後藤建治は沖縄在住の精神科医であった(沖縄、ADHD、精神科医といったら「やんばる」氏しかいない)。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/ 彼は一回の診察に1時間以上かける親身で熱心な医師として名をしられているそうだ。
家族は5人(保育園から中学生の3人の子どもがいる)。
二人はあるボランティア活動で知り合った。
恭子は語る。「第一印象は変わった人。彼はそのボランティアの研修所まで1時間もかけて自転車で通ってきていたんですよ。
それと同時に、世の中にはこんなに純粋な人がいるんだ、といろいろな場面で驚かされました」。
ここで、建治の来歴が明かされる。
彼はかつて新聞記者。本来は警察担当なのに動物の記事ばかり書いていた変わり者だった。
彼は語る。「二次障害で自信がなかったんです。だから人間を書くことができなかった。
何かを書くことで他人を傷つけるのではないか、と思っていましたから」。
で、記者を諦めて医師になることを決意し、九州大学医学部を受験、合格。
一方、妻の恭子は服飾デザイナーをしていた。
ときはバブル時代でセレブ相手にバリバリ働いていた。
二人は互いに31歳のときに出逢う(彼は医学生で、たぶん九州で出逢った)。
恭子は語る。「当時、周りにいたのは見かけや金儲けにこだわる人ばかり。
また、当時は駆け引きしたりする大人の恋愛に疲れていました。
そんなときに彼と出逢ったんです。話していたら中学生のときの気分になりました。
すごく癒されましたよ」。
そして惹かれあった二人は付き合いはじめ、1ヶ月たたずして彼は恭子のアパートに転がり込むことになる。