続き
>>553 と、ここまでは人間の持っている表と裏、または抑圧や心身症
などの説明とも、いくらか共通している。しがしこの本が今まで
のものと異なるのは、その楽屋のありようなのだ。楽屋は単に、
人に見られなくない恥ずかしい自分のことではない。舞台に出る
ために日々準備し、稽古し、観察し、待ち、企画をしている場所
なのである。つまり、「創造性」の場である。「つくり笑い」で
さえ、自らの創造の一部なのである。本書はプロのセラピストに
向けて書かれた文章が多いのだが、自分の抱えている楽屋と舞台
の二重性を意識しつつ、それを制御しながら、なんとかかんとか
やっている、という意味では、この世のほとんどの仕事、(とり
わけ母親業や教師)が、そういうものである。その意味で、誰が
読んでも「自分のこと」と思える。私も、自分のことだ、と思い
ながら読んだ。そして帯を解いた後を「楽屋」として思い浮かべ
るに至って、それが「隠すべき事柄」から「わくわくしながら次
の役を創造する過程」に、意識が変わっていった。もう仏頂面で
もなんでもかまわない。気にすることはない。
もうひとつ納得したことがある。著者は精神科医なので、臨床
事例を紹介している。しかし驚くべきことに、患者のことと同じ
くらい、患者に向き合う著者自身の内面の過程が描かれている。
なぜならば治療(医者でない私はこれを人間関係、と置き換えた
)というのは「起承転結」であって、起で患者が問題を提示し、
承で医師がそれを受け止めて、時には自らも同じ病になり、転で
自分自身を治しながら、結で患者も治るのだという。患者は医者
との関係のなかで、持っている問題を反復するのだ。まさに治療
とは人間関係の演劇化(反復)なのである。治す者と治される者、
育てる者と育つ者、教える者と教えられる者という図式は、私の
中でもろくも崩れた。実際は、一緒に生きて、一緒に乗り越える
関係、なのである。
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>>554 著者は浮世絵から母子関係を分析したことでも知られ、日本語
と心の関わりを深く掘り下げ、治療を、文化の問題として捉えて
いる。日本レコード大賞作詞賞をとった人でもあり、芸能人とし
てほんものの「楽屋」や「偶像(アイドル)化」を経験してきた。
その経験も生きている。精神分析入門というが、ひらたく言えば、
「人間についての本」である。最初の頁をめくったとたん、著者
が自らの心と向き合うシーンに引き込まれる。