている。神経症者自身はそういうふうには見ていない。 彼の欲求や欲求から生じた要求は、たとえ意識されても、彼の目にはまったく道理にかなったものに 映っている。他人に対する反応も同じく正当化され、また、外在化も他人のとった態度に応えたに すぎないのだから、彼はふつうは、そんな困難があるとは気づかず、自分は人と一緒に暮らしやすい 人間だと心から信じている。それはよく理解できることであるが、それでもやはり一つの幻想にすぎない。 ///////// 対馬忠監修 ///
神経症と人間的成長しか持ってなくて読んでないけど、この人の洞察力からして 天才だし、なんでホーナイの本、再販しないのか理解に苦しむ。手に入らないじゃ ないか。ホーナイを知ったのはクラウディオ・ナランホの「性格と神経症」という 本を読んでです。これも素晴らしい本ですよ。でもなんで神経症の研究から始まった 精神医学・分析が廃れたのか不思議。人格障害に吸収されたのだろうか。 しかし最大の難点は、洞察はごもっともだが、解決策は全く提示しない、もしくは 外人の好きな禅とか呼吸法とか宗教的な領域に話しが行っちゃうこと。森田に晩年、 接近したのも、ほとんど治療放棄としか言い様がない。昨今のDBTもそうだ。ナランホ の訳者も、あとがきで本人が取り組むのは無理と断言して、専門家向きと書いている。 この訳者のカウンセリングを受けたが、もうお婆ちゃんで、訳したこともほとんど 覚えていないと自分で行っていて、がっかりして一度でやめた。
440 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/12(金) 00:14:00.35 ID:QJ6y+L+0
/// 人間関係における神経症的障害 14 ////////// 家族のなかでいちばん目立って神経症的な一員に対して、他の家族は、自分自身の障害が許す限り、 仲良く暮らしていこうと一生懸命に努力することが多い。ところが、この場合も、神経症者の外在化が、 そうした努力に対する最大の妨げになる。外在化は、本来、他人の実際の行動にはほとんど関係のない ものであるから、他人は外在化については無力である。例えば、他の人々が、好戦的で自らを正しいと する人と仲良くしようとして、反対も批判もせず、その人の望むがままに衣服や食事の世話をしたと しよう。ところが、その人たちの努力そのものが、彼の自責の念を呼び起こし、彼は自分の罪悪感を 逃れるために他人を憎みだすのである(『氷人来たる』のなかのヒックス氏のごときである)。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
441 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/13(土) 08:09:02.02 ID:83QX3P/W
/// 人間関係における神経症的障害 15 ///////////// こうしたすべての歪曲の結果、神経症者の他人に対する不安定感はかなり強められる。彼は頭では、 自分は他人を鋭く観察し、よく知っており、自分の他人についての評価はいつでも正しいのだ、と 確信しているかもしれないが、せいぜいのところ、その一部が真であるにすぎない。観察とか批判的な 知性とか言っても、自分を自分、他人を他人として、現実的によく自覚し、それらの評価がどんな 種類の強迫的欲求によっても左右されない人が、他人に関してもっている、あの心の内の確信に 代わるものではない。神経症的な人は、他人に対して全般的な不安感をもっていても、他人を知的に 観察する教育を受けていれば、その行動やある神経症的機構についても、かなり正確に叙述できる であろう。 ///////// 神経症と人間的成長 ///
442 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/14(日) 09:25:20.43 ID:/Nwo+0K6
/// 人間関係における神経症的障害 16 /////////// しかし、彼が前述のようなすべてのゆがみから生じた不安定感に左右されれば、彼のもっている 不安定感は現実の他人との交渉に必ず現われてくる。だから、彼が観察や推論やそれに基づく 評価によって得た他人像は、永続的な力をもたないようである。あまりにも多くの主観的な 要因がありすぎ、それが働いて、彼の態度を急変させるからである。彼は今まで尊敬していた人に 簡単に背を向け、関心をなくしたりする。また、それと同じように突然に、他の誰かに対する 評価を高めることもある。 //////// 自己実現の闘い ///
分析はできても、治療は無理です。あるがまま〜
444 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/17(水) 20:13:20.50 ID:rtl3Gzaf
/// 人間関係における神経症的障害 17 /////// こうした内心の不安定感は様々な仕方で現われるが、そのうちの二つは、個々の神経症的 構造にあまりかかわりなく、かなり決まって起こるようである。その一つは、他人に対して 自分がどんな立場にあるのか、また、自分に対して他人がどんな関係にあるのかが、分らない ことである。相手を友達と呼んでも、その言葉のもつ深い意味は失われてしまっている。 友達が何かを言ったとか、したとか、忘れたとか、に関して少しでも異論や噂や誤解をもてば、 それは一時的な疑惑を生じるばかりか、彼との関係の根底そのものを揺さぶることになりかねない。 ///// 原著 1950年発行 ///
445 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/18(木) 22:23:43.88 ID:6biCVYRR
/// 人間関係における神経症的障害 18 /////////// もう一つは、至る所で現われる他人に対する不安定感で、信用や信頼に関する ものである。それは、他人を信頼しすぎるか、信じなさすぎるかといった現われ方を するだけでなく、どんな点で他人が信頼できるか、その人の限界はどこにあるかが 心から分らない、ということにも現われる。この不安定感がもっと強くなると、 何年間も親しくつき合っているその相手にできるのは、立派なことなのか、けちな ことなのか、それとも全然何もできないのか、が分らなくなる。 ///// Neurosis and Human Growth ///
446 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/20(土) 08:18:36.44 ID:7mcfB8kL
/// 人間関係における神経症的障害 19 ///////////// 彼は他人に対して基本的に不安定感をもっているので、概して最悪のものを ――意識的、無意識的に――予想しがちである。なぜなら、誇りの体系によっても 彼の他人対する恐れは増大するからである。彼の不安定感は恐れと密接に絡み合って いる。たとえ他人が実際に大きな脅威であっても、彼の抱く他人像が歪曲されて いなければ、恐れはそれほど容易に大きくならないであろう。一般的に言えば、 他人に対する恐れは、自分を傷つける他人の力と、自分自身の無力さとの両方に よって決まる。しかもこの要因は二つとも誇りの体系によって大いに強められる。 ///// Karen Horney ///
447 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/21(日) 07:43:21.53 ID:nBKG/zH0
/// 人間関係における神経症的障害 20 ///////// 表面ではどんなに自己満足に溢れていても、誇りの体系は本来人を弱めるもの である。それはまず、自己疎外により、また、自己軽蔑やそれにともなう内的葛藤 ――それは彼を彼自身から分裂させるが――によっても彼を弱める。というのも、 彼の傷つきやすさはいっそう増しており、しかもいろいろな点で傷つきやすく なっているからである。彼の誇りを傷つけ、罪悪感や自己軽蔑を起こすには、 ほとんど手間を要しない。彼の要求は必ず阻止されるような性格をもち、平静さは 非常に不安定で、すぐに崩されるような状態にある。最後に、外在化と、外在化など 多くの要因によって惹起された他人に対する彼自身の敵意によって、他人は実際以上に 恐ろしく見える。こうしたすべての恐れがあるため、他人に対する彼の主な態度は ――攻撃的であろうと、宥和的であろうと――防衛的になる。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
448 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/22(月) 21:56:54.86 ID:NtVF0Jah
/// 人間関係における神経症的障害 21 /////// これまで述べたすべての要因を調べてみる時、これらの要因と基本的不安の 構成要素との類似に驚かされる。基本的不安とは、繰り返して言うと、敵意を 秘めた世間に対し孤立し無力であるという感情である。そして、この感情こそ、 原則として、誇りの体系が人間関係に及ぼす影響なのである。この影響は基本的 不安を強める。成人の神経症者で基本的不安と認められるものは、基本的不安の 原型ではなく、長年の間に心内の過程からいろいろなものが基本的不安に添加され、 その形が修正されてきたものである。そこで、彼の基本的不安は、当初の要因より もっと複雑な諸要因によって決定された、合成的な対人的態度になっている。 ///// アカデミア出版会 ///
449 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/23(火) 09:12:29.71 ID:bkwagHT7
/// 人間関係における神経症的障害 22 /////////// 子どもが基本的不安があるため、他人への対処の仕方を見出さなければならなかった ように、成人の神経症者も彼なりの他人への身の処し方を見出さなければならない。 そして、彼はここで述べたような主な解決法に、その仕方を見出しているのである。 成人の方法もやはり、幼年期の他人に接近、反抗、逃避する解決法と似ているが ――そして、一部はそこから生じたものであるが――実際は、自己縮小、自己拡張、 あきらめ、という新しい解決法は、以前のものとは構造が違っている。新しい解決法も 対人関係の型を規定はするが、それは主として、心内の葛藤を解決するための方法 なのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
450 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/25(木) 20:59:11.91 ID:0bkbThWt
/// 人間関係における神経症的障害 23 //////////// ここで述べる人格像を完成するために言えば、誇りの体系は基本的不安を強めるが、 同時に誇りの体系自身の生み出した欲求により他人を重要視しすぎるようになる。 神経症者にとって、他人は次のような意味で、あまりにも重要な、またはどうしても なくてはならぬ存在になる。彼は自らに具わっているとする架空の価値(尊敬、是認、 愛情)を直接に確認してもらうために、他人を必要とする。また、神経症的罪悪感や 自己軽蔑は、自分自身を弁護したいという切迫した欲求をもつ方へ進む。 ///////// 対馬忠監修 ///
451 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/26(金) 20:05:20.22 ID:R6sCpNhX
/// 人間関係における神経症的障害 24 ////////// しかし、こうした欲求を生み出した自己嫌悪そのものが存在するため、自分の目で この弁護を見出すことはほとんど不可能である。つまり、彼は他人の目を通してしか それを見つけることができないのである。彼は、自分が重要だと思うような特別の 価値あるものは何でももっているのだ、ということを他人に対して証明しなければ ならない。自分はどんなに立派な人間か、どんなに運が良く、成功し、有能で、 知性高く、力があり、他人のために尽くせるか、を示さなければならない。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
452 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/27(土) 19:03:30.43 ID:Ljm+d15p
/// 人間関係における神経症的障害 25 /////// そのうえ、栄光を積極的に追求するためであろうと、自己弁護のためであろうと、 彼は活動に対する刺激の多くを他人から得る必要があり、また、現に得てもいる。 それは自己縮小型でいちばん著しく、自己縮小型の人は、自分から、自分自身のために、 何かをするということはほとんどない。しかし、もっと攻撃的な型の人でも、人を 感動させたい、人と闘い、勝ちたい、という刺激がなければ、どれほど活動的、 精力的になれるだろうか。反抗型の人ですら、自分のエネルギーを解き放つためには、 やはり反抗の対象となる他人が必要なのである。 ///// 神経症と人間的成長 ///
453 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/28(日) 09:34:31.67 ID:mV1DcVzJ
/// 人間関係における神経症的障害 26 //////// 最後ではあるが、重要なことは、神経症者が自己嫌悪から身を守るために他人を 必要とするということである。実のところ、他人が自分の理想像を確認してくれる ということも、自分を弁護できる見込みがあるということと共に、自己嫌悪からの 救いになる。その他にも、自己嫌悪や自己軽蔑の攻撃による不安を和らげるべく、 陰陽様々な意味で、彼は他人を必要とする。なかでも重要なのが、他人がいなければ、 自衛のための最強の武器である外在化ができない点である。 このように誇りの体系は、彼の人間関係に根本的な不調和を持ち込む。彼は他の 人々から遠く離れているように感じ、彼らに関してひどく不安定であり、彼らを恐れ、 敵意を抱き、しかも自分にとって欠くことのできないほど、彼らを必要とする。 ///// 自己実現の闘い ///
454 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/29(月) 21:12:01.01 ID:EfjTLlFx
/// 人間関係における神経症的障害 27 ////////// 人間関係一般を妨害するすべての要因は、愛情関係でも、それが一時的なもの 以上になれば、必ず働いてくる。われわれの観点からすれば、それは自明なこと であるが、ここでさらに述べておく必要があるのは、お互いが性的な満足を得さえ すればどんな愛情関係もうまくいく、という誤った考えをもつ人が多いからである。 実際に、性関係は一時的に緊張を和らげ、愛情関係が基本的に神経症的なものに 基づいていれば、それを永続させることさえあるが、それは愛情関係を健康にする ものではない。したがって、結婚やそれに類した関係で起こる神経症的障害について 論じても、それは今まで述べてきた原則に新しいものを付け加えることにはならない であろう。しかし、心内の過程はまた、愛や性が神経症者にとってどんな意味と 働きをもつかに特殊な影響を及ぼす。そこで、私はこの影響の性格についていくらかの 一般的な見解を述べて、本章の結論にしたいと思う。 ///// 原著 1950年発行 ///
テスト
456 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/30(火) 19:03:32.31 ID:J9b2AN+A
/// 人間関係における神経症的障害 28 /////// 愛が神経症者にとってどのような意味と重要性をもつかについては、神経症者の とっている解決の種類によってあまりにも違いがあり、一般化は困難である。しかし、 一つの障害となる要因は必ず存在している。それは神経症者の心の奥深くに植え付け られた、「自分は人に愛されない人間だ」という感情である。私がここで言うのは、 彼があの人とかこの人とかいった特定の人に愛されていないと感じることを指している のではなく、彼の信念についてである。それは、自分を愛する人など誰もおらず、 また、誰にも自分を愛することはできないのだ、という無意識の確信にまでなるで あろう。 ///// Neurosis and Human Growth ///
457 :
◆9JwNW1WNKc :2014/12/31(水) 21:32:04.73 ID:UGCFljOy
/// 人間関係における神経症的障害 29 /////// 容貌や声が美しいとか、助けや性の満足が得られるとかいう理由で、他人が自分を 愛することがあっても、自分を一個の人間として愛することはない。それは自分が 人に愛されるような人間ではないからだと彼は思い込んでいる。現にこの考えが 誤っていることを示す証拠があっても、彼はいろいろな理由をつけてそれを打ち消そう とする。例えば、たぶんその人は寂しいからだ、誰か寄りかかる人が必要なのだ、 憐みの心からそういう気になったのだ、などの理由である。 ///// Karen Horney ///
458 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/01(木) 11:38:35.42 ID:OhRSJlYW
/// 人間関係における神経症的障害 30 /////////// しかし、彼は、この問題に現実的に取り組もうとせず――問題を意識していたとしても ――その代わりに二つの曖味なやり方でそれに対処し、しかもその二つの方法が矛盾して いることには気がつかない。一方では、彼は、特に愛情を望んでいなくても、いつか、 どこかで、自分を愛してくれる「正にその」人に会えるのだ、という幻想にしがみついて いる。ところが、もう一方では、自信に対して自分がとっているのと同じ態度、つまり、 人から愛されることを、自分が現在もっている好ましい性質とは別の一つの属性と見る 態度をとる。そして、彼は愛されることを個人的な性質から切り離しているので、自分が 将来成長すれば人から愛されるようになるかもしれないという可能性を認めない。 そのため、彼は運命論的な態度をとり、自分が人に愛されないのは、不可解だが 変えられぬ事実なのだと見がちである。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
459 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/02(金) 21:42:20.39 ID:64H55tgG
460 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/03(土) 19:02:21.94 ID:uf3AVMWJ
/// 人間関係における神経症的障害 31 /////// 自己縮小型の人は、自分が人から愛されない人間だと信じていることをすぐに 意識し、これまでも見たように、人に好かれる性質、少なくともそう見えるものを、 自分のなかに育てようと懸命に努力する。ところが、愛に夢中になるほどの関心を 抱く彼でも、自分が人から愛されないと確信するようになったのはなぜか、という 疑問の根源に自分から追っていこうとはしない。 ///// アカデミア出版会 ///
461 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/05(月) 22:14:17.62 ID:5swCVKGQ
/// 人間関係における神経症的障害 32 /////// この確信は三つの主な源泉から生じている。第一は、神経症者自身の愛する能力が 損傷している点である。彼の愛する能力は、本章で述べたすべての要因――彼が自分の ことに夢中になりすぎる、あまりにも傷つきやすい、他人を恐れすぎるなど――によって 必ず損傷を受ける。愛されるという感情と、自分が愛することができるという感情との 間にこの結びつきがあることは、知的にはかなりよく認められているが、それが深い 重大な意味をもつことを知る人はほとんどいない。しかも、現実に愛する能力がよく 発達していれば、自分が人から愛されるかだろうかという疑惑に悩まされることはない。 その場合、自分が実際に人から愛されているかどうかは、決定的な重要性をもつもの ではないのである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
462 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/06(火) 22:03:49.00 ID:lGIJIzk3
/// 人間関係における神経症的障害 33 /////// 神経症者が人から愛されないと感じる第二の源泉は、自嫌悪とその外在化である。 彼が自分で自分を受け入れることができぬ限り――自分はまったく嫌悪すべき卑しい人間 だと思っている間は――他の誰かが自分を愛することができるとはとうてい信じられない。 以上の二つの源泉は、神経症にいつでも強く存在し、愛されないという感情が治療を してもなかなか消えない原因になっている。われわれは患者のなかにこの感情が存在し、 彼の愛情生活に影響するのを見ることができる。前述の二つの源泉の力が衰える程度に 応じてしか、この感情は消えぬものである。 ///////// 対馬忠監修 ///
463 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/08(木) 22:10:58.00 ID:uaCVkE/r
/// 人間関係における神経症的障害 34 ///////// 第三の源泉からの影響はもっと間接的であるが、他の理由もあるため、ここで述べて おくのが重要である。それは神経症者が愛が与えうる以上のもの(「完全な愛」)を 愛に期待したり、愛が与えうるものと違うもの(例えば、愛は彼を自己嫌悪から解放 させることはできない)を期待することである。そのため、彼はどんな愛を得ても期待が 満たされず、自分は「真に」愛されていないのだと思う。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
464 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/10(土) 11:33:00.94 ID:I5TDvPNr
/// 人間関係における神経症的障害 35 /////////// 愛についてどんな種類の期待がもたれるかは、それぞれの人によって異なる。一般的に 言えば、しばしば相互に矛盾する様々な神経症的欲求の充足――自己縮小型の場合には すべての神経症的欲求の充足――が期待されることが多い。そして、愛が神経症的欲求の ために奉仕させられるというこの事実により、愛は望ましいだけでなく、非常に必要な ものにもなってくる。こうして愛情生活でも、対人関係一般に関して存在すると同じ 不調和が見られる。つまり、欲求が増大し、それを充たす能力が減退する。 ///// 神経症と人間的成長 ///
465 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/13(火) 21:58:38.68 ID:uWGxZpjp
/// 人間関係における神経症的障害 36 ////////// 愛と性をあまり明瞭に区別すれば、それを密接に結びつけすぎる(フロイト)のと同じく、 正確さを欠くことになるであろう。しかし、神経症者では、性的興奮や欲望がたいてい愛の 感情と別に起こるので、性がどのような役割を果たすかについて、二、三の注釈をつけて おきたい。性はもともと、肉体的な満足や親密な人間的接触を得る手段としての機能をもって いるが、神経症の場合もその機能を保っている。また、性的にうまくいけば、いろいろな 意味で自信が増してくる。ところが神経症では、こうした性の働きのすべてが拡大され、 違った色彩を帯びてくる。性行為は性的な緊張を解放するだけでなく、性的でない、 様々な精神的緊張も緩和する。 ///// 自己実現の闘い ///
466 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/14(水) 22:49:50.46 ID:La+STGeA
/// 人間関係における神経症的障害 37 ///////// それは自己軽蔑のはけ口(マゾヒズム的行為)になることも、他人を性的に辱め、苦しめる こと(サディズム的行為)で、自責を表わす手段として使われることもある。性行為は 不安を和らげるためにいちばん多く使われる方法の一つである。本人たち自身はこうした 関係に気づいていない。彼らは、緊張や不安をもっているという自覚さえなく、ただ性的 興奮や欲望が高まったとしか感じない。しかし、精神分析では、こうした関係を正確に 観察できる。例えば、ある患者は自己嫌悪を経験しそうになると、急にある女性と寝る 計画や幻想が心に浮かんできた。また、心から軽蔑している自分の何かの弱点について 話すと、自分よりもっと弱い誰かをいじめるサディズム的な幻想が生じた。 ///// 原著 1950年発行 ///
467 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/16(金) 20:50:30.28 ID:xB7D72rT
/// 人間関係における神経症的障害 38 /////// また、親しい人間的な接触をもつという、性本来の機能が大きな比重をもつことも 多い。それは、性が他人との唯一の掛け橋になっているような孤立した人々について よく知られている事実であるが、性は人間的な親しさの明白な代用物になるだけとは 限らない。それは、人々が相手と共通したものがあるかどうかを見出したり、相手に 対する好意や理解を深める機会も待たずに性急に性関係に飛び込むことにも見られる。 もちろん、性関係をもった後で、感情的な結びつきが発展することもある。しかし、 たいていの場合はそうならない。というのも、ふつうは、初めに性急だったこと自体が、 禁止が強すぎて、良い人間関係をもつことができないことを示しているからである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
468 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/17(土) 17:38:56.34 ID:5+G/ep8e
/// 人間関係における神経症的障害 39 /////// 最後に、性と自信との間の正常な関係は、性と誇りとの関係に変わっていく。性の 働き方、魅力的で相手から望まれること、相手の選択、性体験の量や種類――この すべてが、願望や喜びというよりは、誇りの問題になる。愛情関係において人間的な 要因が後退し、純粋に性的な要因が重要になればなるほど、自分は愛されるだろうか という無意識の懸念が、自分には魅力があるだろうかという意識的な心配に変わって くる。 ///// Karen Horney ///
469 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/18(日) 17:21:05.11 ID:Rq6UW5uq
/// 人間関係における神経症的障害 40 /////// 神経症者において性の果たす機能がこのように増すからといって、必ずしも比較的 健康な人より性行為が増えるわけではない。そうなることもあるが、性の機能が増した ために禁止作用が強まることもある。いずれにせよ、健康な人との比較はむずかしい。 なぜなら、「正常」な範囲内でも、性的興奮、性欲の強さや頻度、性の表現形式には 大きな個人差があるからである。しかし、一つの重要な違いはある。以前に空想に関して 述べたのと同じ意味で、性は神経症的欲求に奉仕させられる。そのため、性はしばしば、 性的でない原因から生じた重要性という意味で、不当な重要性をもつようになる。さらに、 同じ理由から、性的な機能も妨害されやすい。それには恐れ、おびただしい数の禁止、 同性愛という複雑な問題、性的倒錯など、がある。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
470 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/20(火) 23:12:27.92 ID:Ha9Nl01u
/// 人間関係における神経症的障害 41 /////// 最後に、性行動(自慰や夢想も含めて)やそのそれぞれの形は――少なくともその一部は ――神経症的欲求やタブーによって左右されるため、しばしば強迫的性格を帯びる。 こうした要因のすべてが働いた結果、神経症者は、自分が望むからでなく相手を喜ばせる べきだから、人から望まれ愛されるしるしをもたなければならないから、何かの不安を 和らげなければならないから、自分の支配や能力を証明しなければならないから、などの 理由で性関係をもつようになる。言葉を換えて言えば、性関係は、彼の真の願望や感情に よるよりも、いくつかの強迫的欲求を充たそうとする欲動によって左右される。相手を 辱めようとする意図はなくても、相手は一個の人間ではなくなり、性の一つの「対象物」 になる(フロイト)。 ///// アカデミア出版会 ///
471 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/21(水) 23:25:04.13 ID:HOfbmbbN
/// 人間関係における神経症的障害 42 /////// 個々の細かい点で神経症者がこうした問題にどのように取り組んでいるかについては、 非常に広範囲にわたる差異があるので、ここではどのようなものがありうるかを概観する こともできない。愛や性に対する特殊な障害は、結局はその人のもっている神経症的障害 全体の一つの現われにすぎない。そのうえ、問題への取り組み方は、本質的には個人の 神経症的性格構造によるばかりでなく、彼がこれまで交渉をもったり、現在交渉のある 相手にもよるため、非常に多様なものとなる。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
加藤たいぞう先生の本に出てくる人だね
473 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/22(木) 22:13:52.33 ID:vxyFccQ7
/// 人間関係における神経症的障害 43 /////// 無意識に相手を選択しているということは、以前に考えられていたよりも多いという ことが精神分析の経験で分ってきたので、このようなことを言うのは余分なように見える かもしれない。だが、この考えが妥当であることは、まったく繰り返しても言い過ぎでは ない。われわれは今まで逆の極端に走って、相手は皆その人が選んだものだと考えがちで あったのである。こうした一般化は妥当でなく、二つの方向で修正を要する。まず、誰が 「選択」をするかに関して問いを発しなければならない。正確に言えば、「選択」という 用語は、選択する能力と、選択される相手を知る能力を前提にしている。 ///////// 対馬忠監修 ///
474 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/24(土) 09:49:02.06 ID:PHOa7HUb
/// 人間関係における神経症的障害 44 ////////// 神経症者にはその両方が欠けている。彼に選択できるのは、自分のもっている他人像が これまで述べたような多くの要因によってゆがめられない範囲においてのみである。 こうした厳密な意味で選択という名に値するものはまったくないか、少なくとも非常に 乏しいと言える。ここで「相手の選択」という用語の意味するものは、個人の目立った 神経症的欲求、すなわち、彼の誇り、他人を支配し、利用したいという欲求、服従したい という欲求などに基づき、その人の感情が相手にひかれることなのである。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
475 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/25(日) 08:38:33.09 ID:vivQXZVY
/// 人間関係における神経症的障害 45 ///////// しかし、このように限定された意味ですら、神経症者は相手を「選択」する機会に 恵まれていない。彼は結婚すべきだからというので結婚するかもしれない。彼は自分自身 からあまりにも離れ、他人からも完全に孤立しているので、自分がたまたまその人を ほかより少しよく知っているため、またはその人がたまたま自分との結婚を望んだため、 結婚するだろう。彼は自己軽蔑のために自分自身を非常に低く評価しているので―― また、神経症的理由からだけでも――心をひかれる異性にどうしても近づくことが できない。こうした心理的な制限があるうえに、結婚の対象になるような知り合いが ほとんどいないという現実的な制限を加えれば、彼の選択はどれだけ偶然的な環境に よるかが分るのである。 /////// 神経症と人間的成長 ///
476 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/26(月) 21:30:41.21 ID:EIOpl2L1
/// 人間関係における神経症的障害 46 ///////// このように様々な要因から生じる無数の色情的、性的経験を正しく評価しようと試みる 代わりに、私は愛や性に対する神経症者の態度のなかに働く、ある一般的な傾向を示すに とどめよう。神経症者は自分の生活から愛を締め出そうとする傾向がある。彼は愛の 重要性を過小評価し、その存在すらも否定するであろう。そうなると、彼にとって愛は 望ましいものでばなく、むしろ自己欺瞞的な弱さとして、避け軽蔑すべきものになる。 ///// 自己実現の闘い ///
477 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/27(火) 21:07:23.45 ID:ptOlDAHA
/// 人間関係における神経症的障害 47 /////// 愛を排除しようとするそうした傾向は、あきらめ孤立型では、目立たぬが確実に働いて いる。この型の内部における個人差は、そのほとんどが性に対する態度の違いである。 彼は愛だけでなく性の現実の可能性も自分の生活から遠ざけてしまって、自分という 人間にとっては愛や性など全然存在しないか、または何の意味ももたないかのように 生きるであろう。他人の性の体験に対しては、彼は羨望も非難もしないが、その人が 何か困ったことになれば、かなりの理解を示すことができる。 ///// 原著 1950年発行 ///
478 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/28(水) 22:13:38.62 ID:l0B0Qocp
/// 人間関係における神経症的障害 48 ///////// 若い頃、何回か性体験をもったことのある人もいる。だが、そうした体験は、その人が 身につけている孤立という鎧を通して内部までは入り込まないので、あまり意味をもたず、 もっと性を体験したいという気持も残さず消えてしまっている。 もう一つの孤立型の人にとっては、生体験は重要であり、享楽できるものである。彼は 多くの違った相手と性関係をもっても、いつでも――意識的、無意識的に――未練を残さ ないよう用心している。そのように性関係が一時的であるというのは、多くの要因にも よるが、なかでも、自己拡張的傾向または自己縮小的傾向がどれほど浸透しているかに 深く関連している。彼が自分自身を低く評価するほど、性関係は、例えば、娼婦のような、 自分より社会的、文化的水準の低い相手に限られてくる。 ///// Neurosis and Human Growth ///
479 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/30(金) 22:20:08.15 ID:WHzcE6Kl
/// 人間関係における神経症的障害 49 /////// また一方、たまたまうまく結婚し、相手も自分と同じ孤立型であれば、一定の距離を おきながらも、かなり良い人間関係を保っていくことができる人もいる。そのような人は 自分とあまり共通性のない相手と結婚すると、その特色として、この状態に耐え、夫や 父親としての義務を果たそうと努力する。相手があまりにも攻撃的、暴力的、サディズム 的で、孤立型の人が自分のなかに引き籠るのを許さない時、初めて彼は相手との関係から 脱出しようとするか、その関係の下で破滅していくであろう。 ///// Karen Horney ///
480 :
◆9JwNW1WNKc :2015/01/31(土) 21:19:58.64 ID:b5HxZ9+a
/// 人間関係における神経症的障害 50 /////// 尊大報復型の場合は、孤立型よりもっと戦闘的、破壊的な仕方で愛を排除する。 尊大報復型が愛に対してとる一般的な態度は、ふつう、彼の評判を落とし、正体を 暴露するようなものである。性生活に関しては、二つの主な可能性があるようだ。 つまり、性生活が目立って貧しくなるか――彼は主に肉体的、心理的な緊張を緩和 するという目的のために、時々性関係をもつにすぎないこともあろう――または、 サディズム的な衝動を自由に表わせるという意味で性関係を重視するか、のどちらか である。後者の場合、彼はサディズム的な性行為に没入するか(それは彼にとって きわめて刺激的で、満足の得られるものである)、あるいは、性関係で自分を誇張 したり、抑えすぎたりしながら、相手を全般にサディズム的に扱うであろう。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
481 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/01(日) 20:34:26.86 ID:V5z1rN4Z
/// 人間関係における神経症的障害 51 /////// 愛々性に関するもう一つの一般的傾向も、やはり愛を――そして時には性も―― 現実生活から締め出し、空想の世界のなかで高い地位を与えようとするものである。 その時、愛はこよなく高められ、麗しいものになるので、それに比べれば、現実に 達成されるものはすべて、浅薄で、まったく卑しむべきものに見える。E・T・A・ ホフマンは『ホフマン物語』のなかで愛のこの側面を巧みに描写し、愛を名づけて 「われわれを天国に結びつけるあの無限へのあこがれ」と呼んでいる。 ///// アカデミア出版会 ///
482 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/02(月) 20:43:56.70 ID:fembN3Be
/// 人間関係における神経症的障害 52 /////////// 「愛により、肉体の快楽によって、天からの約束としてわれわれの心のなかだけに 存在するものが地上で実現されうるという考えは、人類の宿敵の悪知恵によって」 われわれの魂のなかに植え付けられた妄想である。それゆえ、愛は幻想の世界でしか 実現されないのだ。ホフマンの解釈によれば、ドン・ファンが女性に対して破壊的 なのは、「愛する花嫁を裏切り、恋人に激しい打撃を与えて、その喜びを打ち砕く ことの一つ一つが……あの敵意をもった怪物に対する崇高な勝利を表わしており、 誘感者を、限られた生より、自然より、創造者より高く、永遠に高める」からである。 ///// 邦訳 1986年10月発行 ///
483 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/03(火) 22:42:53.39 ID:p4JMVbIB
/// 人間関係における神経症的障害 53 ////////// ここに述べる第三の、そして最後の一般的傾向は、現実生活で愛と性を過度に強調 するものである。その場合、愛と性が人生の主要な価値になり、したがって、美化 される。ここでは支配的な愛と服従的な愛を大まかに区別できる。後者は自己縮小的 解決から論理的に発展してくるもので、自己縮小的解決について論じた際にも取り上げた ものである。前者は自己性愛型において、何らかの理由で支配欲動が愛に集中した時に 生じる。その時、彼の誇りは、理想的な恋人になり、人を悩殺することに注がれる。 たやすく手に入る女性には心をひかれず、いかなる理由にせよ、手の届きにくい女性を 征服することで、彼は自分の支配力を証明しなければならないのだ。その征服とは、 性行為の成就であることも、相手を感情的に完全に屈服させることを目指すこともある。 こうした目標が達成されると、彼の興味は減退する。 ///////// 対馬忠監修 ///
484 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/04(水) 20:47:09.45 ID:RG7ENpLF
/// 人間関係における神経症的障害 54 /////// この数頁に縮めた短い叙述で、心内の過程が対人関係に及ぼす影響の幅の広さと 強さを伝えられるとは、私には確信できない。心内の過程の影響がすっかり分れば、 良い人間関係は、神経症――あるいは、もっと広い意味での人間の発達――に良い 影響を与えるという、一般の人々のもつある期待を修正しなければならない。その 期待とは、人間的な環境の変化、結婚、情事、どんな種類のグループ活動(地域、 宗教、職業グループなど)への参加も、神経症的障害を克服する助けになるだろうと 予想するものである。精神分析療法では、患者が分析家と良い人間関係、すなわち、 幼年期に患者を傷つけたような要因の存在しない人間関係をつくることができるか どうかが主な治療要因である、という信念にこの期待が現われている。 ///// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
485 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/05(木) 21:34:50.52 ID:Fh8ftiRa
/// 人間関係における神経症的障害 55 /////// この信念は、ある分析家たちの抱いている前提――すなわち、神経症はもともと 人間関係における障害であり、その後も人間関係の障害であり続ける、それゆえ、 良い人間関係を経験することによって治療できるという考え――からきている。 ここで述べたそれ以外の期待は、それほど明確な前提に基づくものではなく、 むしろ、人間関係がわれわれの全生活における重要な要因であるという、それ 自体としては正しい認識に立っている。 ///// 神経症と人間的成長 ///
486 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/06(金) 22:50:55.44 ID:Ull2sK2g
/// 人間関係における神経症的障害 56 /////// これらのすべての期待は、子どもや青年に関しては正しいと言える。子どもや青年は、 自分自身について壮大な観念を抱く、特権を要求する、被虐待感をもちやすい、などの 明白な症状を示していても、有利な人間的な環境に応じて変化するだけの融通性をもって いるだろう。良い人間的な環境は、彼の不安を和らげ、敵意を減じ、他人への信頼を 深め、彼を神経症へ追い込んでいく悪循環を今からでも断ち切ることができるだろう。 もちろん、それには、障害の程度や、良い人間的な環境の影響の続く期間や質や強度に よって、「より多く、あるいはより少なく」という差がある、という付帯条件を付けて おかなければならない。 ///// 自己実現の闘い ///
487 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/07(土) 11:49:18.38 ID:WegScj6c
/// 人間関係における神経症的障害 57 /////// 環境が人間の心の成長にそのように有利な効果を及ぼすということは、大人にもある。 ただ、その場合、誇りの体系やその影響があまり深く浸透しておらず――肯定的に言えば ――自己実現という考え(人によって呼び方は違っても)がまだ何らかの意味や活力を もっているとすればの話である。例えば、夫婦の一方が精神分析を受けて快方に向かって いる時、その夫や妻が長足の進歩を達げることがよくあるが、その場合には数個の要因が 働いている。ふつう、分析を受けている方は自分が得た洞察について相手に話すものだ。 ///// 原著 1950年発行 ///
488 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/08(日) 08:05:00.48 ID:NwYixbqU
/// 人間関係における神経症的障害 58 /////// すると、相手は自分にとって価値のある情報を、そのなかから拾い上げることができる。 彼は、変化が実際に可能なことを自らの目で確かめ、自分自身のために何かをやろうと いう勇気を得る。また、人間関係を良くすることができると分り、自分自身の問題を克服 しようという気持にもなるだろう。神経症者が比較的健康な人々と長期間親しく接触して いる場合には、精神分析を受けなくても、同様な変化が起こりうる。この場合も、多くの 要因が彼の成長を促すのであろう。例えば、彼の価値観が再方向づけられる、所属し、 人から受け入れられているという感情を得る、外在化が減り、そのため自分の障害を直視 する可能性が増す、真面目に建設的な批判を受け入れることで有益なものを得ることが できる、などである。 ///// Neurosis and Human Growth ///
489 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/09(月) 23:41:40.37 ID:+17AahWm
/// 人間関係における神経症的障害 59 /////// しかし、これらの可能性はふつう考えられているよりはるかに限られたものである。 分析家の経験は主にこうした希望の実現しなかった例を見ているという点で限られている としても、私は理論的な根拠からも、こうしたことの起こる機会は非常に限られている ので、それを盲目的に信じてよいとはどう見ても保証できない、と言いたい。心の葛藤を 自分なりに解決している人は、かたくなな一連の要求や〈べき〉、彼独自の正義感や 傷つきやすさ、自己嫌悪や外在化、支配や服従や自由を求める欲求、をもちながら 人間関係に入ってくることを、われわれは繰り返して見てきた。そのため、人間関係は 二人が互いに楽しみ成長する媒介となるよりは、彼自身の神経症的欲求を充たす手段に なる。 ///// Karen Horney ///
490 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/10(火) 21:23:31.38 ID:ToKxSZEc
/// 人間関係における神経症的障害 60 /////// そうした人間関係が神経症者に与える効果は、まず、彼の欲求を充たすか阻止するかに したがって、心の緊張を和らげたり、高めたりする。例えば、自己拡張型は、その場を 自分の思うままにできたり、自分を崇拝する弟子たちに囲まれたりしていれば、元気で 仕事がよくできる。自己縮小型は、一人ぼっちでなく、人から必要とされ望まれていると 思う時に、能力を発揮するであろう。神経症の苦しみを知る人なら誰でも必ず、そうした 改善が主観的な価値をもつことを認めるであろう。ところが、こうした改善は必ずしも その人が内的に成長したことを示すとは限らない。たいていの場合それは、人間的な 環境が適切であれば、神経症の状態は全然変わらなくても、その人が比較的気楽で いられるということを示すにすぎない。 ///// The Struggle Toward Self-Realization ///
いつもありがとうございます
492 :
◆9JwNW1WNKc :2015/02/28(土) 20:11:57.60 ID:K/VNYScW
/// 人間関係における神経症的障害 61 ////////// こうしたすべての期待のもつ誤りは、人間関係の重要性を過大評価している点では なく、心内の要因のもつ力を過小評価している点である。人間関係はたいへん重要では あるが、それは真の自己から遠ざかった人の心にしっかり根を張った誇りの体系を根絶 する力をもっていない。この重要な問題でもやはり、誇りの体系が成長の敵である ことが分る。 自己実現は、人間の特殊な才能を発達させることだけを目的とするものでも、また それを第一の目的とするものでもない。自己実現の過程の中心は、個人の人間としての 可能性の発展である。それゆえ、自己実現は、その中心に、良い人間関係をつくる 能力の発達をおいている。 ・・・・ ///// アカデミア出版会 ///
493 :
◆9JwNW1WNKc :2015/03/01(日) 11:50:18.51 ID:m1uXkoyk
494 :
優しい名無しさん :2015/03/02(月) 23:59:43.95 ID:XEXzU7ez
★相談者の心理に対して配慮する。 1 相 談 の 基 本 奈良「いのちの電話」協会 理事 藤掛 永良 奈良大学 教授 …… 5 .相談者の心理に対して配慮する。 相談関係において必要なことは、助力を求めて来談する相談者の心理を、聴き手がよく 理解することである。 相談者の多くは、日頃、不満や不安や、悩みを抱え、傷つきやすい心境にあると考えら れる。このことは、アメリカの文化・社会学派の精神分析家であるカレン・ホーナイが呼 んだ「基本的不安」、つまり、「無慈悲で敵意に満ちた世界に、無力な自分がただ独り、 孤独に存在している」という、無力感と孤独感を中心とした心理状態であるといえる。 人間はいうまでもなく、身体的、心理的、社会的な全体的な存在である。したがって、 身体的に存在していくためには、水を飲まなければならないし、ご飯を食べなければなら ない。また、心理的・社会的存在として生きていくためには、自己肯定感と意欲をもち、 意味ある対人関係を保持することが必要となる。無力感や孤独感という基本的不安の状態 は、いわば身体的存在に必要不可欠な水や、食べものを断たれた状態に等しいわけである。 水や食べものを断たれては生きられぬように、基本的不安の状態のままでは、人は健やか に生きることができないのである。したがって、不安な心は安心を求め、安全を求めるこ とになる。その無意識的方策を防衛機制と呼ぶ。 ホーナイによると、防衛機制は三つに大別され、一つは、他人の愛情と是認を求め、「自 分が屈従すれば、傷つけられずにすむだろう」という思いからくる服従的・依存的態度で ある。したがって、相談場面においては終始控え目で、自己主張が少なく、必要以上に従 順な態度となったり、相談者によっては、聴き手に同情を求めたり、甘えたりがあらわに なることもある。 防衛機制の二つめは、人を支配し 、優位に立つことによって、安心感や安全感を得よう とするものであり、「自分に力があれば、自分を傷つけるものはないだろう」という思い からくる、支配的・攻撃的態度である。この場合は、聴き手に対して横柄で支配的な態度 となることがある。
495 :
優しい名無しさん :2015/03/03(火) 00:00:18.27 ID:+9leDQMg
★相談者の心理に対して配慮する。 2
さらに、三つめの防衛機制は、他人から離れ、逃避したり、断念することで安心感や安
全感を得ようとするもので、「自分が引きこもれば、何ものにも傷つけられないですむだ
ろう」という思いからくる、逃避的・断念的態度である。この場合は、面接場面で聴き手
に対していかにも他人ごとのような、「われ関せず」といった態度を示したり、諦めのよ
うな態度となりやすい。
要するに、相談者の心理は不安定な状態にあり、その結果、以上のような防衛機制が働
きやすくなり、それが面接場面に反映されることが少なくないことを、聴き手は十分理解
しておくことが必要である。
つまり、相談者の主訴やニーズは、単にそれだけではなく、相談者の防衛機制のあらわ
れである態度や、ことばと一緒に表出されるということである。したがって、聴き手が傾
聴するにあたっては、「どんな主訴やニーズが、どんな語り方や態度で語られるか」「そ
んなことばや態度でしか相談ごとが訴えられない人かも知れない」といったことを十分理
解することが必要である。
そのことが分かっていると、聴き手はどんな相談にも、比較的安心して対応することが
できるであろう。これが不十分であると、聴き手が相談者の感情に巻き込まれ、相談者の
あるがままの心に素直に寄り添うことができなくなり、聴き手自身が防衛機制に陥ってし
まい、相談の目的を果たし得なくなることにもなる。
相 談 の 基 本 奈良「いのちの電話」協会 理事 藤掛 永良 奈良大学 教授
http://www.pref.nara.jp/secure/7421/www_pref_nara_jp_jinken_colum_soudannokihon.pdf
496 :
優しい名無しさん :2015/03/03(火) 00:20:24.09 ID:7XbIxXKU
497 :
◆9JwNW1WNKc :2015/03/05(木) 21:28:03.45 ID:stoBDtq0
/// 仕事における神経症的障害 1 //////// カレン・ホーナイ(Karen Horney)著 原著:1950年発行 Neurosis And Human Growth: The Struggle Toward Self-Realization 邦訳:『自己実現の闘い――神経症と人間的成長――』対馬忠監修 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳、アカデミア出版会1986年10月発行 より ・・・・ 第13章 仕事における神経症的障害 仕事における障害は多くの原因から生じる。それは例えば、経済的、政治的な圧力を 受けるとか、静寂や孤独や時間が欠如しているとか、現代生活でよく起こるもっと 具体的な例では、外国語で自分を表現しなければならない著作家が直面する困難の ように、外部的条件からくることもある。障害はまた、現代都市の実業家に見られる ように、世論の圧力によって、自分が実際に必要とする以上に稼働力を高めなければ ならないというように、文化的条件からも起こる。他方では、こうした態度はメキシコ・ インディアンにとって意味をなさぬものである。 ////// アカデミア出版会 ///
498 :
◆9JwNW1WNKc :2015/03/06(金) 20:18:56.56 ID:wbcavClv
/// 仕事における神経症的障害 2 //////// しかし、本章では、そのような外部的な障害は取り上げず、神経症的障害が仕事に 持ち込まれた場合について論じよう。対象をさらに絞れば、神経症的障害によって 仕事が蒙る損害の多くは、他の人々、上司、部下、同輩に対するわれわれの態度と 結びついたものである。しかも実際には、それらを仕事そのものに関する困難から はっきり区別することはできないのだが、ここではできるだけ他の要因をはぶき、 心内の諸要因が仕事の過程および個人の仕事に対する態度に及ぼす影響に焦点を 絞ろう。 ////// 邦訳 1986年10月発行 ///
499 :
◆9JwNW1WNKc :2015/03/07(土) 10:06:59.13 ID:n3PISRpb
/// 仕事における神経症的障害 3 /////////// 日常的な仕事ならどんな種類のものでも、神経症的障害はそれほど重要な意味を もたない。仕事が個人の自主性、見通し、責任感、自信、創意を必要とすれば するほど、神経症的障害の及ぼす影響が増してくる。それゆえ、私はここでは、 個人の才能を用いなければならないような仕事、つまり、最も広い意味での 創造的な仕事に限って論じよう。芸術的な創作や科学的な著述の例で言われる ことは、教師、主婦兼母親、実業家、弁護士、医者、組合指導者の仕事にも、 まさに同じように当てはまる。 ///////// 対馬忠監修 ///
500 :
◆9JwNW1WNKc :2015/03/08(日) 10:01:06.44 ID:P0lv0LwG
/// 仕事における神経症的障害 4 //////// 神経症的障害が仕事に及ぼす悪影響は非常に広い範囲に及んでいる。こうした 障害は、すべてが意識されるわけではなく、仕事の成果の質が悪いとか、仕事が できないとかいう形で現われることも多い。また、そのほかに、過度の緊張、疲労、 消耗、恐れ、恐慌状態、いらいら、禁止作用による意識された苦しみのように、 仕事に関連した様々な精神的な苦悩もある。この点で、あらゆる種類の神経症に 共通して認められる、かなりはっきりした一般的な要因はわずかしかない。しかし、 それぞれの仕事に固有の困難以外にも障害は、たとえ表面には見えなくても、 必ず存在するものである。 ////// 藤沢みほ子、対馬ユキ子訳 ///
501 :
◆9JwNW1WNKc :2015/03/09(月) 22:21:10.37 ID:b5yokbD2
/// 仕事における神経症的障害 5 //////// 例えば、創造的な仕事をするためにおそらく最も重要不可欠な条件である 自信は、その人の態度がどんなに自信に満ち現実的に見えていようと、常に 不安定な基礎の上に立っている。 また、それぞれの仕事には何がともなうかについて適切な判断が下される ことは滅多になく。仕事にともなう困難は過小評価されたり、逆に過大評価 されたりしがちである。そのうえ、概して、出来上がった仕事の価値も適正に 評価されない。 神経症者が仕事をする状態は融通性のなさすぎることが多い。それは人が ふつうもっている労働習慣に比べて、特異で、柔軟性のないものである。 ////// 神経症と人間的成長 ///
502 :
◆9JwNW1WNKc :2015/03/10(火) 21:25:15.36 ID:D8a2vsZM
/// 仕事における神経症的障害 6 //////// 神経症者は自己中心的であるため、仕事自体に気持を打ち込むことが少ない。 彼には、自分がどんなにうまくやったか、これからどうなすべきか、という 問題の方が、仕事そのものより大きな関心事なのである。 神経症的な人は、仕事の仕方が強迫的だったり、仕事に対する内心の葛藤や 恐れが強すぎたり、仕事の価値を勝手に低く評価したりするため、性に合った 仕事をする時に得られる喜びや満足感が損なわれるのがふつうである。 ////// 自己実現の闘い ///
503 :
◆9JwNW1WNKc :
2015/03/11(水) 21:03:08.07 ID:ZrTedJnX /// 仕事における神経症的障害 7 //////// ところが、こうした一般的な問題を離れて、神経症的障害が実際に 仕事の上でどのような現われ方をしているかを詳細に調べてみると、 異なった種類の神経症の間にある同一性よりも差異の方がずっと目に つく。現存する障害についての意識にも、その障害があるがゆえの 苦しみ方にも、差異のあることは既に述べた。 ////// 原著 1950年発行 ///