>>28のような反応は自己愛の人にありがちな
反応です。
そのときの心理を考えてみたいと思います。
自己愛にとって自己投影の対象である他者は
自己認識の対象である自己であり
悪い自己です。
それが、反論しきれないようなことを言ってきた場合
コントロールできる自己だったのが、そうでなくなり
悪い自己というような認識はできなくなります。
つまり、自己の反映だった他者が
本当の他者であると認識されてしまうのです。
で、そのときの反応がこれ
>>28です。
二分法で片付けられない自他意識になると
簡単になかったことにしてしまおうとするのですね。
できていませんが。
こうして、完璧な自己、ダメな自己、他者という
三つの認識を獲得している状態が
過剰警戒の状態です。
しかし、過剰警戒の人はコントロールできない
自己でない他者という存在になれません。
更に、自己が完全に2分裂しています。
この状態はボーダーラインと言われる人たちと似ていると
思われます。
コントロールできない他者がいる世界を甘んじて受け入れる
これが最終的な回復なのではないでしょうか?
>>60-61 いちいち難しいリクツこねすぎだって。そこまで考えて物いってるわけないだろ。
ってかさ、誰がどう見てもこじつけにしか見えないから。
>コントロールできない他者がいる世界を甘んじて受け入れる
>これが最終的な回復なのではないでしょうか?
だから、それはお前だろ。相手にされなかったからってムキになってんだもの。自己愛認定合戦は
不毛だからやらないってここまでの経緯で決まっているわけだろ。もういい加減にしろって。
よっぽど構ってほしいんだろうけどさ…。ちょっとは孤独に耐えろって。迷惑かかってるんだよ。
過剰警戒の場合
新たに問題になるのが
他者という認識の内容です。
ボーダーラインの人に言われることですが
彼らは分裂した、理想化した自己とダメな自己をそれぞれ
他者に投影して
他者をこの二つに極端に分けてしまいます。
そして、そういう他者との関係で混乱を巻き起こしていきます。
ここで問題となることは他者を認識しても
投影という作業をしてしまうため
他者を完全には認識できていないのです。
それが現れるのが
他者の多様性に対する配慮のなさです。
自己愛の考えが極端な二分法だといいましたが
彼らが他者を認識し始めても
大雑把に二種類に分けてしか他者を認識できません。
私も含めて一般的な認識を持っている人は
様々な他者をそのまま様々な人として認識し
好きな人、嫌いな人だけでなく
もっと様々なカテゴリーで捉えています。
もちろん、その中には
自己愛の人が認識している排除したい人
自分の仲間という人もいますが
自分とは意見が対立しても排除しない人とか
自分と同じ意見をコピーしてきて気持ち悪い人とか
もっと細かくなります。
他者を甘んじて受け入れるというのは
こういった多様な他者を多様なまま受け入れるって
ことです。
しかし、なかなか難しいようです。
自己投影している他者が様々な個性を持っているってことは
反映される自己も様々だということ。
自己投影をしている限りは
なかなかこれができません。
投影される自己が様々って
それは多重人格ってことですから。
>>66 だから、多様な他者を受け入れてないのはお前自身だろ。お前、自分の意見が絶対に正しいって信じ込んで
いるもの。いちいち難しい言葉遣っているけど、文章にまるで中身がない。
いやいやいや、多重人格ちがうw
あと、心理学の本を一読することをお勧めする。
>他者を完全には認識できていないのです。
健常者だろうが、誰にもできない。
>>ID:bPuR7Mxg
どうされたのですか?
私は一般的な自己愛の話をしているだけです。
どうしてそんなに過剰な反応をなさるのですか?
>>28については
>>29に書きましたが
たまたま自己愛の人がよくする反応が
>>28に書き込まれただけで
誰にも自己愛認定なんてしていませんよ?
>>68 自己投影をしつつ
他者が多種多様であると認識している→投影される自己が様々に分裂
って意味で多重人格って言葉を使いました。
ありえないことの話なので
使われた言葉を文脈から切り離して誤解されないようにね。
あと、完全ってのも相対的な概念です。
多様性のある自分とは別の存在のまとまりのない集合って意味での
理解がここでいうところの
他者理解です。
多様性を認識できない状態の他者認識をしている
自己愛の人と比べれば完全性はあると思います。
だから、過剰反応をしているのはお前だろ。誰がどう見てもそういうって。
>あと、完全ってのも相対的な概念です。
>多様性のある自分とは別の存在のまとまりのない集合って意味での
>理解がここでいうところの
>他者理解です。
>多様性を認識できない状態の他者認識をしている
>自己愛の人と比べれば完全性はあると思います。
これ、書いてある事の意味を噛み砕いて分かり易く説明できんの…?言っている事マジ意味不明
だからさ。
自己愛の過剰警戒の方とボーダーの方が
似ていると書きました。
次にその違いを書きます。
それには自己愛無自覚の人の説明からはじめる必要があります。
自己愛無自覚の人は
自己と他者という二分法をとるために
自己が認識している自己という状態で
認識の対象となるありのままの自己を
投影により他者としてしまいます。
そして、過剰警戒の人はそこまでひどくなく
自己を認識の主体である完璧な自己と
認識の客体であるありのままの悪い自己として
両方が分裂して存在している状態です。
で、この状態ボーダーの人の中にもあります。
>>71 噛み砕いてというか極端に言うと
自己愛の人の見る他者→2種類しかない
一般の人の見る他者→色々な人がいてそれぞれ共通することもあれば
そうでないこともある
これです。
ここからが自己愛の人とボーダーの人との違いですが
ボーダーの人にとり
分裂した2つの自己はそれぞれ、ほぼ等価に自己です。
で、その主従が揺れ動いています。
自分のことが自分でよくわからない状態になっています。
一方、過剰警戒の人の中では安定して
完全な自己の方が主で、悪い自己の方が従たる存在なのです。
そして、完全な自己が悪い自己を見ているのです。
悪い自己が完全な自己を見ることはありません。
彼らの反応はこんな感じです。
自分は素晴らしいのに自分の中にダメな部分があって
それが出てきたらどうしよう。
ダメな自分が自己認識をしていて
自分がどういうものかわからなくて混乱するなんてことはありません。
>>73 だったら最初からそういえばいいじゃない。そもそも、何の意図があんの?
>>75 どのことに関する意図を聞いているのですか?
ちなみに、今の私は
自己愛被害が落ち着いてきて
その被害を受けていた時期に考えたことを
まとめています。
思い出した順に。
意図と言って思いつくのはこれだけですね。
私の境界例の人の分析は
まだツッコミが足りないかも知れません。
出合った境界例の人が2人で
うち1人はコミュニケーションとりづらい状態でしたから。
会ってからしばらくは
モノを投げつけられたり、話にもならない唸り声をあげられるような状態。
自己愛は身内なので
生育状態、心理状態を自らの経験や
周辺から知ることができました。
>>77 見たらわかると思いますが
最初から好きにしていますよ?
じゃあ、聞きますが
あなたの意図は?
好きにしている私に色々書いてきた意図は?
境界例の人は一言で言うと
混乱している
でした。
比較するのもなんなのですが
自己愛が身内にいるより
境界例の人が身内にいる方が
大変だと思います。
でも、私の分析では
境界例の人のほうが一般的な人に近い認識を持っているんです。
だって、一般的な人は
自分が失敗したときに自分のこととして
失敗を認識して苦痛を感じるのですから。
ボーダーの人はこの苦痛の反応が極端なんです。
一方、自己愛の特に無自覚の人はこの辺りがほぼないに等しいです。
すぐに
「あっそ」くらいで忘れたり
いつのまにかその失敗は他者がしたことにしてしまっています。
で、自己愛憤怒ってのは
この自己愛の固い認識が崩れる瞬間の反応です。
>>28のようなことや、他者の行動にしてしまうことが
できなくなる状態です。
認識が根底から崩れそうになるわけですから
極端な反応になるのもわかります。
ちなみに自己愛憤怒の内容は
>>28のこと及び他者の行動にしてしまうことを
強引に極端な形で行なうことになります。