メンヘル患者にとっての文学。
メンヘル患者にとっての哲学。
メンヘル患者にとっての思想。
メンヘル患者にとっての精神世界。
そういうのによって救いが得られたとか。
あるいは小難しい本を読んで余計に心がおかしくなってしまった話など。
本屋に行くと、
その手の本のコーナーで足を止めてしまう人のためのスレッドです。
2 :
優しい名無しさん:04/02/18 23:25 ID:YwdKWKFI
2
3 :
優しい名無しさん:04/02/18 23:26 ID:YwdKWKFI
やったーはじめてとったぞ^7//5
4 :
優しい名無しさん:04/02/18 23:26 ID:YwdKWKFI
さよなら
5 :
優しい名無しさん:04/02/18 23:27 ID:8cHbgbmY
良スレになることを祈って、とりあえず
5get
きもちの悪い子供ですた...で始まり 玉川で逝った作家といえば
はい、だれ?
呉智英なんか、どうよ。
内省的になりがちなメンヘラーが遭遇するであろう、民主主義の名のもとの
差別や偏見に対して、パラダイムの枠組みを変えることでそれらに打ち勝ち、
自ら生きる力をつけるために、呉の一連の著作は良い糧となると思うが。
8 :
優しい名無しさん:04/02/19 00:43 ID:7FHaf8yq
なんか思想系の難解な本って、
ハマると自分は特別な人間だみたいな
方向に行きやすいんだよな。
コンプレックスが強化される。
まあ元々本質的に自意識過剰型の人間だから、
ハマるんだろうが。
>8
それで勘違いして哲学の院に行き
現在ヒキな俺・・・
10 :
優しい名無しさん:04/02/19 01:07 ID:87MPJWOl
根底に流れるニヒリズムを日常の雑事で埋め立てる。
それでも地下深い漆黒の闇から染み出す冷たい孤独は身を凍えさせる。
動物的本能の愛の渇望を叫んでただ天に向かって手を伸ばす。
けれどそれは叶わぬ願いであることを確認するのみである。
文学かー
12 :
ハラペニョ唐辛子:04/02/19 01:35 ID:g5gqKFmv
13 :
グフゥ ◆KrV755.GHU :04/02/19 01:52 ID:2K6BW8OS
大学に入学して思想系の本を読み漁ったら
すべてのことに確信が持てなくなって
不安定に。そんなひといませんか?
>>14 読むのやめれ。全く同じではないけど似たような状態に
陥った経験あり。
脳内だけ全てを超越してしまって、全ての事が取るに足りない
事だと思え、すっかり無気力状態になった。
そんなに時間かからずに治りますよ、暫く思想と離れれば。
>>14 大学生なら、それで当たり前なんじゃないの。通過儀礼。
で、あなたは哲学の院、でしたっけ? 僕は人文地理学の修士修了。
いわゆる人文主義と現象学の地理学への応用なんてのを延々やったが
もうみんな忘れた。
儀礼を通過するのにかなりの時間を要したため、鬱発症しますた。
17 :
優しい名無しさん:04/02/19 10:20 ID:7FHaf8yq
18歳くらいで自我に目覚めるとして、
自分と社会の関係とか、
自分と他人の関係とかに思い悩んで、
思想書を乱読したりするのって、
ある種独特の精神構造の人、
という気もするんだけどね。
子供の頃から世の中に違和感を抱えてきたとでも
言えばいいのか…。
そういう人は思想書とか精神世界系の本に吸い寄せられる
運命なんだろうな。
逆に読まないタイプの人は絶対に読まないよ。
18 :
優しい名無しさん:04/02/19 10:59 ID:YMJ30sMS
自分自身が不安定な時って一体なにが正しいのかわからなくならない?
参考程度に読める時はいいと思うけど。
なんか深く入り込んでしまってる人の本を読んでその世界に入りこんでしまってる人多いと思う。
HPとかでもそんなとこばかり見てそれが当たり前になってしまっていたり。
個人のHPって本当に危ない人とかいるし。そんな人に洗脳されてしまってる人多いし。
ちょとずれてるかな?
でも救われる優しい本とかもあるとも思うけど。
自分は医学的なものには興味あるけど。
ん? 思想や哲学を学ぶことが、オカルト、アブナイ宗教、電波系と勘違いしてません?
いやべつにそう思うのは自由だしどうでもいいんだけれども。
あ、もしかしてここはネタスレだったのか?
学問を語るスレではなかったか。残念。
ではこれで失敬するよ。
20 :
18:04/02/19 11:16 ID:YMJ30sMS
>19
自分が勘違いしてるんでしょう。すみませんでした。
どうぞ参加してください。
自分が来ませんので。
すみませんでした。ご迷惑かけました。
21 :
優しい名無しさん:04/02/19 11:45 ID:7FHaf8yq
>>19 思想って学問の中では特殊な領域だと思うけどね。
法律の勉強をするのと哲学の勉強をするのとでは
かなり違うと思う。
資格を取る専門学校に(大学にも通いつつ)行く学生と、
思想書を乱読している学生では、
まったく毛色が違う。
前者は世の中の在り方に前向きで肯定的でうまく適応してるけど、
後者の人たちはちょっと精神的に不安定でアレなことが多いでしょ。
実際、思想書とかのマーケットにおいては、
悩んでいる人に答えを教えるみたいなスタンスの売り方が
珍しくないしね。
ともかく精神的に不安定な人間がすがる対象になっているのが
「思想」の実態だろ、ということ。
(そしてすがった結果、ろくでもない結果になる)。
いや、精神的に安定しているまともな人が純粋な学究として思想をやる
ことがあり得ないと言ってるわけではないがな。
22 :
優しい名無しさん:04/02/20 00:10 ID:bM4H0mBj
>>9 なんか哲学の院ってメンヘルが多そう。
大学教員の職にありつける人はいいんだろうけど。
哲学をやっていると、精神がおかしくなってくるようには思いますね。
哲学をやったからおかしくなったのか、もともとおかしい人が哲学に惹かれるのかは分かりませんが・・・。
気が狂いそうになる時もありますね。
哲学書を読んでいると、恐ろしくなってしまい。
メンヘラには、救いになる事は少ないのではないでしょうか?
救いになったと言う体験談があれば読んでみたいです。
ヴィトゲンシュタインはアスペルガー障害か高機能自閉症だって論文がでてたな。
この場合、哲学やっておかしくなったのではなく、
もともとおかしかったからこそ、あのような業績を残せたということになる。
25 :
優しい名無しさん:04/02/22 12:44 ID:oh3Xtjau
26 :
21:04/02/22 19:48 ID:UeGSMyV+
19=25か?
別に俺は「無教養」でもいいんだよ。
おまえがやってる思想とやらは、大学教授になれない限り
無価値なもの。
そんなものを積み重ねて悦に入ってるおまえのほうがバカ。
何がプッだよ。
大学生協で思想系の書棚に貼り付いてる
おまえのほうが周りから見ればプッなんだよ。
サラリーマンになるだけなら
別に無教養でいいんじゃないか?
うん。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を借りてきました。
まさかこれで、症状悪化したりはしないですよね・・・。
>>24さん
ウィトゲンシュタインは、同性愛者としても有名ですよね。
同性愛者=メンヘルではないでしょうけれど。
変わり者だった事は確かなようですね。(師であったラッセルも言っている)
英米系の哲学って、その世界観がSFっぽいと思いませんか?
論理的に矛盾さえしなければ、どのような可能世界も認めると言ったあたりが・・・。
だからこそ、本当に「1+1=2」なのか、今見えているあの夕日は本当に私にとっても他の誰かにとっても赤いのか・・・などと、全ての事に対して懐疑の目で見るようになってしまって、物事に確証が持てなくなるのだと思います。
横レスすまそ
>28
英米系の哲学って、その世界観がSFっぽいと思いませんか?
禿同!!
逆に英米系のSF作家の思想は哲学に通じると私は思います。
世界を構築する様が似ているのでしょうか…
30 :
優しい名無しさん:04/03/01 19:26 ID:+oi6xNiS
>>29さん
そうですよね。
英米系の哲学って、SFの世界観に似ていますよね。
そう思っているのは私だけかと思っていました。
英米系のSF作家の思想は哲学に通じる、そうなんですか。
是非面白いSF小説があったら読んでみたいと思うんですが、何かオススメの本などありますか?
ちなみに、私は、哲学は全ての学問や分野に通じていると思います。
全ての根本だと思います。
哲学は無益だとよく言われますが、哲学無しに世界が成り立つのかどうかは疑問です。
フロイトよみゃいいじゃん。おもしろいよ。
32 :
優しい名無しさん:04/03/01 21:06 ID:O3bazDaJ
ニューエイジとか、現代哲学とか読んでたけど、本当のことだと思って読んでたわけじゃなかった。
その後、ユングの集合意識とか共時性とか、自分で経験することになろうとは...
いや、ただのメンヘルだって言われるのは分かってるんだけど。
>>29 哲学と思想と倫理がどう違うか考えた方がいいと思う。
>>29,30が言ってる英米系の哲学って分析哲学じゃなくて
ニューエイジ系(トランスパーソナル心理学など)の方か?
>>32 ユングは嫌いだが共時性は漏れも体験しまくり。不思議。
>>34 まあねー分析哲学がSFとか言われたら
ヴィトゲンシュタインが怒り狂うだろうしねw
36 :
28=30:04/03/03 04:06 ID:XFP9Nd3y
>>34さん
世界観がSFっぽいと感じたのは、分析哲学の事です。
まぁ、あくまで個人的にそういうイメージを持ったと言う事で、、、。
クリプキの『ヴィトゲンシュタインのパラドックス』などを読んだ時にも、そう感じました。
説明はしづらいのですが、、、。
あと、ヴィトゲンシュタインではないですが、(話の腰を折ってしまってすみません)、
ニーチェの『ツァラトゥストラ』から、印象に残った文章の引用を、、、
『牧人のいない一個の蓄群!誰もが同じものを欲し、誰もが同じである。
別様に感じる者は、みずから進んで精神病院に入るのだ。』
群集を軽蔑しての台詞でしょうが、その通りだと思いませんか?
私も、周囲に馴染めなくて、自らを別様な者だと感じたので、自ら精神病院に通い始めました、、、。
日本の大哲学者大森荘蔵センセも
「本物の哲学者はビョーインにいます!」
とおっしゃっていたYo!
>>37 まあでも、それを真に受けちゃ行けないよね。
>37が真に受けているとは思わないけど。
ただ、思想上非常に重要な考えのいくつかはが精神医学から出てきている
というのは事実だから、やはり精神病院は重要。
フロイトしかりラカンしかりガタリしかりジャネとかも。
ニーチェは、『誰もが同じものを欲し、誰もが同じである。
別様に感じる者は、みずから進んで精神病院に入るのだ。』
ここで、誰もが同じものを欲し、誰もが同じである群集達を批判しているのでしょう。
そして、その世間の価値観に疎外感を受け、自ら進んで精神病院に入る人間をも愚かだと批判しているのでしょうね。
ニーチェからしたらきっと、自ら進んで精神病院に通い始めた私も愚かなのでしょう、、、。
世間一般に流布している価値観に毒されたものだと思われるのでしょう。
対して、
>>37さんが大森荘蔵先生が、「本物の哲学者はビョーインにいる」と言ったのは、「哲学者と哲学研究者」との間にいる自分自身に向けた自己批判のように思います。
哲学者でありたいが、大森先生自身は哲学研究者でもあったであろうから、その葛藤からそのような発言をしたのでは、、、と思います。
・・・などと、詳しい知識も無いのに勝手に憶測してみました。
哲学って、何処までも自己批判、現実(他者批判)なんですよね。
その意味で、孤独になって、懐疑や独我論に陥ったりして、苦しくなってしまうように思います。
40 :
37:04/03/04 14:01 ID:CLG2K+xD
大森先生の奥さんが
先生の死後でてきたノートとかを読んで
「主人はこんなことを考えていたんですか!」
と驚いていたそうだ。
中島よしみっちゃんの本で読んだ。
中島は「先生は思索するときには奥さんさえ居なかった」
みたいなことを言ってた。
>大森荘蔵先生が、「本物の哲学者はビョーインにいる」と言ったのは、「哲学者と哲学研究>者」との間にいる自分自身に向けた自己批判のように思います。
そのとおりだとわたしも思います。
極めて厳しい自己批判の精神をお持ちの方だったようです。
>>40さん
中島義道さんの描く大森荘蔵先生は、とても魅力的ですよね。
三島由紀夫が割腹自殺した時、それを中島氏がゼミ中の先生に報告しても、
「ああそうですか、では次に進みます」と、さらさらと授業を進めたエピソードとか。
どんな方だったのだろうかととても気になります。
著作を読んでみようかなぁ、、、。
・・・極めて厳しい自己批判の精神を持っていないと、哲学は出来ないと思いますね。
それで、バランスを崩してしまう、、、のでしょうか。
大森先生の著作ならやっぱ
『流れとよどみ』だよね。面白いし、読みやすいし。
漏れの中ではいま精神病理学がヴームです。
木村敏ハァハァ。
安永はワカラン。
43 :
るる:04/03/06 12:45 ID:9CWa7Vur
ポーが好きです。奇怪とか幻想ではなくてあれは真理。
45 :
358:04/03/17 00:03 ID:DK2NSbOP
ポー今読んでるけど、文章が読みにくい。くすん。。。
>>45 じゃあ、J・ラカンの「エクリ」(邦訳)を読んでみてください。
47 :
優しい名無しさん:04/03/17 00:41 ID:CEiVUX+F
哲学の本読んで理解できてる人いるの?
昔ハイデガーとか読んだがさっぱりわからなかった。
48 :
優しい名無しさん:04/03/17 00:53 ID:ucGwJoJa
ハイデガーはわかりやすいと思った。
訳にもよるんじゃない?
自分の読んだのは「存在と時間」の原佑・渡邊二郎訳でした。
昔、高校の社会の教科書なんかだとハイデガーは実存主義として記述されていたような。
そういう文脈でいきなりハイデガーを読むとさっぱりわけわからなくて当然。
この板がらみだとやっぱり木村敏あたりから入るのがいいんじゃないか。
50 :
優しい名無しさん:04/03/17 10:11 ID:yGwJdKOe
>>44 俺もポーは好きだよ。アッシャー家の・・・とか、わけわからんのがいい。推理物はそんなでもない。
詩もいいね。大烏が出てくるやつとか。
51 :
優しい名無しさん:04/03/17 10:15 ID:yGwJdKOe
思想、哲学系の本が読めると、自分の悩みなんか超越したものがある感じがしていいときもあるよね。
なんかそんなこと考えてもしかたないじゃん、て思ったりもするが。
宇宙論の話なんかもいいかもね。日常の苦しみを忘れるには。
月並みだが、自分がとてもちっぽけなものに思われたりかけがえのないものに思われたり、と。
しかし、哲学って、実はあんまり人生の悩みには直接応えてはくれないよね。
論理学みたいっていうか数学みたいっていうか、筋道を立てて物を考えるってだけで。
分野にもよるのかもしれないけどね。
ヒロイック・ファンタジーが好きで、欝だった高校時代はそれで乗り越えることが出来た。
今映画化で流行の指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)のような大作だけじゃ
なくて、オズの魔法使いみたいな児童向けを原書で読んでみたり、様々な
ファンタジー・ソースに関して考察したような本や果ては日本のライト・ファンタジー
の類など、色々なもので妄想していた。妄想しているうちに苦しみが軽くなっていた。
微妙にスレの流れと違っててスマソ。
哲学・・・っていうか仏教哲学は学べば学ぶほどどんどん欝になっていったよーな
気がする。色々と納得した気にはなるけど、実際そこに救いを見出せないっていうか。
ニーチェの超人思想とかも、読んでて「なるほどそうかも」って思うけど、結局自分は
這い上がろうとしない弱者なんだなって思っちゃって精神衛生に良くなかった覚えが。
達観に至るにはまだ若すぎるということか。本来は51さんみたいに
>なんかそんなこと考えてもしかたないじゃん、
ってのが一番いいんだろうけど、まだそれが出来ていないや。
>>45 昔の翻訳ですか?現代語訳みたいのなら読みやすいと思う。
>>50 推理モノは私もあんまり嵌らなかったです。「物言う心臓」とか好きです。
ポーは登場人物のイメージで変人扱いされることもあるみたいだけど、
むしろ本人はお医者様。診る側の人だと思う。
>>9 死ぬほど亀レスだけど、やっぱり大学で哲学やるのは止めた方がいいのかな?
>>54さん
9さんではありませんが・・・
大学でやる哲学は主に哲学史です。
どの哲学者がどんな説を唱えたかについて教わるところです。
なので、「人生とは何か?」などの、人生哲学をやりたいのであれば趣味で個人的に哲学をした方がいいでしょう。
大学院まで行くとなると・・・
文献をひたすら読み進み、解釈をしていく作業の連続です。
文献研究をしたいのであれば行ってもいいと思いますが、そうでないのならば就職にも不利になるのでお勧めは出来ません。
>>55 レスありがとうございました。
「人生哲学」という言葉はよく分からないのですが、
私は宇宙について、存在について、死について、善悪について
物心ついたときから興味があるのですが、今はまだ誰それの文献を研究したい、
という目標のようなものは無いです。
ああ・・・当初の親や周囲の人の反対(親は法学部を勧めていた)に反抗しまくり、
いまでは周りの人間みんな私が哲学科行くのを認めてしまって・・・(宣言までした)
いまさら哲学科や〜めた、なんて言えない雰囲気。
あーあ・・・
↑「が」が多すぎ。すみません
>>56 「人生哲学」っていうのは(ぼくは55氏じゃないから解釈違うかもしれないけど)、
「人生をよりよく生きるための知恵や学問」
だというカンジですかね。
人生に不条理があるのはなぜか、とか、人々が不平等なのはなぜか。
そしてそれらの現象を包括し、世界や自分自身をよりよい方向に向かわせるために、
学び、考える。そういうのを「人生哲学」と言うような気がする。
一方、哲学は、どう生きれば幸せになるか、などの「価値判断を保留」し、
人間や世界を言語によってどう記述するか、
人間は世界を解釈する時に、どういった論理(手続き)で認識し、解釈するのか。
だからというワケではないが、数式的なものや図解などが出てきたりします。
(まあ「知の欺瞞」は置いといて)
とはいえ、両者は厳密に分けられるでもなく、大体の人、特に後者は両方勉強してるんじゃないかな。
人生哲学を学ぶなら、18〜19世紀の哲学や、倫理学、などを学んだ方がいいと思う。
後者の「哲学」には「救い」とかは期待せずに、論理展開の面白さやなどで
「楽しむ」ことが必要です。
なんにしろ人生に迷ってる人が哲学系の本を真剣に読んだら、一度、本当の「絶望」を
経験することになると思うです。自分という存在の無根拠性とか付きつけられるから。
59 :
優しい名無しさん:04/03/30 21:57 ID:7/LTFajD
すてきな哲学青年と付き合いたいなあ。 日々妄想。
60 :
優しい名無しさん:04/03/30 22:12 ID:2u+iq0m0
哲学美青年とつきあってますた
でも彼は理論的で、私みたいな感傷的なのとは合わないと感じたみたいです(泣)
でも彼の歴代彼女(イマカノも)はどうやらみんなメンヘルちゃんです・・
集まっちゃうみたい
61 :
優しい名無しさん:04/03/30 23:17 ID:7/LTFajD
>60
私も感傷系です。・・・彼氏がいただけ羨ましい。
美しくなくていいから(私ブスなので)哲学青年と二人で古い喫茶店とかでまったりしたいなあ・・・
哲学青年は(人にもちろんよるけど)論理的に下らない、大したことない、と感じるような
悩みだの話だのは、切って捨てるよ。
何年もうんうん唸って悩んだことを、難解っぽい哲学用語さえ使わずに、
二言三言で終わらされたりすると、凹むと思うよ。
63 :
優しい名無しさん:04/03/31 00:02 ID:sH+B54Ij
哲学好き?って友達が男の人に聞かれてたんだけど、
なんか自慢&かっこつけてる感じがしてとっても嫌悪感を覚えた・・。
話は変わるんですが自分は音楽やってます。
最近音楽療法とかも流行ってますね。
でも思うんですが、音楽療法が役に立つなら私はメンへラーなんかに
ならない筈なのですが・・(微妙スレ違い自分語りスマソ)
私は音楽に対して完璧主義な所があるので、西洋音楽を極めようとすると知らずのうちに
文学・哲学・思想、さらには宗教まで深く考えてしまいます。
私は音大に通ってますが、去年キリスト教などの宗教について詳しく講義された時
死が怖くなって1週間くらい夜一人で布団の中で泣いてました。
なぜ生きてるのか、自分が死んだらどうなるのか、家族が全員死んでしまって
一人ぼっちになったらどうしよう・・etc
結論、文学は良く分かりませんが、哲学関係の本等はメンへラーの方は読まないほうが
いいのでは?と思いますね。
深く考える事自体が良くないとか・・。
でもそれによって救われる人とかもいるのかしら。
その人の状況や病気によるのかな。
本屋でたまたま人肉食なんたら図鑑ってのを見つけてしまった日は最悪でしたね。
64 :
優しい名無しさん:04/03/31 00:03 ID:1yGW/g7e
>62
そんなもんか・・・
生きてゆくのが嫌になりました・・・
ああ、対人関係築くのが苦手な私の脳内彼氏とも
サヨナラ・・・
65 :
優しい名無しさん:04/03/31 00:13 ID:1yGW/g7e
>>63 音楽!いいですねえ。音大なんて憧れです。素敵ですね。
私もバッハを中心にバロックをよく聴きます。(マタイ受難曲が好きで、聴くと泣いてしまいます)
音楽にかぎらず、文学など西洋の文化について知ろうと思うと
やはりキリスト教の知識が必要になってきますよね。
66 :
優しい名無しさん :04/03/31 00:25 ID:2RkrJyEX
>>63 僕は専門家じゃないけど、音楽療法はとてもいいと思う。音楽療法
だけでは、例えば鬱なんかを完全に治す事は難しいのかもしれけれ
ど、でも、「泥棒かささぎ」序曲なんかを聴いてると少し気分が楽
になってくる。まぁーいいか、と。いう感じ。ただ、もう一つ
モーツッアルトのよさが分からない。モーツッアルトの曲はとても
美しいのだけれど、どこか少し悲しい。多分僕の側に問題があるの
かもしれないけどね。
哲学や宗教に救いを求めた事は僕の場合、最悪の経験だった。特に
仏教ね。でも、キリスト教の考えで僕の世界観を少しいい方向に
変わったと思う。
67 :
優しい名無しさん:04/03/31 00:32 ID:2RkrJyEX
>>65 バロックいいでね〜。
最近、「主よ、人の望みの喜びよ」のピアノソロ
がNHK-FMで流れれて、こりゃーすごい!と深く
感動しました。ほんとうに美しい。ピアノソロ
を聴くのが初めてだったから。
68 :
優しい名無しさん:04/03/31 00:42 ID:1yGW/g7e
>67
「主よ人の望みの喜びよ」、私も大好きです。
合唱付きもいいけれど、やはりピアノソロがいいですね。
バッハは他の作曲家よりも曲が安定していて、(変な展開みたいなのが無い)
安心して身も心もゆだねられます。美しい。
69 :
優しい名無しさん:04/03/31 00:54 ID:2RkrJyEX
>>68 いいですよね〜!
私たちの住む社会がもしクラッシック音楽、例えば「主よ人の望みの喜びよ」
のピアノソロのように美しく、穏やかなものであればいいな〜と常々考えて
います。(笑)
>バッハは他の作曲家よりも曲が安定していて、(変な展開みたいなのが無い)
>安心して身も心もゆだねられます。美しい。
気分に流されないですよね〜!朝起きて、小鳥のさえずりを聞いてるような、
バロックは自然な感じがとても好きです。
70 :
60:04/03/31 01:12 ID:57V752DM
哲学青年より獄本野ばらみたいな文学青年がよいかもですね
でも元カレは私の感傷を嫌ったけど、私は元カレの論理であっさり片付けるところに救われてました(泣)
似た者同士で付き合うのも危険かと・・心中願望とかになりそうで
>>56さん
人生哲学と私が言ったのは・・・
「人はどう生きるべきか?」「幸福とは何か?」といった、人生を生きるうえで出てくる問題を考察するような哲学の事です。
もちろん、こういった問いは、歴史上の全ての哲学者が対決し、格闘してきた問題でもあります。
だから、大学での哲学が哲学史の勉強だからといって、全く哲学が出来ないというわけではありません。
自らの問題意識を、過去の哲学者に照らし合わせながら思考する事も可能でしょう。
言いたかったのは・・・「哲学者」と「哲学研究者」の違いでしょうか。
前者は、自ら問題意識を持ち、自らの力で哲学する人の事です。
後者は、過去の哲学者について文献を研究する人の事です。
大学で教えてくれるのは後者です、
なのでもし56さんが前者の立場で哲学をしたいということであれば、学部に入ってから「やりたい事と違った」と思ってしまう恐れがあるということです。
ただ・・・私も学部の頃は楽しかったですよ、
学部では卒論などのテーマも比較的自由に決められるので「宇宙について、存在について、死について、善悪について」などの問題関心があるのなら、特定の研究したい哲学者がいなくても、そのテーマに沿って論文を書くことも出来ると思います。
でも院進学まで見据えているのだとすると、やはり文献研究などに時間を費やしますから、「私がやりたい事はもっと他にあるのに・・・」といった思いを持つ事になる可能性もあります。
私は院では少し挫折しました。
院進学はよほどの哲学に対する情熱や才能を持っている方で無い限りお勧めできないとは思います。
しかしやる気があるのならまず学部に入ってみてもいいのではと思います。
周りに左右されるのではなく、56さんご自身の意志で。
頑張ってください。
自分は高卒だし、決して哲学や現代思想や精神医学などを
勉強したわけではないけれど。本を沢山読むわけでもないし。
でも、鬱時にそういう本をかじって、自殺一歩前の絶望に叩き落されたけれど、
一度底を見ると(あるいは宮台風に言うなら「底が抜ける」と)
世界の見方が非常にクリアになります。
自分にとっていらないもの、自分にとって必要なもの、下らないもの、面白いもの、
そういう判断が以前よりスパッと出来ます。
とはいえ、これはごく「個人的な体験」ですので、
哲学書読んで、死にたくなって、それが回復したら、人生楽になる。
という効果は保証されません。
絶望を経験するのは危険です。
哲学書読んだら、みんな等しく絶望に落ちるなんてこともないですけどね。
まあとりあえず、救われたいと思って哲学を学ぶことはしない方がいいですよ。
あと、ぼくみたいな馬鹿には読むのはなかなか辛いですね。
キルケゴールの死に至る病の「自己とは自己自身に関係するところの関係である」のくだりが
わかんなくて(それが冒頭ですよ)何年も分かりませんでしたよ。
今でも分かっているかどうか怪しいものですが。
73 :
じゅん:04/04/01 00:06 ID:RNdh+LUH
>>28 近現代の英米系に限ったことではないよ。
紀元前2世紀のピュロンという人は、もろに「懐疑派」とカテゴライズされてる。
すごいよ。
9個あるものに1個を足しても、10個あることにはならないとか、
遠くで煙が見えても火が燃えている確証はないというどころか、
目の前でメラメラ炎が上がっていても、それは火がある証拠にならない、
とまで言うんだから。
日本語の訳がないのが惜しい。
漏れは大学のとき哲学科で、ピュロンの書いたギリシア語原典を読みますた。
簡単に言うと哲学って言葉で物事をカテゴライズしようとする学問ですよね、
僕はその「言葉で」と言うのに疑問を感じてしまって、イマイチ哲学にのめり込めないんですが。
例えば
>>73さんが引用されている
「9個あるものに1個を足しても、10個あることにはならない」というのにしても
「9個あるものに1個を足した」ものを「10個」と呼ぼうが「10個では無い」と呼ぼうが「X」と呼ぼうが
結局「9個あるものに1個を足した」と言う絶対的事実には変わりが無いと思うんです。
じゃあ「9個あるものに1個を足した」ものは「9個あるものに1個を足した」で良いじゃないか!
と、僕は思ってしまうのです。
そりゃあ哲学がしっくり来ない訳です。
>>74 じゃあ、懐疑派はとりあえず無視したら?
「言葉」そのものの有用性とか限界性とかを語ったりしているものもあるし。
「シニフィアン」とか「シニフィエ」とか「エクリチュール」とか、
そういう用語が出てくるものを呼んでみるといいかもしれない。
哲学は思想の痩せ細りなんじゃないかという気が
ふとすることがあります。
そう言う自分は、哲学より倫理学・思想の方が好きです。
77 :
56:04/04/01 16:35 ID:PUN0JMR4
>>71 親切に色々と教えてくださって本当にありがとうございます。
哲学科に行った人から「哲学科にいってよかった」という言葉を
聞いた事がなかったので、少々不安だったのです。
考える時間はまだまだ残っているので、これからじっくり検討していきたいと思います。
>>74 >結局「9個あるものに1個を足した」と言う絶対的事実には変わりが無いと思うんです。
少なくともピュロンの場合は言葉の定義じゃなくて、
その絶対的事実そのものを疑ったんじゃないかな?
>>78 つーか、ごく典型的というか素朴な唯心論者と見ていいのかな>ピュロン
80 :
74:04/04/02 01:32 ID:Jbo+bAfS
>>75 レスどうもです。
75さんから提案された用語についてググって見ました。
まぁWEBを斜め読みした程度ですが、かなり興味を惹かれましたよ。
僕は今、言語による感情の拘束性とでも言ったら良いのでしょうか?
そういう事に関心があります。
>>78 >その絶対的事実そのものを疑ったんじゃないかな?
僕もそうは思ったんです。
でもやはりどこかで絶対的事実と言う名の仮定は必要になって来ると思うのです。
だからココでは取り合えず「9個あるものに1個を足した」と言う事を
絶対的事実と仮定した上で、じゃあどうしよう?って事なんだろうなと僕は解釈しました。
81 :
優しい名無しさん:
良いスレage