メンヘラと宗教について

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868優しい名無しさん
>>867
まず1点、指摘しておきたいことは、「不受不施」という言葉自体、日蓮大聖人は一度も使われたことがありません(=御書の中にありません)。
これは後に「宗規」として作られたものです。
現在でも「不受不施」を宗規として掲げているのは、日蓮宗不受不施派だけでしょう。

ところで、「物だの称号だの生活保護だの政党助成金だの」というのは、何という宗教(!)からもらっているのでしょうか?
名誉会長に物や称号を授与した大学は、「特定の宗教団体として」物や称号を授与しているのではありません。
生活保護に関しても、その原資は国民の税金です。
日本国民は、お布施として税金を支払っているのですか?
そんなバカな話はないでしょう。
つまり、税金が特定の宗教へのお布施であるわけなどないのです。
政党助成金も同じ理屈が当てはまります。
御聖訓に「心こそ大切なれ」とありますが、肝心なことは「どういう心か」「どういう目的か」ということです。
例えば、税金を支払っている人の中に、クリスチャンもいます。
ただ、その人たちが、「創価学会の人たちのために、お布施しよう」と思って、税金を支払っているわけではないのです。
以上の説明で理解していただけると思いますが、人間の「心」「目的」という点に視点をおいて、考えてほしいと思います。