メンヘラと宗教について 【PART2】

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920優しい名無しさん
<わが友に贈る>

自分に勝つことが
最高の勝利だ!
迷ったときこそ
一歩 踏み出せ!
強気で壁を破れ!
921優しい名無しさん:2010/05/08(土) 08:40:50 ID:pA+F/XMf
<“名字の言”より>

法華経の行者は、難に遭えば遭うほど、ますます成長できるものである。
御書に「猪(いのしし)の金山(きんざん)を摺(す)り」(御書916ページ)とある。
猪は「金の山」が輝いているのが気に入らない。「なんだ、あんなやつ」と、輝きを消そうとして体をこすりつける。
猪の毛は硬く、勢いもすさまじい。しかし、こすればこするほど、金山はますます輝きを増していった。

障害があるほどに自分を高めていく --- 人間関係においても大切な教え、と池田名誉会長は指摘する。
「自分を一番困らせる人間こそが、自分を仏にしてくれる」と。

人を変えるのではなく、自分が変わるのが「人間革命」だ。
その決意に立った時、一切をプラスの方向に転じていける“妙法の力用(りきゆう)”を実感できる。
922優しい名無しさん:2010/05/08(土) 08:44:51 ID:pA+F/XMf
<“寸鉄”より>

・中国寧波(ねいは)大学の名誉教授に決定。
 「池田先生は中日の青年友好交流に貢献」

・「SGI会長のような指導者が増えれば平和は加速度的に進む」ロシア校長。
 弟子よ続け

・「いてほしいと言われる人になれ」牧口先生。
 真剣と誠実で社会の勝利者に
923優しい名無しさん:2010/05/08(土) 09:16:06 ID:pA+F/XMf
総じて日蓮が弟子旦那等・自他彼此(ひし)の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処(ところ)を生死一大事の血脈とは云うなり (生死一大事血脈抄 1337ページ)

通解:総じて、日蓮の弟子・旦那らが、「自分と他人」「あちらとこちら」と差別する心がなく、水と魚のような(一体の)思いになって、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつる、そこにこそ生死一大事の血脈があるのである。

異体同心の信心に、生死一大事の血脈が流れ通うことを御教示された一節です。
924優しい名無しさん:2010/05/08(土) 12:24:20 ID:pA+F/XMf
「異体」とは、それぞれの個性や立場などが異なること。「同心」とは、目的を同じくすることを意味する。
一般的に団結するというと、心も体も一体ということであり、行動や形式も同じことが求められがちである。
ゆえにどうしても個性は抑圧されてしまう。
しかし、異体同心は外からの強制によるものではなく、個人の内発的な意志による団結である。
つまり、広宣流布という同じ目的、同じ決意に立つことから生まれるのだ。
925優しい名無しさん:2010/05/08(土) 12:36:24 ID:pA+F/XMf
名誉会長は『生死一大事血脈抄講義』で、「同心」の意義について次のように述べている。
すなわち、「同心」とは「広宣流布の大願」である。不惜身命で広布に生き抜く心であり、大聖人直結で民衆救済の闘争を貫く三代会長の精神そのものである。
さらに、広布破壊の悪と戦う破折の魂でもある。
また、「同心」とは「同志を尊敬する心」である。
それは、衆生に内在する仏性を信じ抜くところから始まる。同志を“仏の如く敬う”実践の基点といえる。
そして、「同心」は「師弟不二の信心」にほかならない。
妙法流布のため、広布の指導者に心を合わせていく。ここに、一切の核心がある。
926優しい名無しさん:2010/05/08(土) 12:46:50 ID:pA+F/XMf
日蓮大聖人の時代、仏教界では血脈相承といって、仏法の奥義を、ごく一部の限られた人にのみ伝える秘伝主義が横行していた。
そのなかで大聖人は、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」(御書1337ページ)と仰せのように、万人に開かれた血脈観を示された。
ここに真実の民衆仏法の道が開かれたのである。
この大聖人の精神とはかけ離れた、神秘的な血脈観を主張しているのが日顕宗である。
前の法主から相承を受けるだけで、仏の悟りが次の法主に伝えられるという誤った血脈観は、日蓮仏法とは全く関係ない「邪義」にすぎない。
927優しい名無しさん:2010/05/08(土) 16:08:57 ID:pA+F/XMf
方便品では、三乗の教えを仏が説いた“真意”は、一乗にあることを徹底して話している。これが開三顕一です。
仏の教えは一乗だけであり、二乗も三乗もないと強く言っています。
「如来は但一仏乗を以っての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三有ること無し」(法華経167ページ)となる。
これは「顕一」(一乗を顕す)の面です。
また、「諸仏、方便力を以って、一仏乗に於いて分別して三と説きたもう」(法華経170ページ)となるのは、「開三」(三乗を開く)の面を言った経文です。
三乗は、一仏乗を仏の方便力で説き分けたものであると。
928優しい名無しさん:2010/05/08(土) 16:14:35 ID:pA+F/XMf
仏の真意は一仏乗にしかないことを、方便品では繰り返し強調するのです。
このように、「三乗は方便」「一乗こそ真実」と明かして、三乗を一仏乗のもとに統一することを「開会(かいえ)」と言う。
929優しい名無しさん:2010/05/08(土) 17:52:34 ID:pA+F/XMf
「開会」には人(にん)と法の二面があります。
「法開会」とは、三乗を一乗に統一することです。
統一された後は、三乗の教えも一乗のなかに正しく位置づけられ、それぞれに意義があることになります。
部分観として生かされるのです。
これに対して「人開会」とは、一乗によって教化される衆生はすべて菩薩であると明かすことです。