http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/tsumuraya.html 君原は、東京五輪は8位と惨敗し、そのショックから立ち直れないでいた。
君原と円谷は同学年の23歳だったから、
どちらも次のメキシコ五輪を十分に狙える年齢だ。
しかし、君原は1年以上レースから遠ざかり、密かに引退を決意していた。
そして結婚もした。1ヶ月後、新婚旅行を兼ねて渡米した君原は、
ボストンマラソンに出場し、何と優勝してしまった。
それでもまだメキシコを目指してというにはほど遠い練習量だった。
一方、円谷はさらなる期待を背負うことになった。
しかし、予期せぬ不運が円谷を次々に襲った。
練習環境の変化、婚約解消、たび重なる故障。
国民への約束を果たすと誓ったメキシコ五輪が近づくにつれ、
何もかも彼の思い通りに行かなくなった。
それでもメキシコ五輪の年の正月は故郷で家族と過ごし、
特別変わったそぶりも見せなかった。
が、正月休みを終えて自衛隊に戻った直後、
円谷は遺書を残して自らの頚動脈を切った。
享年27歳。
突然の訃報に君原は憤り、複雑な気持ちで、
「ツブラヤクン シズカニネムレ キミノイシヲツギ メキシコデ ヒノマルヲアゲルコトヲチカウ」と弔電を打った。