自分の意志の貫徹を阻害する両親への当付(あてつけ)として、
女子が、見も知らぬ中年男性と性逢行為をしてしまう様子を表現
した映画作品が有ります。
自我に覚醒しても、自己の肉体を両親の所有物品のようにされて
しまっている状態に我慢ができないというような場面でしたが、
家族(将来の結婚相手を含む)以外との性逢行為により、自身を
傷害しても、その傷害された自身を自分の物品にしてしまう未来
に展望を保持できるでしょうか?
自身を、自分と同一と認識し感覚できるようにするには、自分が
自身を充分に制御できるようにする必要が有ります。そのために
は、この世界で生活し職業するために、知識や技能を獲得し修習
する必要が有るのです。
このような知識や技能の獲得や修習を、両親から強制されている
と、両親への反発や反感だけが増幅されてしまうのですが、知識
や技能が不足していると、社会力や経済力の観点から、いつまで
も両親に依存せざるをえないので、両親に反感や反発するだけで
は、本当の独立や自律ができないという悪性循環に転落してしま
います。
そうすると、其処には絶望しか無くなってしまうのでは?希望を
発見するには、無闇矢鱈な反感や反発である「うざい」「きもい
」から脱却しなければいけません。
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