人は、「生きている」、ただそれだけで十分に価値のあるものです。
何ができるとかできないとかはまったく関係ありません。
それらは「常識」という名の、それこそ不確かな価値観による
もので、「生きている」ことだけで本当に素晴らしいことなんです。
私も以前は、生きることに価値を見いだせなくて本当に苦しみました。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569573142 そんなとき、知人からこちらの本を薦められ読んでみましたが、
大変救われました。
アメリカでの退行催眠療法によると、被験者は互いに面識がないのにも
関わらず、みな同じようなことを話し出すそうです。それによると、
「自分はすでに何度も生まれ変わっている」
「前回の人生では○○を克服できなかったので今回の人生で
また同様のテーマを自分に課している」
といった内容のことだそうです。
人は、自分の魂を磨く為に人生を何度も送るそうです。
誰もが既に何十回以上も転生しているのですが、生まれる前の記憶が
残っていると現世での修行に支障をきたすので、意図的に生まれる前
の記憶を消してから転生してきます。
現在私達が直面している試練は、自分が自分に課しているものです。
生まれる前に、次の人生でのテーマを決めてをれを克服しようと
しているのです。
魂の成長レベルによって、自分に与える試練のレベルも異なります。
レベルの低い魂は、困難の少ない安穏とした人生を自分に与えます。
しかし、十分に成長した魂は、意図的に高度な試練を自分に課します。
従って、試練が厳しければ厳しいほど、それだけの試練を自分に
与えた素晴らしいチャレンジャーだと言えます。
身体障害者の方や知的障害者の方、自分の存在を認めることが
困難な方などは、まさに成長した魂なのだと思います。
今回の人生がどんなに苦しいものであったとしても、それは
今回の人生だけのことで、来世はまた違ったものになります。
逆に、現世でどんなに楽に生きている人でも、来世はさらに
厳しい試練を自分に課すことになります。
そして、様々な試練を克服して十分に成長した魂は、もう
この世に転生しなくなり、今度は、ガイドとして修行中の魂を
見守る立場となります。ガイドとはいわゆる守護霊や神などと
言われる存在と考えられています。
私達には、誰でも必ずガイド(守護霊)がいます。ガイドは、
私達が正しく修行ができるよう、いつも見守っていてくれています。
このことに気付くと、徐々に1人ではない感覚が強くなってきます。
常に、誰かに守られている感覚というのでしょうか。
修行が進んでくると、いろいろなことに寛容になってきます。
他人の言動に腹を立てることも少なくなってきますし、現状を
受け入れることもさほど困難なことではなくなってきます。
繰り返しますが、人は何度も転生していますし、これからも転生を
しながら修行を続けていきます。しかし、今回の人生は今回しかありません。
今回の人生で克服すべきテーマを克服しなくても別によいのですが、
それは次回の人生に持ち越しとなり、いつかは克服することになります。
このスレッドを読まれている方は、多かれ少なかれ心に傷を負っている
のかもしれません。しかし、その心の傷にも大きな価値があります。
心の傷の存在を知るだけで、他の傷付いている人を理解してあげられます。
傷付いている人にとって、そのことはどれだけ救いになるでしょう。
心の傷を乗り越えることにより、一回り強くなり、今度は誰かを助けて
あげられるかもしれません。
人生に偶然はありません。ほぼ全てのことは生まれる前に
予め決められています。現在直面している試練も、これから
受ける試練も、これから味わう幸福も全てです。これを「運命」
と呼びます。
しかし、「運命」には選択肢を用意してあります。この選択をする
ことを「立命」と呼びます。従って、人生とは、自分で決めた運命の中で、
どのように立命していくかとも言えます。
一見すると、周囲の人と自分の人生はあまりにも違っていて、極めて
不公平のように感じますが、それは短い「1人生」というスパンで
考えてしまうからです。「百人生」「千人生」といった長いスパンで
考えると、あらゆる人は平等です。全ての人が試練と喜びを平等に
自分に与えているのです。
できることであれば、全てを受け入れて今生きていることに
ただ感謝しましょう。死んであの世に行ってしまうと試練はありません。
生きているからこそ試練を経験して成長できるのです。
私もうつ病で大変苦しみましたが、今はなんとか回復して自分のペースで
頑張って生きています。それまでに10年ほどかかりました。
人それぞれ、ペースが違うことがわかると、以前辛かったことを
まったく辛いと感じなくなり、逆に以前であればなんとも思わなかった
ことにとてもありがたいと感じたり、嬉しく思ったりもします。
公園に行って深呼吸をするだけでも、空気が存在することに感謝できたり
します。全てに対して「○○してくれている」といった感覚を覚えます。
空気も水、そして愛する人も、「存在してくれている」のです。
こんなにありがたいことはありません。
もちろん、私自身、現在さまざまな試練に直面しています。
しかし、そのことを単に「辛い」と感じるだけではなく、
「自分はこの試練からなにを学ぶべきなのだろうか。自分は
生まれる前に、なぜこの試練を自分に与えると決めたのだろうか。
これにはきっと大きな理由があるはずだ。ならばきちんと受け止めよう。」
と考えるようになりました。
すると、本当に不思議ですが、少しづつ試練を試練と感じないように
なってきます。逆に、「次はどんな試練を用意してあるのだろうか」
と楽しみになってくることすらあります。
だんだんと、自分の魂に自信が付いてくるというのでしょうか。
もちろん、経済的な地位や名誉などはまったく関係ありません。
そもそも、そんなことには価値を見い出さなくなってきます。
ただ、
「どれだけ現状を受け入れられたか。
どれだけ人を愛することができたか。」
に意識が向くようになってきます。
今、お辛いと感じているあなたは、それだけの試練を自分に課す
ことを選んだ素晴らしい魂の持ち主です。魂は、自分に克服できない
試練は課しません。
どんなことでもそうですが、「最初の一歩」は辛くて勇気が
いるものです。でも、「その一歩」さえ踏み出せば、少しづつ
状況が変わってきます。
ゆっくりでいいですから、少しづつ頑張っていきましょう。
でも、決して無理はしないで下さい。修行は永いですから。