死は言葉、言葉は人が作り出した道具、そして道具は人の生活をより良くする為のもの・・・
そう考えると死に対する恐怖感というのは未知の道具に触れる時のそれと同質のものという捉え方も出来る
どんな道具にも正しい使い方ってのがある訳だけど、じゃあそれが書いてある「説明書」は一体どこにあるのか?
と考えていくと、最終的には神学(あるいはそれを内包する形而上学)に行き当たった
このスレでは宗教に対して否定的な意見が多い(俺もどちらかと言えばそう)けど
実はそれこそが最も大きな間違いであるという可能性を考えた方がいいのかもしれない