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第五章 虚無主義:いかにして克服するか
先の章で、考え方を変えれば気分も変わるということを学びましたね。気分を高めるための良い方法をここでもう一つ示しましょう。
人は思想家ではなく行動家なのです。だから、行動を変えることにより容易に気分も変わるというのは驚くべきことではありません。
単につまずいているだけなんです−落ち込んだときは、何もしたくないものです。
うつ病の最も怖い要素の一つは、意志力を麻痺させてしまう点です。軽症のときは、嫌な仕事をいくつか先に延ばそうとします。
動機づけを欠いているため、何をするにも難しく見えてしまい、何もしたくないという衝動に打ち負かされてしまうのです。
ほとんど何もできないため、気分はますます悪くなります。自分から刺激や楽しみから遠ざかってしまうばかりでなく、
生産性の低下はあなたの自己嫌悪をさらに悪化させ孤立化や無能力化を招きます。
もしあなたが自分を拘束している感情の檻に気づかなければ、このような状況は数週間、数ヶ月、あるいは数年も続くかもしれません。
また以前のエネルギーと比較すると現在の活動力の乏しさがさらに挫折感を増すことになります。
虚無主義 do-nothingism は、あなたの行動を理解できないでいる家族や友人にも影響を及ぼします。
そういった人達は、あなたが好きで落ち込んでいると思ったり責任逃れをしていると言うかもしれません。
そんな言葉は、あなたの苦悩や無気力さをさらに悪化させてしまいます。
虚無主義は、人間性の最も大きなパラドックスの一つです。ある人は、大きな喜びを持ってごく自然に人生に身を置けるのに、
一方では、まるで陰謀にでも巻き込まれたかのごとくいつも打ち負かされいる人もいます。なぜだか不思議だと思いませんか?
いっさいの正常な活動や人間関係から遮断されて数ヶ月過ごすことを強いられたなら、その人はおそらくうつ病になるでしょう。
子猿でさえ仲間から離され小さな檻の中に閉じ込められると、知能が遅れたり自閉症になったりします。
なぜ自分から同じ罰を受けようとするのですか? 苦しみを求めるのですか?
認知療法を用いれば、こうした誤りを正確に見つけることができます。
今までかかわってきたうつ病の患者さんの大部分は、もし自分から助かろうという気持ちさえ持てば実質上治ってしまうことを、
経験から知りました。自己救済という気持ちで何かをしている限り、そのしていることに意味を見出せないかもしれません。
私は、一枚の紙に線を引くだけで劇的に絶望状態が良くなった例を二例知っています。一人は画家で、
もう何年もの間真っすぐに線が引けないと思い込んでいました。その結果、試しに描いてみることさえしなくなりました。
治療者が、実際に線を描いてみることで彼の思い込みをテストしたいと提案し、
実に真っすぐな線を描いたとたん彼の症状は消失しました!
多くのうつ病患者は、自分を助けるために何かをすることを頑固に拒絶する時期があるものです。
動機づけしていた問題が解決されるやいなや、うつ病は急速に消失します。
それゆえ、われわれの研究がなぜ意志力の低下を重視してアプローチしているかが理解してもらえると思います。
こういった知識を利用して、われわれはぐずぐず延ばしで悩んでいる人を助ける特異な方法を考え出しました。
私が最近治療した、二例のかなりややこしいケースを紹介しましょう。その極端な虚無主義はまるで狂人のようでした。
しかし私は彼らの問題はあなたの抱えるのと同じ原因だと信じ、諦めませんでした。
患者Aは二十八歳の女性で、いろいろの活動によって気分がどのように変化するかを実験してみました。
すると、少しでも何かをしたときには気分がいくらか良くなることがわかりました。気分を高めることがらを表にすると、
家の掃除やテニスをすること、仕事に行くこと、ギターをひくこと、夕食の買物をすることなどが挙げられました。
ただ一つ、彼女の気分を確実に悪くするものがあります。このたった一つが、常に彼女を惨めにしてしまいます。
それが何かわかりますか? 虚無主義なのです−
一日中ベッドに横になり、天井を見つめてネガティブな考えを探しもとめるのです。
彼女が週末に何をしているかわかりますか? その通り!
土曜の朝からベッドを這い回り、落ち込みはどん底に達します。彼女は本当に苦しみたいのだと思いますか?
患者Bは、自分の治療について非常にはっきりしたメッセージを伝える傾向のある内科医でした。
彼女は、治るスピードは働こうとする自らの意志次第だということは理解していると述べ、
また十六年間もうつ病で苦しんだのから、なんとしても良くなりたいと言いました。
彼女は治療に来て良かったと言いましたが、私は指一本上げることさえ指示できませんでした。
彼女はもし五分間でも宿題をやるように私が命令したら自殺すると言いました。病院の手術室で綿密に計画した、
致命的でぞっとするような自殺の方法を詳細に語り、おそろしく本気であったことがわかります。
どうして彼女は、自分を助けることに対してそんなにも拒絶的だったのでしょう?
もちろんあなたの無気力ややるべきことの引きのばしはこんなに極端なものではないでしょう。
仕事をちょっと先のばしにしたり、歯医者に行かなかったりという程度のことですよね。
でも問題は、なぜ自分の利益にならないとわかっていてそれをするかということです。
ぐずぐず引きのばしたり自己を追い詰めるような行動は、見方によっては滑稽で徒労で不思議であり、
時には腹が立ったり哀れにも見えます。このような行動は非常に人間らしい習性で広範囲に見られるので、
われわれは毎日思いあたることがあるはずです。
歴史を通して人間性について研究する作家、哲学者、学者らはこのような行動の説明を、公式化しようと試みました。
その最も一般的な仮説は以下のようなものです。