「除菌」だとか「抗菌」だとかの表示がある洗剤がそろそろ
必須のアイテムになってきてしまった。
いつだったかテレビで、「ドアノブにはこれだけの細菌がいる」
「しかしそれはあたりまえのことで人間は細菌と共存しながら生きているのだ」
とエラい人?が言っていた覚えがある(自分に強迫症状がでる以前)。
科学的には、例えば無菌室で育った象の赤ん坊は、外にだすとすぐに死んでしまう、
という話も知っている。その理由とは、母親の糞のなかの細菌がなければ、
食べ物を消化することができないから、という。
そういう理屈を考えると、自分の今の汚染嫌悪(恐怖心というより、
徹底した拒絶感を感じているので、個人的にあえて嫌悪という言葉にしている)が、
いったいどういうメカニズムで発しているのかさっぱり理解できない。
トイレの後に石鹸で手を洗う行動は、いたって普通のこと。
でも自分の強迫行動ではトイレに行く前にも手を洗い、
家族と共通の空間では常に汚染された気持ちで、
ことあるごとに手を洗ってしまう。自室のなかは聖域となり、
家族は立ち入り禁止。自室以外では常にスリッパを履いて、
汚れた土足の空間が二重になっている。
SARS、鳥インフルエンザ、あるいは洪水による浸水被害のあと等、
消毒するのはあたりまえのこと。
この一見あたりまえの考えが、自分の脳神経のなかでは健常人以上に
暴走しているんだな、と自ら仮説を建てている。
俺は風呂にはあまり入らない、つかれるから。
引きこもっていて家のなかでは常に同じ服装だが、
自分ではこれを「プロテクト・シールド」と呼んでいる。
外出するときの衣類とは絶対に接触させることができない。
これから強迫観念を打ち消すために、
外に持ち出してしまったデジタル機器を自室に持ち込むための
洗浄の儀式をしなければならない。。。