イエス・キリストは私たちを愛している

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337優しい名無しさん:2005/12/09(金) 19:05:55 ID:fprYNmD+
>>308
>現世利益って言葉、来世は絶対あると決めつけて使われるね。

マジレス。
現世利益の対立概念は来世での幸福ではなく、
自分が「相対的な世界」を超えた大きなものに包括されているという実感。
キリスト教では「回心」禅では「見性」浄土宗では
それは不立文字といって、体験するものであり、論述はできない。
なぜ論述は出来ないかというと、言語という物自体が相対的概念だから。
直截的に論述できないから、周辺を語ることになる。
それが、現世的幸福についての言及という形を取る。
これについては鈴木大拙の「真宗入門」や「禅とは何か」を読むと良くわかる

また、宗教は、「祈れば、なにか物理的に得する」と解釈されているようですが、
本質的にそういうものではない。

心理学的にも、精神疾患からの回復は、単に現況回復を目指すものではなく、
段階をへて精神構造の更新がなされるものだという解釈がある。
これをクリエイティブイルネスという。

フランクルのロゴセラピーはまさにこれであり、「現世的幸福=自我を満足させる対価」
抜きに、その状況にベストの態度をとることにより、本当の自分を実現する。
それは宗教的回心を同じで、真の自己実現という、人生の究極の意味を達成した状況。
ロゴスとの一体化という言葉であらわせられるが、それについてはフランクルの著作を読まれたい。


338334,337:2005/12/09(金) 19:15:08 ID:fprYNmD+
まあ、このスレの否定派のレスを読むと、

「宗教=祈って物事がうまくいく、欲しいものを神さまがくれるもの」
という、非常に浅い解釈をしているように感じる。

かってに浅い認識をして、勝手に怒っている。
創価やカルト信者と、まったく同じレベルだ 。

とりあえず、前述の
鈴木大拙「真宗入門」「禅とは何か」
河合隼雄「明恵 夢に生きる」「宗教と科学の接点」
井筒俊彦「意識と本質―精神的東洋を索めて」
V・E. フランクル「意味への意思」
くらい読むことをおすすめする。

339優しい名無しさん:2005/12/09(金) 20:22:11 ID:Q4g243wq
>>334
矛盾しているから宗教論争・戦争が起こるんではないの?
340334:2005/12/09(金) 21:18:57 ID:8ByWU38W
>>339
そうなんだよね。
伝統宗教は、地域に特化してるから、教えも地域性があって、
その集団内なら通用するのだが、別の地域や習俗に特化してる宗教と
出会うと、「教義」の面で、異なることがあり、それゆえ、宗教戦争がおこる。

だけど、それを表現するなら、「矛盾してて悪い」ということでしょ?
だから宗教戦争がおこるのであって。
すべての宗派教派が、334でいった「矛盾してていい」という考えなら、むしろ宗教戦争は起こりえない。
つまり、「矛盾」にこだわるのは、歴史的事象にこだわる「原理主義者」であるわけだから、、、。

現在では世界的な諸宗教者による国際会議が定例的に開かれていて、
たとえばカソやイスラームなどの指導者が集まる場で仏教者主導の瞑想が行われたり、
接点を探る試みが行われている。

また、攻撃的と見られがちなイスラームにも他宗教に寛容であれという教えもあるし、
キリスト教も他者を裁くなという教えがある。

日本仏教でも、宗旨あらそいは、誰が負けても釈迦の恥という言葉もあるし、
浄土宗の専修念仏を提唱した法然も、「念仏だけを唱えればいいといっても、
他の法華などのありがたい教えをけなすなどと考えてはいけない」といっている。

ようするに、宗旨争いは、宗教精神に反することだという認識があり、
それをしてしまうのは、「宗教=利益主義」としているファンダメンタリストだから、
それは非宗教者、宗教者を問わずに存在するってわけ。
341優しい名無しさん:2005/12/09(金) 22:25:12 ID:Q4g243wq
>>340
多様性を認めるという考えは今では当たり前になってきているけど、宗教もその必要性が
大事ってことか。

結局、他宗教を邪険に扱う信者は、当該宗教の信者になる資格はなしってことだな。
342優しい名無しさん:2005/12/09(金) 23:00:13 ID:QP1shRff
>多様性を認めるという考えは今では当たり前になってきているけど、宗教もその必要性が
>大事ってことか。

そうだと思う。
宗教(すくなくとも歴史に耐えぬいた宗教)は、本来は、同じ真理を、別の表現方法で表してるに過ぎないと感じる。

例えば、ブッダとイエスの二人をとってみても、
はるかに違う時代、場所で現れたにもかかわらず、驚くほど同じことを言っている。
相違点より、そういう共通点があるということが驚くべきことだ。


ネイティブ・アメリカンの詩も、初期仏教経典ダンマパダと、ほとんど同内容。
イスラムもスーフィズムになると、仏教の密教と非常に近い。
そういう接点を探るのが大事。

矛盾点や、相違点は、その時代、他文化との交流もそれほど行われておらず、
マスメディアもなかったから、その地域での文化、言語にマッチした表現を使った。
各宗教の「神話」なんかは、その表現の最たるもの。
それが時代を経るにしたがって、他宗教とのあつれきが出てくる。

だから、「仏教説話」と「旧約聖書の神話」が異なるのは、その地域に受け入れられやすい表現を各々とっているのだから、
あたりまえのこと。
なのに、その表面だけをとりあげて、「おまえは違う」「そっちが間違ってる」ということになる。

今は、ダライ・ラマとヴァチカンとの対話など、さまざまな接点を探る努力がなされている。

343優しい名無しさん:2005/12/09(金) 23:04:27 ID:QP1shRff
あと、「宗教は科学的でない」と批判する人がいるが
エラノス会議など心理学者や社会学者、哲学者が、
何年も宗教について語り合っている。

世界を代表する学者たちが、最重要事項として宗教を取り上げている。
「宗教は科学的でない」というのは、あまりにも浅薄な見識だ。
せいぜい「宗教は『自然科学』という見方では対処しきれない」と訂正すべき。
まんまんみてちんちんおっき


344クレーム炭酸水:2005/12/11(日) 10:32:16 ID:2XrU2d6K
>>338
いやいや、宗教に対して知識も無く免疫も無い一般人がこのスレ見たらそういう風に考えちゃうじゃろが!!だから違うねんと言いたい訳ネ。
まぁ正直君の述べている事は信仰とは関係の無い、学問としての宗教みたいだからちょっと話しの軸がずれてる気もしなくもない。
でもまぁ興味深い話しをdクス(´-ω-`)馬鹿なんでゆっくり読んで参考にさせて貰うたい。
345334:2005/12/11(日) 13:03:31 ID:HaeBlg/T
まあ、自分はクリスチャンでもユダヤ教徒でもないがヨブ記を読んで非常に感動した。
そこに登場する神を、表面的に、たんなる自分とは別人格を持つ、明確な他者としてみれば、
「気まぐれで罰する神」と捉えるだろうし、事実そういう批判も他スレで見かけたりするが、
なんというか、自分を包括する、自分を含めた世界との関係としてヨブ記を見れば、
もっと深く安心感が感じさせる、キリスト教の慈愛に満ちた神、浄土宗の阿弥陀仏と同質のものだと思った。
苦難も幸福も人間も世界に包括されているという実感の中にあれば、
それについてエポケー(判断停止)がなされ、後には「苦しみもこれでいいんだ」という実感だけが残る。
そこには、「なぜ、現世利益が得られないんだ!」と嘆き恨む感情からの救いがアル。

俺が現世利益のみが宗教の本質ではないといったのはそういう意味。





346334:2005/12/11(日) 13:17:36 ID:EptuuBcF
しかし、現世利益を求める心も、やがて自己の有限性につながることだから、
大事。
だが、最終的には、神に包括されているという最大の安心感が、
現世利益なしでの生の意味を可能にするのだと思う。


>>344
>信仰とは関係の無い、学問としての宗教
といわれてしまったが、
はっきりいって、俺はどの宗派教派にも属していないが
特定の宗教に属さなくてもそうした回心体験は、誰でも苦境に陥った時に経験しうると思うし、
知識として既成の神や信仰を知らない者でも、そうした言語化不能の宗教体験はあると思う。

そうした「感覚体験」を、地域ごとに系統化したものが、既成宗教なのだろうし、
人間の認知には有限性があり、存在そのものが、他者との関係性との中でしか存在し得ないということは、どの宗教でも言っていると思う。


347334:2005/12/11(日) 13:20:00 ID:EptuuBcF
宗教とは学問や思想など、紙に書いた論理的な文章で完結するものではなく、
「自分の小ささ有限性」や、「他者(人間以外のあらゆるもの含む)あっての自分」を自覚した時に沸き起こる
感謝や共感、慈悲といった「感覚」が本質なのだと思う。

自分にとっては、「神がいる、いない」という議論自体、ナンセンスなものだ。
自分の有限性に気づけば、感謝の気持が先行する。その感謝には対象が必要だ。

それを、後付けに神とよんだり、観音菩薩とよんだり、いろいろしている。
別に対象に名称を与えず、一般の人のように「人生に感謝」といっても、それは同質だと思う。

同様に神を信じない人には神はいないし、したがって、「神なんているわけはない」と声高に主張するのもおかしい。
348334:2005/12/11(日) 13:43:51 ID:20sJ9ggL
どうせこんな長文スルーだろうが、、、、。スルーしてくれ

精神科医のV・E・フランクルは、人が苦境に陥って生きる意味を喪失した時、
その「生きる意味」を取り戻すには、
「『人生が自分に何をしてくれるか』を問うのではなく、『自分が人生にどう応えるか』」
という価値変換が重要だという。

これは宗教にも通じる。
宗教否定者は、「神はなにもしてくれない」と批判しているが、
苦境に陥った時、人は「なにかをしてもらう」という現世的価値を対価として必要としない行動が求められる。
そのときに、見返りのない最高価値=真理に触れるのだと思う。
その瞬間が宗教体験であり、
「現世利益があるから信じる、ないから信じない」という、
浅薄な利益主義から逃れた信仰が確立される。

浄土真宗の門徒は、学問がなくても、念仏と一体化することで、
「自力=なんとかして欲しいと求める心」からはなれ、生きたまま浄土にたどり着く。
そうした境地の人を妙好人という。
苦境にあっても信仰を失わないキリスト者と同じ。

まあ、こんなところで。
ちんちんみてまんまん濡れ濡れ



349334:2005/12/11(日) 13:56:16 ID:QTR2MfWo
と、こんな感じで自分の宗教観を披露してみたところで、
「宗教意識」とはほど遠いところだ。

相手のためを思っての行動じゃないし、
持説を理解してもらいたい、あるいは、読まれなくても吐き出したい、というだけのこと。
自我を満足させるためだけの行動。
こうした自己主張は、他者と自己との境を強化するだけ。

真の信仰は、仏教で言う空の思想のように、他者も自己もない、ということ。
だから、宗教について多く語ったことが、宗教意識に密着しているかというとそうではない。

宗教戦争なども同じ。
持説がどんなに立派だろうと、それが博愛精神から来たものでなければ、
宗教意識からは遠い。
自説を振りかざせば振りかざすほど、自分の信仰から遠ざかるだけ。

まあ、宗教がない人、宗教にたいして反発を持っている人も、
愛や慈悲に従って生きるなら、そうしていない宗教家よりも、
宗教的な意味で「神」に近い。

ということを長々言いたかった

350クレーム炭酸水:2005/12/11(日) 15:46:05 ID:2XrU2d6K
>>334
一応読んでみた〜。うん、難しい言葉がいっぱいだけど判る判る。
自分も君の言う宗教体験をしてるし、しかもどちらかってぇと頭は悪いわ優秀な信者違うわで…。
だからあんまりカトリックのキリスト=唯一神!じゃなかったりする訳ですが、だからこそキリスト以外神居ねぇとかカトリック信者は宣うのに不信感を覚えた訳ですよ。
だってキリスト信仰して無かったら地獄落ちなら、キリスト教自体に生まれながら触れられない環境に生まれた人どうよ?とかね。
‘だから神は一人’は絶対有り得ないと理解しましたな。
そうすっと、後は自分が神を選ぶか否か…或いは何を神とするかなんだよね。
だからこんな感じでスレタイにバリバリ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!的な大安売りっぽいのはイラっとくる訳で…。

う〜ん、知性の欠片も見えないような文章で済まんね。まぁ自分も言いたい事言ってみたっつー話し。
351優しい名無しさん:2005/12/13(火) 21:46:13 ID:apW5/Ku/
福音書を読んでみると「イエスは統合失調症だった」とまでは言えないまでも、少なくとも「イエスは分裂気質だった」ように見えます。

メンヘルに詳しい方、どう思います?
352334:2005/12/16(金) 14:55:02 ID:gIbWVbnE
ブッダや親鸞は鬱病気質だったとか、宮沢賢治やゲーテは7年周期の躁鬱だ、とか。

そういうのは、病跡学といって、ググると出てきて興味深い。
ただ、人間という全体的な存在を、気質や精神的症状という面で計ることに対する批判もある。
そういう気質や症状がきっかけで世界に対する大きな認識手段を獲得できたという見方もある。
宗教だけでなくヴィトゲンシュタインやベートーベンなどの偉大な哲学者や音楽家の創造物もそうした飛躍があってこそだし。
トム・クルーズのLD、坂本竜馬やモーツァルトのADHDなど、興味深い。

353優しい名無しさん:2005/12/16(金) 22:29:34 ID:zyqa8FmN
age
354優しい名無しさん:2005/12/17(土) 14:20:59 ID:sNCbEHXE
age
355優しい名無しさん:2005/12/17(土) 14:55:32 ID:7W+tLUwL
こないだ聖書を破って生ゴミと捨てた俺が来ましたよ。
356優しい名無しさん:2005/12/17(土) 14:59:22 ID:0usqvOPM
愛されてメンヘラかよw
面白いこと言う人たちだ
357優しい名無しさん:2005/12/17(土) 20:58:56 ID:I8nBbJUg
キリストとかって、2000年も前の話だしな。
なんでそんなに昔の話を信じられるのかが信じられん。
358優しい名無しさん:2005/12/17(土) 23:11:11 ID:8B+cPa+1
>>357
つ「史記」
司馬遷の記述は中国の4000年前の事跡を記しているが、極めて正確だ。
359優しい名無しさん:2005/12/18(日) 12:52:24 ID:nLbofy80
遠藤周作の本読んだら、聖書自体はイエスの死後60年ほどたってから編纂されたものであり、
あちこちの村々の「イエス神話」「イエス民話」が混じっているから、
多少伝説めいたものになっているという。

でも、それでもイエスの思想というか、考え方は当時革新的で、しかも
宗教的真理に触れていたからこそそうしたイエスストーリーが
出来上がったわけで、仏教などの説話自体が譬え話であると同様、
何ら価値を下げるものではないと思うよ。

鈴木大拙の本を読んだら「歴史的事実」と「宗教的事実」は別で、
後者のほうに真実がより含まれてるとか書いてあったような気がする。
360優しい名無しさん:2005/12/19(月) 16:32:22 ID:zqXNWA7L
age
361優しい名無しさん:2005/12/21(水) 04:43:15 ID:AMcxG7uW
聖書はなぜ、対人恐怖症について語らないのですか。
362優しい名無しさん:2005/12/21(水) 05:02:52 ID:Oz/I0N/v
愛しているなら、さっさとこの生き地獄から救出してくれ!

でも、どうせ居ないし待ちきれないから、虚無と混沌に消えるのみ。
363優しい名無しさん:2005/12/21(水) 08:51:55 ID:s25uV6nz
>>358
それとキリスト神話の正確性との関連は何ですか?

>>359
考え方が革新的でもいいけど、それなら哲学者・思想家として崇める訳に
はいかなかったの?
何故、神にまで昇格したの?
364優しい名無しさん:2005/12/21(水) 14:41:55 ID:j6WnfWzV
鬱病がキリスト教を信じたらますます欝になる
365優しい名無しさん:2005/12/21(水) 14:53:29 ID:McsHTBdK
自分はキリスト教は嫌いだ
366木星人プラス:2005/12/21(水) 14:57:21 ID:/7n+im+F
根本的に日本人の気質に向かないと思う。
うちはクリスマスを質素にお正月を派手にする。
367優しい名無しさん:2005/12/21(水) 17:33:35 ID:/0CVr9/w
私も嫌い抑圧的
368優しい名無しさん:2005/12/21(水) 21:11:05 ID:UBCIye3G
キリスト教は差別的な宗教だと思う。元はカルトだからね。
369優しい名無しさん:2005/12/21(水) 21:21:56 ID:McsHTBdK
私のお腹の子が死産した時トメに言われた(熱心なある会の信者)
「神さまに召されたのだから、喜びなさい」

私は子供を奴(キリストの言う神)にあげた覚えもないし
喜ぶこともない・・未だ悲しい

370優しい名無しさん:2005/12/21(水) 21:49:33 ID:GU3AR0nt
>>369
そこは信じてもいいところでは?
371優しい名無しさん:2005/12/22(木) 03:36:48 ID:znknmgak
いや、さすがに喜びなさいはまずくね?同じ信者ならともかく。
ついでに決まり文句みたいであまり思いやりを感じられないよ。

>>369
貴方が悲しんでばかりだと、貴方の子は心配してしまいますよ。
焦らなくて良いけど、いつか笑顔で安心させてあげてくださいね。
372優しい名無しさん:2005/12/27(火) 17:08:03 ID:UBEOXF9i
>>1がまだ一度もレス返していない件について
373優しい名無しさん:2005/12/28(水) 22:53:50 ID:zPewNbGN
日本人がキリスト教を論じると、なぜか親鸞の言っていることに似てきてしまう。
>>1 も含めて。どうしてだろ?
374優しい名無しさん:2005/12/29(木) 22:25:52 ID:w0ztw9Em
>>373
俺、歎異抄読んだ直後に、カラマーゾフの兄弟読んで、「同じじゃん!」ってビビった。

浄土思想と、キリスト教の思想がよく似てるってけっこう通説だよ。
法然=イエス、親鸞=パウロ的な解釈の本も結構でてる。

法然=親鸞の「悪人正機説」とキリスト教の「原罪説」、
浄土教の阿弥陀仏の他力思想とキリスト教のイエスによる罪びとの許しの思想が類似してるんだよね


375優しい名無しさん:2005/12/30(金) 17:56:06 ID:GZL8hhSQ
戦争抜きで世の中の宗教一つにしてくれよ。
376優しい名無しさん:2005/12/30(金) 20:52:12 ID:3lgF3LQo
>>375
どれにする?
377優しい名無しさん:2006/01/02(月) 01:27:47 ID:ggxJD8wr
ある本によると、人類の精神史は、大雑把にいえば
原始的な生活能力(科学の萌芽)→キリスト教や仏教などの宗教的世界観→近代合理主義、科学主義
という過程をたどったという。

で、その最後の科学主義が今行き詰まっている。

だから、現代の科学的視点から既成の宗教を、分析統合して、
新しい精神的進化を遂げないとならないとか。
そのために、心理学や、哲学、自然科学がいま過渡期におかれて模索中だとのこと。

、、、、その本ってのが中沢新一なんだが、
まあ、中沢氏だけじゃなく割といろんな人がいってると思うよ。


378優しい名無しさん:2006/01/03(火) 05:05:16 ID:okhf/to0
物質文明から精神文明になるのか?その前に大戦争が起こるのか?
379優しい名無しさん:2006/01/03(火) 12:39:37 ID:mjAbPTHJ
精神文明なんて大げさなものじゃなく、
単に現在の効率主義、利益主義に行き詰まりが出てきたから、
宗教が復権することになる。

現在の効率主義ってのは、みんな当然のように昔からあったように感じてるが、
そうではなく人類史のなかではかなり新しい現象。
近代化は必要なものだったが、プラスの面だけではなく、精神的荒廃や、環境問題など
さまざまな地球規模の問題が持ち上がってきている。

いったん近代化の洗礼を受けた現代人が、
素朴な形で既成宗教を受け入れるのは抵抗があるから、もっと
心理学や人類学、哲学、自然科学などの「科学」的な面から、
宗教的な面を分析し、統合し、取り入れる方面に進んでいくのでは、、、。

とみている人が多い。河合隼雄とかの本にはそんなことが書いてあった。
380優しい名無しさん:2006/01/03(火) 19:01:18 ID:ABW2lEvV
うつ病の治し方は聖書に載っている

http://hazakura.jp/
381優しい名無しさん:2006/01/03(火) 22:03:19 ID:K4exnSFV
視線恐怖、脇見恐怖も治りますか
382優しい名無しさん:2006/01/05(木) 10:59:31 ID:UCdfbS7t
私は神である。
せせこましい人間に言いたい。
「平和」こそ真実です。
あなたがたは発展途上の人間です。
「平和」を目指しなさい。
それだけがあなたがたの真実になります。 
383優しい名無しさん:2006/01/05(木) 16:50:35 ID:LSqkIMnS
俺らよりブッシュや小泉に先に言ってくれ。
384優しい名無しさん:2006/01/07(土) 18:43:42 ID:zoqFelKT
クリスチャンがリスカするのってやっぱダメっていうか、
聖書の教えに反してるよね?っておもうの、あたしだけ?かなぁ
クリスチャンになってから、リスカの衝動がきても、
あたしはクリスチャンなんだって言い聞かせてるんだけど・・・・・
385優しい名無しさん:2006/01/07(土) 20:42:44 ID:qmgQCK9z
>>384
クリスチャンと言えども人間なんだからそれは仕方がない。
386優しい名無しさん
>>384
イエスは親のような愛で愛してるのだから、リスカは悲しいからやめて欲しがるかもしれないけど、
教えに反しているから罰するとか見棄てるということはないと思う。

子が何をしても見棄てられないのが親なのでは?
とおもいます。