カウンセリング・心理療法13

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445優しい名無しさん
コラムはなぜ精神症状を改善するか?

大きく言えば「症状のシェーマ」と「CBTのシェーマ」が異なっているからだろう
例えばうつの文脈は「動けない」や「頭が働かない」であり、CBTの「コラムを書く」
や、「あれこれ考えて自らの主張に反論する」はミスマッチだ。
そのように精神症状のシェマと異なるシェマとしてCBTが段階的に導入されれば、自然
と脳の方で調節がなされ、うつのシェマを阻害(縮小)する事になる。

また脳・認知・行動のリソース面からも考えられる。「コラムを書く」ことは症状に浸
る事を邪魔する。
例えばパニック障害で言うと、エクスポージャーシートを書く事と、自分の身体的な変
化に多くの注意を払って浸る事は、それぞれにリソースを食うので並列処理する事がと
ても難しい。書けないか、どちらもが中途半端になるか、浸れない(パニックになれな
い)か、困った事になるだろう。OCDでも書きながら手を洗う事はしづらい。
しかしここには注意が必要で、多くのパニック障害の方が取る「気の紛らせ行動(例:
バッグをかき回す、冷たいものを飲む/体に当てる、携帯でゲーム/話をする)」は、機
能/行動分析的にはむしろ「症状を維持・悪化」させると解釈される。
むろんエクスポージャーの当初はそれらの安全確保行動はある程度必要だが、最終的に
はそのような安全確保行動を全てやめ、何も紛らすことなく不安の上昇に耐え、上昇し
た不安がある一定時間維持された後、回避や対処を全くとらずに時間の経過だけで不安
が減衰する事を学習する必要があるとされる。そうしないといつもの安全確保行動が増
えていく結果になるだろう。
446優しい名無しさん:2006/09/19(火) 07:16:45 ID:5ej+1BnI
では、何ゆえコラムを書くというリソースの消費は治療にポジティブで、いつもの気を
紛らわせる系のリソースの消費は治療にネガティブなのだろうか?

これはコラムが学習=記憶のサポートをしているというのが理由かもしれない。
いつもの紛らわせ行動は不安の上昇時に用いられ、その行動によって不安が低減したと
いう学習が成り立つ。コラムの場合は不安の上昇前、ピークの維持期間、下降時までの
タイムスパンの中で思考/行動/身体反応をチェックできる。
最中にチェックすること自体はおそらく治療にネガティブだが、後に紙に書かれた一連
のシェマを再チェックする事で再学習が可能であり、差し引きプラスになるのだろう。
言い換えればエクスポージャーのコラムを書いたり読んだりする事は、in vivoのエク
スポージャー1回プラス、in vitroのエクスポージャー数回の効果を上げるので、プラ
スなのだろう。

さらに「言語」ないし「書くという行為」が持つ主たる効果についても考えるべきだと
思う。例えばこの論考も「書きながら考え、考えながら書いて」いる。哲学の方向に踏
み出さなくても、日常的な常識として言語や書字が考えを整理し、まとめ、比較的メタ
にする現象を起こす。
「?@現象そのもの」よりも「?A言語(会話)」は比較的メタで、「?B書く事」の方がよ
りメタで、「?C書いた事に対して書く事」は更にメタにと、永遠に続ける事ができる。
そういう意味では生の現象であるウツや不安を、メタ化する事なくしては書き表せない
し、コラムは更にメタ化を推進するフォーマットを有している。
精神分析や来談者中心のメタ化は?Aに留まり、行動療法のメタ化は?B付近が多いと思う。
CBTは重点を?B以降に移す事で効果の拡大がなされている。
ちなみに?Bはセルフモニタリングがそれにあたり、?Cは反論する余地のあるコラムがそ
れに当たるだろう。