アスペルガー症候群についてマターリ語り合うスレ52

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後藤建治は沖縄在住の精神科医であった(沖縄、ADHD、精神科医といったら「やんばる」氏しかいない)。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/

彼は一回の診察に1時間以上かける親身で熱心な医師として名をしられているそうだ。
家族は5人(保育園から中学生の3人の子どもがいる)。

二人はあるボランティア活動で知り合った。
恭子は語る。「第一印象は変わった人。彼はそのボランティアの研修所まで1時間もかけて自転車で通ってきていたんですよ。
それと同時に、世の中にはこんなに純粋な人がいるんだ、といろいろな場面で驚かされました」。

ここで、建治の来歴が明かされる。
彼はかつて新聞記者。本来は警察担当なのに動物の記事ばかり書いていた変わり者だった。
彼は語る。「二次障害で自信がなかったんです。だから人間を書くことができなかった。
何かを書くことで他人を傷つけるのではないか、と思っていましたから」。
で、記者を諦めて医師になることを決意し、九州大学医学部を受験、合格。

一方、妻の恭子は服飾デザイナーをしていた。
ときはバブル時代でセレブ相手にバリバリ働いていた。
二人は互いに31歳のときに出逢う(彼は医学生で、たぶん九州で出逢った)。
恭子は語る。「当時、周りにいたのは見かけや金儲けにこだわる人ばかり。
また、当時は駆け引きしたりする大人の恋愛に疲れていました。
そんなときに彼と出逢ったんです。話していたら中学生のときの気分になりました。
すごく癒されましたよ」。

そして惹かれあった二人は付き合いはじめ、1ヶ月たたずして彼は恭子のアパートに転がり込むことになる。
5851:2008/08/23(土) 19:07:59 ID:1NtKmq++
ちなみに彼女が、彼が初めて付き合った女性である。

二人で暮らし始めて恭子は驚きの連続を体験することになる。

「たとえば朝、彼が出かけるときに『気をつけて行ってきてね』と声をかけるじゃないですか。
そうしたら彼は『どうして君に気をつけて、と言われなければならないの?
気をつけるのは僕自身じゃないか』って言うんですよ。
そこで私が『ちがうんだよ。気をつけてっていう意味は、怪我もなく無事に帰ってきてねっていう、
裏の意味があるんだよ』って説明したんです。
すると今度は『はじめからそう言えばいいじゃないかって』言い返してきたんですよ」

まだまだ彼の変わり者のエピソードが続く。
「私が怒ったときに黙っていると、彼はもの凄くすねるんです。なんで黙っているのかって。
だから私は、この人は何でも口に出して説明してあげないと分からないんだなって思いました」

「あと彼は、穴の開いた靴やサンダルでも捨てないんですよ。捨てようとすると怒る。
自分で縫ったりして取っておく。履かなくてもですよ」

「でも一番驚いたのは、デニムの生地を買ってきて自分で作くろうとしていたことです。
私でもできないのに、どうしてそんなことをしようとするのか理解できなかった」

それでも半年後、二人は結婚する。
そして結婚後に建治がADHDと判明することになる。
5951:2008/08/23(土) 19:35:13 ID:1NtKmq++
結婚後、少し変わったところもありながらも、恭子は医師として熱心に働く彼を尊敬していた。

しかし2年前のある日、彼のあまりのマイペースさに、さすがに我慢の限界に達したことがあった。
「彼は仕事に没頭すると深夜の0時や1時に帰宅することがあるんです。
そして彼はそれから必ず夕食をとる。すると私の寝る時刻が2時を過ぎるんですね。
当時は夜鳴きをする子供を抱えていましたので大変でしたが、
夫が起きる前に起床して、子どもと夫のお弁当を作り、水筒を持たせて見送っていたんです。
そんなある日、彼が帰宅後に『水筒にお茶の葉(ティーパックのことか?)が入っていなかった』って言ってきたんです。
そのときはカチンときてしまいました」
そして彼にとうとう言ってしまう。
「ADHDは自分勝手だ」


さらに妻は続ける。
「普通、自分が大変だったとき『大変だったのよ』と相手にこぼしたら、
『ああそうだったんだ』って同意してもらうとすごく楽になるじゃないですか。
だからそのことを彼に説明したんです。
そうしたら彼は『そんな思ってもいないことは口にできない』って言ったんです」