畠山鈴香

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32優しい名無しさん
>>25
>神様が人間の代わりに裁いてくれるわけでもない
それは裁かなくて良いと神様が言っている。
この世は因果応報、何かをすればその結果が返ってくる。
人に嫌われる事をすればそれに見合った扱いが。
改めて裁く事じゃない。

>でなきゃこの人自身が苦しめられて来たように、「誰かにいじめられたから自分も八つ当たりで他の人をいじめていい、いじめました」
>「悲惨な人生を送って来たから子供を殺しました」なんて理不尽な事が「加害者もかわいそうだから仕方ない」で
>いくらでも通ってしまう世の中になる。
やった行為は否定される。
でも否定されるのは行為だけ。
全ては平等にしてはいけない事は一律にしてはならない。
人を殺すのがしてはいけない事なら、死刑だろうと同じ事。
死刑で人を殺すのもしてはいけない事。
批判されるのはあくまで行為。
それでなければ何が正しいかと言う基準としては矛盾。

>重要なのは、「人間が人間の犯した罪を罪として自分たちで捉え、自分たちで決着を付ける」事。
>自分たちで自分たちを厳しく律する事が出来なくなったら、人間の社会なんてあっという間に何でもありになっちゃうよ。
人間には人を自分たちを厳しく律する為の判断能力が無い。
何か事が起きた、そして裁き、その事件は片付いた、そして何か事が起きた、そして裁き、その事件は片付いた。
この繰り返し。
何の意味も無い。

死んでしまった子どもたちの事よりも生きている親の事を考えるべき。
生きている者をもういない者の道連れにしても何も生み出さない。