1 :
優しい名無しさん:
前のスレが近年まれに見る良スレだったのと、
自分が釈迦の大ファンということで、ヴィパッサナーの素晴らしさを世に広げるためにも
2スレ目を立てさせてもらいました。
2 :
優しい名無しさん:2009/07/25(土) 08:27:00 ID:ZFd4z3lC
前スレプリ-ズ
3 :
優しい名無しさん:2009/07/25(土) 11:00:14 ID:8lmlemRp
瞑想はいいね。
もちろん瞑想の正反対は連想である。
4 :
優しい名無しさん:2009/07/25(土) 13:42:27 ID:cdtLFQNl
5 :
優しい名無しさん:2009/07/26(日) 11:34:52 ID:zfO6Fl9H
age
6 :
優しい名無しさん:2009/07/28(火) 16:44:18 ID:o6uhCQjI
ヴィパッサナーは素晴らしいのに
世間では興味ももたれないし、理解もされない
どうしたもんか・・・
7 :
優しい名無しさん:2009/07/29(水) 13:08:20 ID:gV+X4bX4
ヴィパッサナー瞑想を誰の方法でやってます?
因みに僕は地橋氏の方法でやってますが、本だけではもしかして
あんまり効果ないですかね?瞑想会とかいったほうがいいんですか?
8 :
優しい名無しさん:2009/07/29(水) 14:00:34 ID:ovaphE60
>>7 俺は本は何も読まず、誰かに教えてももらってないけど
ネットにのってる知識だけでも十分できた
9 :
優しい名無しさん:2009/07/29(水) 15:11:03 ID:erICCs/m
>>7 テーラワーダ仏教協会のHPの方法でやってます。
10 :
優しい名無しさん:2009/07/29(水) 15:41:56 ID:ovaphE60
あ、自分もそこでした
スレタイ捏造するなよな・・・
「宗教としての」が正しいスレタイだろ
>>1のレスがそれを象徴してる
過剰反応しすぎ
完全に宗教スレになったな
心理療法としてのってはずした方がいいよ
じゃあ心理的な話をしようぜ
15 :
優しい名無しさん:2009/08/01(土) 01:59:54 ID:nNokdKFo
ヴィパッサナーとは今、ここで起きている全ての事象にきづくことで
ありのままを知覚し、それによって認知の歪みをなくすことができる
身体的な感覚、思考、あらゆるものを最高度の鋭敏性によって知覚する
「正しく見る」能力をヴィパッサナーによって得れば、
人生は今まで以上に甘美なものとなるだろう
あらゆるものはニュートラルに存在している
自分の感情、思考とは無関係に「そこに在る」
それこそが究極の美なのである
と、言ってみる
じゃぁこのスレは宗教色濃い目の心理療法で、面白いと思いますが
17 :
優しい名無しさん:2009/08/01(土) 22:23:58 ID:nNokdKFo
どっちか、じゃなくて、どっちも語ればいいと思います
18 :
優しい名無しさん:2009/08/03(月) 12:58:11 ID:O/+lHa6I
仏教の勉強はやりたければやってもいい。やりたくなきゃやらんでいい。
ヴィパッサナー冥想は仏教を知らなくてもできる。
まず、歩きながら自分の体の動きを観る。観察する。
観察と言っても、目で見るわけじゃなくて、体や体の動きを意識を集中させる。
誰にでもクセってもんがあるけど。
例えば髪をかき上げたり、アゴをポリポリ掻いたり、ほおづえをついたりなど・・・。
これらは普段、無意識に行ってしまう。
だから、全身の動きに意識を集中させる。
そして動きの実感を感じ取る。
そうすると不快な妄想が出なくなる。
もし妄想が出たら、体への意識の集中(観察)をやめていることがわかる。(サティsatiの途切れ)
つまり妄想しながら体を観ることはできない。
観察をやめたということは、妄想したくなってやめたとういうことである。
人間は過去や現在や未来を心配したり恐怖したり絶望したりして悩んでる。もちろん頭の中で
言葉をグルグル回してね。
だから冥想してそういう妄想をやめていけば心は徐々に清浄になってゆく。
初心者や心が病んでいる人は、最初は妄想や思考ばかり出てきて観察が途切れまくる。
それでも続ければ心が晴れていくかもしれない。
インチキ臭い冥想だと思ったらやめた方がいい。
19 :
優しい名無しさん:2009/08/03(月) 18:10:44 ID:QCd+sEoh
前スレが見られないのですが、過去ログを見るにはどうすればよろしいでしょうか?
20 :
優しい名無しさん:2009/08/05(水) 13:54:25 ID:3YP/DMMr
前スレって落ちてないのにいきなり消えたね。
削除されてもなかったし。
21 :
優しい名無しさん:2009/08/08(土) 22:40:02 ID:o3mz2esW
なるべく意識して瞑想状態をつくるようにしている。
マイナス思考が回転しにくくなっていい感じ。
24 :
優しい名無しさん:2009/08/14(金) 06:35:38 ID:b6Wh6eYY
一日中サティを入れるよう努力してる。
タバコが吸いたくなったら妄想、とラベリングしてる。
なぜか楽に禁煙できてる。不思議だ。
25 :
優しい名無しさん:2009/08/18(火) 01:55:49 ID:8i0zNiL7
age
26 :
優しい名無しさん:2009/08/22(土) 12:28:31 ID:wL7EZBmt
丹田呼吸でもヴィパッサナーでもいいけど意識的にやらないと意味ないよ。
27 :
優しい名無しさん:2009/08/26(水) 21:55:41 ID:DduyZtqB
あがり症で人と話すとなるとすぐ緊張して挙動不審になってしまうのですが、
ヴィパッサナで治りますか?
治るとすればどのようにすればいいでしょうか?
地橋さんの本の通りにすればいいですか?
29 :
優しい名無しさん:2009/08/28(金) 12:24:12 ID:v6JtV25O
>>27 916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 18:19:53 ID:9LsdNs3i
>>913 テーラワーダ仏教協会HPではそんなこと書いてあったな。
目的なくやったほうがいいよ。
毎日瞑想してて知らぬうちに臆病治ってた、とかがいい。
目的持つと欲になるかもしれん。欲で欲を追い出すのは難しい。
どうせ臆病の自分も心が捏造した自己なんでしょうが。
妄想が激しい人はやっぱ自分でいろんなの試してみて
自分で見つけてくしかないだろうな。
まあ、「この瞑想ですごいことが起こる!」とか期待はしない方が良い。
ただ続けてればそのうち瞑想自体が楽しくなるだろよ。
でも、「そのうち瞑想は楽しくなってくる!」なんて期待もしない方が良い。
ただ、瞑想する。どうせタダなんだし、カウンセリングや自己啓発セミナーなんかに行くよりいいだろ。
917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 18:43:50 ID:9LsdNs3i
>>916 あと瞑想中はしっかりサティ入れてね。
実況中継するのはいいけど、言葉の空回りになっちゃだめだよ。
歩く瞑想の時も足どりを心の眼でしっかり観て意識を集中させましょう。
「右足、左足」とか実況してても、全然足の実感を感じずに
「右足、左足」という空回り実況と同時に妄想してる場合があるから気をつけるように。
できるようになれば大丈夫。眼耳鼻舌身意の「意」を飼い慣らせば、
その名の通り『意のまま』ってこってすわ。
まあ妄想がガンガン出てるときは毒素排出してるようなもんだ。がんばってね。
ヴィパッサナーをやり始めて一年半、マインドフルネスもだいぶ板についてきた。
宗教のカルマも概念としてなんとなくわかった。
その場その場でリセットして「今の自分=一無位の真人」に戻れば、
とるべき行動も変わる。
百回マインドフルになれば、百回もとの自分に戻る。
ゴエンカ氏の体験記で「ヴィパッサナを続けるとダンマに守られ、物事が
うまくいくようになる」と書いてあった。
まさにその通りで、一年前とは信じられないほど情況がよい方向に変わった。
そりゃそうだ、リセットボタン押せば次にくる思考もさっきのものから逃れられるんだから、
これを輪廻からの解放と言うんだろう。
ゾクチェンの本にも「日常の解脱」として、「思考を見て、客体化する」と言うのが載っていた。
オカルトでもなんでもなくいい方向にいくってのが体感できた1年だった。
>>30 よかったですな。
ヴィパッサナーはインドの刑務所でもやってるらしいな。
「「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語 」
プラユキナラテボー (著)
これ読んだばっかりだけど面白い。
マインドフルネスの凄さを再確認した気持ちだ。
同時に、「慈悲」ってのが、マインドフルネスと無関係じゃないってことも解かった。
開発僧のエピソードとか。
33 :
優しい名無しさん:2009/09/05(土) 23:17:13 ID:n3FPzKNY
これって「週末何しよう」とか「今日何食おう」とか、
そういう楽しい妄想もできなくなってしまうのかな…
無感情人間になりそうで恐い
>>33 無感情になるよ。
その代わり、苦痛もなくなる。
苦痛だけなくして、喜びはそのままなんて、
そんなうまい話はないよ。
35 :
優しい名無しさん:2009/09/06(日) 00:44:55 ID:8LISmWTw
感情や思考を気付くことで無感情にはならないと思う。
いろんな感情がごちゃごちゃしてることに驚きはするけど。
感情はどちらかというと深まると思う。
そうだね
感情を押さえ込むというよりかは、「開放する」感じかな
そうそう。
気づかないうちに押さえ込んでるんだね。
ヴィパッサナーでもサマタでも感情はなくならない。
感情に執着しなくなるだけ。
感情にもしっかり気づきを入れないと、単なる抑圧につながる。
実際にはあるはずの感情を都合よく無視した結果、無感情になった気がするだけ。
そのうち抑圧された感情がシャドウになりしっぺ返しに合う。
と、
>>32の本に、そのあたりの事情が書いてある。
「音、音とラベリングする指導があるが、ともすれば音とともに
浮かぶはずの自然な感情を背後に押しやり抑圧する可能性がある」
「ネガティブな感情も排除せず受容するべき、さもないとシャドウとなり
いつまでもつきまとう」
「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」にも、感情とヴィパッサナーの関係が
詳しく書いてあるから読むべし。
ラベリングすると無感情のようになってしまってこれはいけないと思って、
ヴィパッサナとかなんだとか考えずに、「論理を止めて感じ取る」ことだけやっていったら、
無感情人間のようであったオレにも感情があることに気が付いた。
また、それと同時に深まってきた。
>>38産のレスを読んでやってきたことは間違っていなかったんだと安心できた。
ヴィパッサナーで無感情になるというのは、典型的なやり方の間違い。
感情はすべてのものと同じ無常だから、かならず生起する。
たぶん、生まれた感情を「これはいかん」と思ってしっかりサティせず
すぐ中心対象に戻るから(これを逃げ込むと書いてあった僧もいた)そういうことになるんだと思う。
現象をありのままをみるのがヴィパッサナーなんだから、都合の悪い感情もいい感情も
批判せずにしっかりとサティするのが大切。
そうすることによって感情が「対象化」され、自然に離れていくのが理想。
感情をサティするのが苦手という人は、感情そのものにフォーカスせず、
感情とともに生まれている体の感覚にサティすればいい。
どっちも本質的には同じものだから。しっかり体の感覚をサティできたら、それから中心対象にもどればいい。
感情を不都合なものとして無視すると、それは未消化なまま残っていつかどっかでまた噴出す。
感情が出てきて「あ、いかんいかん」って押さえ込むのは
サマタ瞑想だね
ヴィッパサナーは、「なんでこういう感情がでてきたのか?」とか「この感情によってどんなものがもたらせれるか?」
などを観察する
根本的に違うだよね、この二つは。
「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」より、サマタ瞑想について書いてある文章
p119
「確かに精神集中の修行はとても役に立つが、表面意識にしか作用しないのである。
一転に注意を集中していると、表面意識にある渇望や嫌悪をうまく処理することができる。
しかし、それを取り除くわけには行かない。かえって、渇望や嫌悪を深層の無意識のレベルに
押し込んでしまう。とりあえず沈黙させることはできるが、危険なことに変わりはない。
心の表面に安らぎと調和の薄いまくができるが、深層では反意や濁りが抑圧されているからだ。
それは休火山のようなもので、いずれ大爆発をする。」
といってもゴエンカ氏はサマタ瞑想を否定しているわけではなく、同著で詳細にその効果を
説明している。
「呼吸の瞑想をするだけでもかなり心が浄化され、解脱に向かって前進できる」p105
正しいサマタ瞑想を身につける為にもゴエンカ氏の本はおすすめだな。
「マインドフルネスストレス低減法」やラリー・ローゼンバーグの本もいいし、
ネットで拾えるグナラタナ長老の記事も凄く参考になる。
スマナサーラ長老や長老に指導を受けた地橋さんは、逆に思考や感情を異物とみなしているので、
けっこう上記の人たちとの意見とは齟齬があるのであまりおすすめできない。
御釈迦さんはどういうやりかたしてたんだろ。
今となっては・・・かもしれないけど。
44 :
優しい名無しさん:2009/09/07(月) 23:14:46 ID:jNFEtx63
ヴィパッサナ、マインドフルネスに関するHPでお薦めを教えてください。
46 :
優しい名無しさん:2009/09/08(火) 19:12:55 ID:mgrK0Yrn
最近は電車に乗ってたり歩いてたりしてても、なんか違和感あるな、と思ったら、
「いまここ」にいないで何かどうでもいいこと考えてる状態だったってことが多くなった。
もちろん仕事中や作業中にマインドフルになることは難しいけど、一人のときや、
何もしてないときは自動的にマインドフルを自分の体が求めてるな。
>>45俺もグラナタナ長老のサイトはすごく参考になった。心がさまよっても自分を責めるなとか。
定期的にマインドフルになれるようにPCにメッセージつきのタイマー仕掛けてる。
なんかこういう工夫するとまたちょっと違う。信号待ちや、腹が立った時はマインドフルになるとか、決めておくといい。
普段の瞑想も大事。
でもどこでもできるな。電車のなかで体の感覚を感じるのもいい。
実際タイの僧なんかは普段もそんなことやってるそうだよ。
50 :
優しい名無しさん:2009/09/13(日) 21:42:02 ID:6VTQGyJN
最近出た気づきの瞑想を生きるというタイで修行した日本人僧の本が結構参考になる。
あと、小池龍之介さんとティク・ナット・ハンさんの本かな。
「気づきの瞑想を生きる」はいいよね。
カンポン・トーンブンヌムの
「『気づきの瞑想』で得た苦しまない生き方」の監修もやってる
プラ・ユキ・ナラテボーって日本人だったんだな。
小池龍之介の本はアマゾンではけっこう評価低いけどさて
一年半やってみて、劇的な効果の実感は無いが、
やってないのに比べて人生そのものは劇的に変わってるんだろうな、
と思わされる。
暇さえあれば「いまここ」だったもんなぁ。
ウソみたいだけど去年無職で孤独だったのに、いまはいい職場(安月給だが)で
彼女もできたよ。
慈悲の瞑想とヴィパッサナーでの意識のきり替え、どっちが欠けても
いまは無かったとはっきり言える。
起こる感情を冷静に受け止めて「私はこう思っていたのか」と気づきを入れて
次の瞬間に手放す→マインドフルネスの繰り返しで良いのでしょうか?
感情が大きすぎると、心が浮かれてしまったり落ち込んだり・・・
なかなか平坦にならないのですが、その場合も「ただ起こったことを受け止める」
感じでいけばいいですか?
日常で実践されている方、よろしければご教授下さい。
歩いているときの雑念は減少して「ただ歩いている」を感じれるようになりました。
>>53 わたしはそれでいいと思いますよ。
アリンナ・ワイスマンの「やさしいヴィパッサナー瞑想入門」が参考になりました。
55 :
53:2009/09/19(土) 23:02:28 ID:wA2MEDs/
>>54 お返事ありがとうございます。
早速「やさしいヴィパッサナー瞑想入門」読んでみます!
人と長く話すと混乱しますが、会った後にまとめて流すようにしてみました。
何事も「時間」が味方で「過去」になることが全て解決してくれるものだと、
最近つくづく思います。
無感情になるのは実際に無感情になってるわけじゃない。
まだ実践3ヶ月の初心者だが、身体の観察が上手になると、
感情の観察も徐々にできるようになってきたよ。
>>53 心の浮き沈みが激しいと難しいですが、
意思で何とか平坦にしようとするのではなくて、
「(誰かさんが)こう思った」と気づきができるようになればいいですね。
自己分析でなく自己洞察なので、
赤の他人を洞察しするようにやるのが鍵かと思われます。
57 :
優しい名無しさん:2009/09/20(日) 06:38:56 ID:rdGalGU7
age
ポジティブシンキングなどでは「思考は現実化する」なんていいますね。
例えば病気になるんじゃないかとか病気になった自分
と言う妄想が沸いて来たとしてそれに意識を向けたらそれこそ病気が現実化してしまいませんか?
それが怖くて実践できません。
私は「思考は現実化する恐怖症」とでもいいますか、恐怖すればするほど悪い事を考えてしまいます。
その想像力はありとあらゆる不幸に渡っています。
そしてそれを否定するの繰り返しです。
TMなんかもやりましたが一度もリラックスを感じた事がありませんでした。
自律訓練法もやりましたが腕が重たい、なんて考えてると、腕がない、頭が重たい頭が痛いなんて思いが次から次に沸いて来ます。
ほんと疲れます。
59 :
優しい名無しさん:2009/09/20(日) 19:05:02 ID:J8EqMmUb
>>58 その思考…染み付いてしまったベース(というか何というか)とても良く分かります。
私は、なぜか自分が幸せになることを許可していない、なってはいけないという謎なベースが深い根底にあり、
物事を常に悪い風にフォーカスしてしまっていました。
無になろうとしても、次から次へと不幸になる恐ろしい妄想や思いが湧き出て来て、無どころか不安でどうしようもない日々を過ごしていました。
しかし、この「時々、一瞬をその都度リセット、起こる事実を客観的に受け止める」ことにだけ意識を集中し、おかしな妄想や考えが頭を横切る時は「全てはうまくいっている」と呪文のように頭の中で繰り返しました。
違和感があっても、最初のうちは苦しくても、変な事を考えかけても、とにかく頭の中で連呼しました。
(時計を見た時、ゾロ目だったり、好きな数字を見た時など…)
意識してやり始めて丁度2ケ月になりますが、今では皆無と言っていいほど、不幸な事は考えなくなりました。
思考の訓練で、なんとか、どうにかなるものだと思います。
58さんが少しでも楽になれば…と願ってます。
長文スマソ
>>58 まあポジシンでいう「思考は現実化する」というテーゼの是非は
おいといて・・・。
あくまで一般論ですが、むしろ、ヴィパッサナーでは気づきの光を当てると
くすぶっていた恐怖感は消えていきます。
「病気になるんじゃないかという恐怖をしている」と自覚する、
「現実化しやしないかという恐れ」をサティする、
“恐怖すればするほど悪い事を考えてしまいます”という
強迫神経症的なものは良くわかりますが、
しかし、そういった“感情(認知療法では自動思考)”を過大視しないで、
ありのままに対象化して観るのがヴィパッサナーです。
そういう恐怖は、森田療法では、自覚した上でそれに対してはからわない事が重要とされています。
どんなことも、ありのままに気づきを入れ、それに対する違和感にも気づきを入れるといいと思います。
ただ、むりに行うと悪循環になるかもしれないので、強迫神経症のほうを心療内科で見てもらうも
手だと思います。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
★☆ 智慧の力 ★☆
☆★ 価値・集中・抑制 ☆★
★☆ 受容・選択 ★☆
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
// ││ \\
// ││ \\↓
┌────────┐ // ││ ┌────────────────┐
│ 価値・ |// ││ │┌──┐ ┌──┐ │
| 願いへの │← ↓↓ ││欲求│ │身体│ ┌──┐│
│ 行動 | ┌──────────────┐ ││衝動│ │反応│ │気分││
└────────┘← │選 │つらい! │ │└──┘ └──┘ └──┘│
────│ │行動への衝動高まる│←│ ┌─────┐ │
────│択 │しかし! │ │ │苦悩の連鎖│ │
┌────────┐← └──────────────┘ │┌──┐ └─────┘┌──┐│
│価値崩壊の行動 | ││感覚│┌──┐┌──┐│欲望││
| 依存・自傷 │ │└──┘│思考││感情│└──┘│
│他者攻撃・回避等|─────────────────────→│ └──┘└──┘ │
└────────┘ └────────────────┘
62 :
優しい名無しさん:2009/10/04(日) 12:48:54 ID:FeXPENq6
age
63 :
優しい名無しさん:2009/10/04(日) 23:37:08 ID:JifUP/A7
アリンナ・ワイスマンさんの「やさしいヴィパッサナー瞑想入門」は
女性の執筆者だけあって、やわらかいタッチで書かれてあり、読みやすくていいですね。
それから私的には最近読んだプラユキ・ナラテボーさんの「気づきの瞑想を生きる」
がとても良かったです。
プラユキさんは本の中でこんなことまで言ってます。
『この作業において、私が大事にしていることは、心身に生じてくるあらゆる現象を
明晰に自覚し、感じ尽くし、洞察し、慈しむことである。
このときのポイントは、心を大きく開いておくことである。
すなわち最初から「考えてはいけない」「感じてはいけない」「怒ってはいけない」
などといった価値判断による構えを作らないということが大事である。
……とりわけ、女性の場合、男性よりも生理的に肉体性と緊密なゆえに、
食事にしろ、喜びなどの感情にしろ、この世にある豊かさをなんらかの強い思い込みにより
拒否した場合に心身にいろいろな症状が出てきやすいようだ…』
マインドフルネスが心理療法や慈悲ともつながっているというのがよくわかりました。
両著とも本の波長がとてもいい感じがしました。
>>63 ペマ・チュードゥンという人の
「すべてがうまくいかないとき チベット密教からのアドバイス」
という本も同じようなこと書いてありましたよ。
これはやはりヴィパッサナーの本でもあって、アリンナ・ワイスマンの本と
けっこう雰囲気も似てます。
明確な瞑想法は載ってないので、ヴィパッサナーの副読本としていいと思います。
「じっと座るというのは、多くの思考が沸きあがってくる空間を提供することでもあります。
それが私たちの言う、気分のよいものであれ、悪いものであれ、できる限りオープンに、
やさしく、考えています、とラベル付けをして、大空の彼方に消えるに任せます。
また直ぐ押し寄せてきても、気にすることはありません。それを再び無条件の優しさで気づき、
考えています、とラベル付けして、消えるのに任せてやればいいのです。」
「ですから、自分に対して、考えています、と言うたびに、あなたはなんであれ
心に起こってきたことへの無条件の親しみを培っているのです」
「瞑想をすることで、今現在、自分の感情や思考になにが起こっているかを
明確にしることができます。また、その感情を手放すことも可能にしてくれます。」
プラユキ氏の本は読んだことがないので、今度買ってみようかな。
65 :
優しい名無しさん:2009/10/06(火) 16:12:34 ID:xcOlUhzj
アゲ
遅ればせながらラリー・ローゼンバーグの本を買った。
古本で書き込みがけっこうあったがw
禅とか仏教にも興味あるんで自分には面白い内容だ。
67 :
優しい名無しさん:2009/10/07(水) 13:16:50 ID:4Jy6++09
>>63さん
ペマ・チュードゥンさんの本もプラユキさんやアリンナさんと
似たテイストを醸しているようですね。
近いうちに読んでみたいと思います。
ちなみにプラユキさんの本では、集中のし過ぎでハマりこんで
逆に周囲の音にイラつくようになったなどの「迷走」体験も
赤裸々に綴られてあり、瞑想の問題点も丁寧に説明されてあるので、
読んでて『そんなの確かにあるある…』と共感しながら、
自分の瞑想が変な方向に進んでないか確認できるのがよかったです。
>>66さん
ラリー・ローゼンバーグの「呼吸による癒し」という本ですね。
私も買って数年前に一度読みました。
そのときはちょっと難しく感じられたけど、
66さんのレス読んで、『もう一度読んでみよう!』という気が起こり、
本棚から取り出して、今、目の前にあります。
また読んだら66さんの感想など聞かせてくださいね。
ご紹介、ありがとうございました!
68 :
優しい名無しさん:2009/10/08(木) 13:55:55 ID:wK/YG6ek
age
69 :
優しい名無しさん:2009/10/09(金) 09:48:10 ID:EgAoLgvc
確かに「気づき」は奥が深くて難しい。
何が難しいって、客観的にありのままに観ることなんか初めからはできないからね。
>>63のプラユキさんの本もチラ読みしたことがあるけど、
「考えてはいけない」「感じてはいけない」「怒ってはいけない」
などといった価値判断が気づかない内に入ってるんだよね。
初めのうちはそういうバイアスが多くあることに気がついてないけど、
徐々にわかってくるんだよね。本当に徐々にだけどありのままに観ることに近づけたらいいと思う。
クリシュナムルティなんかが言う「観る者なく、観なさい」というのは最終段階だろう。
最後に「未分化の気づき」として存在するんだろう。
70 :
優しい名無しさん:2009/10/09(金) 10:17:21 ID:S/CbURcV
これは初めてきいたけどレスみてても良さが伝わってこない
要するにマインドコントロールされるわけ?あれかggrksとか言われるのか?w
71 :
優しい名無しさん:2009/10/09(金) 10:56:36 ID:waLc4QeE
>>69さん
ちょうどプラユキ氏の本読んでたら、こういう記述があった。
「……この件を通して、私は「観る人」になり、気づき、観察するということを
はっきりと理解できるようになった。それはある種、アイデンティティシフト
とでも呼べる感じだった。そしてそれは、自分自身から自由になると同時に、
自分と人、人と人を調停・和解させられる意識であった。
これ以降、気づきの瞑想修行はとてもスムーズに進むようになった。
そしてそのうちに「観る人」というのもまた心の要素や状態であり、
それにも実体はないということに気づいていった。
そう気づくと、身体からも心からも、あらゆる心的な要素、症状からも
どんどん遠く自由になっていった。……」
やはり69さんが言うように段階的に進んでいくのかもしれないな。
俺も「〜すべきでない」っていうバイアスがかかっていたのを指摘されて、
「ほんとだ!」ってびっくりした経験があるよ。
確かに「気づき」は奥深くて難しい。
たぶん俺はまだ「観る人」にもなりきれてない。
72 :
64:2009/10/09(金) 11:33:52 ID:KaJvOBip
特に「怒り」については、異物視しやすいですね。
ティク・ナット・ハンは「怒りについて怒ったら、二度怒りを抱え込むことになります」
といってるが名言だと思います。「泣き喚く赤ん坊だと思って抱きしめるようにしましょう」と。
「怒り」については、アリンナ・ワイスマンの本にも載っていましたが、
「“怒りのストーリー”を追うのを止めて、体の感覚に目を向ける」のがいいと思います。
ちなみにこれはヴィパッサナーにも影響を受けたアーノルドミンデルの
プロセスワークを紹介した「痛みと身体の心理学」と言う本にものっていて、
「怒りを対象化する」のに良い方法なのだそうです。
怒りにまきこまれず、「現象」として客観視するやり方ですね。
ちなみに、「痛みと身体の心理学」によると、チベット密教の憤怒仏に供物を捧げる儀式は、
対象化した怒りに敬意を払い、客観視するやり方なのだそうです(より)
ペマ・チュードゥンの本にも、「怒りに敬意を払う」というエピソードがのっており、
参考になりました。
74 :
優しい名無しさん:2009/10/09(金) 12:49:06 ID:xJgR4yPF
今日9日の毎日新聞(全国版)の「ひと」欄に
プラユキ・ナラテボーさんのこと紹介されてたよ。
75 :
優しい名無しさん:2009/10/10(土) 17:05:43 ID:U05/ME/v
age
人からの評価を異常に気にして、対人恐怖的なんですが、
人からどう見られているか、というところから、
自分が自分をどう見ているか、と言うところへ意識の焦点を移せばいいのでしょうか?
77 :
優しい名無しさん:2009/10/14(水) 11:30:53 ID:1r8m5SBe
>>76 対人恐怖、なかなか辛いよね。
基本的には76さんが言ってるようなことでいいと思うよ。
それをもう少しヴィッパサナ/マインドフルネス的に厳密に言うと、
「自分が自分を」ってのを取っ払って、
ただただ心に生じてくる恐怖をはじめとした様々な症状をあるがままに観る。
すると、前レスの人が挙げていたプラユキさんの本の中の言葉を借りれば、
「恐怖する人から恐怖を観る(見守る)人になる」ということだよ。
母親に抱かれて安心した赤子のように恐怖感も次第に去っていくよ。
ヴィパッサナー的に言えば、やることは「いまここにもどる」あるいは
「あるがままに観察する」だけなので、その場合
「他人の目が気になっている」という自分の感情を「あるがままに自覚する」
だけでいいと思いますよ。ただ、それで他者の視線が気にならなくなることを期待しないようにして。
森田療法でも「感情はどうでもいい、あるがまま」と言うのが肝要なので、
感情を消そうとするとうまくいかないです。
ある本にも書いてあったことですが、ヴィパッサナーは即効性を求めず、1年、2年、
あるいはもっとかけてじっくり自分自身と人生が自然に変わってくるものなので、
「期待を捨てる」ということが、非常に重要になるのですね。なぜかというと、
期待をもつということはそこで自己の主観が入るから「あるがままの観察」から離れることになる。
もっとも、期待を持ったら持ったで、「期待がある」とでもサティ(気付き)を入れればいいだけですが。
あと、いちにち数分でもいいので、キッチンタイマーを用意して瞑想してみてください。
手引きとしては、過去レスであがっている本があればいいと思います。
仏教もいいですが、最初の実習にはジョン・カバットジンやアリンナ・ワイスマンの本がおすすめです。
10分でも出来たら、「今日のノルマは終えた」と太鼓判をおしてください。
そういうトレーニングあってのヴィパッサナーなので。
また、余計なことですが、対人恐怖を消すのがあなたにとって重要なら、
認知療法や森田療法をやるのもいいかも。
両者ともヴィパッサナーに通じるところもあり、併用すれば効果倍増です。
わたしも対人恐怖症がひどかった時期もあり、長文で返答してしまいました。
「他人の目が気になってあたりまえ」と思い、「気になっている感情」をあるがままに
サティすれば、「気になることが気にならなくなる」と思いますよ。
79 :
78:2009/10/14(水) 11:40:37 ID:6cHqgtOO
長文書いてしまいましたがw
77さんの言うことが的をいていると思います
お二方どうもありがとうございます。
重要なのは期待しないと言うことなのですね。
気が弱いくせに我が強い自分はどうしても期待が強いんだと思います。
重要なことを気楽にやると言うのは本当に難しいですね。
あと、瞑想、認知療法、森田療法も覗いて見ます。
仏教は割りと好きなのでゴエンカさんの本で練習して見ます。
ご親切なレスどうもありがとうございました。
81 :
優しい名無しさん:2009/10/14(水) 17:59:52 ID:NY2NUypD
80さん、応援してるよー!!
77より
みんなはサマタ瞑想のほうはやってますか?
興味があったので質問しました
>>80 期待しちゃいけないんだ・・期待しちゃいけないんだ。。。と思うのは、緊張しちゃいけないんだ、黙って居ちゃいけないんだなどと同じ罠にはまります。
フォーカシング、ヴィパッサナー、森田療法
と、このあたりの技法って何か似てませんか?
認知療法は良くわからないけど。
そう、期待してしまったらそれはそれで「期待」とサティすればいいだけの話です。
何が起っても、自然現象とみなしてかたっぱしからサティを入れれば義務は果たしてるのである意味楽です。
>>82 放松功、あるいはナンソの法を時おりやってます。
>>81 どうもありがとうございます。
そのやさしさに泣けてきます><
>>85 期待で心を埋め尽くさずに、期待に気づくことが大事なんですか。
実践の道のりは長そうですね。
>>87 期待で心を埋め尽くしてはいけないんだ、期待にありのまま気付かなければいけないんだ。。。と思えば同じ罠にはまります。
ヴィパッサナーは日常の中でも実践しやすそうやなと、感じました。
>>88 どちらにしても気楽に、と言うことですね。
頑張らずに取り組んでいきたいと思います。
90 :
優しい名無しさん:2009/10/15(木) 07:18:38 ID:Lgbl0+U4
>>89 そうですね、お互いさま、無理せずにこつこつとやっていきましょう。
観る者=鏡、観られる者=我。
自分の姿を鏡で見るとき、鏡に近づきすぎたらほとんど見えない。
離れるほど自分の全体像が見えてくる。
サティとは鏡じゃないか。
我が我を観るのではなく、
鏡が我の心と体をうつす。
今は鏡がくすみだらけで曇っていても、少しずつ少しずつ光ってくる。
磨けば磨くほど、光り輝く金剛石のように。
93 :
優しい名無しさん:2009/10/21(水) 07:34:16 ID:0lLm+cU0
age
ラリー・ローゼンバーグ読んでるんだけど、いいね。
正確にはアーナパーナの本だけど、いかに「いまここにいる」ことが
重要で、本来人にとって自然かがわかる。
アーナパーナも四つの洞察のうち、四つ目になるとヴィパッサナーになるんだな。
6章読むだけでも絶対おすすめ。
読書で変な話だけどいきなりマインドフルネスが頻度、深度ともに深まった。
95 :
優しい名無しさん:2009/11/07(土) 23:06:50 ID:zf+iWCKE
目の前のことに集中するヴィパッサナはすべてのことの基礎になってくれますね。
すべてにつながってくると言う意味では本当にすばらしいです。
96 :
優しい名無しさん:2009/11/16(月) 09:02:53 ID:nbZbPx/E
メンヘルの方は辛い心の方が多いので、嫌な感情ばかり観察してしまう傾向があると思う。
感情を観察するとき、
感情の負の側面、怒りやイライラや落ち込みや無気力などばかり観察してしまうが、
楽しさや明るさや晴れやかさなどの感情の正の側面もしっかりと観察しないと意味がない。
そうすれば、「嫌な感情よなくなれ!」という隠れた心の傾向があることにも気づける。
そうでないと、こんなに観察してて、また嫌な感情だ、また嫌な感情だ、こんなの無駄だ、
という悪循環になり兼ねない。
ヴィパッサナーは心を一定の方向へ持っていくことではない。
ただ観察することである。
>>96 メンヘラとまとめるのは間違いだな
抑うつ系か統失系かで全然違う
抑うつ系ならヴィパッサナーなんかやらずにサマタ瞑想やったほうがいいけど、
統失系なら危険
>>96 下二行同意。
これをやり始めて2年弱、(あくまで結果的に)人生がものすごく好転した。
自分がいままで捕らわれていた無自覚な行動パターンが、
観察するたびに少しづつリセット、軌道修正されている実感がある。
感情や思考と距離をとり、自分と同一化しないようにすることが、
こんなに素晴らしいとはしらなかった。
まだまだマインドフルになる力は未熟だが、
今度ゴエンカ式の10日間のリトリートに参加することになった。楽しみだ。
習慣的な瞑想はもちろんとして、
別に自分のおすすめは、キッチンタイマーを常備して、空いた時間に
5分でも10分でもヴィパッサナーすること。
PCに30分ごとのアラームを仕掛けておくのもいい。
電車内や、信号の待ち時間に呼吸や体の感覚に気付いたり、
寝る前や、朝おきた時に布団の中でボディスキャンをしたり、
休日はながめの歩行瞑想をしたり、日常のマインドフルも鍛えるといい。
なんにせよ、「目的をもたず」すべてを観察するのが大事だね。
99 :
優しい名無しさん:2009/11/21(土) 01:16:41 ID:RzHXCxud
>ゴエンカ式の10日間のリトリート
みなさんへ
精神安定剤を飲んでいると参加出来ないので注意してください。
嘘をついて申込み、後から正直に告白する、なんて馬鹿な真似はやめましょう。
私はそれをして、指導者に怒られ、許可を得られず
合宿2日目にして帰られねばならなくなりました。
ますます精神が悪化すると警告されました。
クスリを飲んでいるひとは、正直に事前に問い合わせてください。
私はアナフラニール(抗うつ剤)とレキソタン(抗不安剤)を飲んでいると告白しました。
指導者は薬について調べてくださり、レキソタンが特に問題ですと答えられました。
100 :
優しい名無しさん:2009/11/21(土) 11:12:41 ID:s3YqJhMG
暦祖短がだめな根拠はなんだろうね。とすると出パスもだめかな。
あそこって最初にサマタ瞑想やるだろ?
サマタ瞑想って異常にハイになるんだよ
それに向精神薬を加えたら発狂しかねない
ああ、ごめん、レキソタンは違うか
サマタでハイになるとは限らないなー
アナパナの場合むしろ心が静かになる。ま、一般論ね。
アナパナは純粋なサマタではないから話ずれてる
サマタってのは、ひたすら真言唱えたり、イメージに集中したりといった、「押さえつけ」の要素が必要
ゴエンカのところでは、ヴィパッサナー瞑想法の準備として
アーナパーナ瞑想法をやるわけだ。
106 :
優しい名無しさん:2009/11/30(月) 17:44:58 ID:AiQjolgV
一週間のうち、3日くらいサマタ瞑想しただけで
サマーディを作れるとはとても思えんがな。
もともとヴィパッサナーは正定の状態でするものだろうから、順序は正しいがな。
正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進が伴わないと三昧は無理やん?
まあ仏教戒に反した感じだと、グルジェフやオショウたちになってまうがな。
107 :
優しい名無しさん:2009/12/02(水) 14:09:39 ID:Y3r+BXb/
不安気質をこじらせ中です。
よくなってはこじらすを繰り返してしまうので、数日前から瞑想を始めてみました。
目を閉じて、呼吸だけに集中しているとその間は何も考えないので楽になるので
あってるのかなあと思うのですが、不安で胸が苦しくなってるときに「胸が苦しい」と
サティするとさらに苦しくなって、サティを止めないと心臓がバクバクし始めて
しまうんですが、何かやりかたが間違ってるんでしょうか?
人生の
「胸が苦しい」とサティするのが間違っている。
まず言葉として同化しており客観的になっていない。
>>107 間違ってないよ
普段感じないようにしてる苦しみをもろに感じるようになっただけだから
ただ、マハシのやり方がその症状の治療にあってるとは思えん
普通のアナパナの方がいいと思う
どうもネット上では
サマタ(と言っても、アナパナは純粋なサマタではないが)=悪
ヴィパッサナー=善
っていうので固定化してるけど、アメリカではまずアナパナ(ハーバートベンソンのやり方)から普及した関係から、
そういう極端な事にはなってなくて、むしろ目的にあわせて使い分けてる
で、もう一つ突っ込んどくと、サマタ瞑想の治療効果はある程度証明されてるけど、
ヴィパッサナーは証明されてなくて、主観的なものばかり
111 :
優しい名無しさん:2009/12/03(木) 11:52:10 ID:oX7XwHOd
>>107 私も不安気質です。
心臓のバクバクも不安から来てるのでしょう。
カフェインに過敏な人がカフェイン飲料を飲み過ぎると起こるような症状でしょう。
不安は瞋恚の一種かなあと思います。怒りです。
「〜したくない」とか「〜たくない」とか、
自分が嫌で回避したい感覚によって発生するとされています。
ですから不安の場合も何かから逃げたいという気持ちがあるのだと思います。
瞑想中は、普段無意識下にあるいろいろな感情が表面に出るという
ことだから、指導者についたほうがいいかも。
ゴエンカのところの体験記に、瞑想中、過去のいろいろな怒りや悲しみの
思い出がでてこまる、という人に、「その都度それを意識して、その後呼吸や
体の感覚にもどれば、それも癒されていく」というアドヴァイスがされていた。
怒りや不安などは、客観的に公平にみる、感情に飲まれそうなときは
感情から離れるために、その身体的な反応のほうに観察の対象をうつす、
というのがいいが、なかなか自己流だと難しいこともある。
こんな文章を拾ってきた。
>たぶん、スマナサーラ長老言うところの
>「痛い」←W
>「痛み」←○
>の話なのだと思う。
>「痛い」には、言葉の裏に主語(私)が隠れている。
>だから、「痛い」とラベリングすると傷に塩を塗りこむことになる。
>「痛み」の場合は、客観的になれる。
「胸が苦しい」じゃなくて「胸の苦しみ」とサティしないとあかんのだよ。たぶん。
まあ、客観的な対象化という観点からみてそれでいいと思うけど、
そもそもラベリング自体が要するに観察のときにもちいる自転車の
補助輪みたいなものだから、あんまり厳密にする必要はないよ。
重要なのは実感することだから。
>>112 私も過去の怒りが蘇ってくるので、参考になります。
そのアドバイスは、本やネットで読めますか?
読める場所があれば、教えてくださると嬉しいです。
>>115 自分が各種ヴィパッサナの本を読んで共通していると思った「怒りへの対処法」はこんな感じです(ただスマナサーラ長老は怒りを
異物視して抑圧している感じがした )。
1・自分が怒っていることに気付く
2・抑圧しない・怒りを不都合なものとして排除しない。
自分の一部としてしっかり受容する。素行の悪い我が子を見つめる気持ちで
3・無自覚に外部にぶつけたりしない(それも怒りと一体化して盲目になっている)
4・体の感覚で怒りを観察する
アリンナ・ワイスマンの本よりp53
「ある人物にまつわる話が頭から離れず、それに関連して嫌悪感が出てきた場合は、
その話の筋を追うのを辞めて、意識を体に戻すことが助けになります。
心の中で「彼らが私にした仕打ち」を何度も繰り返すかわりに、むねのあたりにあるこわばり、
のどの焼けるような感覚、顎のあたりの緊張が何であるのかを調べていくのです。
私たちは、自分の「手持ちの話」については裏も表も知り尽くしています。それについて
再び考えてみてもなんの学びにもなりません」
p150
「非難は、自分自身の感情を経験することを嫌悪し、その感情を自分以外のものに
投影している結果である場合がしばしばあります。
もしそうした感情を優しく認めることに問題を感じるなら、この怒りを優しく抱きとめることが
できますように。この感情がわたしの心によって抱きとめられますように
というような言葉を唱えながら、その感情を意識的に認めようとしてみてください」
怒りは不快なものなので、つい抑圧したり、外側に爆発させて解消しようとしてしまうので、
そうではなく「観察の対象」として扱うといいとおもいます。
また
>>45にヴィパッサナー瞑想体験記があります。
117 :
115:2009/12/06(日) 00:31:49 ID:GjZzQ9pq
>>116 体験記を読めました。
私も過去の嫌な体験を、意味がないと分かりつつ頭で繰り返してしまうのですが、
それから解放されたかったんですね。
観察や受容をしてみようと思います。
アリンナさんの本を今度読んでみます。
詳しく説明してくださって、ありがとうございました。
>>117 私も過去の嫌な体験の反芻妄想が激しかったが、ヴィパッサナーでかなり消えたよ。
119 :
117:2009/12/06(日) 23:00:38 ID:GjZzQ9pq
>>118 そう聞かせてもらうと、嬉しいです。ありがとうございます。
がんばります。
>>110 サマタ瞑想は気持ちいいからと毎日、長時間やると感情を抑えつけるから毒になるとか、
でも別に悪とは言われて無いような
このスレでもあっちでも、目的にあわせて使い分けましょうと言われていた
そもそも心理療法として使いたい人は、そんなに何時間もやらない気がする
感情を抑えつけるというのはどんな感じなんでしょうか?
知らずのうちにやっていたらと心配です。
好きなのに、「別に好きじゃないよ」とか、
認めて欲しいのに「あんなものはくだらん」とか、
怒っているのに「俺は冷静だ」とか、、、。他人にじゃなく、自分に言う感じ?
日常よくやってること。
とあるベテランの人がレジャーランドかなんかに遊びにいってジェットコースターに乗ろうとした時かつてのようなワクワク感もドキドキ感も感じなかった、と言っていました。
なんかそうはなりたくないなと思った。
感情を止めるとは、自分の気持ちに嘘をついて、無理矢理に心の状態を押さえつけること。
感情をコントロールすることとは違い、ただ抑えてるだけで揺り戻しがある。
>>123がいいことを言ってる。
>とあるベテランの人がレジャーランドかなんかに遊びにいって
>ジェットコースターに乗ろうとした時かつてのようなワクワク感もドキドキ感も感じなかった、
>と言っていました。
まあ、かつてのようなワクワク感もドキドキ感も感じなくなったのはいいが、
「あの素晴らしい愛をもう一度」みたいな過去記憶に縛られたらダメだろうなあ。
過去は良かった、から、まるで前世のようだ、になり、最期にはその感覚すら忘れてしまう。
過去の記憶を貪るって、けっこう根深いよね。
とあるベテランてどの程度の人?
出家者?ちゃんとした僧?
それとも、本読んでやってるってだけの人?
126 :
優しい名無しさん:2009/12/14(月) 12:05:21 ID:9lfMtpDL
感情の押さえつけって・・・。
サマタ瞑想でも慈悲喜捨の簡単バージョン「慈悲の瞑想」なら害はないと思う。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」と日常から唱えるとよいかと・・・。
>>125 別に出家した僧じゃなくても・・・。
ゴエンカも在家だったぞ。
127 :
優しい名無しさん:2009/12/17(木) 16:19:06 ID:131XHUB/
呼吸の際に鼻に意識を向けるんですよね?
鼻がつまりやすいので、口でもいいですかね?
128 :
優しい名無しさん:2009/12/17(木) 21:52:39 ID:JXE97OEq
ネタじゃなくて、真剣な話です。
私の場合、怒りではなく、性的な妄想ばかり考えてしまいます
どうやってラベリングしたらいいでしょうか?
エロい事を考えている自分を客観的に観察すればいいのでしょうか
抑え込むのも良くない気もするので、困っています
こんなこと、2ちゃんでしか聞けません。アドバイスお願いします
129 :
優しい名無しさん:2009/12/18(金) 02:16:37 ID:gr74WgQv
>>128 もちろん観察していいと思いますよ、あなたの性的妄想を。
性欲も抑えつけると怒りになるかもだから気をつけて。
性的な妄想は大体は、眼から性欲を刺激する色が入り、耳から性欲を刺激する音が入り生じます。
まあほとんど眼耳なんでここはちゃんと観察してくださいね。
観察が途切れる煩悩が発生したときは、ある意味チャンスです。
静かなところで座ってるのが観察じゃあねえぞと、どんな状況でも観察するようにしてください。
実際は実践者の渇愛が多く発生するときに観察が難しくなるハズです。
今回はダメだったが次回は観察するぞ、という気持ちでやればいいです。
ラベリングは自分でサティが入る言葉を見つけて下さい。
130 :
128:2009/12/26(土) 14:24:08 ID:dGZ4y6fk
>>129 丁寧に答えていただき、ありがとうございました
大変参考になりました
1週間程続けてみたところ、だいぶ客観的に見ることができるようになった気がします
すこし楽になりました
131 :
優しい名無しさん:2010/01/01(金) 02:11:42 ID:n+xWZYm4
>>130 大丈夫ですよ。
日常でも観察していけば。
ある程度瞑想できてきたなら、変な聖域を作らないことも大切かと思います。
ここは息抜きだから観察はやめてくつろごうか?というのは嫌々やってるかもしれません。
性的妄想だろうがセクスしてる時だろうが観察してやろうという気でやったらいいかもしれません。
「あー、そういえばあの時は観察できなかったな、クソー!」とか思って頑張ってみてもいいかもしれん。
不苦不楽の時は観察しやすいだろう。
苦の時もその次に観察しやすい。
楽の時は難しいかもしれん。
楽しむ時ぐらいは観察などしてられるか、というわけだ。
だが、聖域は作らない方がいい。聖域なき瞑想という感じでやった方がいい。
マインドフルネスやヴィパッサナーでは心が激しく動くときが一番の観どころだっすよ。
聖域は造らない。
それ自体が聖域だ。
だがその聖域も聖域とするな。
それすらも執着するな。
132 :
優しい名無しさん:2010/01/11(月) 04:24:57 ID:0NYGRNRv
サマタ瞑想=感情の押さえつけって話もよくでてくるけど、誰が最初に言い出したんだろうね?
サマタ瞑想はたしかに感情の押さる方法もあるけど、基本は「そらす」という事
例えば、光のイメージにひたすら集中して感情から気持ちをそらすとか
慈悲の瞑想も気持ちのいい感情でネガティブな感情から気持ちをそらす方法
あと、サマタ瞑想は認知療法スレで話題になってたように、ストレスに強くなるから、今から先の人生が楽に生きられるというメリットもある
ただし、過去に抱えた問題は根本的な解決をみないから、過去に間違った考えが身についていた場合はそれが悪化する怖さもある
例えはよくないかもしれないけど、ヒトラーなんかそんな感じだよね
それと、変な話になっちゃうけど、性行為も強力なサマタ瞑想
実際、性行為を瞑想として取り入れてる宗教はかなりある
ところが、サマタ瞑想だから、いくらたくさんの人と性行為をしようと根本的な問題は解決しない
だから、
体の不快感→性行為=サマタ瞑想→不快感から気持ちがそれて楽になる→少し経つとまた不快感→また性行為etc
という風にキリがない
最近、不特定多数の人と性行為をするように進める雑誌(ananとか)や作家(渡辺淳一とか)が出てるけど、
そのせいで安易に性行為というサマタ瞑想にはまってしまって、人生おかしくなってる人が増えてるのでは?と感じてしまう
宗教にはまる人と同じ構造
133 :
優しい名無しさん:2010/01/11(月) 04:41:43 ID:0NYGRNRv
感情の押さる→感情を押さえつける
いちおうゴエンカの本にアーナパーナの集中瞑想は感情の抑圧につながる
可能性があるとは書いてあったよ。
つーか、性行為を瞑想に取り入れている宗教があるからと言って、
性行為=おしなべて瞑想ってのは成り立たないよ。
サマタはさ迷える心を意識的にある対象(宗教的な目的対象)に集中させるものであってさ。
ただ何かに熱中するのを瞑想とは言わない。
そのへんはどこかの上座部の僧侶のHPにも書いてあった。
性行為がすべて瞑想だったら、パチンコも買い物依存もゲームに熱中するのも怒りで頭がいっぱいになるのも瞑想になる。
渡辺淳一とかのくだりといい、理屈が先走りすぎでは。
歩く瞑想があるからといって、歩くこと=瞑想じゃないのと同じ。
瞑想って薬の離脱症状に効果がありますね
心と体に激しい離脱症状があっても、その後に続く自動思考に気がついて巻き込まれず
目の前の事に集中するとかなり体も心も楽
自動思考に巻き込まれてしまう神経症にはよく効きそう
ここ数ヶ月起きてる時は休む間もなく離脱症状がありますけど
激しい離脱症状 激しい離脱症状
↓ ↓
自動思考 自動思考
↓ ↓
巻き込まれる 目の前にことに集中
↓ ↓
頭痛が激しくなる 頭痛が激しくならない、弱まる
人生足元を見て目の前に集中する大事さを体で実感できてますw
139 :
優しい名無しさん:2010/01/12(火) 03:01:38 ID:YJKPkS49
>>135 >ただ何かに熱中するのを瞑想とは言わない。
ああ、これは完全な間違い
瞑想ってのは何かに集中して頭がお休みの状態を作り出すこと
後、長老ってのスマナサーラの事?
あの人の最初の4部作の著書(名前忘れた)の2冊目(赤い奴)には瞑想=何かに集中する事としっかり書いてある
そして自分の方法は瞑想ではないんだと
自分はそうは思えないけどね
あと
>性行為がすべて瞑想だったら、パチンコも買い物依存もゲームに熱中するのも怒りで頭がいっぱいになるのも瞑想になる。
残念ながらこれも瞑想
だから気持ちいい脳内物質が出て依存する
もちろん、瞑想の対象としては正しい対象ではない
サマタ瞑想が危険だと騒がれるのは、こういう間違ったものを対象にしてしまうから
信仰宗教だと教祖が対象になるし、政治だと例えば右翼は天皇が対象になる
正直、その知識と考察力だけで
>>132に反論するのは無理があるかと
140 :
優しい名無しさん:2010/01/12(火) 03:09:31 ID:YJKPkS49
で、あなたが読むべき瞑想全般の入門書としては「宇宙の根っこに〜」がいいかな
とりあえずこれを読めば、
>ただ何かに熱中するのを瞑想とは言わない。
>性行為がすべて瞑想だったら、パチンコも買い物依存もゲームに熱中するのも怒りで頭がいっぱいになるのも瞑想になる。
てのが間違いだとわかるかと
次に読むのはさっき言ったスマナサーラの4部作とリラクセーション反応だね
ただ、なんだかんだ言って実践あるのみだよ
やってみて初めてわかることの方がたくさんあるんだから
そして、それぞれの本にも、結構極端な考えや見当違いの考えがさりげなく混ざってることにも気がついてくる
マハシ式のヴィパッサナー瞑想は、スマナサーラの方法は所詮サマタ瞑想に過ぎないってのもわかるし、
地橋の方法は純粋なヴィパッサナーに近づこうとがんばってるけど、サマタの要素が弱くなって、
効果が現れるまで時間がかかるとかね
141 :
優しい名無しさん:2010/01/16(土) 12:08:22 ID:m2T1elW+
正念、正定、正精進がともなわない場合サマタ瞑想とはいわないんじゃ・・
性欲、物欲、快楽に流れるのはふつう煩悩といわれる。
まあ仏教での文脈だから心理療法では知らんけど
143 :
優しい名無しさん:2010/01/23(土) 19:03:51 ID:XeRvcvOs
瞑想をしていると頭がしびれてくるんですけど、やり方がおかしいんですかね?
>>143 痺れるというか、心地よいボーとした感じになるのは普通
不快な感じになるのなら間違ったやり方してるかもしれない
ヴィパッサナーでは不快な感覚、心地よい感覚ともに出てくる。
先に出やすいのは不快な感覚。
どちらも嫌悪せず、あるいは喜ばず、客観的に公平に「観る」こと。
それを取り扱おうとしないこと。
147 :
優しい名無しさん:2010/02/01(月) 21:50:46 ID:4mZdKax/
ヴィパッサナはすばらしいですね。
これやると、いままで必要以上にうじうじしていたことに気づいて、
そういった自分をやや遠目に見ながら笑い飛ばすことができるようになりました。
まだまだですが。。
149 :
優しい名無しさん:2010/02/03(水) 13:03:03 ID:kbjEATuI
まず現在の懸案の重要性が高い順に妄想が出ると云われる。
そのうちに妄想が出た瞬間に気づきが入るようになると云われる。
次当たりに過去の記憶やらが出てくると云われる。
過去の記憶や感覚は時を遡るように出るといわれる。
そのうちに妄想が出なくなると云われる。
そして鼻先やら下腹やら足やらの瞑想中の中心点がどうでもよくなると云われる。
そして額やら前頭葉辺りにある種の兆し的感覚が表れるといわれる。
その中に絶頂感(性的エクスタシーと酷似)が出ると云われる。
ここまで出来てやっと半分くらいと云われる。
瞑想って目つぶってぼーっとしてればOKですか?
瞑想しても妄想なんか出てこないんだけど
私が普通の人だからか?
>>149 過去の記憶や感覚は時を遡るように出るといわれる。
いまここだなぁ
ここのところアーナパーナを1日4〜70分やって1ヵ月、
そろそろボディスキャンを取り入れ始めてます。
四十分のうち最後の15分くらいをボディスキャンという形で。
何かアドヴァイスあったらお願いシマッス。
153 :
優しい名無しさん:2010/02/10(水) 17:06:46 ID:PhEOL7kH
>>151 妄想と言っても精神疾患の妄想とはちがう。
妄想(もうぞう)とも読む。
思考や思いのすべてだよ。
瞑想中に「妄想出てこないなあ」とか思った時点で妄想なのです。
ローム層みたいになっていて、一番上の層を掘り尽くしたら、
次の層が出てくるような感じだったと思います。
アーナパーナ瞑想を1日30〜40分やっているのだが、どうも自律神経の調子が悪い
下痢はするし、気持ち悪いし
絶対に1時間以上はやらないんだけどな
>>154 アーナパーナに関しては責任持てない。
やりすぎると精神病発病するとも悪化するとも言うし。
もしかしたら呼吸法に問題があるかもしれん。丹田呼吸に躍起になってるとか。
あと、瞑想して「こうなりたい」とか「ここに到達する」とか
余計な執着があるかもしれん。瞑想は何かを目指すものじゃない。
絶対無理はしない方がいい。自律神経乱れて乗り物酔いみたいになったら瞑想にならん。
ヴィパッサナーに切り替えてもいいし、気分がすぐれないなら、歩行禅の方が安全だと思う。
調子が悪いならすぐやめる。苦行してる訳じゃないんだから。
思考をやめるのが瞑想なのに、魔境に落ちるだとか精神病になるだとか
本来はありえないんだよ。
もしありえるとしたら、集中する対象が雑念に切り替わってしまって雑念しか見えなくなったとき。
本当に呼吸だけに集中して悪い現象が起きることなんてありえない。
心にカルマがめっちゃくちゃたまってる人が瞑想をはじめたら、一気にそのカルマが表出して
それらと対面しなければいけなくなるから、それで悪化したように感じる場合もある。
あと体調が悪くなる原因は浄化反応によるものが考えられる
まあ、何にしても魔境に落ちるだとか精神病になるだとか、「雑念に負けた者」にだけ起きることだ。
157 :
優しい名無しさん:2010/02/27(土) 21:56:18 ID:yWZxtc2B
怒ってる心、自分を認めるって結局怒ってる心はなくならないの?
感情は変化する
時間が立って一時的に怒りは消えてもまた別の怒りがわくでしょ
自分を認めるというのは、人間なんてそういうもんだと認めることだと思うよ
感情そのものは身体の状況を知らせてくれる必要な信号。怒りの感情もそう。
しかし、思考によって、感情は増幅される。思考はさらに連鎖して思考を生み出す。
そしてますます感情は強まる。強まった感情、増幅された怒りは必要であることはない。
認めるという言葉の代わりに、ありのまま見つめる、ただ観察する。判断をしないで受け入れる。
など自分でしっくりする表現を探してもいい。
判断するのは思考。それに巻き込まれず、ただ判断する思考が浮かんだことを受け入れる。
今度テーラワーダ仏教協会の瞑想会に行ってきます、初心者で其れに持病持ちなので心配ですが、途中退席も有りとの事なので、ハードルを下げて行ってきます。
161 :
優しい名無しさん:2010/03/05(金) 22:07:28 ID:+zAEB//f
日曜日にやる初心者対象のやつなら前に行ったことある。みんなでお経唱えるからその辺オーケーな人じゃないと厳しいかも。
なるほど、確かに読経って書いてあって、何だろうと思ってました。
163 :
優しい名無しさん:2010/03/07(日) 00:33:09 ID:SmR81IPO
パーリ語、しかも読経時間かなり長いし、最初どこから読んでるのかもわからず、オロオロしっぱなしだった。でもまあ向こうはあくまで宗教でやってるわけだから仕方ないよね。
瞑想会に行ってきました。インタビューと云って直接テーラワーダの僧侶に瞑想について訊けたのが良かった。
後からパンフレットを読んだら、それ以外の質問は禁止為れてたのに、不躾で個人的な質問に答えて下さってありがとうございました。
このスレでの意見が参考になりました。
165 :
優しい名無しさん:2010/03/19(金) 21:23:00 ID:b+lcU/Ix
長時間、瞑想をすると足が痺れます
曹洞宗で使ってる丸いザブを使っているのですが、他に対策とかありますかね?
低反発座布団とか効果はありますかね?
166 :
165:2010/03/19(金) 21:25:35 ID:b+lcU/Ix
ちなみにウチはフローリングです
ザブのおかげで腰痛は無くなったのですが、足が痛いです
167 :
優しい名無しさん:2010/03/20(土) 20:21:01 ID:w0axwhC4
SADを患っている可能性が高い人がヴィパッサナー瞑想をするのは
危険ですかね?
それともメンヘラがヴィパッサナー瞑想をしてはいけないんじゃなくて、
レキソタン等の、心の病を治療する薬を飲んでる人がヴィパッサナー瞑想をしてはいけないんですかね?
>>165 座っていると、誰でもある程度の身体的苦痛が伴います。
それを避けようとすること自体、それにとらわれていることであり、体験の回避となるでしょう。
もちろん、ねん挫など、足に障害がある場合は別です。その場合は完治するまで椅子に座るなど
別の方法をとったり、その期間はやらないなと対処する必要です。
身体の痛みは、あなたを動かそうとする最大の誘惑です。
>>167 薬と瞑想の関係は主治医に聞いたほうが早いのでは。瞑想するにしても
時間や、ある状態になったらやめるなどの適切な助言を得られると思います。
>薬と瞑想の関係
そんなこと知ってる医者数えるほどしかいないと思う
170 :
優しい名無しさん:2010/04/02(金) 14:59:10 ID:44pWY1lZ
座って瞑想するよりも、横になって仰向けで瞑想する方が集中できるんです
でも瞑想って座ってした方がいいのかな?
瞑想とは何でしょうか。
集中は瞑想ではありません。
なぜなら、興味があるところ、何かに集中することは、比較的たやすいからです。
戦争、虐殺を計画している将軍は、とても集中しています。
金もうけをしている事業家は、とても集中しています−彼は他のあらゆる感情を脇に置いて、自分が欲しいものに完全に集中しながら、無慈悲でさえあるかもしれません・まったく無慈悲であるかもしれません。
何ごとでも興味のある人は、自然に、自発的に集中しています。
そういう集中は、瞑想ではありません。それはたんに排除です。
それで瞑想とは何でしょうか。
確かに、瞑想は理解です−心の瞑想は理解です。
排除があるなら、どうして理解がありうるでしょうか。
嘆願、懇願があるとき、どうして理解がありうるでしょうか。
理解には、平和があります。自由があります。
あなたが理解するもの、そこから、あなたは解放されるのです。
たんに集中したり祈ったりすることは、理解をもたらしません。
理解が、瞑想のまさに基礎、根本的過程です。
あなたはそのために、私の言葉を受け入れなくてもいいのです。
しかし、あなたは、とても気をつけて、深く、祈りと瞑想を検討するなら、それらのどちらも理解につながらないことを、見つけるでしょう。
それらはたんに頑固さに、固定化に、幻影につながるだけです。
ところが、瞑想は−それには理解があります−自由、明晰さ、統合・融合をもたらしてくれるのです。
ちょっと教えて頂いて宜しいでしょうか?
私はイライラし易いのですが、
スレを読んでて気になったのですが、
怒り等のマイナス感情を受容するのと、我慢するのと何が違うのでしょう?
根本的な質問で申し訳ないのですが、
しっくりこないので教えて貰えると嬉しいです。
>>173 怒りを見ることが受容だよ。自分の怒りをただ見つめるだけ。
映画を見るように怒りを見る。
我慢というのは、怒りなどを別の感情・思いで抑えつけること。これはやっちゃいけない。
どうかこれを実験してみてください。初めに、動揺させられなければなりません。
私たちのほとんどが動揺させられることを好まないのは明白です。
私たちは生の様式を見つけてしまったと考えます−大志、信念、何であろうと−。
そしてそこに身を落ち着かせるのです。それはよい官僚職を得て、残りの人生をそこで働く・職務を果たすのに似ています。
それと同じ精神をもって、私たちは取り除きたいと思う様々な性質に接近するのです。私たちは動揺させられること、内面的に安全でないこと、依存していないことの重要性がわからないのです。
確かに、あなたが発見するのは、わかるのは、理解するのは、安全でないことにおいてだけ、ではないでしょうか。
私たちは沢山のお金を持つ気楽な人のようになりたいのです。彼は動揺させられないでしょう。動揺させられたくないのです。動揺は、理解にとって本質的・必要不可欠です。安全を見つけようとするどんな試みも、理解にとって障害です。
私たちが何か動揺させているものを取り除きたいと思うとき、それは確かに障害です。
私たちは一つの気持ち・感情を名づけることなしに直接に経験できるなら、そこに沢山のことを見つけるだろうと、私は思います。
そのときもはや、それとの戦いはありません。なぜなら経験者と経験されるものは一つであるからです。
それは本質的です。経験者が感情、経験を言葉にするかぎり、自分自身をそれから分離して、それについて決定を下します(それに対して作用します)。
そういう行動は作為的な幻影の行動です。しかし言葉にすることがなければ、そのとき経験者と経験されるものは一つです。
その統合は必要ですし、根元的に向き合わなければなりません。
176 :
優しい名無しさん:2010/04/25(日) 01:49:16 ID:h3wnqYZJ
ヴィパッサナーで統合失調症は治らないよね…?
177 :
優しい名無しさん:2010/04/27(火) 10:03:26 ID:ht8I5lm9
治りません。
そもそも本当のヴィパサナー自体できません。
178 :
優しい名無しさん:2010/04/29(木) 05:53:22 ID:SDdGmKCG
>>176 ヴィパッサナーは言わば仏教修行体系の一部。
ヴィパッサナーだけでは無理。
でも、トータルな仏道修行、すなわち、八正道を実践していったら治るよ。
それなりに卓越した師の見守りと、適切な指導あってのものだと思うけど。
179 :
優しい名無しさん:2010/04/30(金) 07:02:56 ID:tkFcSqvW
八正道の実践なんて簡単に言うけれど普通の人にも難しいのに
統合失調症のひとには実践できないよ。
たとえば毎日5キロ走れば健康になるからといって、がんの人に
それをすすめるのは無茶だろ。
>>173 受容とは、そのイライラを意識的に使えるようになったときに感じます。
我慢との違いは、そのときにわかります。
181 :
優しい名無しさん:2010/05/31(月) 22:52:05 ID:Nmc6PtbX
金と暇あるいは円と縁が必要です
182 :
優しい名無しさん:2010/06/03(木) 21:46:00 ID:BQYTz/d2
自律訓練とヴィパッサナー瞑想を両方やっても大丈夫ですかね?
自律訓練って数分程度で出来るし・・・
無問題
何を心配しているのかよく分からないが自分は両方やってるよ
同時にやるということか
同時にやるのは無理じゃないかな。
自律訓練法の公式はサティとは別物だから。
重感や温感が出ているときに思考を止めて、クリアな意識状態でその感覚を観察していれば
ヴィパッサナー瞑想になるけど、自律訓練中は催眠状態だから、意識は明晰にならないし。
呼吸の観察をやってるんだけど
苦しくてしょうがないw
初めはこんなもんでしょうか?
良スレあげ
>>187 普通に呼吸していても苦しくてしょうがないの?
それとも、そうではなく、意識しすぎて知らずに筋肉を緊張させた結果呼吸が乱れて苦しいの?
瞑想でない普通の呼吸法でもやり始めた人のうち意識しすぎて上手くいかない人は結構いるらしいが。
>>189 呼吸を自然に任せてそれを観察しているのですが
とにかく苦しいです・・・
誰しもこの道を通るわけではないんですね
191 :
優しい名無しさん:2010/07/08(木) 21:48:15 ID:n3yVXa08
マインドフルネスは今日知りました、職場(他人に)で自分がどう思われているか(人間関係)
とか余計なことばかり悩んでいる自分にはいい方法だと思います。
鬱の方もこの方法で改善したと聞きます。最初はうまくいかないと思いますけどやっていきます。
継続は力とはいいますね!
セドナメソッドもマインドフルネスに関連していると思うけど
とてもいいよ。習慣的サティですね。
約4年間続けているけど何の効果も感じない。
カルマという概念はピンと来ないが、遺伝的に感情処理に関する脳機能が弱いんじゃないかという自覚はある。
幼少期から怒りの感情がすさまじかった。
ヴィパッサナを続けても怒りが爆発する性格は全く変化なし。
かなり集中してやってきたが、怒りをあるがままに受容することなどできない。
ヴィパッサナ瞑想中に過去のトラウマ、フラッシュバックが延々と最後まで続いて、
瞑想をやってても地獄の苦しみの連続だけで終わる。
やっぱ俺みたいに業が深い人間は、最初にサマタ瞑想に集中したほうがよかった。
4年間瞑想して苦しんだだけで、なんか長い期間を無駄した感じ。
ヴィパッサナは、悪いカルマが少ない人にはすんなり入っていけるのかもね。
性格が素直でトラウマが深くない子とかには最初から肌に合うのだろう。