>>423 >「心」があれば横暴にはならない。普通の人達は、知恵や理性があるから
最近は、その心ってものはそこまで絶対のものと思わなくなった。
彼らは生まれながらの悪魔だったのだろうか。
心も、理性や社会性の上に存在するものじゃないだろうか。
「自己愛の横暴さ、理不尽さは人間社会の社会性をぜんぶかっぱいだもの」
政情や経済が不安定な国では信じられないくらい悲惨なことが日常になってるし、
ひとたび戦争が起きて他国に渡れば、軍規を逸脱して暴走する輩が必ず出てくる。
普通と思われてた善良な人が鬼畜になるし、
欧米では宗教が道徳の代わりになっているが、それも異教徒は別腹で
アブグレイブやイランでの非人道的な行為にまで発展する。
それが意にそぐわなくても自分かわいさに黙ってる奴がほとんどで、告発するほうが極わずかだ。
日本人は美徳のある人種だといわれてるけど、同時に見てない場所では唾を道に吐くともいわれてる。
日本では、他人の監視の目が、道徳心よりも重要だった。
こういう相互監視社会では、自分が白い目でみられるという、我が身のリスク管理を前提にした行動が、
自分を滅し他人を思いやるという道徳と混同されてきた。
自己愛=生まれながらの心がない悪魔
普通の人=心をもっている健全な存在
こういう二分法で、自分だけを綺麗な側の存在にして、
悪魔だけをゴミ箱行きで、自分と違う人種として切り離すには限界がある。
それは自己愛の1or0のデジタル思考となんら変わらないと俺は思う。
おそらく、生まれながらに綺麗な存在だと思って安心してる俺らだって、
生育条件や環境が揃えばあいつらと同じになる可能性は十分にある。
人を思いやる心を自然に身に着けた人は運が良いんだよ。
奴らが運が悪いのかもしれんが。