日本人「働かざるもの食うべからず」 欧米人「あり得ない。人間は誰しも生きる権利を持ってる」
◆日本書記に見られる労働観
そこで日本の歴史書とされる「日本書紀」に関する文献を読んでいると、日本人の労働観に
ついてハッとさせられるものがあった。
まず、日本書紀の世界観では食べ物は保食神(うけもちのかみ)が「生んでいた」。
口から食材を吐き出すのだが、ある時、保食神を訪ねた月読尊(つくよみ)が、口から出された
食材を見て侮辱されたと誤解し、保食神を斬り殺してしまう。この時、保食神の遺体から
稲・麦・粟・稗・豆といった五穀の種が生まれ出た。
天界を収める天照大御神は、この五穀のうち粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。
人間が生きるために必要な「食材」は神が作り出す神聖なもの。そこから生まれた種を植える
田畑を神自らが保有している。歴史学者たちは日本書紀や古事記に見られる日本人の労働観は、
労働は神様ですら行う行為であり、神様とともに働けることは人間にとって喜びであった、と解説する。
日本人にとっての労働観とは「生き甲斐」なのである。
◆聖書に見られる労働観
では、欧米的な労働観とは何かと思い、聖書の中に労働に関する記述があるかを調べてみた。
聖書の創世記第3章、アダムとイヴの物語に人がなぜ「働く」ようになったのかが書かれている。
アダムとイヴは神から「林檎」を食べてはならないと忠告されるが、ヘビにだまされたイヴが林檎を 取り、二人で食べてしまう。すると「知恵」を身につけ羞恥心を覚える。これを知った神は忠告を
破った二人に「罰」として、大地を呪い人は一生苦しみながら食物を取る義務を課せられた。
聖書の世界観では「労働」とは「神」の忠告に従わなかった人への「罰」であり、義務なのだ。
http://japan.zdnet.com/cio/sp_13workshift/35037736/2/ http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1380510469/