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んー
何騒がれても、あんまりなぁ・・・
たしかに、こうなれない時のほうが、しんどかったし、
なんかこう、つっかかってくる人の気持ちは、逆にわかる気がする。
「ああ、自分もこうだったんだなぁ」とか「ああ、前の自分ならこう対応したよ
なぁ」という対応がかえってくる。
依存、ひいては共依存については、くりかえしくりかえし考えてます。
そのことばっかりに頭をめぐらしてるといってもいいほどに。
まとをしぼって問題を解決していきたいなぁと。
その共依存的な自分というのが・・・うーん・・・
やっぱ、自分の問題や、向き合うべき現実問題から目をそらすために、
人の問題の解決ばっかり心血を注いで「まぁこんなことができる私ってなんて
すごいんでしょう!」「やっぱり私は有能、有用な人間だわ!」ってやってたんだな
というのはかなり掴めた。
「しんどところは、みたくない」みたいな。
(人と比べて)駄目だったり、苦手だたったり足りなかったりする部分のことは
忘れていたい、という・・。・・結局、ずっと陶酔してたい、ってことだよな。
そういう意味で、前に「酔ってる」と言った人の指摘は、確かに正しいw
元彼氏に対してなんかは、本当に私が影で操るようにして、私がしそこねたこと、
できなかったことを変わりに果たしてもらっていたし、でもそれが彼の、彼自身の
判断や決断、主体性を否定して奪っていて、それでどんどん自分が頼られて
辛くなって、でも相手がいなくなってしまえば、今度は私が覆い被さる相手が
いなくなってパニックになって、相手を繋ぎとめておくために暴力を行使する、
死ぬことを臭わせたり・・とにかく相手の関心を自分にむけるために暴力的に
相手の生活に侵入する、ストレスを与える「私は被害者なのよ!」と、
被害者という免罪符のもとに加害者になるということを繰り返してきたんだなぁ
とつくづく思う。
共依存とボダ気質、両方とも私が大嫌いなものだけど自分の中にもっているもの。
これを考えないかんときがきた、ということなんだろう。