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15優しい名無しさん
>規範に対しストレスであると抵抗、秩序への否定的感情
なぜこれがおこるか追加。


 何か問題が起こったとき、その原因は、諸外国に比べ、
日本人は元々、外部に原因があると考えることが多い。
 あくまで諸外国との比較であって、何でもかんでも人のせいにするとか、
自分の非を認めようとしないというわけではない。
(何かの本で読んだのだが出典を覚えていない。)
16優しい名無しさん:2008/03/19(水) 22:42:32 ID:sDPwArB+
 日本よりはるかにいろいろな民族がいる諸外国は、
自分とはあまりにも違う、とうてい理解できないような変な人が多く、
その分、自分も変だと思っている。
 だから何かもめると、自分のどこが悪かったのか考えようとする。
相手を責めようにも相手のことを理解せねばならない。
しかしそれが難しいのだから、保身の方法としては自己点検し、
自分に非のない状態にしたほうが、無罪を主張しやすい。

 この自分の内部に原因を探す傾向は、宗教が裏打ちしている。
人間は原子、分子、素粒子からできていると(科学・唯物論など物質的に)思っている日本人と違い、
向こうには神という概念が自分を創ったとする考え方がある。
だから、もの・他人・社会という外部を、宗教という概念でとらえることに慣れている。
世界を概念で認知するから、自分の捕らえ方を変えれば、いくらでもこの世界は変わるわけだ。
こうなると他人に干渉するより、自分の考えを変えたほうが早い。
17優しい名無しさん:2008/03/19(水) 22:44:00 ID:sDPwArB+
 ところが日本は、集団主義により、あまりにも変な人はそうそういない。
つまりみんな同じような人ばかりだから、自分の性格が間違っていると、
(ちょっと極端な考え方だが)みんな間違っているということになってしまう。
自分はみんなと同じようにしているから、たぶん無意識に、自分を責めたくないわけだ。


 そしてそう考える傾向を作っている要素のひとつに、
無宗教で、科学を信用しきっているという点がある。
 自分とその世界は原子、分子、素粒子などの物質からできている。
よって、物質で構成される自分とその世界(=化学反応の結果)を変えることはできないから、
無意識のうちに、社会(外部)に原因を求めるのではないかと俺は考えている。