>>313(つづき)
2回目の診察で、崔Dr.に帰省中のことを聞かれたのに、とんぼ返りにつぎ、救急騒ぎのことをボソボソ話したものだから、先生はイライラとカチンときたのを全面に出してこう言ったのです。
「こんなに具合悪いのに、何で京都に帰ってきたの!」
私としては、姉の結納返しの予定に振り回された結果が、こうなだけであって、自分の意志で帰ってきたのではない、と言いたかったけれど、何も言えなかったのです。
そのときの診察室の空気のピリピリ感と言ったら、強烈でした。
三回目の診察では、貝のように話さない私に、
「もぅ怒らないから。」
と主治医。
その一言で、緊張と不安はピークになり、診察室で過呼吸が出て、帰りたい一心に立ち上がったものの、床に倒れ込んでまったのです。
真剣に転院を考えましたが、学校から一番近くて救急外来もあり、精神科もある、のは今の病院だけだったのです。
四回、五回、六回…としぶしぶ通っていました。
卒業して京都を離れるまでだから、と耐えていたのですが、その間に信頼感が芽生えてきて、
いまは完全に陽性転移状態なので本当に辛いです。
あのとき叱られたのも、私が心配だったからなのだと納得できます。
崔Dr.に掛かっている期間中、のある日、
過呼吸を起こし、ひどい鬱状態になり、統合失調感情症とヒステリーの疑いで、今年1月、
長岡京市にある病院の急性期病棟に入院しました。
卒業認定が迫っていたので医師の判断には従わず、2週間で退院しました。
現在は専門課程に編入したので、退院してからも毎週、崔Dr.に診てもらっています。
両親には、過呼吸では死なないし、入院もあり得ないから、頼むから実家から飛んでこないで欲しい、と言っています。